陽ノ当タル世界ノ中デ

□第一幕
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「あとどれくらいで着くんだ?」

「ようやく山岳地帯を抜けたばかりですから、碧栄まであと7日はかかりますね。」

「そんなにかかるのか!?
なぁ、やっぱり馬車なんかやめて馬で行っちゃだめか?7日もただ座ってるだけだなんてどう考えたって耐えられそうにないぞ。」

「なりません陽向(ひなた)様!
私達は遊びに行くのではないのです。使者には使者としての格式というものがございます。ましてや陽向様は…」

「あーわかった。わかっているよ沙南(しゃな)。
でも暇なんだ。本当に暇でたまらない。」

北の山岳地帯を抜けた先にある碧栄への街道を進む一行があった。
何騎もの騎馬が先導し、きらびやかな輿を伴ったそれはまるで輿入れの行列のようである。もっともそれはあながち間違いではない。
彼らは碧栄の北『鋼授(こうじゅ)』と呼ばれる山岳地帯に住む『陽族(ひぞく)』の民だ。やせた土地で暮らす彼らは周辺の鉱山で採れる鉄鉱石を売買することで生計を立てていたのだが、碧栄が崩壊した今、もはやそれもままならない。
それどころか戦時中、碧栄に採れた鉄鉱石で作った武器を提供していた陽族を龍牙は決して許さないだろう。かの王は自らに刃を向ける者を徹底的に排除することで有名なのだから。
龍牙が攻めてきても退けることなどほぼ不可能だと判断した族長は、とうとう龍牙の下へ使節団を送ることを決意した。
だが、それはただの使節団ではない。
長姫である陽向を龍牙の側室とすることで婚姻関係を結び、一族の存続を請うためのものだ。族長は娘を文字通り人身御供に差し出すことで部族を守ろうとしたのである。

「あちらをご覧ください姫様、かの有名な『美波麗(みはり)河』でございますよ。」

「美波麗河?あれがか?」

「はい姫様。
美波麗河という名は風で立つさざ波が大変に美麗であることからつけられたのだとか。」

「ふうん。そんなことはまあどうだっていいけれど、ちょうどいいから水浴びでもしよう。涼しい上に気分転換になる。いいだろう?沙南。」

「姫様っ!?」

「どうせ龍牙は戦の後処理で碧栄からまだ動けない。ちょっとくらい遅れたって平気だろう?
馬車を止めてくれ!休憩するぞ!!」

陽族の姫、陽向は男勝りで勝気な娘だった。屋敷の中で学を嗜み詩を詠むよりも、馬に乗り剣を片手に駆け回ることを好む姫なのだ。
陽族は元来勇猛を好む誇り高い部族であるからそんな姫は皆からとても慕われていた。今回のことだって民達はひどく反対したものである。
そんな彼らを制したのは他でもない陽向だった。
私が好きでもない男のところへ命懸けで嫁に行くのは愛する我が部族を守りたいからだ。千本の剣でも出来ないことをしに行くのだから族長の娘としてこんなにも誇らしいことは無い。
そう言って出立した陽向を皆涙ながらに見送った。
今回随行してきた兵達はそんな陽向を慕い自ら志願してきたものばかりで編成されたのである。

「姫様ー!お待ちください。河に妙なものが流れ着いているのです。」

美波麗河へ安全確認をしに行った兵の言葉に、馬車を降りた陽向はスッと眉をしかめた。

「妙なもの?一体どんなものがあったんだ?」

「男にございます。」

「男?」

「はい姫様。その男、服装はまるで奴隷のようなのですが背にいくつも矢傷を負っておりまして…」

「矢傷?それで、その男は生きているのか?」

「はい。重症ですがかろうじて生きております。」

「そうか。とりあえず私が行って見てみよう。沙南、お前も着いて来い。」

「はい姫様。」

美波麗河は碧栄近くを流れる大層美麗な河である。
悠々と流れる水面に風が吹くと美しい白波が立ち、透明度の高い水に映る魚影はなんとも涼やかな様子をかもし出す。

「姫様がお成りです。道を開けてくださいませ。」

目当ての場所はすぐにわかった。とりあえず河からは救い上げたらしい陽族の兵達がまわりを取りまいていたからだ。
侍女である沙南の言葉にざっと別れた人影の向こうに一人の男がうつぶせに倒れていた。背中には合わせて3本もの矢が刺さっているのが見て取れる。これで生きているとしたら相当に運がよかったとしか思えない。

「誰が見つけた?」

「私です、姫。」

「李(り)将軍がか?詳しく話してほしい。」

陽向の言葉に、李将軍と呼ばれた壮年の男ははっと短く返事をして答えた。

「私が飲み物を補給しようとあちらの河辺へ参ったときのことです。
岸から僅かに突き出た木の枝に何かが引っかかっておりました。気になって見に行って見るとそこにこの男がいたというわけです。
とても生きているとは思えなかったのですが、とりあえずはと引き上げてみたところ虫の息ながら何とか息がありましたので、どうしたものかとこうして姫様をお呼びした次第にございます。」

「成る程。
この男の周りには何かあったか?何かが流れ着いていたとかなんでもいい。言ってみろ。」

「はい。姫様こちらをご覧ください。」

「これは…首飾りか?」

将軍から差し出されたものはそれはもう見事な首飾りであった。長く伸びた細い金鎖の先に大振りな青金石(ラピラズリ)の勾玉が1つ連なっている。

「金も青金石も共に大変貴重なものだ。しかもここまで見事なものとなればこの男、身分の高い者なのだろうか?」

「それはわかりませんぞ。盗品という可能性も捨て切れませぬゆえ…」

「そうか。
ということはやはりこの男の身元は分からないのだな。せめて敵、すなわち龍牙の手のものか否かだけでも見極めれればいいのだけれど…ん?あれは!」

「姫様!?」

将軍が驚愕したのも無理は無い。
突然男につかつかと歩み寄った陽向は男の背に刺さる矢、正しくはその矢羽をじっと眺め指で触れ、さらにはとうとうそのうちの一本を突然引き抜いてしまったのだから。
虫の息の男は声すら漏らさなかったが、それを見ていた兵達は皆その激痛を想像して思わず青ざめてしまった。

「李将軍、これを見てみろ。」

そう言って姫が突き出した一本の矢。一見どうということのない矢だが…

「それはっ!」

さすがは将軍。すぐに姫の言いたいことを理解したようだ。

「それは華軍の、龍牙の矢ではございませぬか!?」

「その通りだ将軍。
大層汚れていてわかりにくいが、この矢羽には鷲の羽根が使ってある。高価な鷲の羽を使うのは財力的に豊かで国力の強さを見せ付けようという証。今この矢羽を使うのは龍牙の軍だけだ。さらにこの矢尻、長い楔形の矢は龍牙の軍が用いているもの。
間違いなくこの矢は龍牙側の人間が放ったものだろう。」

「となればこの男は…」

「うん。おそらく龍牙に敵対する者だと思うぞ。将軍、この者を馬車に運んでくれ。」

「なっ!何を仰せになるのですか姫様!?」

「美波麗河は碧栄を経てこの辺りへ流れてきているだろう?だからこの男は碧栄の者である可能性が高いと思うんだ。
どうせ私達も碧栄へ行く。この男もついでに連れて行ってやろうと思ってな。」

「しかし姫様。恐れ多くも姫様の車に乗せるなどと…」

「こいつは怪我人だぞ?私がこいつの手当てをする。そういうわけだから沙南、本当に申し訳ないがお前は馬に乗って行ってくれないか?」

「わかりました。あの馬車は3人では手狭になってしまいますもの。私のことはどうかお気遣いなさいませぬよう。」

「ありがとう沙南。
私はこれから死地に赴く身だ。この命など惜しくは無いが、無事我が部族の民を守ることが出来るよう少しでも徳を積んでおかなくてはな。」

勇敢な姫は、そう言って気丈に微笑んでみせた。
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