薄桜鬼

□憂鬱の側面
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「…はぁ…」




本日何回目かも数え飽きる程の
憂いを帯びた溜息が
私の耳に届く。



隣に座る彼が抱える
憂いを和らげ、
癒してあげたいところだが、
肝心の溜息の矛先は
私とは到底無関係であり、
全くをもって
手の施しようがないことだった。


赤眼に宿る光をひそめるように
瞼で蓋をし俯くと、
指通りの良さそうな金の毛髪が
千景さんの目元を隠した。


そんな私は彼の傍で
つい先程取り込んだ洗濯物を
畳んでいた。




「………千鶴よ…。
 おまえのその活力は
 何処から湧いてくる
 というのだ…」

のったりとした喋り方で
溜息混じりに問いかけられる。


彼がそう問いたくなるのも
無理はない。


そう思いつつ外に目を移し、
先刻から降り出した
雨を見つめる。


そう、彼が物思いに耽るのも、
全てはこの雨もとい、
梅雨のせいだった。

それに加えて湿潤な気候。

夏に差し掛かっているこの季節は
熱気が籠り更に蒸し暑さが増す。

ただでさえ足元が悪くなるせいで
外出が減るというのに、
追い打ちをかけるような暑さは
室内で動くことさえも
億劫にさせているのは事実で、
千景さんもその被害者の
一人の内にすぎない。

さすがの鬼の千景さんでも
この気候には適わないようで、
脇息に肘を付き
昼からお酒を啜っていた。




「活力…というか…」


千景さんが手にする盃を
飲み干す動作をみて近寄り、
お酌をする。


「私、雨も梅雨も
 嫌いじゃないのです」


盃に注ぎ終えた銚子の傾斜を
徐々に緩め、
千景さんに向かって微笑む。

千景さんは皆が皆
雨を鬱陶しく思っている
と考えていたのか、
不意打ちを食らったかのように
目を剥いていた。

「ならば、おまえの中で
 雨とは何を意味するのだ」

あまり納得のいかない様子で
盃の水面に出来る波紋を眺める。

その視線を追うようにして
私も盃の水面を見つめた。


「水には、特有の音が、
 あるじゃないですか」


正座している膝の向きを
千景さんから外へ向け直す。


「水が細やかな水滴となり
 しとしとと降り注ぐ音や、
 紫陽花の葉に溜まった水が
 雫となり地面の水溜りに落ちる音、
 傘に当たる雨粒の音。
 どれも聞いていて
 心が落ち着きませんか…?」



千景さんからの返答はなかった。

きっと、
理解に苦しんでいるのだろう。


「お銚子が空になったので、
 持ってきます」


何も無理に理解してもらいたい
とは思わない。

私は静かに部屋を出た。







お酒の準備と共に
夕食の下準備も
済ませようと思い、
勝手場に着いて5分くらい
経った頃だった

私の他に
砂を踏む音が聞こえた気がしたが、
千景さんが勝手場に出てくる
というのは天地が返っても
無いことで
聞き間違いだろうと
自己完結した瞬間、
背後から何者かに
抱きすくめられた。


「きゃあっ!」

「まったく…
 相変わらずおまえは
 危機感がないな」


心臓が跳ねるほど驚いたのだが、
すぐ聞こえた呆れ声が
千景さんのものだったので
抵抗せず問いただす。

「ど、どうしたんですか」

千景さんは片眉を上げて笑む。

「やはり、
 おまえは我が妻に相応しい女だ」

脈絡もない台詞で
疑問は晴れないけれど、
千景さんが人を褒めるのは珍しい。

言われた内容のこともあって、
瞬時に顔の温度が上昇した。


「いきなりどうしました?」

嬉しさと恥ずかしさを
堪えながら聞き返すが
その問いには答えてくれなかった。

「っ…!?」

代わりに返ってきたのは、
耳を甘噛みされる感触。

「クク、可愛いヤツめ。
 耳まで赤くなってるぞ」


「だっ、だって、千景さんが…」

「…フン、
 俺のせいにするのか?」


勝ち誇った笑みを
満面に浮かべているのは
見なくても分かった。

それから何も
言い返せないでいると、
千景さんは私の手から
今晩のおかずに使用する
野菜を手放させた。


「あ、お銚子を先に
 用意しましょうか?」

「そういうことではない」


ではどういうことなのか。

思い当たらず聞き返せず
呆然としていると
千景さんが私から離れて
勝手場から出て行こうとする。



「たまには散歩に出掛けるぞ。
 支度をしろ」

「え、でも…」


外はまだ雨の音がしている。


「二度も言わせるな。
 気が変わらんうちに行くぞ
 …千鶴」


勝手場の出入り口から
半身だけ姿を残し、
千景さんは私に手を差し伸べた。








「…はいっ」








end

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