国を想ふ

□君が世を知り
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「内緒ですよ?」


日本が。
困った様に、恥ずかしそうに。
笑う。
その、表情の優しさに頬を伝っていた涙が止まった。
あぁ…なんて。
なんて、綺麗なんだろう。
いや、そんな言葉では足りない。
真っ白な鳥のように、純粋で。
雪の結晶のように、儚い。
花の蕾が開く瞬間を見たような衝撃だった。
目が、逸らせない。
見惚れて、息をする事も忘れていた。


「本当は、私…」



《君が世を知り》




「いい加減にしろよ」


ばん!
壊れたのでは、と思う程の音が耳を貫いた。
音の正体はこの部屋のドア。
ドアの開いた音である。
そして、源となる乱暴にそれを開けた者は。
底冷えするような声で、そう責める。
俺はそれを部屋の片隅で。
背中で、受け止めながらも…
いや。
受け止めてなんか、いなかった。


「何時まで閉じ籠ってやがる」


「……………」


「やる事は山程あるんだぞ」


「……………」


何時もなら、怖いと思ってしまう兄の不機嫌な声。
それなのに。
今は、何も感じない。
何を言ってるのかすら、俺にはどうでもよかった。
本当に。
自分の事なんて、どうでもよくて。
何日、ここから。
この部屋から出てないのか、分からなくて。
閉め切った空間では。
今が朝なのか、夜なのかも分からない。
人ならば、空腹で死ぬ事が出来るのに。
国である自分は、空腹を感じこそすれ死には至らない。
それが、歯痒い。


「………日本」


「っ、」


溜息混じりに零された声。
今までの声量と比較にならない小さなそれ。
それでも、俺は。
俺の心は。
暫く振りに声を言葉として認識したのだ。
顔を上げ、振り返る。
視線の先には眉間に皺を寄せた兄が、腕を組んで立っていた。
兄ちゃん。
ようやっと、口にしたそれは掠れて小さい声だった。
呼ばれた兄は、情けねー面と一蹴する。


「何時まで、いじけてるつもりだ」


「いじけて、なんか…」


「出来なかった事を後悔だけして閉じ籠ってるのを、いじけてる以外になんて言やぁいいんだよ。ったく、何が日本を助けるだ。何もしねーで不貞腐れやがって」


「っ!だって!」


容赦もなく、加減もなく。
吐き捨てるように言われた事。
沸き上がるように、感情が噴出した。
感情。
悲しみ。
怒り。
恥。
事実を。
最早、傷口になっているそれを。
そんな事は自分が一番知っていて、他人に言われたくない事だった。
勢いに押されて、立ち上がるものの。
向かい合う者は正に。
己であり、己でない。
鏡に映る自分のような存在。
正論は耳に痛いものである。
それは、自身の中に確かにある思いだからだ。
叫びそうになっていた口を噛み締める。


「だって、だって…何も……何も出来なかったんだっ!日本を一人で戦わせて…一人っきりで戦わせてっ…あんな、あんな酷い終わりかたっ!」


人を。
木や花、大地すらも焼き殺したもの。
あれが戦いを終わらせた。
いや。
戦いなんて、端から始まってもいなかったのに。
それなのに…。


「兄ちゃん…俺、日本の前で弱音、吐いた事、あるんだぁ」


いつも弱音を吐いて、泣いてばかりだけど。
俺は、絶対に言わない事があった。
それは。
"戦いたくない"

生きる事は他と争い戦う事だ。
戦わなければ、大切なものを護れないから。
大切なものを護るために、その他を踏みにじり潰してきた。
ずっと、ずっと…そうしてきた。
そうするしか、術を知らなかった。
だから。
言っては、いけない。
言う資格すら、ない言葉だった。
それなのに。
俺は、日本に言ってしまった。
戦いたくないのだと。
人が、死ぬのが嫌だと。
怖いと。
ドイツに言ったら、殺されるだろう言葉達。
それを、日本は…


「代われたら、いいのに」


「っ!お前!」


ぽつり。
想いは静かに零れる。
それに兄ちゃんは声を荒げ、胸倉を掴んできた。
至近距離で鋭い両目がギラリと瞬く。


「お前、それ本気で言ってんのか?!それを日本と日本ん家の奴等に言えんのか?!日本がどんな想いで」


「だって!」


掴み上げている手を押し返す。
分かってる。
兄の、怒りに満ちる顔を見なくても。
自分が言っている事が、どれ程失礼な事か。
だけど。


「苦しいんだ」


言った瞬間、涙がぼろぼろと。
壊れたように零れ落ちた。
苦しい。
自分の家の人が、殺されるのは。
身を裂かれて、焼かれるような。
いや、そうされた方が良いと思える位の喪失である。
きっと、日本は自分を責めてる。
何も悪くないのに。
リメンバーとか言われて。
言われてなくても、不意打ちになってしまった事を悔やんでいる。
戦いで、不意打ちは立派な作戦なのに。
当たり前な事なのに。
日本しか。
日本ん家の人達しか、負い目を感じないのに。


「考えれば、考える程っ…苦しいんだっ…!日本は、悪くないのにっ!ただ、だだっ!護りたかっただけなのにっ!」


誰が進んで、奴隷になるだろう。
自分の大切な人が、酷い目に遭うと分かってるのに立ち上がらない者はいないじゃないか。
誰が、責められるというのか。
それでも。
それでも君は自分を責めるのだ。
切ない程に、優しい君だから。
それを考えると、何も出来なかった自分が許せない。
でも、


「なに、して、いいかっ…分かんないんだっ」


何をしたら。
何をすれば、いいのか。
分からない。
ただ、苦しい。
傍にいたいのに、それも。
それすらも出来ない。
いつの間にか、胸倉を掴んでいた手に縋り付いて泣き喚いていた。
教えて、欲しかった。
どうやったら、この抉られるような痛み苦しみがなくなるのか。
しかし、縋った兄から言葉はなく…


「ぶっ」


視界を何かで遮られた。
条件反射で体が動き、遮った物が紙である事を知る。
が、訳が分からない。
問うつもりで見遣るも、兄は既に踵を返していた。
見ろ、という事か。
無言の背中からは、それしか読み取れない。
濡れている目を擦り、先程まで自分の顔に張り付いていたそれを見る。
それは、報告書であった。


「え、これって……兄ちゃん!」


信じられない気持ちで、声を上げた。
涙によって、文字の滲んだ報告書。
だが、それには。
信じられない。
信じたくない。
内容が書かれていた。
それは…


「あの神社は、日本のっ!日本の人達にとって大事な人達がいるのに!それを」


「アイツ等にとっては、そうじゃない。犬のレース場にしちまう程のもの…いや、アイツ等もどれ程のものか分かっていての事だな。で、今の日本にはこれを拒否出来ない」


どんなに理不尽で、卑劣な事でもな。
兄は振り返らず、出口に向かい歩く。
静かに淡々と、言われる事実に。
あぁ、そうだ。
と、慄然とした。
知っていて、そうするのだ。
知っていてっ……


「兄ちゃん」


ぐしゃり。
手にある報告書を握り締めた。
こんな事、絶対にさせない。
久し振りに、全身に力を入れた。

マシな面になったな。

追い越す、その時に。
兄の嬉しげな声が聞こえた。



――――――――――
――――――――――――――――――


「イタリアくん、本当は私も戦いたくないんです」


あの日、あの時。
誰よりも勇敢に戦う君が言った言葉。
その時…ううん。
知ってたんだ。
君が誰よりも、戦いを望んでいない事なんて。
草木花を愛で。
季節の移ろいを慈しみ。
何より、周りを大事にする君と君の家の人達。
知ってたんだ。
教えて、もらったんだ。
だから…
叫ぶ言葉と声を奪われても、きっと―――。


《君が世を知り》
終わり

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