はじめましてのお方も、お久しぶりですのお方もこんにちは!
去年の秋ごろから大学受験のために事実上当サイトは休止状態にありました。
にもかかわらず、訪れてくださったたくさんの方々には本当に御礼のしようもございません。
サイトのほうも皆様のおかげで、ようやくこうして再開することが叶いました。
本当にありがとうございます。

そんな皆様に感謝の気持ちをこめて、今回はフリー小説『傷負い人の夜』とそれに合わせたフリーイラストを配布させていただくことにいたしました。
拙いものですが、よろしければお好きなほうを(もちろんどちらもでも構いませんよ!)お持ち帰りください。
その際、もしよろしければ『交流掲示板』までご一報くださると管理人が喜びます(笑)。

それでは、ZT番外編、『傷負い人の夜』。お楽しみいただければ幸いです。








《傷負い人の夜》

「…ル?リゼル?眠ってしまったのかい?」

優しい声にうっすらとまぶたを持ち上げると、少し癖のある蜜色の髪を心配そうに揺らしながらこちらを覗き込んでくる大好きな人の顔があった。
ああ、これは夢だ。もう二度と戻れないあの頃の夢。幸せな夢。
頭のどこかに住む冷静な自分がそう囁く。
夢というのは不思議だ。自分なのに自分では無いような、そんな奇妙な感覚。
それでも、目の前にある大好きなサヴィア兄上の顔は思い出の中のそれと寸分の違いもなくて…嬉しいはずなのに、どうしようもなく哀しく切ない。

「眠ってしまったみたいね。
きっとあなたの話がつまらなかったせいだわ、ランディー!」

「えぇ!?僕だけのせいなのー?」

「もちろんよ。サヴィアの話がつまらないわけがないし、私の話だってそうだもの。
残ったのは貴方しかいないわ。」

「そんなぁ!」

「ふふふ…。でもいいわ。
だってリゼルの寝顔、とっても可愛いんだもの。」

ああ懐かしい。
そういえばマリー義姉上はこんな風によくランディー兄様をからかって遊んでいたっけ。
そっと髪を梳いてくれるマリー義姉上の細い指がくすぐったくて、でもその暖かさは鮮明すぎて、これを現実だと錯覚してしまいそうになる。

「こらこらマリー、リゼルが起きてしまうよ。」

「そうね、せっかく眠ったんだからそっとしておいてあげなきゃ。
それにそろそろ戻らないといけない時間だわ。神殿に行って薬草作りを手伝わなくっちゃ。もう足りなくなってきたんですって。」

「それは大変だね。頑張って行っておいで。
ランディー、私達ももう行こう。財務長官と会う前に資料をまとめなくてはいけないだろう?」

「うん、そうだねー。
あぁ、ちょっと待ってー。このままでは風邪を引いてしまうかもしれないから…」

ふわり。背中を包む暖かい布地の感触。
懐かしい、華やかなランディー兄様の香りが鼻腔をくすぐる。優しい兄様にぴったりのこの香りがとても好きだった…。

「それでは、また来るからね。ゆっくりお休み。」

「いい夢を、可愛いリゼル」

「また明日ねー。」

ああ…兄上、義姉上、兄様行かないで!
夢だって分かってる。分かりきってるけど、だけどあともう少しだけ一緒にいて。もう少しだけ…
どんなに願ってもその祈りは届くことがない。
夢の中で何も知らず、無邪気に眠る自分の身体は動かない。どんなにあがいても。
あぁ、行ってしまう…
待ってと叫びたかった。行かないでと泣き喚きたかった。

三人の背中が扉をくぐって扉が閉まるパタンという空しい音が響いた瞬間、なぜだか僕の身体は動くようになった。
追いかけなきゃ!
理性じゃなくて感情がそう叫ぶ。
追いかけて追いかけて、そうして…

カチャーン

一歩踏み出そうとした瞬間、背後で響いた音。硬質な音。
振り向くな!
そう思うのに最早身体の自由はきかなくて、ゆっくりと振り向いたその先にいたのは…

「兄様?」

さっきまで一緒にいたはずのランディー兄様。
だけど服はぐちゃぐちゃだし、兄様自慢の綺麗な金髪も散り散りに乱れている。
それにどうしてそんな、なにか信じられないものを見るような目で僕を見るんだろう?

「どうしたの?」

無邪気にそう問うた僕に応えてランディー兄様の唇がゆっくりと動く。

「ど…うして…」

力なく座り込む兄様がただ心配で駆け寄ろうとした足が、ぷんと漂った強い鉄臭に止まる。
いぶかしんで見下ろしたそこは、一面の赤い世界。見下ろした自分の手すら、深紅に染め上げられている。
血。この血はナニ?ダレのもの?

ああ…これはあの日の記憶だ。自分が覚えている唯一の記憶。
再び、頭のどこかに住む冷静な自分がそう囁いた。

でもそれならこの血は、両手を真っ赤に染め上げるこの血は…

+++++

ふと気が付くと、さっきまで夕日が差し込んで茜色に染まっていた部屋がいつの間にか薄闇に沈んでいた。
特に何をしていたわけでもない。ただ自室でぼんやりとしていただけ。
サクレイドにしては珍しいことだが、最近ではこんな時間が否応無しに増えていた。
もうそれなりの月日が経ったにもかかわらず、未だ何の知らせもない。知らせがないのはユーリに何事もないということなのだと良い方に考えようとしても、不安は募るばかりだ。
ユーリ一人を危険な場所に放り込んでただ待つしかない自分への苛立ち、状況を知ることすら許されないもどかしさが日々サクレイドを苛んでいく。

「我ながら、情けない限りであるな…」

そう自嘲したところで、サクレイドの美しい眉がつぃっと寄せられた。もう1つ、この塔にあるべき気配が遠い。
またか…
そう呟いてサクレイドはゆっくりと立ち上がった。

+++++

左手に大き目の布を持ってサクレイドは塔の階段を登っていた。
サクレイドに教えを請い始めた日からというもの、リゼルは文字通り血のにじむような努力を重ねている。そのがんばり様にはさすがのサクレイドも思わず感嘆の声を上げてしまうくらいだ。
いつからかサクレイドはリゼルに対して抱いていた警戒心を解いていた。
会ったばかりの頃、目の当たりにした自分に勝るとも劣らぬ強大な魔力。普段は人並み程度なのに、あの日だけは自分さえも圧倒した。原因は、不明。
それ故にサクレイドはリゼルに対し決して油断をしなかった。不用意に関わり合い、不要な情を抱かないようにしていた。いざというときにはどんな手段を使ってでも、そう、例え殺してでもユーリを守らねばと思っていたから。
しかしユーリが王城へ行き、例の3人も訪れなくなった北の塔で共に過ごして少しずつ知っていったリゼルは、ただの16歳の少年だった。
自らの罪に悩み苦しみ、無力さに涙する。彼の心はとても純粋だった。
そうして紆余曲折の末にリゼルの師となり、孤軍奮闘する姿を見守っていくうちに、サクレイドの中に彼に対する淡い愛情が沸き起こったのはごくごく自然のことだったのだろう。
サクレイドが今のこのもどかしい状況に耐えていられるのは、同じように苦悩しているリゼルの存在がとても大きかった。
リゼルに武術や知識を教え、ここを出て旅をする未来を描くことだけがサクレイドにとって唯一残された気休めなのだ。
自分の厳しい教えに十分すぎるほどついてきているリゼルには師として誇らしいものがある。しかし、彼はいささか頑張りすぎだった。
今のように、日が沈んで夜になっても書庫にこもって書物を読み漁っていることなど日常茶飯事だ。

「やはりな…」

書庫からもれる灯りにサクレイドの眉が本日一番の強さでぎゅっと寄った。
いくら今が火の季節だからと言っても北の塔の夜は冷え込むのだ。昼間と同じ格好では、まず間違いなく次の日は寝台の中だろう。

「失礼するぞリゼル。精進するのはけっこうだが、あまり無理をしては…」

入室の挨拶もそこそこに早速小言を並べ始めたサクレイドだが、部屋の中の様子を見て、しかめっ面から呆れたような微笑へとその表情が変化した。
書架などというご大層なものがないせいでそこかしこに積み上げられた書物の向こう、部屋の奥にある机に突っ伏して寝息を立てる銀髪頭が1つ。

「全く…眠いのならば寝台で寝ればよいであろうに。風邪を引いたら看病するのは誰だと思っておるのか…」

口ではそんなことを言いながらも、床に散らばる書物の間を器用に歩くその顔は優しい。
よほど疲れているのだろう、全く起きる気配がないリゼルにふっと微笑すると、サクレイドは彼のさらさらした銀髪をそっと梳いた。

「起きよリゼル。寝台で寝ねば明日が辛い…」

そっと囁きながらリゼルの顔を覗き込んだサクレイドが、はっとしたようにその言葉を切る。
ランタンの光に薄く照らし出されたリゼルの頬に伝う透明な雫に気づいたからだ。彼は泣いていた。
涙の理由はなんとなく分かる。まだユーリがこの塔にいたときから、リゼルは夢を見て涙することがしばしばあったのだから。
しかし、こういうのはサクレイドにとって大変よろしくない事態だった。
悪夢の中にあると知りながら、このまま寝かせておくべきか?それともやはり起こすべきなのか?そもそもそれが分からない。
それに起こしたとして、一体自分はどうしたらいいというのだろう?
泣いている人間を慰めるのはそもそもユーリの得意分野だ。もしくはアズでもいい。彼独特のふんわりした空気はそれだけで癒しになるだろうから。
しかし自分は違う。むしろ逆だ。厳しいことは言えても慰めることなどできはしない。
…駄目だ。それくらいならいっそ何も見なかったことにして立ち去ってしまおう。そうしよう。

「い…か、ないで…」

しかし唐突にリゼルの唇から漏れたかすかな音が、サクレイドの足を縫い止めた。

「まっ…て…」

自分にではなく夢の中の誰かに向かって言っているのだろう。
だがその声はあまりに切なく哀しげで、もはや見なかったことになど出来そうになかった。
悪夢から救い上げてやる手段など残念ながら持ち合わせてはいない。自分に出来ることといえば、おそらくただリゼルを見守っていてやることくらいしかないのだろう。
例えそうだとしても、悪夢から覚めた時、独りっきりよりは誰かが傍にいたほうが幾分かは気が楽に違いない。
サクレイドは持っていた布をリゼルの華奢な背中にふわりとかけると、手近な書物を1つ取って彼の向かいに腰掛けた。

+++++

「――っ!!」

突然訪れた意識の浮上。
背中を伝う冷たい汗の感触に、自分が夢の中から現実に戻ってきたのだとようやく実感した。

自分が覚えている数少ないあの日≠フ記憶は夜毎リゼルを襲う。
幸せな記憶と凄惨な記憶。二つが交じり合った悪夢はあの日以来途絶えたことがない。まるで自らの罪を決して忘れるなとでも言わんばかりにただの一夜も。こんなことがなくたって忘れられるはずがないというのに。
鮮明な温もりを思い出すたび、どれほど胸が引き裂かれる思いがするだろう…。

気だるい体をゆっくりと起こそうとすると、自分の背中に違和感を覚えた。何だろうと思って手を伸ばすと、指先に触れたのは少し厚手の布の感触。
あぁ、ちょっと待ってー。このままでは風邪を引いてしまうかもしれないから…
夢の中のランディー兄様の言葉がよみがえる。
まさかそんな…

「ランディー兄様っ!?」

がばりと顔を上げたその先にいたのは優しい笑顔を浮かべた兄様…ではなく、額に青筋を浮かべたサクレイドだった。

「ほぅ?お前には我があの変態男に見えるのか?どの辺りがそうなのだ?ぜひともご教授願いたいものだが。」

という刺々しい言葉つきで。

「え…サクレイド?なんで、ここに…?」

サクレイドが書庫に来ることはとても珍しい。
彼はその豊富な知識に反して読み書きが未だに苦手らしく、リゼルにものを教えるとき以外はまず訪れたりしないのだ。
だから単純に不思議に思ってそう聞いたのだが、不思議なことにサクレイドは何か不味いものでも食べたような顔をした。

「あー…それはだな、その、
…我とて書物を読みたくなるときもあるのだ。」

それに、彼にしては珍しく歯切れの悪い物言いだ。リゼルはますます不思議に思った。

「サクレイドが?でも…」

「う、うるさいぞ。
我のことを気にする暇があるのなら、自分の心配をいたせ。旅に備えて蓄えるべき知識はまだまだ十分とはいえぬ故な。」

サクレイドの厳しい物言いにリゼルはしゅんとうなだれた。
もっともっとがんばらなくちゃいけないのについつい睡魔に負けて居眠りしてしまった自分が情けない。

「ごめんなさい…。」

一度気持ちがくじけるともう駄目だった。
解放されて、ここを出て旅をするだなんて到底許されない様な気がしてしまう。悪夢を見た後はいつもこうだ。
過去の罪が重くのしかかってきて身動きが取れない。苦しくて苦しくて息を吸うことすらままならず、ヒューヒューと空気の抜ける音だけが妙に耳に響く。

ポン

ふと、頭に優しい衝撃を感じた。

「リゼル。」

続いて力強い声が降ってくる。不思議と、呼吸が落ち着いていった。

「気にするでない。お前は懸命にやっておるではないか。
犯した罪は消えぬかもしれん。だがな、それでも我らの時は容赦なく進むのだ。
故に我らは常に歩み続けねばならん。そうすればいつか我らにも罪を贖う方法を見つけることができる
前に我はお前にこう言ったな。
罪とは償うものだ。罪を想い苦しむことはただの自己満足に過ぎぬ故な。
いかにすれば、どこまで歩めば贖う術を見つけられるのかなど誰にも分からぬ。無論、我にもだ。本当にその術があるのかすら誰も教えてはくれぬだろう。
あるにしても、そこまでたどり着く道のりは決して平坦などではなく、険しい茨の道に違いあるまい。
だが、それでも歩みを止めてはならぬ。
罪人が償いをするはその身に課せられし義務なのだ。
故にリゼル、お前はその身に課せられし義務を全うするまでは断じて生きねばならん。ここを出て旅をして、そうして前へ進まねばならん。
旅に出ることは解放などではない。新たなる果てなき苦行への旅路なのだ。
そのことを、頭にしっかと刻んでおくが良いだろう。」

最後にくしゃくしゃっと髪をかき混ぜて、サクレイドの気配が遠ざかる。
どうしてサクレイドはいつだって自分の心をたやすく見抜いてしまうのだろう。どうしてサクレイドはあんなに強くいられるのだろう。
どうしてサクレイドはいつだって欲しい言葉をくれるのだろう。
優しく慰めてくれるわけじゃない、彼の言葉はいつだって叱咤が含まれている厳しいものだ。
だけど心がくじけそうで悲鳴を上げているようなときは、必ず手を差し伸べて背中を押してくれる。

言いたいことはたくさんあるのにリゼルは何も言えなかった。あふれ出る涙が止まらない。
でも、どうしても一言だけは伝えたくて。

「サクレイド!」

そう呼ぶと、扉に手をかけていた彼はゆっくりとこちらを振り向いてくれた。
面倒くさそうな顔をしていても、その目はとても優しくて、余計に涙がこぼれてしまったけれど、

「ありがとう…ありがとう、サクレイド。」

「…泣くか笑うか、どちらかにしておくのだな。」

そんな言葉とは裏腹に、滲んだ視界の向こうで、サクレイドがかすかに微笑んでくれた様な気がした。

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