04/29の日記

02:58
私の「推す」ということ
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ご無沙汰しておりました。しばらくこちらに書き込むことが無かったのですが、久々に書かせていただきたいと思います。

フォレストに進出を初めて5年以上。いつの間にやら社会人となりました、仙霞です。
今回は、私の推し活について少し長めに語らせていただこうと思います。




プロフィールにもあるように、私の好きなコンテンツ・声優様・キャラは多岐に渡っております。声優様に限っても若手から中堅、ベテランの方まで。とにかく手広いです。

Twitterを始めて様々なフォロワー様と関わっていると、皆様それぞれに「推し」があり、沢山の愛情を注がれているのが日々分かります。
「このキャラに出会って人生が変わった」「この声優さんに出会って辛いことも乗り越えられた」
とても素敵なことだとつくづく思いますし、真剣に推しと向き合うフォロワー様を心より尊敬しております。

ただ、最近ふと思ったことは、

「私には…

それほどまでに愛情を注いだものがあるのだろうか?」

このようなことを言うと語弊がありますが、私がオタクになったきっかけは恐らく一つではなく、推しに影響されて人生が変わった…というエピソードも、改めて考えるとほとんど浮かんで来ないのです。

二次元には二次元の楽しみがあり、リアルの人生にはリアルの救いがあって…私は、両者を別物として考えてきておりました。

コンテンツに関しても、「開始点からずっと推し続けてきたもの」というものはほとんど無く、途中参戦してハマったものがほとんどで…初期からずっと見守ってこられた方々をただリスペクトの目線で見るだけ。

あらゆるコンテンツが好きなのに、好きであるが故に、「私が全力を懸けるのはこれ!」と言い切れる物が見付からないのです。全てを知り尽くしている、極めていると言える物が無いのです。

「こんな自分はもしかして全てにおいて『にわか』なのではないか…?」と、少し思ってしまったこともあります。



・・・と、もやもやとした話を並べてしまいましたが。

ここからは、私がそのもやもやにどのように折り合いを付けていくか決める、という話です。

推しに救われた訳ではないかもしれない、推しの全てを知ろうとした訳ではないかもしれない。
それほどまでに大きな感情が自分にあるのかはまだ分かりません。

ですが、それでも
「○○が好きだ」
「○○を応援したい」
というこの気持ちだけは偽りありません。

推しへの愛情を大きさで測るのは止めよう。人と比べるのは止めよう。

折り合いを付けるに当たって、私はそれを決意しました。
「好き」という気持ちだけは本物。これを否定しない。


何をどれくらい知っていても、何にどれくらい時間を割いていても、好きは好き。
今「好きだ」と言える全てのコンテンツが、声優様が、キャラが大好きです。
だから、好きなものには誠意を持って、感謝を忘れずに愛し続ける、推し続ける。

これは、様々なものを推していくにあたって、常に私の根幹に置いておこうと決めた考えです。

所謂「ガチ勢」ではなくとも、「ファンである」ということを堂々と受け入れよう。堂々と「好き」と言おう。

好きな気持ちは本物なのだから。








これが、私の推し活の全てです。

これからも、好きなものはまだまだ増えていくことでしょう。一度に色々なものに時間が割けなくなるかもしれません。
それでも、その全てに大きさ関係なしの「好き」を注ぎ続けます。
ただ、それだけのファンでありたいです。


長々と失礼いたしました。
ご閲覧ありがとうございました。













仙霞

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