ながいよみもの

□二十一
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定まらない視線。
虚ろな瞳。
地面に染みていく、血溜まりの大きさに比例して萎んでいく生の気。
はみ出した臓物は砂まみれになっている。
最早、息を吸うなどという行為にも至らない呼吸。
ーひゅうー
掠れた音は僅かに上がった口角、その隙間から零れた。
それは、まるで――




二十一
《侮蔑がよいだろう》




「拷問って、とっても労力がいるんだよね。死ぬぐらい痛めつけるのに、死なせたら意味がない」


ね?
優しい声が響いていた。
ともすれば、幼子に言い聞かせるような温かさすらあるのに、それは吹き荒ぶ冬の風だった。

――まだ、消えていないのか。

落胆に重い溜息が零れる。
これでは意味がないのに。
自身の往生際の悪さに呆れて、意識を揺さぶった不穏な言葉には気付かなかった。
いや、気付いてはいた。
気付いたからこそ、瞼が上がったのだから。
ある意味死の宣告にも等しいその声。
そうであったなら、どれ程良かっただろう…なんて――。
なんと言っても寝起きだ。
微睡んだ意識の端でそれらを思って、思った後でハっとした。
起きたかな?おはよう。
黒い。
全体的に黒い人がそう声を掛けてきた。
ぼんやりとした蝋燭の灯りが辛うじて、声の主を照らしている。
のに、表情どころか顔すら見えない。
頭から口は布で覆われ、唯一見える筈の目元は包帯が巻かれていて。
片目のみの鋭い視線が此方を射貫いていた。
誰、だろう。
在り来たりな疑問を胸中で呟いて、漸く自分の置かれている状況が頭に入ってきた。
牢屋、である。
暗くて湿っぽくカビ臭い、ひやりとした空気の充満する牢屋。
ガタガタの地面に俯せになっている。
どうやら手足は縛られているようだ。
動く首と目で上下左右を見回す。
岩をくり貫いて作ったものらしい。
広さは四畳半、といった所か。


「……危機感がないね、君」


「ぇ、あ、すみ、ません」


「いや、謝られてもね…うーん、なんか馬鹿らしくなってくるなぁ。まぁ、でも放っておけないし。分かってると思うけど…」


今から拷問するから。
ぽりぽりと頬辺りを掻いて、心底面倒そうに宣ったその人は。
事も無げに物騒な内容を告げてきた。
あまりにも、こう、日常的な会話のように言われたものだから。
ぽかんと口を開けたまま、二の句が継げずにいて。
その間にも相手は牢の鍵を開け、なんとも気だるそうに近付いてきた。
拷問…そう言えば、さっきからそんな事を…いや、拷問?なんで?どうして?
目を白黒にしている此方に構う事なく、先ずは初歩からかな、等と。
軽く、軽すぎる口調で以て小さくとも鋭い刃を手遊びのように回している。
拷問とは、云わば情報を得る手段である。
交渉に応じない者への報復の意味合いも強いが、とにもかくにも情報収集だ。
優しく、親切にして欲しいとは思わない。
しかし、拷問される謂れはない筈だ。
そもそも自分に話せる事など何一つないのに。
一体何を話せと言うのか。
第一に。
第一に、である。
ここはどこで、何故捕らわれているのか。
などと、溢れてくる問いを口にする前にのしっと背中に重みを感じた。
待って欲しい。
何はさておき話を、とにかく話を聞いて欲しいし聞きたい。
が。
振り返ろうとした首は根っこからガッと押さえられ、いよいよ身動きがとれなくなった。


「色々言いたい事はあると思うけど、状況を把握するには手っ取り早いよ」


「な、っ――!」


ずっ、と妙な音が指先から伝わって、背後から上がってくる。
それを痛みだと感じた瞬間にぐりぐりと進んでくるものを知覚した。


「声、上げないんだね」


「な、に、を…」


「小指の爪を剥ぐ途中。で、最初は…名前かな。あぁ、私はね雑渡昆奈門」


ざっとこんなもん?
告げられた彼の人の、名というには違和感のある響きに戸惑う。
いや、人の名前にとやかく言うものではない。
また、そんな場面ではなかった。
答えを急かすように――実際に急かすために再び痛みが走る。
どうも爪と指の間に先程の小刀が刺さった状態のようだ。
一枚剥がさないと言わないかな?
言葉でも急かし始めた背後の人―ざっとこんなもん。
あぁもう、答えるしか現状は動きそうにない。


「ひな、もり、です」


「ひなもりって姓?名は?」


「もも、っ、です」


「生まれは?」


「生まれ?どこ、でしょう?覚えて、いません」


「歳は?」


「歳…じゅう、はち?」


「あの男に何をした?」


「おとこ?」


「なんで、あの男を助けた?」


「た、すけ…?」


問われている事に心当たりはなく、はてと考え込む。
助けた?果たして、それは誰を指すというのだろう。
山では、きっと名の通った御隠居さんに会い。
海では、溺れていた海賊さん。
二人供結果的に助けた訳だが…何をした、と聞かれたら言葉に詰まる。
答えられないとかではなく、単純に質問の意味が分からない。
―ぶちぶちぶちっ―
唐突にそんな感覚が痛みを伴って這い上がってきた。
ひゅっと身が縮こまって、血が追いかけてくるように逆流する。


「もう一枚剥がす?それともここに塩を塗るか…刺して欲しいかな」


「ま、てっ、くださいっ!男って、誰の事ですかっ?」


「死にかけてた男、助けたでしょ。何したか分からないけど…私は確実に仕留めたんだ。死にかけ、なんてものじゃない。あれの死はどうしようも覆せないものだった。よく逃げたものだよ、追跡にも時間が掛かったし…"死神"と呼ばれるだけはあったかな。で、」


答えは?
首を押さえる力が増す。
背も腹も、足も痛い。
いやもう何処も彼処もが痛かった。
何より小指が痛い。
指ごと引き千切られたかのようだ。
痛みとは身体からの警報である。
異常があるから気付け、と。
手―特に指先などは細かな作業もこなす、人特有の部位。
拷問としては、言っていた通り初歩の初歩だ。
情報源――対象者に多大な痛みと恐怖を与えつつも命の危険は少ない。
まだ、加減をされているのだなと隅で考え至る…そう隅で。
そして、痛みすらも脇に追いやって。
中心に納得した気持ちと罪悪感が混ざった塊が陣取った。
だって、あれは…


「あれは…ただ、私が助かりたかっただけです」


「君…」


「組頭!」


焦った声が薄暗い空間を切り裂いた。
驚きでびくりと背が震える。
情けない、人の接近に気付かないとは。


「見つかっちゃった」


「っ、じゃありません!そんな事を組頭自らする必要は」


「はいはい」


来た時と同じく、ざっとこんなもんは気だるげに立ち上がり牢から出ていった。
去り際に、私の爪を投げ付けて。
理不尽である。
事情はさっぱり分からないが、いくらなんでもこの仕打ちは酷い。
しかし。
何か言おうにも、まず身体が上手く動かないのだ。
恐らくこの重怠いような、足りていない感覚は霊力消費の余波に違いない。


「お前…」


「ぇ、?」


起き上がる事も出来ないまま、はぁあと混ざりに交ざったなにかを吐き出した、後だった。
途切れた声を辿ると、組頭と叫んでいた人が此方を見ている。
数秒交わる視線は直ぐに逸らされて、今度こそ一人になって…血の気が、引いた。


「と、び、うめ?」


飛梅が、居ない―――。



二十一
終わり
《侮蔑がよいだろう》
 

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