薄桜鬼

□秋の酔い
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縁側に、二つの影が並んで座る。





「今日も月が綺麗ですね」



「あぁ、
 こんな秋の夜長に呑む酒は
 春の花見とはまた違って
 美味いよな…」



風に凪ぐすすき、
宵を奏でる秋の虫、
月夜を反射して光る酒の水面。


厳しい夏を乗り越えて
訪れる季節は
心身ともにゆったりと
過ごせる時。

その時を愛しい人と
過ごせる日々は
幸せの他ならない。



「左之助さんは風景に関係なく、
 いつでも美味しそうに
 お酒を召してらっしゃいます」

「ん?まぁ、美味いことには
 代わりねぇし、
 千鶴にはそう見えるだろうな」

赤茶けた髪を風に揺らしながら
目を閉じて大らかに笑う。


「知ってるか?
 愛する女が酌をした酒ってのは、
 格別に絶品なんだ」

その言葉に私は
肩を弾ませて驚いた。

「そ、そうなんですか?」

お酌をする人物で
味の本質が決まることはない
というのは自分でも
よく分かっている。

それは言わば
味覚以外の感覚の問題だ。

左之助さんにとって
お酒はどれだけ
離しても離し切れないほどのもの
だということを私は知っている。

それを更に【私】という要素で
旨味を増やしていたことに
妙な喜びを感じていた。


「嘘なんかじゃあねぇぜ。
 なんなら千鶴も試して見るか?」

酒を含みいつもより
色気の増した微笑みで
お銚子を少し傾けて見せる。


「……」


私のお酒の免疫は
新選組に身を寄せていた頃と
なんら変わりなく、
生まれてこの方
好んでお酒を口にした
事はないため、
平常時のお酒の美味しさ
というものを知らない。


そのことは左之助さんも
重々承知してくれている
はずなのだが…。

今夜はどういうことなのか、
困惑する私を置き去りに
勝手場から新たな盃を持ってきて
私に持たせた。


「これを期に
 ちったぁ酒を呑めるように
 なってみねぇか?」


まるで、
普段私を困らせるようなことを
してこない左之助さん
でないみたいだった。


「あの、左之助さん…」


半ば無理矢理に盃を持たされ、
お酌される。

これはもう、断れない状況。


それでも少しは
気遣ってくれているのだろう、
盃に注ぐ量は
配慮してくれている
ようにみえた。


「もう、左之助さんたら…。
 1杯だけ…ですよ」


「おっ、いいねえ。
 ぐいっといっちまえ」


「さ、さすがにこれを
 一口では…」


おずおずと盃に口を近づける。

「んんっ、」

舐めるように
少量の酒を含んだ瞬間、
口内で熱が膨らむような
錯覚に惑わされ、
脳が逆上せあがり
カアッと体が熱くなる。

喉を通すのを少し躊躇ったが
このままというわけにも
いかないので
仕方なく飲み下す。

「けほっこほっ」

一口だけで視界が回るような
錯覚に陥る。


「はは、大丈夫か?」


左之助さんは心配しながら
背中に手を添えて
さすってくれるが、
お酒を含んだことで
訪れた異変は
既に脳に回っていて、
顔を左之助さんに向けるだけで
頭が揺れているような感覚がした。



「うう…なんとか…」


こめかみに手を当てながら
言う私を見た後、
左之助さんは自分の盃に入った
お酒を呑む。


盃とにらめっこをする私の横から
小さい笑い声が聞こえる。


他人事だと思って…
と恨めしげに左之助さんを見ると、
思っていたより
大らかな表情を浮かべていて
面食らってしまった。


「こうして一緒に
 酒を呑める相手がいるってのは、
 やっぱいいもんだよなあ」


月を見上げながら
しみじみと零した言葉に
私は再びお酒を見る。


その昔、
お酒を呑みながら楽しく語らう
新選組のみんなを想い出す。

水面に左之助さんを始め、
永倉さん、平助くんの当時の姿が
映った気がした。



左之助さんが私を選んでくれて、
平穏な生活を手に入れてから
もう何年も経っている。

人里から離れて
静かに暮らしている間
左之助さんには
お酒を共に呑む相手が
いなかったのだ。

私がお酌で酒の席に
参加していたとはいえ、
やはり腹を割って話せるのは
酒を共有し、酔うことで出来る
特殊の交流と言えるのだろうか。




「私、出来るだけ
 お酒慣れてみようと思います…」


左之助さんが喜んでくれるなら、
出来る努力だと思った。


けれど、肝心の左之助さんは
私の反応に驚いたように
目を剥いて眉尻を下げて笑った。


「ははは、
 そんなムリしなくても
 いいんだぞ」

子供をあやすように
頭を撫でられ複雑な気分で、
大きな手越しに
左之助さんの顔を見た。

「おまえはいままで通り、
 酌で美味い酒を
 注いでくれたらいいさ」


左之助さんの優しさだって
ことは分かっている。

無理をさせたくないのだろう。


けれど、私だって
たまには左之助さんを
喜ばせたい。


「私、大丈夫です。
 慣れるまでは
 無理はしないですし」


その決意を態度で表すように、
盃に残ったお酒を煽った。


「あっ、おい…」


止めに入りかけた左之助さんを
無視して全て飲み干す。

「っ!げほっ、ごほっ、
 っはあ…はぁ」

「千鶴っ」


さすがに頑張りすぎた
かもしれない。

というのは遅すぎた感想で、
必死に呼びかけてくれている
左之助さんの声は
脳の隅で谺して消える。

しかし何を呼びかけているのか
はっきりと理解出来なくて、
私は適当に
「はい…はい…」
と返事をすることしか
出来なかった。




「全く、無茶するぜ…。
 こっち来い、千鶴」


気づけば左之助さんの胸の中で、
頭をゆったりと撫でられる。

その手が気持ちよくて
ついうっとりとする。


「俺のために
 無理するこたぁねえってのに。
 千鶴、布団行くか」

左之助さんが私を
横抱きにしようとした瞬間、
頭を撫でていた手が
なくなってしまったことを
不快に感じた私は
体が浮くことを拒んだ。



「いやれすう!
 まら、寝ません…」

「おまえ…」


まさに左之助さんの目には
子供が駄々をこねている
ようにしか見えなかったろう。

困ったように
眉間に皺を寄せる左之助さんは
どうするべきか考えた結果、
上げかけていた腰を
再び縁側に落ち着けた。



そして、
私を優しく縁側に寝転ばせる。


「ん…」

「おまえって、
 酔うと幼い子供
 みたいになるんだな…」



ポツリと聞こえた一言は
言われても決して
嬉しくないのだけれど、
左之助さんの顔は
迷惑がっている訳でもなく、
寧ろ嬉しそうに見える。


ただボーッと
左之助さんの顔だけを
見ていると、
縁側に横たわる私に
左之助さんが覆い被さってきた。


「しゃのすけひゃん…
 どおしたんれすか」

思った通りに呂律が
回らなくて歯痒い。

私の思いとは裏腹に
左之助さんは恍惚とした表情で
喜色満面としている。


「酔うと可愛いな。
 素面の時も可愛いけど、
 また違った良さだ」


左之助さんの顔が近づき、
声が耳元で聞こえる

指が私の髪を通る。


「かあいいなんて…。
 それに、私ころもなんかじゃ…」

「ころも≠チてなんだよ」

酔っ払っている私を見るのは
随分と楽しいようで、
左之助さんは始終笑っている。


「俺が可愛いって言やあ、
 可愛いんだよ。
 二言はねえ」


左之助さんの甘い言葉に
耳が、
脳が痺れる。


抵抗する気なんてないのに、
左之助さんは私の腕を押さえた。


「千鶴…」

左之助さんの後ろで輝く月が
何も言わず夜空を制する。

私の中の、
左之助さんのように感じた。



徐々に縮まる互いの顔の距離。

間も無くして二人の唇が繋がる。


左之助さんからは
先程のお酒の味が香った。


「んぅ…」

お酒はもういらない。

そう感じた私は
顔を逸らそうとするが、
左之助さんがそれを
許してくれない。


抵抗の余地をなくした私は
従うように左之助さんに
身を預けた。


息が苦しくなるくらい
長い接吻に耐え切れず、
左之助さんの胸元を
控えめに叩くと
焦るように私達の顔は離れた。


「あ、わりい、つい…」

息を切らす私を見て
苦笑いを浮かべる。

「そろそろ寝るぞ」


左之助さんは今度こそ
私を横抱きにして
縁側を離れた。




それを最後に
私は酔いからくる睡魔を原因に
記憶の糸をプッツリと
切らしてしまう。




「おやすみ、俺の可愛い千鶴」



深い眠りに落ちる手前、
そう聞こえたきがした。








end

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