弱虫ペダル

□笑えないんだ
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眩しくてたまらないほどの光が、俺を覆い尽くしていた。そのなかで、たったひとつ。黒い影がこちらに手を伸ばしていた。
それになぜか俺はすがろうとして、必死に走っていた。息を切らして走る、それでもそいつに追い付くことはなくて、次第に視界が暗くなっていく。そうして目を閉じている事に気づいたとき、その闇を晴らそうとして目を開けて。
「夢、か」
じっとりと額に浮かんだ寝汗のせいで、顔にへばりついた髪を払うと、1人ため息をついた。


「おはよう、靖友」
ぼーっと朝食の味噌汁を啜っていた荒北に話しかけたのは、同じ部活だった新開隼人だ。
「ん、はよぉ」
目線だけちらりと上げてあいさつを返す。
あのあと起きてみると酷い寝汗で、とてもそのまま朝食を取りに行く気にはなれず、ミネラルウォーターで軽く喉を潤したあと、シャワーを浴びて、ようやく朝食とりにきたのだ。
「お前いいかげんデブるぞ?」
当然のように自分の前の席に座った新開の持っていたプレートをみて、うげぇとうめいた。
朝から焼き肉定食に加え、そのご飯は山盛りで、部活をやめてもこいつの食べっぷりは変わらない、と苦笑する。それに気づいたのか、新開は笑った。
「そうか?でも、まぁ今もそれなりに走ったりはしてるからな」
そういって視線を落とし、腿を撫でた。
懐かしむような、慈しむような目に、女子はこういうところにきゃーきゃーと言うのだろうか、と荒北は考えながら卵焼きを口に放った。
新開は荒北とは違い、大学からの推薦があちこちから来ていて、そのためにもう行く大学が決まっていた。
荒北の方は、いくらマイナーな部活だからといってもIHに出ているのだ。推薦が来ないわけがなかった。だが、昔の荒北の素行を聞いて大概の者は推薦取り消していく。学校側もそれは否めないことであったので、荒北は一般で大学を受験するしかなかった。
部活動が続いていたために、その分他の生徒より勉強はできていない。毎日くたくたになるまで部活に励み、帰ってきたら風呂に入ってベッドに潜りこんで泥のように眠る。それが習慣になっていたから尚更だ。
毎晩遅くまで勉強をする荒北の目の下には隈ができ、野獣はすっかりなりを潜めたように大人しくなっていた。
新開はそんな荒北をみて、眉を下げた。
「靖友さ、もう行く大学決めたのか?」
「あァ、一応はな」
短く返事をした荒北は、最後に水を飲み干すと、ごちそうさま。と呟いて席を立った。
「じゃあなァ新開、部活頑張れよォ」
片手を上げて振り替えって笑いながらいう荒北は、しかしどうしても部活をしていたころの、純粋な笑顔には見えず、悲しそうな笑顔に見えた。
「靖友も頑張れよ」
手を降り返すと、「どーも」と荒北らしくない素直な返事が帰ってきて、新開は泣きたくなった。
きっと荒北の学力では、自分と同じ大学に行くことは叶わないだろう。いや、普通の奴でも新開の行くことになった大学は難しい。
新開もスポーツ推薦がなければ入れないであろうとまで言える大学だった。
去り行く背中を見送り、虚しさを掻き消すように硬く僅かに冷えた肉にかじりついた。
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