月のない夜は傍に居て

□3.愛より速く
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ノックの音が室内に響く。


夕飯の定刻を知らぬ名無しさんの為に迎えに来たイルミの手が戸を打つ音だ。


「はーい」


「や、ご飯だから迎えに来たよ」


「……ありがと」


ぽかんとした表情が年相応で可愛らしいと思いつつ、イルミは名無しさんの手を握った。


「さ、行こうか」


イルミはゆっくりと歩き出す。いつもなら無駄な時間は使いたくないとばかりに走り抜ける距離だったが、いつもより早い時間に部屋を出てゆっくり名無しさんと歩きたかった。


「うん」


頷く名無しさんは握られた手をぎゅっと握り返した。それだけでイルミの心臓は跳ねそうになり、先程の行為はもう許されたのだろうかというのも気になる。


自分より頭一つ小さい少女を見下ろすと、彼の視線に気づいた少女と目が合う。


瑞々しい唇が少しだけ開いて、不思議そうに首を傾げる名無しさん。


「イルミ君、どうかした?」


「いや…何でもない…そういえば、俺のことはイルミでいいから。俺も名無しさんって呼んでるしね」


「そっか、わかった」


視線を前に戻して言うイルミに名無しさんが弾んだ声で返す。




――――――何だろう…名無しさんの態度が急に可愛くなった気がする。





割り切った名無しさんのイルミに対する態度は彼を翻弄するには十分だった。


食堂の扉を開けると私達以外の家人は席についていた。


「はぁ、家族では無いとしても、食事の時間くらい守って頂かないと困りますわよ、名無しさんさん!」


いきなり言われたものの、名無しさんは食事に定刻があることを知らず首を傾げた。


名無しさんの家では定刻では無いが大体七時頃に自然と夕食を家族で摂っていた。しかし、定刻というほど厳密では無い。


「母さん、うるさいから黙って」


イルミはそう言い放って名無しさんの手を引いた。


「……えっと…遅れてすみません…?」


一応言葉だけでも謝っておこうと思い言ってみるも、イルミが庇ったことで更に怒りを露わにするキキョウには届かなかったようだった。


「キキョウ、黙れ。名無しさん、皆に自己紹介をしてもらえるか?」


シルバの言葉にイルミが空気を読んで繋いだ手を離し、名無しさんも立ち止まって家人を見渡した。


「名無しさんといいます。しばらくお世話になりますが、よろしくお願いします」


頭を下げる名無しさんを見たイルミの尊属は一様に、よく躾けられた少女だと理解した。


イルミに促され席に着くと、家人が名乗って行く。


子供用の椅子に座ったキルアの隣のアルカを見て、やはりこの時はまだ能力が知れていないのだと納得した。


一度の紹介で家人の名前と関係を記憶した名無しさんに対してキキョウ以外は皆友好的であった。その理由の一つは、同じ食事を食べることが出来ることでもあった。


「あ、ちょっと待って」


最初に運ばれた前菜を口にしようとした名無しさんを制するイルミだったが、その時点で彼女が握ったフォークは口の中にあり、咀嚼中であった。


「ん?イルミ、どうしたんだ?」


嚥下してから応える名無しさんの口に指を入れようとするイルミ。理由に気付いた他の者が水を持ってくるように執事に伝える中、名無しさんはイルミの腕を素早く掴み捩じりあげた。


「ちょっと、イルミ何するんだよ」


腕を捩じり上げられたままイルミは何でも良いから今食べたものを吐くように言う。その必死さを見て名無しさんはやっと合点が行き彼の腕を離した。


「大丈夫だよ。私毒は効かないから」


心配してくれたことへの感謝と、騒がせたことへの謝罪を述べて席に着く名無しさんに、皆驚いている様子だった。


「毒…効かないの?」


「うん、体質でね…でも客人にこの家では毒入りの食事を出すの?」


本当は訓練の賜物であったが、それは伏せておくことにした。


「いや、この家では普通の食事を訓練の一つとして毒入りにしておるんじゃよ」


ゼノは初老らしい笑い声と共にそう告げる。名無しさんはゾルディックの特性としてのそれを知っていながら聞いてみただけなのでそうですかとだけ返した。


席に着き再び食事を始める名無しさんだったが、ふと自分の食べているものに対しての疑問が湧いた。


「なぁ、イルミ…」


「…何?」


「この前菜の毒、訓練にしては多くないか?致死量の何倍かは摂取すべきなんだろうけど、これはちょっと毒の味しかしないような…」


最後の一口をイルミの鼻先に持って行くと、彼は迷わずパクリとそれを食べた。


「……!!」


イルミはそれを飲み込んでから名無しさんを見た。


「これ、全部食べたの?俺…ちょっと舌痺れたんだけど」


「毒入りは良いんだが…ゾルディック家のシェフは料理が下手なんだな…」



名無しさんが呆れたように呟くとイルミがすかさず立ち上がり、給仕にシェフを呼ぶように伝えた。


すぐさま食堂に入って来たシェフの顔は真っ青尾だった。


「ねぇ、どういうこと?俺のにはこんなに毒が入っていなかったけど」


「そ…それは…」


イルミの尋問にシェフが一瞬だけキキョウに目を配せたのを確認した。


「なぁ、シェフさん」


「はっ…はいっ…!」


「魚介をバルサミコ酢でマリネしてあるだろ?だったらホモバトラコトキシンあたりが料理と合うと思うんだ…それを敢えて合わないパリトキシンを10グラム以上使うということは、お前はシェフとしてではなく、私を殺そうとして料理モドキを提供したことになるが…どうなんだろうか?」


「いっ…いえ…そのようなことは…」


「そのようなことは無い、というなら、経緯を簡潔に説明してくれ。私が客人でなく暗殺対象であるというならシルバ=ゾルディックが…ゾルディック家ご当主がこういう殺し方を選んだことになる…心して答えた方が良い」


頭に来ると饒舌になる。そんな癖があることを名無しさんは自分自身で認識していなかったし、何かに怒りを覚えることも今まであまり経験が無い。


しかし、名無しさんのその様子にイルミとシルバはかなり怒っていての発言だと理解した。


そうでなくても彼女から漏れ出るオーラは尋常では無く、キルアの才能に期待していたゾルディック家の面々の度胆を抜くには十分だった。


「シルバ様の指示ではありませんっ…奥様の言いつけで…」


「まぁっ!!わたくしがシルバの客人に毒を盛ったとおっしゃるの?それに名無しさんさん…シェフの腕が悪かったというなら謝りますけれど、ゾルディック家での食事は毒が入っているものです!馴染めないのなら特別にお作りしましたのに!!」


一気に捲し立てるキキョウを冷やかな目で見つめる名無しさん。


「馬鹿みたい…イルミ、こいつ下がらせて。料理のセンスが無い人間の作ったものは食べたくない」


「わかった…お前もういいよ、下がって」


イルミの命で逃げ帰る様に下がるシェフ。


「さてと…シルバさん…私は毒は効かないけど舌はバカじゃないんで…毒ごと味わう価値のある料理が出されないのであれば食事はもう結構ですので、失礼します」


名無しさんは立ち上がって一気に言うと、当主にのみ目礼をして食堂を後にした。


「キキョウ…お前は余計なことをするんじゃねぇ」


「まぁ!あなたまであの女の味方なの!!」


キキョウの叫びが食堂に響き、イルミはうんざりといった様子で眉根を寄せる。



「母さん、名無しさんに何かあったら俺殺してたからね」


「イル!?」


キュインとキキョウのスコープは音を立てた。


「お前はゾルディック家の客人に無礼を働いて、家名に泥を塗ったんだぞ…しかも、あそこでお前が騒いだせいで余計に恥を掻くことになった」


「ほっほ…中々強かで賢いお嬢さんじゃのお」


シルバがため息を吐き、ゼノが楽しそうに笑った。




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