薄桜鬼

□雪の黎明
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「………」





暗闇の中、自然と目が覚めた。


時刻は恐らく寅の刻。

まだまだ起きるには
早すぎるのだが、
何故だか妙に目が冴えて
再び目を閉じる気に
なれなかった。



それよりも、
外が異常なまでの静寂感。



襖の奥の縁側は
月明かりに照らされて
妖しい光を反射させる。



というか、
いつもの夜よりも
明るすぎるような。




私はふと疑問に思い、
好奇心に負けて
体にかかっていた布団を剥いだ。


隣に揃えて並べてある布団で
心地良く眠る一さんを
起こさないように、
こっそりと布団から身を出すと
刺さるような冷気が
肌を強張らせる。


「ぅぅ…」

強烈な寒さに身を縮こませ、
羽織を求めて立ち上がろう
とした刹那、
手首を掴まれた。

私より冷ややかな
骨ばった大きな手。

「…何処へゆくのだ」

掠れた声音に振り返ると
寝起きとは思えない
冴えた視線があった。

「ごめんなさい、
 起こしちゃいましたか?」

「構わん、
 寝付きが浅かっただけだ。
 それより千鶴、
 おまえがこのような時刻に
 目を覚ますとは
 珍妙なこともあるものだな」

「ち、珍妙だなんて言い方…」

微笑を浮かべながら冗談だ、
と付け加え一さんも半身を起こす。

一さんが冗談を言うことの方が
よっぽど珍妙だと思う。


「何か、
 寝付けない理由でもあるのか?
 俺で良ければ聞くが」

私の腕を掴んでいた手が、
床に付いていた手に重ねられる。

「あの、特に、
 そういった理由はないですよ」

いつもより少し明るい外が
気になって様子を
見ようとしていたなんて、
人の睡眠を妨害しておいて
言いづらかった。

ただ目が覚めたのは
一さんの言う通り
珍妙だっただけで理由もない。



「本当か?では、何故だ」


濁すだけの曖昧な返事では
もちろん納得してもらえなくて、
身を乗り出して問い詰める。

ひたすら私だけを捉える
闇夜を感じさせる深い青の瞳には
疑心と不安と心配が
混ざり合っており、
耐えきれずに本音を打ち明けた。


「外が…気になって、
 見てみようとした
 だけなんです…」


純粋に心配してくれる
一さんから目を逸らし、
ごにょごにょと喋るしか
出来なかった。


「…外?」

思いもよらない返答に
目を細め考えるが、
すぐに外の方へ視線を向ける。


「妙に明るくて、
 その…気になって」

「あぁ…そう言われると、
 そのような気も…」

気まずい空気に
目を伏せていると、
一さんの口から
フッ、と聞こえた。


「どうして笑うんですか?」

「あ、あぁいや、
 大事ないようで安心した」


その場に立ち上がった
一さんが私へ手を伸ばす。


「?」

掌を目視し続け固まっていると
衣擦れの音がして、
しゃがみ込んだ一さんが
視界いっぱいに映る。


「何故固まっている?
 外を見るのだろう?」

緩やかに口角を上げて
再び目の前に手が出された。

「はい」

掌を重ね合わせて
一緒に立ち上がった。

「やけに冷えるな」

ボソッと呟いて襖を開ける。

「…あ」

「ふむ…
 冷え込みが厳しかったのも
 納得がいくな」

一面、雪景色が広がっていた。

今も雪は降り続けており、
吹雪いてはいないものの、
大粒の雪が所狭しと
空気中を浮遊している。


「すごい。
 眠る前は全く
 降っていなかったのに。
 あ、見てください、一さん!」

目前の雪に手を
差し伸べていた一さんに
声をかける。


雲間から見える東の空は
夜明けで赤らみ、
闇夜との境は
淡い紫で輝いている。

私の指先を辿って
一さんも空を仰ぐ。

「綺麗…」

「ああ、
 言葉に表し難い美しさだな」

一秒ごとに色を変えてゆく空に
目を細め感嘆の声を静かに漏らす。


急激に冷たさを増す手を
口元にかざし
温かな吐息を
無駄にすることなく当てると
吐息は真っ白な水蒸気となり
瞬時に消えた。

「寒いか?」

「ええ、少し。
 でも我慢出来ないほど
 ではないです」

もう少しこの景色を
一さんと見ていたくて
心配させまいと笑って見せる。

そう言う私の顔を見つめながら
物思いに私の首元へ視線を移した。

かと思えば気まずそうに
目を伏せて微かに頬を染めてる。

一さんは昔から
表情の変化が乏しいため
考えていることを汲み取るのは
未だに難しいが、
何か考え事をしている
ということは目に見えて
分かるようになった。


「一さん?」

ついに考え込み始めてしまった
一さんに痺れを切らして
問いかけようとした時、
無骨な手が私の肩を抱き寄せた。

あまりにも唐突な出来事で
言葉を失う。

「…これは…
 おまえに風邪を引かれて
 寝込まれては
 寝覚めが悪いだけであって…」

目を丸くしていると
もっともらしい理由を
訥々と述べるが、
耐えきれず笑みを零した私に
口をピタリと止めて
溜息を吐いた。

「おまえに御託を並べても
 意を成さないな…。
 俺がただ、こうしていたいのだ」

「もちろん、構いません」

一さんの胸に頭を預けると、
一瞬だけ硬直したが
肩に置かれる手に
一層力が籠った。



「夜明けの雪…幻想的ですね」

「ああ…そうだな。
 この景色は心を惹く」


一さんと触れ合っている
部位から温もりが広がる。


私を支える懐に安心仕切って、
今になって眠気が
押し寄せてきた。


それを感じ取ってか
肩に回した腕から
頭を手で支えられ
更に抱き寄せられる。

まるで、
身を全て預けても良い
と告げているように。









「千鶴、
 おまえほど心を惹く奴は
 他におらんがな…」



一さんが艶やかな声で
呟いたのだが、
私はというと睡魔で平静を
覆い尽くされていたため、
耳の奥まで聞き届けることは
なかったのだった。







end

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