ながいよみもの

□十六
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「何の為?詰まらない事を聞く。興味だよ。それ以外に何があると言うんだ?ああ、その通り。誰でも良かった。しかしまぁ…」


あれは良いモルモットだった。
くつくつくつ。
喉の奥で笑うような。
耳に引っ掛かる嫌な笑い声。
それは闇よりも暗い空間で不気味に反響する。



十六
《声も出ない》



空が白みだす。
夜のひやりとした空気が光によって少しずつ朝へと変わっていくその時。
爽やかなその時に似つかわしくない、重々しい溜息が木霊した。
何度目の憂鬱な朝だろう。
回数を頭で指折るが、重苦しい息が再び零れる前に止めた。


「驚異的ですね。いえ、流石と言うべきですか」


雛森副隊長。
厭味にも聞こえるような台詞に婉曲的な色はなく、かといって感嘆もなく。
平坦に述べられ、紡がれた名もそれは同じ。
名と云うのは縛るものだと思う。
あれが、これが、キミが、自分が。
なにであるか、なにをするのか、示すもの。
無くとも生きていけるのに、無くては往きていけない。
呼ばれた名、役職は。
今の自分にとって命綱にも等しい。
己は何者であるのか。
それを確と、再認出来るから。
知らず知らず殆ど無意識に息が零れる。
それは先程と質が違った。
その意味する事が、どういう事なのか。
腑抜けた弱音を自覚する前に、ある物が目に飛び込んできた。


「あ、れ…それ…?あ!もしかして!」


「はい、足枷が外せそうになかったので義骸は処分しました。それにしても、同化率が悪かったとは言えあんな事で抜けてしまうとは…相当使い難かったですね。申し訳ありませんでした。あと、これは…」


使うのではと思いまして。
思考を連れ去ったものは、この喋る黒猫。
もとい、改造魂魄であるベルが咥えている物であった。
つぃと差し出された物は義骸が着ていた服。
ぱぁああっと心の中で花が咲き乱れた。
死覇装は黒の服である。
その真っ黒い服が、というか頭から上半身が泥と…なんだかよく分からない液体で派手に汚れていて。
最早、服が何色なのか判別が出来ない有り様で。
替えの服があるのは、それはもう嬉しい事だった。


「平気ですか?虚に何か掛けられていたようですが…」


「うん!凄く気持ち悪いけど、だいじょう、ぶ…」


尻窄みになっていく言葉。
それに伴うように、突如。
視界の外側から真っ白になっていった。
平気、ではないようですね。
やや堅くなった声音に苦笑いを返す。
しまった、と胸中で零した。
いや、事はそんな一言で済む事態ではないのだが…


「目が見えないのですか?」


「うん…多分、この変な液体のせい。目に入った時、ぴりぴりしたし」


「あの、副隊長。妙に落ち着いておられますが…目が見えないんですよね?!大丈夫ですか?!大丈夫じゃないですよね!!」


「ふぇっ?ぁ、うん、?ううん!前にもこんな事あってね。少し時間掛かちゃうけど、回道で治せるから大丈夫!」


下からぐわっと上がってきた声に思わず仰け反ってしまった。
目を開けているのに、世界は真っ白のまま。
声と気配だけが外部刺激だ。
全く怖くないと言えば、それは嘘になる。
が、それよりもこの姿をどうにかしたい。
酷く狼狽えた様子のベルを宥めつつ、両手に力を込めた。


「破道の四十一 青水星」


通常、人差し指と中指に込めた力を弓矢のように引き放つ攻撃の為の鬼道だ。
これは赤火砲と同じく、調節をすれば…
ぽぅん、ぽぅん。
軽い音が耳に届いて、両手にひんやりとしたものが触れた。


「水の玉、ですか?鬼道の応用ですね。流石です…って、な、ちょっ!副隊長!何故いきなり脱ごうとしてるんですか?!」


「ぇ?は、裸になる訳じゃないよっ」


「当たり前です!そうじゃなくて…いや、はい、副隊長がよろしいのであればもう言いません」


見えないけれど、項垂れるベルが見えた気がした。




――――――――
――――――――――――――



「副隊長、聞いても?」


ぽたり。
髪から頬、そして顎を滑り雫が落ちる。
滴るそれらを腕で払う。
二つ、水の玉は空中に浮かんだままで。
一つは指で弾き消し、もう一つに手を突っ込んだ。
その内には上衣が漂っていて、掴んで確かめる。
ぬるぬるとした感触に眉を下げると問う声が音の世界に波紋を起こす。
それは真摯なものを孕んでいた。
首がかくんと傾く。
内容が思い当たらないから。
含むものの重たさに身構えて身体ごと向き直る。
どうしたの?
やや恐る恐る聞くと責めるような言葉が返ってきた。
しかし、その物言いと告げられた内容のちぐはぐさに脱力する事となる。


「へ?」


「ですから。気を遣い過ぎではありませんか、と。捕らえられたのは、義骸のせいですが…くの一といいましたか?あのように言われるままに答える必要もなければ、足枷など…される覚えは」


「うん!足枷はびっくりした!いつ付けられたのかな?全然気付かなくて…でも、お話しはちょっと楽しかったなぁ」


「何を悠長に…あ!副隊長」


晒が…
途切れた指摘は、続きを問うまでもなく。
すっきりとした胸元が教えてくれた。
上衣は水の中で、上半身に纏っているのは晒だけ。
それがどうやら緩んだようだ。
巻き直そうと手探りで動かしていたら更に緩んでしまって。
外気が直接胸元を撫で、肌が粟立つ。
慌てて晒をかき抱いた…その直後だった。


「こっちだー!!」


ガサガサと草木を掻き分ける音がして。
大きな声がして。
驚きすぎて。
何が起こったのか分からなかった。


 
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