雑色

□それは違う事なく
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死ぬのは、私だと思っていた。




《それは違う事なく》




簡素な、しかし、捕虜の拘留場としてはあまりにも普通な一室。
いや、普通というか異常だ。
牢屋なんかないからね〜、本当に申し訳ない。
記憶に有る微笑みの美女と同じ声。
しかして、随分と幼くなった見た目と声音は言葉の意味を解してないのではと思う程に軽かった。
僕は敗北(ま)けた。
アナスタシアも、救う筈だった国も消滅(き)えた。
補欠の素人によって、またしても何もかもを奪われたのだ。
呼吸に専念していた口を漸く閉じる。
溜まっていた物を飲み下すと鉄の嫌な後味が残り、左口角に痛みが走った。
それに眉根が寄るのを感じながらも、どうにかする気が起きなくて。
自失し無機質な天井を眺めていた。
硬くひやりとする床が幻の様に感じ、自分が生きている事が酷く現実味に欠けていて…
しかも皮肉な事に、そんな曖昧な意識を確と留めているのは憎い敵――藤丸立香なのだ。
こいつは部屋に入るなり僕を殴ってきた。
強化もされていない小さな拳は、それでも構えていなかった自分を傷付けるには十分で。
じんじんとする痛みが緩く遅く頭に伝わってくる。
と、同時に胸倉を掴まれ叫ばれた。
文句があるなら私を殺せばよかっただの。
解りきっている事を証明する必要はないだの。
勝手なエゴを叩き付けられて、思わず返してしまったのが始まりで。
罵詈雑言を浴びせ合い、最後には馬鹿やハゲだとか稚拙な言葉の応酬になった。
気付けば二人して床に倒れ荒い呼吸を繰り返して。
大声で怒鳴る事は、こんなにも体力を使うものなのかと場違いな感想を抱きつつ。
あぁ、自失というより虚脱だったのだと。
そうやって、放心しながら自己分析をしている最中だ。
抑揚のない、か細い声が聞こえてきたのは。
息も絶え絶えに、しかしはっきりと紡がれたものに胸の底が冷えていく。
死ぬのは、だと?
その言葉を咀嚼し、理解する前には起き上がって振り向いていた。
冷えた胸から火球の様な熱が上がってくる。
ふざけるな。
お前は僕の、僕とアナスタシアの世界を壊したじゃないか。
勝ったお前が、なんで、なんでっ!
悔しいのか、腹立たしいのか、それとも…。
身の内を占める激しい感情の源が判然としないまま。
何を言おうとしているのかも分からないまま。
口を開いた。
のに。


「灰色の、地面と、嘘みたいに綺麗な空…目の前には、見慣れすぎた盾が、盾だけが立っていて…身体中、痛くて、苦しくて、死にそうなのに、生きて、いて…」


「なにを、」


「死ぬ、と思ったのは、何回もあって…死んだ方がマシなんじゃないかって、その度に、思って…だけど、やっぱり、嫌だった」


きえて、しまうのが…
見下げた先には、床に転がる女がいる。
右腕で顔を覆っている為、表情が分からない。
その上、訳の分からぬ事を取り留め無く呟きよく見れば、身体は小刻みに震えていて…
不意に。
誰だ?この少女は、と見当識が狂った疑問が落ちる。
知らない。
ただ、適性が高かっただけの一般人。
知らない。
世界を救い、世界を壊したマスター。
知らない。
僕から全てを奪った…―――。


「―っ…!」


色素の薄い瞳は陽に翳した琥珀の様。
憎たらしい程に輝いているそれを潰したかった筈、なのに…。
現れた目に涙は浮かんでいない。
消えて無くなりそうな小さな存在は挑む様に、或いは年相応の無邪気さで笑っていた。
そして――


「お腹空いた!」


「…は?」


「カドックもお腹空いたでしょ?あ、そうだ。頬っぺたの薬も持ってくるね!」


すっく、と立ち上がった少女はそう言い切って来た時と同様に突然出ていく。
静かになった部屋は何故か物寂しく…と思う間はなかった。
再び開いたドア。
食べ物と薬を抱えた少女によって、僕の捕虜生活は幕を閉じたのだった―――。




《それは違う事なく》
終わり
ただ…そうあってほしかっただけ。
もう、戻れないのかもしれないけれど。
それなら、私は…―――。
 

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