オリジナル

□カズとマサ
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夕方になり、ようやく涼しい風が吹き始めた頃、マサは昇降口で外靴に履き替えて校舎の裏へと向かっていた。
学校の裏、森と校舎に挟まれた、そこには小さな飼育小屋があった。
飼育小屋に面する校舎の二階にある一年三組の教室からは、相変わらず劇の練習に没頭するクラスメイト達の声が聞こえてくる。


足音を聞きたてた飼育小屋の四匹のウサギ達が穴の陰から伸び上がり、丸い瞳でこっちを見つめてきた。
知らず頬が緩んでくる。
飼料小屋から袋に詰められたウサギの餌を取り出し、二重に囲われた柵を開け、しっかりと閉めた。
開けっ放しにしてウサギが飛び出しては大変だ。
餌箱へと向かうマサをウサギ達が追いかける。
餌を箱に流しいれるマサの横から顔を突っ込み、頻りに鼻を動かしている。
苦笑しながら背中を撫でてやる。


「ちょっと待てって、すぐ終わるからさ。餌箱には入るなよ」


クラスの皆に半ば押し付けられるような形でなった飼育委員だったが、普段から人気の少ない飼育小屋は、マサのお気に入りの場所の一つになっていた。


「ごめん、カズマサ! 遅くなった! でも、お前も一言声をかけてくれればいいのに。同じ飼育委員だろ」


静かな空気を切り裂くように響き渡った声に、反射的に立ち上がったマサの手から袋が落ち、中身が零れ出た。
丸い乾燥飼料は土の上に広がり、お腹を空かせたウサギが駆け寄る。


「おいおい、どうしたんだよ。箱一杯分以上、あげちゃいけないだろ」
「………カズ。君に言われなくても、わかってる」


マサは顔を上げると、声の主、カズを睨みつけた。
劇の練習のせいで暑くなったのだろう、上着を腰に無造作に巻き、白いシャツを腕まくりしたカズは、マサの気も知らずに柵に寄りかかり、寄ってきたウサギを柵越しに撫でている。


カズの登場に口の中で毒づきながら足元の袋を持ち上げるが、地面の上に広がった餌は丸い糞に混じってしまい、目も当てられない。
掃除して捨ててしまうしかなさそうだ。
眉間に皺を寄せたマサに、カズは気まずそうに笑いながら頭を掻いた。


「………ええと、驚かせてごめん。手伝うよ」


隅に立てかけてあった竹箒を手に、柵を開いて入ってくる。
同じ飼育委員でありながら声をかけなかった自分が悪いと、マサも分かってはいるのだが、謝る気には到底なれそうもない。
糞と餌のミックスに鼻を突っ込もうとするウサギを抱き上げると、上から声が降ってきた。


「おおい、カズ! 早く戻ってきてくれよ! もう一回最初から通すからさ」


見上げれば開いた教室の窓から仮面をつけた魔王がこちらを見下ろしていた。


「わかった! 直ぐに行く」


カズも上を見上げながら答える。
それだけ告げた魔王は、さっさと首を引っ込めてしまう。
魔王が消えた窓から黄色いモノが降ってきて、マサの足元に落ちた。
時が止まったように思えた。
画用紙でできた黄色い星だった。


知らないうちに強く力を入れてしまったのだろう。
腕の中のウサギは身を捩じらせ、マサの腕から飛び降りた。
そのまま駆けだすとカズの足元をすり抜け、開きっぱなしの柵の間から外へと飛び出す。
小さな白い体は弾丸のように小道を走り抜け、森の中へと飛び込んでしまった。


「ああ! う、ウサギが………」


突っ立っていたカズを押し退けて小屋を飛び出すが、森に目を凝らしても白い後ろ姿は見当らなかった。
慌てて後ろから追いかけてきたカズも横に並んで森を見つめるが、やはり見つけることはできない。


「しまった、柵を開け放したままだった……」


呟くカズの声が聞こえた途端、むくむくと何かが胸の内から溢れてきた。
無責任なカズの物言いに対する苛立ちなのか、ウサギを逃がしてしまったという焦りなのか、それとも、嫉妬にかられた自分への嫌悪なのか。
考えれば考えるほど、頭の中は真っ白になる。


「早く探さなきゃ………、カズマサ? どうかした? 早く行こうぜ」


カズと目が合った途端、血が上ったように頭の中が熱くなった。
握りしめた袋の中身を思い切りカズにぶちまけた。
不意を突かれたカズはよろめいた。


見開かれたカズの目を見た途端、熱くなった頭が一気に冷え、自己嫌悪という波に飲み込まれた。
拳の力は一向に緩まず、爪が手のひらに食い込んでいる。


ずるずると後ずさりを始めたマサの肩に、カズは手を伸ばした。
カズの口が「大丈夫?」と言うように動いた。
その言葉はマサの自己嫌悪を加速させるだけだ。
肩に置かれたカズの手を乱暴に払いのけ、身体を突き飛ばす。


「君のせいだ………。ウサギが逃げたのも、星が落ちてきたのも、餌を零したのも、僕がマサになったのも……全部、全部、君のせいだ!」


最初は低くて小さな呟きが、最後には大きな叫び声になっていた。
たったこれだけを言うのに、息切れがし、頭がくらくらした。


それまでされるがままであったカズの顔が歪んだ。


「……なんだよ、それ。確かに、ウサギが逃げたのも、エサを零したのも俺のせいかもしれない。けど、マサになったのは、お前自身だろ! 押し付けるなよ!」


頬に焼け付くような痛みが走り、ぐらりと景色が揺れた。
地面に倒れてから漸く自分が殴られたことに気付く。
あっ……というカズの声が上から聞こえた。


のろのろと立ち上がると、マサは逃げるように駆けだした。
白いウサギが逃げたように、後も振り向かず、森の藪に飛び込み、暗い木々の間を駆け抜けていった。


走りながら熱いものが顔を流れるのを感じた。
霧散して消える滴は空中で急激に熱を失う。
滲む瞳に映る森の景色は歪み、何度も転びそうになった。
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