雑色

□衆合地獄にふがふがされた後の
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鼻の奥で感じたモノ。
鉄錆びの、生臭い嫌な臭いだ。
生前でもいい匂いだと認識した事はない。
しかし、寄せた眉根に反し。
背筋に流れた冷たい汗に反し。
どくりと胸が震え、喉の渇きを覚えた。
それはこれが。
この血の臭いが、誰のものであるのか。
見当が付いてしまったから。




《意味を探す》




「落ち着け」


その声は普段と変わらぬ調子で。
しかし、滲み出るものは有無を言わせぬ覇気を纏っていた。
やっと思い当たる。
自分は、自分達は動揺していると。
怪我をしているかもしれないとは思っていた。
山の斜面を転がって行ったのだ。
無傷な方がおかしい。
そもそも、今際の際とは云え大蛇の一撃を受けている。
あぁ、やはり下がってもらうべきであったと意味もない後悔を繰り返しながら敵を退き。
早くなるべく早くと痕跡を辿り、着いた先は洞窟で。
これでも忍の頭目、暗闇であれ昼日中の如く視界は明瞭だ。
だから、灯りが見えた時にらしくもない楽観的な事を思い描いた。
当世の主は戦の心得もなく、魔術師としても未熟な御方。
戦場に於いて、これ程狙いやすい的はない。
足手まといの部類である。
が、そんな素人であるが故に考えもしない様な事をやってのけるのだ。
危機的な状況も、絶望的な状況も何故か乗り越えてしまう。
そして、凄い事を成したのに、なんでもないように笑うのだ。
そう、だから、だから。
焚き火は主殿が用意したもので、此方に気付いたら起き上がって、ごめんね、なんて。
笑う姿を想像してしまったのだ。
立香!
武蔵殿の叫ぶ声が岩肌にぶつかる。
団蔵殿が僕を追い越して、主殿に駆け寄る。
息が、上手く、出来ない。


「お爺ちゃん…」


「情けねェ声出すな。こいつは大丈夫だ」


「大丈夫って、こんな…」


「あぁ。酷ェ荒業だが安定してやがる。狙っての事にしちゃァ大博打だな。おい、小僧」


剣呑な眼光に睨まれて、はっとした。
焦点の合った世界には変わらず、血の臭いが充満していて。
主殿はごつごつした岩肌に横たわっている。


「戻ったかよ。なら、忍のなんやらでこいつをどうにかしろぃ。武蔵はこいつに付いてな。おぅ、テメェは辺りを警戒してこい。儂は食い物でも狩ってくらァ」


乱暴な物言いながらも現状を把握した正確な指示を発する村正殿。
団蔵殿はこくりと頷いて外に向かった。
僕は、ゆったりと歩いてくる村正殿とすれ違い主殿の傍へと漸く辿り着く。
焚き火に照らされたその姿に改めて息を呑んだ。
元より白い肌は更に白さを増して青白く、真っ赤な血が良く映える。
腹に開いた大穴から新たな出血はないものの、その傷は鮮明過ぎる程に新鮮で。
斜面を転がって行った時に負ったのだろう掠り傷に、服の所々は破け足にはサラシが巻いてあった。
満身創痍。
そんな言葉が霞んでしまいそうな程の凄まじい様子なのに、表情だけは穏やかで。
寝ているだけにも見受けられ、まるで――。
まるで、人形のような無機質さを垣間見てぞくりとする。
僅かに感じる心音と呼吸音が生を主張していた。
生きて、いる。


「大丈夫、です。武蔵殿」


今にも泣き出しそうな彼女に。
というよりは、自分自身に言い聞かせているのかもしれない。
大丈夫だと。
村正殿の言う通り、どうしてか主殿は安定しているのだ。
何が、とは断言出来ない。
キャスタークラスならば解りそうなものだが生憎とこの場には居ないのだ。
考える事を止め、頭を切り替えた。
いくら安定しているとは言え、このままでは状態は良くならない。
包帯と軟膏を懐から出し、処置に取り掛かった。


「この子は、いつもこうなのかな」


濡れた手拭いで、主殿の顔に付いた血液を拭っていた武蔵殿がぽつりと呟く。
それは独り言だったようで。
そうなんだろうね、きっと、と自己解決をしている。
僕はと言えば、主殿の足のサラシは誰がしたのかと思案中だった。
聞こえた言葉の真意を図りかねている間に独り言はぽろぽろと落ちていく。


「この子は、さ。言ってみれば、こんな荒事とは無縁な子で。武を極めたいとも思っていない、自分で戦う事も出来ない」


それなのに、それだから…。
悔しげに、痛々しげに、口を閉ざす武蔵殿。
そう。
主殿は、本来ならば、このように傷付く事のない方だ。
傷付く必要のない方だ。
それなのに、それだから、それでも。
僕には、僕達には、あなたが必要で…


主殿が気付かれたのは程無くしてだった。
己の血の味にか、主殿の力ない笑みにか、僕は不出来な面を浮かべるしかなかった。
どうか…――




《意味を探す》
終わり
どうか、大丈夫だなんて言わないでください。
 

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