ながいよみもの

□十九
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「霊印の解除をなさって下さい」


そう促すのは。
敵であると、今しがた宣言をした者。
霊印を施すのは隊長・副隊長が現世へ赴く時と決まっている。
だが、先ず以て席官以上の者が現世任務に就く事はない。
現世での任務――戦闘など異例中の異例なのだ。
しかし、前例が無い訳ではない。
だからこその術である。
それが命取りになる事もまた然りで、霊印は拍子抜けする程容易に外す事が出来る。
解除の条件は瀞霊廷からの許可、これに尽きるのだが…


「ご心配には及びませんよ。貴女様の霊圧は…と申しますか、アタクシ達の存在何もかもがこの世界には無意味でしょうから。解除しなければ、後ろで縮こまっている者に鬼道を掛けられませんよ。…アタクシですか?アタクシはそもそも、この実験の為に造られた物です。生も死もありません。だから、本気で抵抗してください。仮定は証明しなければ意味がないので。あぁ、でも副隊長…貴女様にとってはどちらが幸いなのでしょうか?」


並べられた言葉に、戸惑う事は出来ない。
自分にとっての幸いなんて二も三も次だ。
背後でかちかちかちと音がしていて。
震えながらも必死に名をなぞるその声に手は動いていた。



十九
《先には立たぬもの》




「いやいやぁ〜面目無いのぅ」


恐縮した台詞には、寧ろそういった響きは皆無で。
顔の皺を深くし、くしゃりと笑むその人は。
ほっほっほっと律動的な笑い声を上げるのだ。
まるで…そう、陽だまりに包まれるが如く。
ぽかぽかとした温かさを胸で感じながら、目は忙しなく動いていた。


「他に痛い所は?頭打ってません?」


「大丈夫じゃ。足もな、そう痛くは、うぐっ」


にこやかな表情が苦悶に引き攣る。
軽やかに足首を叩いた手は、感電でもしたかのように小刻みに震えていた。
断りを入れ赤みを帯びてきている患部に触れる。
骨に異常はない。
一先ず、という所だか直に腫れが目立ってくるだろう。
回道で治せば済む話だが、それをする訳には…


「手というのは万能なものじゃ」


顔を上げれば、にこにこと効果音が付きそうな笑みに迎えられた。
その笑顔にも言葉にもピンと来ず首を傾げていると、滑らかな動きで手を掬い上げられる。


「手と目で病をみるから看病」


な?
掌にさらさらと指で書かれた文字。
ほわわと広がる和やかな空気に身体から力が抜けて。
漸く自分が強張っていた事に気付く。
つられる形で口元が緩んだ。



―――――――――
―――――――――――――――




そんな中途半端な男装、許さないわ!

等と何故か凄い剣幕で言われて。
男装をしている訳ではないし、そもそもしたいと思ってもいない。
しかし。
二の句どころか一言すらも発する事は許されず。
あれよあれよと髪を結われ適度に汚された。
彼女の言葉を借りれば旅の侍風、なのだとか。
結局、名も知れない彼の人は古巣と呼ぶ所へ向かい。
私はと言えば、海に向かって山道を進んでいた。
青々と茂る緑に和みながらも考える――頭を占めるものは仕事や約束事で。
立つ鳥跡を濁さず、と云うのは贅沢だろうが。
謝りの言葉くらい伝えたい、が…それこそ贅沢な事か。
苦笑いと共に独り言ちつつ手背を撫でた草の葉を手折る。
流れる水に羨望を感じたのは間違いはなく。
行く宛はおろか行きたい場所もない。
目的としているのは間違いなく海なのだが。
川が流れる方向にふらふらと歩いているだけで、端から見れば覚束無い足取りだろう。
とは言うものの、周りに人は居ないし急いでもいない。
だから、草の葉を弄りながら空を見上げた。
吸い込まれそうな程の青さにいっそ呑み込まれて消えたくなる。
ふぅ。
切望か、諦観か。
分からぬ溜息は急速に近付いてきた者の霊圧と―
バキバキバキ!
木々が折れる音に掻き消されたのだった――。


「へ?春?」


「そう、春を追っていた。春は良いなぁ。胸がほかほかとする。身も軽く踊ってしまう。…まぁ、」


そのせいで、この有り様じゃが。
背後で気恥ずかしそうにする顔が浮かんで、微笑ましさにほっこりとした気持ちになった。
春が好きらしいこの人は、人柄こそが春らしい。
傍に居て、話をするだけで穏やかな心地になるのだ。
……登場は嵐の様であったが。


「いやはや、まさか倒木が滑り落ちるとは思わんでの。降りようにも木の窪みに足を取られるわ、捻るわ…流石に胆を冷やしたなぁ。しかし…爺とは言え人一人背負い息一つ乱さんとは」


「鍛えてますから。それより、本当にこっちでいいんですか?」


「ん?道か?おぬしはこっちでいいんじゃろ?」


「ぇ?私って…私は海に行くんですよ?」


「おお、海か。海を眺めるのも良いなぁ。魚も食べたいのぅ。おぬし、腹は空かんか?」


「空いてます、って!違いま、」


違います!家はどこですか?
と、続く筈の台詞は途中で止まってしまった。
接近してくる二つの霊圧に気付いたから。
それら霊圧は後方、先程通過した大きな木辺りで止まり別れた。
そして、


「弐左衛門様」


別れた片割れ――一人の男が目の前に現れる。
安堵はしつつも尖った敵意が混じる声調。
それが紡ぐ名に心当たりはない。
が、この状況では考えるまでもなく。
そして、敵意は間違いなく自分に向けられている。
理解した。
理解してしまった。
とてつもなく誤解されているという事態に。


「おぉ、迎えが来たわ。すまんかったなぁ、若者よ」


広がりつつあった危うげな雰囲気は背後で上がった明るい声に一蹴された。
降ろしてくれ、と訴えるように肩を叩かれ慎重に腰を落とす。
片足でひょこひょこと動くその人に、男は支えるよう隣に構える。


「お怪我を?」


「あぁ、ちぃと捻って…ん?」


怪我をしている。
それを知った瞬間、今まで控え目だった敵意が明確なものになった。
未だ潜んでいる者も同様に…いや、あちらはうっすらと殺意も孕んでいる。
が、そんな事はどうでもいい。
やってしまったと後悔をした。
首を傾げ、捻った足でとんとんと地面を踏むその人の姿に。
馬鹿!
胸中で己を叱咤し、口と足を素早く動かした―――。





十九
《先には立たぬもの》
終わり
(あいつ!逃げてっ――)
(あぁこれこれ、誤解じゃ誤解)
(しかし!殿!)
(狙っていたとしたら、とっくにあの世へ逝ってるわい。しかし…あの娘さんの手は仏さまの手か?足が全然痛くない)
(娘?小汚ない童でしょう?)
(おや、見る目がないのぅ)
 

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