ながいよみもの

□三十三
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「魔界之先生?」


己を呼ぶ声にハッとした。
辿れば不思議そうにしている声の主―山田先生―がいる。
ここは忍術学園で、自分は合同授業のために生徒達と訪れていた。
人には必ず得手不得手がある。
それは、センスの良い私が通販を苦手とする様に仕方のない…我ながら例えがイマイチだな。
とにもかくにも、何が言いたいのかと云えば。
教えを乞うならば得手――つまりは専門家が一番である。
今正に授業をしている土井先生は火薬についてのそれだ。
扱いや知識で彼に及ぶ者を私は知らない。
教える事も上手いのだから、頼らない手はないだろう。
有難い事にこういった合同授業を快く受けてくれるため生徒達の後ろで同じく耳を傾けていた。
…筈、だったのだが。
声を掛けられるまで気付かないとは忍者失格。
いや、それよりも何よりも、此方から依頼した時間に上の空とは…不躾にも程がある。
すみません。
しかし、謝る為に開こうとした口は招く手によって遮られた。
呼ばれるままに付いて行くと廊下で。
しん、とした空間に土井先生の声が僅かに響いている。
この独特の居たたまれなさ…最早心境として教師に呼ばれた生徒の心地だ。
音を出さないよう細心の注意を払いつつ閉めた戸を背に一拍。
漸く先程言えなかった謝りの言葉を口に出せた。
が、構える此方に反し、掛けられたものは気遣う台詞だった。
何か心配事でも?
優しい声音に穏やかな表情。
とても元戦忍びとは思えないそれらを受けてしまい、申し訳なさ…いや。
羞恥と情けなさが綯い交ぜになったようなものが込み上げる。
誤魔化せる訳はないのだが、だからと言って話せる内容ではない。
気遣いを貰いながら全くもって甚だしい限りであるが真実と虚偽を混ぜつつ、教師らしい試験の話を振ろうとした。
のに。
教室がざわつき、背後の戸が勢い良く開く。
そして、


「魔界之先生!!!」


またしても己を呼ぶ声に視線を泳がせる事になった。
子供特有の高い声は当然ながら眼下からだが、視界に捉えた者は自分の生徒達ではなく――――。





三十三
《はてさて》




手を滑ってゆく赤。
顔を染め上げるものがどろりと顎を伝って胸を濡らす。
私が、流す筈だった、もの。
それなのに…
貫いた感触は正にこの腕、この身に刻まれている。
そう、私は、自分の刀を、飛梅を――――
不敵に口角が上がる。
その隙間からは、今にも絶えそうな息遣いと問う声が零れ落ちる。
問い掛けてきた筈なのに、確信を持った断定。
続くものは四肢に巻き付いていく。
震える指で顔を掬い上げられ、間近で告げられる言の葉達。
薄れゆく感触と身の内を侵してゆく喪失感は紛れもなく――。
しかし、それでも信じられない。
信じたくない。
だって、いまさら…今更、そんな…


「――――ぇ?」


目が覚める瞬間、というものは本当に不思議である。
それまでは本物だと感じていたものが遠くに往ってしまうのだ。
急激に冷めていく胸の内を抱えながら瞼を開いて、あぁ、と実感する。
切なくも安堵する、なんとも形容しがたいその継ぎ目。
夢、と整理するには再認が必要になるのだが。
如何せん寝るつもりがなかったが為に自分が何処に居て何をしていたのか…本当に分からなかった。
だから、目と鼻の先に人がいるこの状況が果たして現実なのか夢の続きなのか、と。
その判断からしなければならないのに、それが出来なくて…
いや、人なのか?
だって、まるで、そう。
置物の様に微動だにしないのだ。
息遣いも感じられない。
皺が多く、瞼が目を隠していて視線が合っているのかすら分からない。
あぁ、夢だ、これこそが夢だ。
…等と、思ったのも束の間で。
全く、と。
呆れた声に額を叩かれ思いの外に肩が跳ねる。
人、だ。
ひ、と……
認識すると感覚が次々に戻ってきた。
さわさわと葉の擦れる音が聞こえる。
視界は自身の髪で狭まっており首が痛い。
痛み…古典的な確認方法だが、どうやら彼方が夢で此方は現実らしい。
とは言え、一つも良かったと思えない。
夢はただの繰り返しで、現実はこの通り。
誰かも分からぬ者に覗き込まれている。


「ぁ、の…」


何か?
見当違いな台詞だと思う。
言った直後に心の中で己を罵倒するぐらいには。
しかし、口を衝いて出てしまったものは戻る訳がない。
こんな至近距離では聞こえていない、という救済の余地もない。
沈黙が怖い。
あぁ、いや、怖い?違う。
そうなのだけれたど、沈黙がではなく。
まるで値踏みをするような、そんな…


「駄目じゃ」


「へ?」


「反応も察しも悪い。対応もお粗末。わらわにその気がないとしても酷すぎる。妙齢の女子がよくもまぁ、ぐうすかと…」


服が地味、それ以前に汚ない、髪もボサボサ、土埃まみれ、傷だらけ…等々、等々。
尽きる事のない駄目出し。
事実故に言い返せず…そもそも口を挟む隙がなく。
とは言え、このまま聞き続けるには理不尽な上に辛過ぎるので。
どちら様?
一日でこうも同じ台詞を使うものなのかと、ある種の感動を感じつつ身体を動かした。
ここで漸く木に寄り掛かっていた事に気付いた訳で。
眠りこける前にあった事が怒涛の如く押し寄せてきた、が。
それでも今までの記憶にこの人は居ない。
わらわから名乗らせるか?
妙に圧を感じる声が更に低くなった。


「ぁ、すみませんっ、ぇと、桃です」


「……わらわはリリーじゃ」


居住まいを正し名を告げれば、きちんと返ってきた。
リリー、さん?
なんとも久しくも違和感のある不均衡さに戸惑いながら咀嚼し反復する。
名前を知れたのは良かったが…状況の説明には情報が乏し過ぎる――等と、思わなければ。
そうすればと、今は出来ない後悔がどこかに落ちて消えた―――。





三十三
《はてさて》
終わり
これで死ねないでしょう?
なんたって、この私を踏み台にした"生"なんだもの。
 

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