ギトンのあ〜いえばこーゆー記

2015.3.11.〜  
 
小説・詩

 







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今日の日記
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【必読書150】石川啄木『時代閉塞の現状』(5)――― The long and winding road

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 こんばんは。(º.-)☆ノ





 【必読書150】石川啄木『時代閉塞の現状』(1)

 【必読書150】石川啄木『時代閉塞の現状』(2)

 【必読書150】石川啄木『時代閉塞の現状』(3)

 【必読書150】石川啄木『時代閉塞の現状』(4)

 からの続きです。






 【13】『時代閉塞』の現状



「我々青年を囲繞する空気は、今やもうすこしも流動しなくなった。強権の勢力は普
(あまね)く国内に行わたっている。現代社会組織はその隅々まで発達している。〔…〕

 財産とともに道徳心をも失った貧民と売淫婦との急激なる増加は何を語るか。はたまた今日我邦
(わがくに)において、その法律の規定している罪人の数が驚くべき勢いをもって増してきた結果、ついにみすみすその国法の適用を一部において中止せねばならなくなっている事実(微罪不検挙の事実、東京並びに各都市における無数の売淫婦が拘禁する場所がないために半公認の状態にある事実)は何を語るか。」
「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,p.117.



 日露戦争後の、完成され固定された帝国主義国の社会で、農村で食いつぶした人々、“身売り”の犠牲となって漂泊せざるをえない人々が、都市に流れ込んできます。大都会の底辺に、膨大な貧民層が形成されつつありました。“相対的過剰人口”―――それは、資本主義が必然的に生み出すものであると同時に、資本主義が至上命令の明治国家にあっては、国家が政策的に生み出すものでもありました。

 『時代閉塞』は、意図された結果なのです。



「かくのごとき時代閉塞の現状において、我々のうち最も急進的な人たちが、いかなる方面にその『自己』を主張しているかはすでに読者の知るごとくである。じつに彼らは、抑えても抑えても抑えきれぬ自己その者の圧迫に堪えかねて、彼らの入れられている箱の最も板の薄い処、もしくは空隙(現代社会組織の欠陥)に向ってまったく盲目的に突進している。

 今日の小説や詩や歌のほとんどすべてが女郎買
(じょろうがい)、淫売買、ないし野合、姦通の記録であるのはけっして偶然ではない。しかも我々の父兄にはこれを攻撃する権利はないのである。なぜなれば、すべてこれらは国法によって公認、もしくはなかば公認されているところではないか。」
「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,pp.117-118.



 “過剰人口”の累積に対応して、時代閉塞の中で圧迫された「青年」たちは、まさにその「空隙」に向かって、ゆがめられた自己実現を求めて行きます。「女郎買い」や「野合」
(※)が盛行しただけでなく、その影響は、「今日の小説や詩や歌」にも顕著に現れてきます。


註※ 啄木は触れていませんが、当時、明治末から大正にかけて、街頭での同性性交(おもに富裕家の子弟が貧民の少年を買う)も盛んでした。これについては、別稿で詳しく書く予定です。


 帝国主義→過剰人口→欲望の捌け口→文化の矮小化 という、このつながり全体が、《国家》の意図した政策だったと言わなければなりません。文学・文化から、その依って来るところを突き詰めていけば、《国家》に至るのです。

 文学・文化については、さらに、一種の復古趣味の盛行も、こうした“欲望の捌け口”としての文化の一部だと、啄木は見ていました:



「そうしてまた我々の一部は、『未来』を奪われたる現状に対して、不思議なる方法によってその敬意と服従とを表している。元禄時代に対する回顧がそれである。見よ、彼らの亡国的感情が、その祖先が一度遭遇した時代閉塞の状態に対する同感と思慕とによって、いかに遺憾なくその美しさを発揮しているかを。」

「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,p.108.



 元禄時代への復古と愛好は、過去の「時代閉塞の状態」を美化して、現状の『時代閉塞』を肯定し馴れ親しむように「我々」を仕向けている。啄木は、そう理解するのです。



「かくて今や我々青年は、この自滅の状態から脱出するために、ついにその『敵』の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。
〔…〕我々はいっせいに起ってまずこの時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ。自然主義を捨て、盲目的反抗と元禄の回顧とを罷(や)めて全精神を明日の考察――我々自身の時代に対する組織的考察に傾注しなければならぬのである。」
「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,p.118.



 「敵」とは何か? ‥‥「我々」を囲繞する『時代閉塞』を突き詰めて透視した向うには、「敵」の存在が見えるにちがいない。それを――啄木の結論を先取りして言えば、「敵」とは《国家》にほかなりません。







旧・本郷区森川町 鐙(あぶみ)坂
坂の上に金田一京助旧宅がある。






 【14】《国家》への視線―――最初のオピニオン・リーダー



「明日の考察! これじつに我々が今日においてなすべき唯一である、そうしてまたすべてである。」

「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,p.118.



 前節(四)で、啄木は、『時代閉塞』の外的な諸状況を描きました。そこでは、大陸権益が、“遠い”政治問題ではなく、「青年」たちが日々ぶつかる身近な問題、そして文学と文化の問題を中心にすえていました。

 そして、本節(五)においては、こうした閉塞状況に対し、高山樗牛以来の著者たち――オピニオン・リーダー、および彼らをむさぼり読んだ青年たちが、いかに紆余曲折しつつ格闘してきたかを回顧します。そして、「今日」の「我々」が、どうしたらよいのかを攻究するのです。



「けだし、我々明治の青年が、
〔…〕青年自体の権利を認識し、自発的に自己を主張し始めたのは、誰も知るごとく、日清戦争の結果によって国民全体がその国民的自覚の勃興を示してから間もなくの事であった。〔…〕樗牛の個人主義がすなわちその第一声であった。(そうしてその際においても、我々はまだかの既成強権に対して第二者たる意識を持ちえなかった。樗牛〔…〕、その日蓮論の中に彼の主義対既成強権の圧制結婚を企てている)」
「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,p.119.



 最初に「青年」たちを熱狂させたのは高山樗牛でしたが、樗牛の思想は、一時は彼らの心を強くとらえたものの、その死(1902年)とともに、影響は急速に醒めていきました。啄木によれば、樗牛のどんな点が不足だったのでしょうか?「既成強権」に正面から対峙するに至らなかったのは、なぜなのか?



樗牛の思想展開は、通常、3期に区分される。

      
〔…〕

 第1期が浪漫主義、第2期が日本主義、第3期
〔1901.1.〜1902.12.:結核入院から死去までの約2年間――ギトン注〕が個人主義の時代と評される。この第3期に、ニーチェの個人主義の讃嘆と並行して、日蓮の人格崇拝というべき態度を表明し、日蓮主義〔還俗僧田中智学が創始した日蓮宗の国粋主義的政治運動――ギトン注〕に傾倒するのである。」
大谷栄一『日蓮主義とはなんだったのか』,2019,講談社,p.104.



 樗牛の「個人主義」は、ニーチェの“超人思想”に触発されたものでしたけれども、他面で、この時期の樗牛は、国家主義的傾向の強い「日蓮主義」と結んでいました。1901年1月に雑誌『太陽』に寄稿して、ニーチェ讃美を表明したあと、その年8月には、ニーチェと並んで日蓮をも讃美します。10月には田中智学の教団を突然訪問して、丁重に交誼を申し出ます。教団のほうでは、世をときめくオピニオン・リーダーから、いきなり共闘を申し込まれて、棚からボタモチのような歓喜に沸きました。

 以後、樗牛は、結核で没するまでのあいだ、精力的に日蓮研究を進め、次々に論文を発表しています。



「同年8月、樗牛は問題作『美的生活を論ず』を発表する。『幸福とは何ぞや、
〔…〕本能の満足即ち是のみ。本能とは何ぞや、人性本然の要求是也。人性本然の要求を満足せしむるもの、茲に是を美的生活と云ふ』と、高らかに宣言する。性欲や恋愛を積極的に肯定し、国木田独歩、島崎藤村、田山花袋、正宗白鳥らの自然主義を先取りした主張を行なう。」
大谷栄一『日蓮主義とはなんだったのか』,2019,講談社,pp.104,109-110.



 ここで言う「自然主義」とは、性と欲望の肯定などに局限された日本的な《自然主義》です(⇒:『時代閉塞の現状』(4)【10】《自然主義》文学――ヨーロッパと日本)。ゾラの自然主義のような自然科学的な側面は切り落とされています。しかも、樗牛が唱えた初期の日本的「自然主義」は、客観的・傍観者的な側面もまだなく、主体的・自己主張的に人間「本然の」欲望を肯定し讃美しました。啄木がかつて影響を受けたのは、まさにこの局面の樗牛であり、「自然主義」だったのです。






 






「こうした本能の讃美と並んで強調されるのが、天才への讃美である。
〔…〕

 『我は天才の出現を望む。嗚呼日蓮の如き、奈破翁一世
〔ナポレオン1世――ギトン注〕の如き、詩人バイロンの如き、大聖仏陀の如き、〔…〕吾輩はゲーテや、バイロンや、ハイネや、日蓮や、一世奈破翁を歎美するのと同じ様にニイチェを歎美する者である』という、すなわち、日蓮はニーチェと並ぶ天才のひとりとして捉えられている。〔…〕

 このように本能や天才を強調する樗牛の個人主義の重要な特徴は
〔…〕『自省的内面主義』にある。『王国は常に爾(なんじ)の胸に在り』や『自分は、社会や国家の中に存在して居らぬ、社会や国家が却て自分の中に存在して居る』のように、主観主義的な姿勢を言明している。」
大谷栄一『日蓮主義とはなんだったのか』,2019,講談社,pp.110-111.



 つまり、こうした主観的内面主義、観念的思惟のなかで“国家”を超越してしまう点に、樗牛の思想の特質がありました(この点は、田中智学の「日蓮主義」とは、かなり違います)。

 樗牛によれば、日蓮は、諸国の神々をも為政者をもはるかに超越した存在だったとされる。そして、当代の日本の君主執権(天皇と北条執権)などは、ちっぽけな「小嶋の主(ぬし)」にすぎないと軽んじていたし、天照大神はじめ日本の神々すべてを「小神」として卑しめていた、と述べるのです。

 「地上の権力」に対して、「人間霊性の独立、自由、栄光、威厳」を強調し、日蓮もまた、現実の天皇と執権に「身は従い奉るとも、心は従うべからず」と表明していた(日蓮『選時抄』)と語ります。現実の国家権力に優越する宗教の精神的権威とともに、人間精神の権力からの「独立」と「自由」を称揚しているようでもあり、ここには、日蓮を超えて、ニーチェ的個人主義の反響があります。



「『国家的宗教と云ふが如き名目の下に
〔…〕昌栄を誇らむとする宗教は見苦しき哉。人よ何ぞ言ひ得ざる、我が教は地上の一切の権力を超越すと。』

 樗牛は、国家と結びつく宗教のありかたを明確に批判するのである。

     
〔…〕

 『一、日蓮は今日の所謂忠君愛国主義に反対せり
  一、日蓮の説を以て国家主義と呼ぶことは可也、然れどもそは全く理想上の意味に解すべし。今日の所謂国家主義とは相容れず』」

大谷栄一『日蓮主義とはなんだったのか』,2019,講談社,pp.113-115.



 樗牛によれば、日蓮は、《元寇》のさいにも、現実の日本国家が滅亡することなど全く意に介しなかった、国家主義者の基準でいえば「大不忠漢」だったと、彼は言い放つのです。



 しかしながら、‥以上を総合してみると、樗牛“国家”を超越していたのは、“宗教”という一点においてだけだった、と言ってもよいと思います。彼の考察は、きわめて「局限的」なものでした。

 『時代閉塞』にある「今日」の「青年」のまわりには、さまざまな『既成』の桎梏があって、行く手をふさいでいるのに、樗牛が具体的に解明してくれるのは、そのうち“宗教”という一点だけなのです。

 しかも、樗牛の議論は、いつもきわめて抽象的です。「天才」讃美にしても、古今東西の種々さまざまの偉人の名を挙げて、「偉大なる精神」「私は歎美する」などと言うだけです。いったい誰のどこが偉いのか?‥けっきょくその内容は、読者としては、「伝習」的に言われてきたことを、なぞるほかはないのです:



樗牛の個人主義の破滅の原因は、かの思想それ自身の中にあったことはいうまでもない。

 すなわち彼には、人間の偉大に関する伝習的迷信がきわめて多量に含まれていたとともに、いっさいの『既成』と青年との間の関係に対する理解がはるかに局限的(日露戦争以前における日本人の精神的活動があらゆる方面において局限的であったごとく)であった。」

「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,p.119.



「そうしてその思想が魔語のごとく
〔…〕当時の青年を動かしたにもかかわらず、彼が未来の一設計者たるニイチェから分れて、その迷信の偶像を日蓮という過去の人間に発見した時、『未来の権利』たる青年の心は、彼の永眠を待つまでもなく、早くすでに彼を離れ始めたのである。

 この失敗は何を我々に語っているか。いっさいの『既成』をそのままにしておいて、その中に自力をもって我々が我々の天地を新
(あらた)に建設するということはまったく不可能だということである。」
「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,p.119-120.



 この“最初”の経験から啄木が得た教訓は、つぎのようなことでした:

 宗教、政治、習慣、教育、‥‥と、さまざまな『既成』のものに取り囲まれたなかで、それら『既成』のものに対して改革を挑むことも戦うこともなく、そこに安住した状態では、「我々」が「自力をもって……我々の天地を新たに建設する」ことは、およそ不可能だということです。






 
  






 【15】《国家》への視線―――《民衆》の自己省察



「かくて我々は期せずして第二の経験――宗教的欲求の時代に移った。それはその当時においては前者の反動として認められた。個人意識の勃興がおのずからその跳梁に堪えられなくなったのだと批評された。しかしそれは正鵠を得ていない。

 なぜなればそこにはただ方法と目的の場所との差違があるのみである。自力によって既成の中に自己を主張せんとしたのが、他力によって既成のほかに同じことをなさんとしたまでである。

 そうしてこの第二の経験もみごとに失敗した。我々は彼の純粋にてかつ美しき感情をもって語られた梁川の異常なる宗教的実験の報告を読んで、その遠神清浄なる心境に対してかぎりなき希求憧憬の情を走らせながらも、またつねに、彼が一個の肺病患者であるという事実を忘れなかった。いつからとなく我々の心にまぎれこんでいた『科学』の石の重みは、ついに我々をして九皐の天に飛翔することを許さなかったのである。」

「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,p.120.


 綱島梁川(つなしま・りょうせん 1873-1907)は、文芸評論家として活動する一方で、プロテスタント信仰に傾倒し、正統信仰よりも神秘主義の傾向に向かいました。

 肺結核の病床から 1905年に発表した『余の見神の実験』は大きな反響を呼んだといいます。啄木も、「秋風記・綱島梁川氏を弔う」という追悼文を書いています(『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十編』,岩波文庫,pp.31f.)

 “神を見る実験”という、科学の装いをこらした神秘主義や、著者の「清浄なる心境」に魅せられながらも、啄木はじめ多くの読者は、科学を捨てることはできず、けっきょく梁川の「実験」を信じることはできなかったのです。

 この第2の経験から得られた教訓は、何だったでしょうか?

 最初の“樗牛ブーム”では、『既成』の環境をそのままにして、その中で「自力」で「我々の天地を新たに建設」しようとして失敗しました。

 それに対して、第2の“梁川ブーム”では、『既成』の環境をまったく無視して、その圏外へ出て、いわば隠者のすみかのような場所にひきこもって、“現実”の外の世界に救いを求めようとした。「神」を見ること、「神」の存在を確信することに、救いのすべてがあるのですから、これは「自力」ではなく「他力」です。


「自力によって既成の中に自己を主張せんとしたのが、他力によって既成のほかに同じことをなさんとした」


 したがって、第2の経験から帰納される教訓とは、「他力」を求め、『既成』の外に解決を求めても、やはりだめだということです。






「第三の経験はいうまでもなく純粋自然主義との結合時代である。この時代には、前の時代において我々の敵であった科学はかえって我々の味方であった。そうしてこの経験は、前の二つの経験にも増して重大なる教訓を我々に与えている。それはほかではない。『いっさいの美しき理想は皆虚偽である!』」

「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,p.108.



 “梁川ブーム”が去ったあとは、その反動で、科学の方向に向かいます。“自己否定”の科学的・客観的・現状肯定的な《純粋自然主義》と手を結んで、いわば“呉越同舟”、雑居したのですが、啄木は、《純粋自然主義》から学んだことは、たったひとつしかないと言います。

 それは、


「事実のみを観察し、『真実』を描くために、あらゆる美化を否定する」


 ということ。たしかにこれは、ヨーロッパでも日本でも、《自然主義》文学運動の重要な主張のひとつでした(⇒:『時代閉塞の現状』(4)【10】《自然主義》文学―――ヨーロッパと日本)



「かくて我々の今後の方針は、以上三次の経験によってほぼ限定されているのである。すなわち我々の理想はもはや『善』や『美』に対する空想であるわけはない。いっさいの空想を峻拒して、そこに残るただ一つの真実――『必要』! これじつに我々が未来に向って求むべきいっさいである。我々は今最も厳密に、大胆に、自由に『今日』を研究して、そこに我々自身にとっての『明日』の必要を発見しなければならぬ。必要は最も確実なる理想である。

 さらに、すでに我々が我々の理想を発見した時において、それをいかにしていかなるところに求むべきか。『既成』の内にか。外にか。『既成』をそのままにしてか、しないでか。あるいはまた自力によってか、他力によってか、それはもういうまでもない。今日の我々は過去の我々ではないのである。したがって過去における失敗をふたたびするはずはないのである。」

「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,p.120-121.













 発見すべき「理想」とは、どんなものか。啄木は、読者に対する問いかけの形でしか、それを言っていませんが、これまでの行論からすれば答えは明らかです:



『既成』の内にか。外にか。」⇒ 内に。すなわち、現実の社会の中で。

『既成』をそのままにしてか、しないでか。」⇒ そのままにしないで。すなわち、改革を挑んで戦う。

「自力によってか、他力によってか、」⇒ 自力によって。「神」や「天才」の力をあてにするのではなく。



 現実の社会の中で、「強権」に抗して、『既成』のものを改革し、「神」や「天才」によらない「自力」で建設され維持される「我々の天地」という「理想」。

 そこにおいて、啄木が強調する『必要』「『明日』の必要」とは、何を意味するのか? ―――これが最後に問題になります。

 “社会変革の必然性”といったものだろうか? ユートピア的なマルクス主義者も、“科学的社会主義”の信奉者も、それを強調します。しかし、啄木の時代には、そうした理論は、まだ日本には入って来ていませんでした。しかも、これまでに何度もアンダーラインを引いてきたように、啄木の精神志向は、全体として、科学や“法則”といったものに対して否定的なのです。“梁川ブーム”のなかで、超越者への帰依に完全には同調できない、同調するには「科学」への信頼を捨てきれない啄木でしたが、その後、科学を万能の旗印とする《純粋自然主義》に対しても、同調できませんでした。

 啄木の言う『必要』とは、自然科学でも、社会科学でもなく、もっと主観的なものだと考えなければならない。

 ……とすると: 私たちは、どうしたいか? どうありたいか?―――といった、いわば本源からの欲求のようなものが、考えられてきます。しかし、啄木は、“本能”の満足のみを求める「盲目的」な「自己主張」は、“国家”の隠された意図を実現して、『時代閉塞』の状態を強化することにしかならない、と述べていました。資本主義化の政策によって生み出され公認された「売淫婦」、貧困な“過剰人口”を維持し、あるいは、過去の『時代閉塞』の時代を回顧し肯定する文化を生み出すだけだ、といいます。

 したがって、『必要』とは、“本能”そのままの肯定ではない。むしろ、“本源からの欲求”を意識しつつ、広く歴史と社会を見わたした想像力の中で、いかなる「理想」が欲求されるのか、‥私たちは、どうありたいのか? ―――そうしたことが、探られていかねばならない。。。

 こうして私たちは、



必要は最も確実なる理想である。



 という啄木の言葉を、最後にもう一度噛みしめたいと思います。








【必読書150】石川啄木『時代閉塞の現状』―――終り。  






ばいみ〜 ミ




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カテゴリ: 必読書150

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