其の凩(こがらし)

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「…先生!!」


次に聞こえたのはその声だった。
パタパタと走り去る女の声と、目の前に広がる無機質な白。

体に繋がれた針と、口元を覆う酸素マスク。

『…』

明るい空の真下には青々しい海が見えた。

「…良かった、やっと目が覚めた」
『…』

白衣を着た男性が部屋にやってきた。
言わば、此処は病院。


「1週間も起きなかったんですよ」

何が起こったのか、自分はなぜここで寝ているのか?
心の中の歯車を一つずつ動かしていく。それでも食い違う歯車を戻すのには、今の自分では難しかった。

「…あなた、“本当”なら死んでました」
『……あの』

優しい顔した医師が近くに腰掛けて点滴を確認する。その傍には数名のナースがテキパキと仕事をこなしていた。

「覚えてない?」

男性は、やや好奇の眼を向けてクランベリーを見下ろした。それでも優しい物言いに、とてつもない安緒が全身を浸らせた。

「……悪い海賊に、“毒漬け”にされたんですよ」

真横から聞こえる一定のリズムの電子音。そして、遠くの方から徐々にこちらに近づいてくる煩い足音。


「クランベリー!」

開かれる扉に、瞳だけを移動させる。
医師とナースは入ってきた人物に少しだけ目を丸くさせた。

「パウリー職長!」
「あの、お仕事の方は?」

ズカズカと入り込んでくるパウリーの後ろには、

「し、…市長!!!」

アイスバーグが直々に足を運んできたのだ。それには医師もナースも唖然として道を開けた。

「ンマー、今日は夜から仕事なんだ」
「クランベリー!もう何ともねぇのか!?」

ゆっくりと上体を起こそうとするクランベリーに、パウリーがそっと手を添えてサポートした。

ずっと寝ていたせいか、腰が痛い。それに足も感覚があまり感じられない。
その慣れない事にも、クランベリーは顔色ひとつ変えない。


「あの海賊達は、船ごと沈められた」
『…』
「“キャプテン”・キッド達にな」

その、呆気ない結末が
少し可笑しく感じて何故かほんのり笑みが溢れた。それは安心なのか、何なのかはよく分からなかった。

「記憶障害は無さそうなので、脳への影響はかなり少ないでしょう」
『……わたし、』
「それと…」

言葉が遮られたと思えば、今度は険しい顔をした医師の表情が目の前に存在していた。その顔付きは何やら怒っている様にも捉えることができた。

「次、こんな無茶をしたら助かりませんから」


医師として、命の尊さを教えられた。
それは、初めて気遣われた“診断”だった。



「ンマー、無難だがリンゴを食え」
「あれ?カリファは居ないんですか?」
「あいつは個人の雑務が途中でな、」


そう言うと、真っ赤に熟れたリンゴが姿を現した。
水々しくて、宝石のような果実。

その果実とは不釣り合いな、男の大きな手がリンゴに刃物を忍ばせ皮を剥いていく。
中から現した金色の果肉が日の光に当たって美しく煌めいた。これには流石にクランベリーも食欲をそそられた。


「アイスバーグさん、上手っすね」
「はは、これくらいはな」

いつの間にか一口大に切られたリンゴが皿におかれた。

気づけば、医師やナースは病室から姿を消していた。



「…まぁ、お前が何ともねぇならいいけどよ」
『…』

果肉を一つ、口に運ぶ。
シャリ、と音を立てると同時に口の中には唾が溢れ出てくるのが分かった。
アイスバーグが気を使って、かなり小さめに切ってくれたから、食べやすかった。


「俺も、驚いた。街は騒ぎになってるし…連絡取れなかった職長達は監禁されてたし…」
「…ホントすいません…、毒針を、」
「…いいさ。あのルッチにまで強力な毒針が刺さってた。」




バレッタと言う名の海賊は、仲間もろとも本当に沈められたらしく、惜しくも捕らえる事は出来なかった。
それでも、それは海賊故のさだめと言うものなのか。影も形も残らぬままこの世から抹消されてしまった。手を出した人物が、キッド海賊団なら尚更だ。
拷問されない方が疑問だと言うレベルに、バレッタは一つの過ちを犯してしまったのだ。


毒の影響を身体に受けたのは幸いにもクランベリーだけだったらしく、他の者は刺された毒針からですら耐え抜いた程。
だが、幾つもの猛毒を身体に取り入れ、浴びせられたクランベリーは本来こうして生きている方のが不思議なのだ。


『おいしい、』
「ん、そうか。」







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