大家Cの書庫

□満月の夜とメランコリック
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明日よ来るなと何度願っても、どこかの誰かさんが決めた"明日"は太陽を連れてやって来てしまう。




時間から逃れる方法なんて、結局死しかなくて。だからと云って死にたいわけじゃない。痛みや恐怖が伴うものは、本能的に拒否される。通常なら。




先の見えない海を漂って、辿りつく先に何があるんだろう?そりゃあ陸があるんだろうけど。そうじゃなくて…。




どろどろと広がっていく暗闇をぼんやりと眺め続け、いつの間にか視界は漆黒に覆われていた。




星が1つも見当たらない。それは、このセカイの空気が淀んでいるせいだと思う。




ベランダにポツリと放置されたままだったベンチに腰をかけてから、どれくらい経ったのだろうか。




未だ、この部屋の主は帰ってくる気配を見せない。




傍らに放置されているスマフォは、ただの固形物になり下がっている。鳴らないのなら、なんら価値もない。




ようやく航海を終え陸へと帰って来たというのに、もぬけの殻だったあの人のテリトリーは相変わらずの汚さ。




いつもなら片付けてやるところだけれど、なんとなく今はそんな気になれない。




右手のひらに握られっぱなしの缶ビールを呷る。喉を降下していく独特の苦みが美味しいと感じるようになったのは、いつ頃だったか。もう忘れてしまった。




人の記憶とは、それ程に危うい。




簡単に物事を忘れてしまう。その大小は関係ない。むしろ、大切に残しておきたい記憶ほど忘れるか、美化されてしまうかだ。




そんなものはもう、自身の記憶とは云えない。




最後の一滴まで口内に流し込み、空になったアルミ缶をぱきょりと握った。右手が痛い。




どうにも気分が悪い…安定しない。




もしかするとオッサン禁断症状なのかもしれないが、そうではない気もする。




「…まだあったっけ」




重い身体を持ち上げ、久方ぶりに立ち上がる。目指すは冷蔵庫。




ベランダからリビング、キッチンへと足を進める。途中、障害物が幾つかあったが、今日はそれを避ける気にもならないのでそのまま踏みつけた。




背後で雪崩が起きた音が聞こえたが知らぬ。




フローリングに尻もちをついて冷蔵庫の扉を開き物色するが、目ぼしいツマミ類は見当たらない。




まぁ、あの人はそう滅多には飲まないから仕方ないのだけれど。




小さく溜め息を吐き、とりあえずビールを2本拝借する。




ぼんやりと光っていた庫内の橙色した光が眩しくて、慌てて扉を閉めた。




そうすれば、また辺りは黒一色となる。




あぁ、同じ色だ…。




あの人と、同じ。




立ち上がる気になれなくて、床に座り込んだままプルタブに指をかけ引っ張った。




プシュッ。聞き慣れた音に、喉が反応して勝手に嚥下する。そんなに飲みたいのかオレは。




缶を口元に寄せ、一気に半分を飲み干す。やっぱりウマい。




まだ2本目なのに、酔いが回っていることが分かった。かなり珍しい事態に少々驚いていると、不意にリビングのドアが開く。




「………なにやってんだ。お前」


「おー!おかえり〜」




冷蔵庫の前に座り込み酒を飲むオレを、先生様は恐らく冷やかな目で見ているに違いない。




さすがに暗過ぎてよくは見えないけれど。



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