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□狂気のアイロニー
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コツコツと自分の足音が響くー…響く…。
長い廊下の突き当たり。手にしている萩の香りがほんのりと花を掠める。
「高尾、入るぞ。」
ドアを開けると皮下路を宿していない眼と目が合う。学生時代から変わらない、へらっとした顔でこっちを見る。この顔を見るのも何度目だろうか。
「花を換えるぞ。」
「うん。ありがと。今日のは…萩?」
「あぁ、当たりだ。夏だからな…もうじき…。」
しみじみしだす高尾。もうこんな夏も3度目だ。今では花の香りで花の名を当てたり出来るほどに。
夏か、なんて呟いてぼんやり遠くを見る高尾。けれどその瞳はにごりきった灰色で。
夏のインターハイ、高尾は失明した。本当、よくここまで持ったものだ…
「そんな顔すんなよ、真ちゃん。」
「高尾…。」
高尾はどんな顔を見ているのだろうか。いや、
どんな顔を“視て”居るのだろうかー…
俺はー…俺はー…
こんなにも“微笑って”居るのに。
高3に上がってすぐ、高尾が目に違和感を感じているのは知っていた。梅雨には日常的に困難だったこともー…ずっと高尾を見てきた俺が気づけないわけないのだよ。
いじらしく気丈に振舞う高尾。それがあまりにも愛しくて、壊したくて。
高尾が失明した時、俺は満面の笑みで医者になった。
高尾は俺を縛っておかないと離れると思っているようだ。そんなはず無いのに。“高尾自身”が俺の鎖であり、生きるすべなのに。
高尾に新しく付いた看護婦もそう。すべては高尾への愛の材料だ。
少し高尾の目の前でそれらしいそぶりを“視せる”。それだけで看護婦は嬉々とし、高尾は静かに唇を噛むのだよー…
「ただ、そばに居てくれるだけでいいからー…。」
「あ…ぁ。」
あぁ、実に意地らしく美しい。
悲しさを秘めた眼に切なく、儚げな表情(かお)。
これを見る為だけにすべてを用意したんだ。この一瞬…この一瞬ほど美しいものは他にないだろう。
返事をすれば、満足そうに笑う。あぁー…なんて可愛らしいんだ。
「好きだよ。、真ちゃん。」
あぁ、俺もだ。秘められた言葉の裏も、すべて受け取ってやろうー…
愛してる。
あいしてる。
アイシテル。
“哀してる?”
答えはノー。君は浅はかで純粋で。
俺の思いは届かない。
俺の想いは届かない。
俺の念いは届かない。
俺の憶いは届かない。
俺の“重い”は届かないー…?
狂気のアイロニー。
思い溢れた夕方の病室。