ギトンのあ〜いえばこーゆー記

2015.3.11.〜  
  
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14:34

【宮沢賢治】「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(3)

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 こんばんは (º.-)☆ノ









 「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(1)
 「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(2)

 からのつづきです。






 【7】「そらのバリカン」と「火薬」




 サハリン旅行後、「不貪欲戒」から「火薬と紙幣」までの心象スケッチ詩を通覧して、“近代化”と“帝国”をめぐる賢治の同時代観、とりわけ《震災》の衝撃によるその変容を、前回にひきつづいて見ていきます。

 9月30日付の「第四梯形」では、空からバリカンが降りてきて、「七つ森」の樹木と植被を削り取ってしまう光景――もちろん現実ではありません――が描かれます。そして、作者の眼は、削られた野原と裸地の惨状に、とりわけ注がれるのです:



「あやしいそらのバリカンは
 白い雲からおりて来て
 早くも七つ森第一梯形の
 松と雑木
(ざふぎ)を刈りおとし
 野原がうめばちさうや山羊の乳や

    沃度の匂で荒れて大へんかなしいとき
    汽車の進行ははやくなり
    ぬれた赤い崖や何かといつしよに

 七つ森第二梯形の
 新鮮な地被
(ちひ)が刈り払はれ
      
〔…〕
『春と修羅』「第四梯形」より。

 1行空けの段落は引用者




 作者は、刈られた樹々や「うめばちそう」や、傷ついた丘の地肌から滲み出た「山羊の乳」とともに泣いているのです。この詩では、作者はもはや、空から「バリカン」を降ろして来る勢力の側、強引に開発を進め“近代化”と“帝国”の発展を推進する人びとの側には、立っていません。













 「第四梯形」の次に置かれているのが、「火薬と紙幣」です。今度は【初版本】テクストの形で引用しましょう。



「鳥は一ぺんに飛びあがつて
 ラツグの音譜をばら撒きだ

      
〔…〕

 鳥はまた一つまみ、空からばら撒かれ
 一ぺんつめたい雲の下で展開し
 こんどは巧に引力の法則をつかつて
 遠いギリヤークの電線にあつまる

    赤い碍子のうへにゐる
    そのきのどくなすゞめども
    口笛を吹きまた新らしい濃い空気を吸へば
    たれでもみんなきのどくになる

 森はどれも群青に泣いてゐるし
 松林なら地被もところどころ剥げて
 酸性土壌ももう十月になつたのだ

    私の着物もすつかり thread-bare
    その陰影のなかから
    逞ましい向ふの土方がくしやみをする

      
〔…〕
『春と修羅』「火薬と紙幣」【初版本】

 1行空けの段落は引用者



 「鳥」つまり「すゞめども」は、一斉に飛び上がって、ラグタイムの音符🎶♬のように散って行ったかと思うと、また一斉に降りてきて、今度は放物線の弧を描きながら、「遠いギリヤークの電線にあつまる」と描写されています。


∇ 参考記事(ラグタイム)⇒:
《ゆらぐ蜉蝣文字》8.8.2






 スズメの集まった電線を「ギリヤークの電線」と呼んだのは、遠いところにある電線だからでしょうか? たしかに、賢治が夏のサハリン旅行で到達したのは、樺太鉄道の終点「栄浜」までで、「ギリヤーク」の住地は、そこよりもさらに北方にありますから、「ギリヤーク」は、作者の手の届かない「遠い」場所ということになります。

 しかし、これにはやや疑問もあります。「赤い碍子」とあるからです。当時の送電線で、赤い碍子が付いているのは、高所に張られた高圧電線なのだそうです。もし、それがまちがいないとすれば、「ギリヤークの電線」は、水平に「遠い」のではなく、垂直に「遠い」、つまり作者のはるか頭上にあることになります。

 また、ただ単に「遠い」というだけだと、そこにいる「すゞめども」が、なぜ「きのどく」なのか、分からなくなります。

 「口笛を吹きまた新らしい濃い空気を吸へば/たれでもみんなきのどくになる」とありますから、この「きのどく」さは、秋の「つめたい」風景と関係があるようです。その後を見ると:



「森はどれも群青に泣いてゐるし
 松林なら地被もところどころ剥げて
 酸性土壌ももう十月になつたのだ」



 「酸性土壌」は、松林が剥げて露出した裸地を指しているようにも見えますが、それよりも、日本の特徴的な水田土壌、つまり、水田を指していると考えたほうが適当かもしれません。「酸性土壌」が「十月になつた」とは、稲田が収穫期を迎えたということでしょう。しかも「酸性土壌」という言い方は、稔り、豊作とは逆のイメージ……つまり、耕作には苦労が多く、それでいて良い収穫は期待できないことを意味していると思われます。

 泣きぬれたような「群青」色に沈む「森」、ところどころ剥げて土が露出した「松林」といった風景が、そういった悲哀のイメージを強めています。

 また、「第四梯形」で、丘の樹々が削られた痛々しい惨状が書かれていたこととの関係で言えば、崖崩れで酸性土壌を露出させた松の疎林は、“近代化”によって破壊され、荒廃してしまった風景を表しています。『春と修羅』収録詩「樺太鉄道」を見ると、賢治はサハリンでも、“近代化”の洗礼によって荒廃した野山を見てきたことがわかります。






 






 しかし、それにしても、なぜスズメたちが、「きのどく」なのでしょうか?

 ひとつの考え方は、この鳥たちに、作者は、惨めな収穫しか手にできない農民、なかんずく小作農民を見ている‥‥そういうゆるやかな比喩、ないしアレゴリーを読みとることです。遠い電線から、遠巻きに稲田を見つめている「すゞめども」は、収穫した米の大部分を小作料にとられてしまい、自分ではほとんど食べることができない小作農民の境遇を思わせます。

 しかし、彼らのいる電線は、なぜ「ギリヤークの電線」なのか? 賢治は、“帝国”の最も辺境にいる先住民「ギリヤーク」と、東北の小作農民を重ね合わせているのではないでしょうか?

 考えてみれば、「電線」は、めざましい“近代化”の象徴として見られるものです。当時、じっさいには岩手県でも電気が届いている村はそれほど多くはありませんでした。口語詩〔もう二三べん〕は、花巻近郊の村に電気を引く工事のさいのトラブルを描いていますが、作品番号も日付もないことから 1927年以後の作と考えられます。つまり、東北本線沿線の都市近郊の村ですら、1927年以後まで電気が来ていなかったのです。そのくらいですから、サハリンのギリヤークの村には、電線はなかったでしょう。

 それでも「ギリヤークの電線」が登場するのは、“近代化”と辺境の先住民との関係、また“近代化”と東北の小作農民の関係を、示したいからではないでしょうか?

 サハリン旅行の往路の詩に、「宗谷挽歌」があります。稚内と樺太を結ぶ連絡船が、サハリン南端の大泊(コルサコフ)に向けて、稚内港を出てゆくところです。



「船は間もなく出るだらう。
 稚内の電燈は一列とまり
 その灯の影は水にうつらない。

   潮風と霧にしめった舷に
   その影は年老ったしっかりした船員だ。
   私をあやしんで立ってゐる。

      
〔…〕

 『あすこに見えますのは燈台ですか。』
 『いゝえ、あれは発火信号です。』
 『さうですか。』
 『うしろの方には軍艦も居ますがね、
 あちこち挨拶して出るとこです。』
 
     
〔…〕
『春と修羅・第1集補遺』「宗谷挽歌」より。

 1行空けの段落は引用者



 当時、日本軍は《シベリア出兵》の延長で、ロシア領のサハリン島北部を占領していました。出兵とそれに対する現地のパルチザンとの衝突で3年前に起きた《尼港事件》の賠償を、モスクワの共産党政府に要求するため、という名目です。じっさいには、北サハリンの資源、とくに石油がめあてだったようです。

 稚内港に軍艦がいたのも、北サハリン占領を援護するためです。また、連絡船の「船員」(船長らしい)が、甲板にいる賢治を「あやしんで」じっと見ているのは、旅行者の中にスパイがひそんでいないかどうか、警戒しているのでしょう。当時、植民地樺太は緊張したふんいきが支配していました。

 樺太の開発が、軍事力に掩護された植民地進出そのものであることは、旅行者である賢治にもはっきりと感じられたのです。


∇ 参考記事⇒:
【シベリア派兵史】派兵過程――1920年初めまで



 “帝国”の“近代化”によって、電線と電柱の列は、はるか北方へ延びて行きます。「ベーリング市までつづくとおもはれる」(「一本木野」)電柱列の果てにあるのが「ギリヤーク」。そこには、先住民もいれば、活路を求めて移住した日本の開拓民もいるでしょう。彼らが「きのどく」に思われるのは、“近代化”の波が彼らにも押し寄せていて、ともすれば呑み込まれそうに見えるからです。













「私の着物もすつかり thread-bare
 その陰影のなかから
 逞ましい向ふの土方がくしやみをする」


 「thread-bare(スレッド・ベア)」つまり、擦り切れた服を着ている自分も、「地被もところどころ剥げ」た「松林」のイメージと呼応しています。つまり、風景と一体化することによって、「ギリヤーク」「すゞめども」と同じ立場に身をおこうとしています。

 「逞ましい向ふの土方」は、「保線小屋」の中にいる「四面体聚形」の「工夫」のこと。「くしやみをする」とは、どういうことでしょうか? なにか意味があるのでしょうか?

 賢治詩には、ときどき、こういう「くしゃみ」や「せきばらい」が書き込まれます。風景から、あるいは植物のようなモノから、しかもいきなり脈絡なく降ってくるような感じで聞こえるのです。



「(こんどは風が
  みんなのがやがやしたはなし声にきこえ
  うしろの遠い山の下からは
  好摩の冬の青ぞらから落ちてきたやうな
  すきとほつた大きなせきばらひがする
  これはサガレンの古くからの誰かだ)」

『春と修羅』「鈴谷平原」より。

 1行空けの段落は引用者



「かはばたで鳥もゐないし

 (われわれのしよふ燕麦
(オート)の種子(たね)は)

 風の中からせきばらひ
 おきなぐさは伴奏をつゞけ
 光のなかの二人の子」

『春と修羅』「かはばた」

 1行空けの段落は引用者



 なにか意味がありそうです。そもそも、人のする「くしゃみ」や「せきばらい」というものが、何か――異議の申立てとか、叱責とか――を伝えるためにしているのか、それとも意味のないただの生理現象なのか、聞いているほうにはよくわからない点があります。思うに、賢治詩の場合のそれらは、“他者”がそれとなく自らの存在を主張する声(音)なのだと思います。狭い自我に没入していた作者は、それを聞いて、“他者”の存在に気づかされるのです。

 作者が聞いた「くしゃみ」「せきばらい」は、場合によっては作者自身がしたのかもしれません。それでも、作者にはそれは“他者”から投げかけられた声として受けとられるのです。そして、作者は、自我への没入から解放されます。その結果、「鈴谷平原」の場合には、サハリンという異郷の自然と先住民の生活世界、そこに住まう“意思あるもの”の存在、作者の生きてきた世界をはるかに超える広く巨きな世界の存在に気づくのです。

 ここ、「火薬と紙幣」の鉄道工夫の場合には、極寒の北方のように風景を見、雲を「氷山」と見、「すゞめども」の境遇に同情し、ひたすら愁いに浸りきっていた作者に対して、「その陰影のなかから」、たくましい体つきの工夫が「くしゃみ」をするのです。‥なにか、軽いユーモアが感じられないでしょうか?

 「おまえさん、なにを深刻そうにしているんだね? 文士さまのお悩みかね?」と、軽く揶揄する工夫の声が聞こえてきそうな気さえします。

 夏のサハリン旅行が、“帝国”の膨張とその向うの先住民、広大な大地の存在を印象づけ、《震災》が“近代化”と開発に対する反省を促したのは事実でした。しかし、賢治はそれをきまじめに告発するのでも、諦念と悲哀に流しこんでしまうのでもなく、ユーモアとモダニズムの軽快な風景のなかに受けとめようとしているのではないでしょうか?

 この場合に限らず、一般に、正面からの告発というものは、告発者を告発の対象にもまさる権威に寄らせてしまい、よりいっそうの統制と抑圧を主張させることとなる、そういうパラドキシカルな事態が、しばしば避けられません。とりわけ、戦前の日本では、国家主義、権威主義に傾きがちな思潮が支配していましたから、そうなりやすかったと言えます。そこで、賢治は、あえて正面から対応するよりも、むしろやや斜
(はす)に構えた態度で、自分の進む方向を選びとろうとしているのではないか―――そう思えるのです。






 






 【8】モダニズム





「古枕木を灼いてこさえた
 黒い保線小屋の秋の中では
 四面体聚形の一人の工夫が
 米国風のブリキの缶で
 たしかメリケン粉を捏ねてゐる」



 たしかに鉄道は、めざましい“近代化”を象徴しています。しかし、ここでは、どこまでもつづいて行く線路は直接言及されず、「古枕木を灼いてこさえた/黒い保線小屋の秋」という、もっとじみな、しっとりとした風景が描かれています。そこにいる「四面体聚形」の「工夫」も、“近代化”を推し進める地位にいるわけではなく、そこで働く労働者です。それでも、農民とは違って鉄道に雇われているというだけで、どこか時代の流れに乗っかったモダンな職業ではあったでしょう。その「四面体聚形」も、単に「逞しい」というだけでなく、キュビスムを思わせる時代の最先端のイメージでとらえられています。「米国風のブリキの缶」で捏ねている「メリケン粉」……質素な食事ではあっても、やはりアメリカ風のモダンなイメージです。

 この詩の中で、この保線工夫の存在は重要です。「ギリヤーク」の電線にいる「きのどく」な「すゞめ」たちを、モダニズムの風景のなかに受け止める役割をしているからです。

 「黒い保線小屋」の風景は、ところどころ剥げた松林や、作者の擦りきれた衣装とともに、“近代化”が早くも古ぼけはじめたことを印象づけていますが、それらは、モダニズムの風物とほどよく調和しています。

 「すゞめ」の散開を音符にたとえた“ラグタイム”の軽快なリズムとともに、モダニズムの風景が快活なふんいきを高め、「栗」の「モザイック」「ブリキ細工のやなぎの葉」「堅い黄いろなまるめろ」といった、作者お気に入りのオブジェで彩られた終結部へと導入しているのです。

 【印刷用原稿】の最終行にあった「ピアノのレコード」も、やはりモダニズムを象徴する物のひとつでしょう。






「栗の梢のモザイツクと
 鉄葉細工
(ぶりきざいく)のやなぎの葉
 水のそばでは堅い黄いろなまるめろが
 枝も裂けるまで実つてゐる

    (こんどばら撒いてしまったら……
     ふん、ちゃうど四十雀のやうに)

 雲が縮れてぎらぎら光るとき
 大きな帽子をかぶつて
 野原をおほびらにあるけたら
 おれはそのほかにもうなんにもいらない
 火薬も燐も大きな紙幣もほしくない」

『春と修羅』「火薬と紙幣」【初版本】

 1行空けの段落は引用者



 水のそばを歩いて、お気に入りのオブジェを見つけ、快活になった作者は、「(こんどばら撒いてしまったら……/ふん、ちゃうど四十雀のやうに)」という独白で、「不貪欲戒」のシジュウカラに「いましつかりした執政官だ」と胸を張ったことを思い出し、“近代化”の側に、いったん戻りかけています。

 しかし、けっきょく作者は、《震災》以前の矜持に戻ってしまうことはなく、「雲が縮れて」以下の本文では、むしろ「火薬」「燐」「大きな紙幣」――これらの、経済近代化を進める“帝国”の力とは訣別し、田園風景のなかに自分の進むべき方向を見いだそうとしているのです。

 「火薬」は、鉄道建設や鉱山開発に使われますが、また、戦争をも連想させます。「燐」はマッチの原料です。近代化で便利になった経済生活の象徴でしょう
。「紙幣」は、文字どおり、近代化によって簇生した資産家と、農村を呑み込む商品化の波、そして、ちからづく、カネづくの海外進出を表します。

【註★】宮沢賢治の用例から見ると、「燐」は「燐光」の形で多く現れ、神秘的・宗教的なふんいきをもち、また、クラゲのような無定形で淫猥な生命にも通じる。その脈絡で「火薬と紙幣」の「燐」を研究した人は、まだいないようですが、『サガレンと八月』の「くらげ」との関係は注目されます。



 この詩で賢治がモダニズムを強調しているのは、近代化の行き詰まりに対する“帝国”の対応―――震災後の引き締め強化の風潮―――への反発なのかもしれません。「第四梯形」の「そらのバリカン」で隠喩されていた権威的、抑圧的な《震災》後の大方の方向に対して、賢治は、別の道を模索しているのだと思います。

 もっとも、そうは言っても、“近代化”あってのモダニズム。モダンな趣味にはお金がかかります。この詩の【印刷用原稿】の最後の行で、「ピアノのレコードだってあきらめてあきらめられなくない。」と、苦しい弁解(?)をしてましたよねw。賢治は、自分のモダニズムの矛盾にも気づいていたんだと思います。それでも、レコードも前衛絵画もあきらめて、ひたすら刻苦勉励せよと言うんでは、農村の生活は決して楽しくはなりません。そこで、『春と修羅』以後の賢治は、労働すなわち喜びであるような生活を理想としたのだと思います。

 それをじっさいに、誰でもできるような現実のものにするのは、なかなか難しいことです。『羅須地人協会』などの賢治の試みは、うまくいかなくて、最後は挫折したようなかっこうで店終いすることとなったわけです。

 それはまだ先の話ですが、『春と修羅』をまとめる前の、1923年の段階では、“引き締め”ではない、もっと「快く歓びにみちた」解決の方向はないかと、賢治は模索していた。そのことを、いまは押さえておきたいと思います。













 『春と修羅・第2集』に、つぎのような詩があります。



「青い泉と、
 たくさんの廃屋をもつ、
 その南の三日月形の村では
 教師あがりの種屋など置いてやりたくないといふ

   …………風のあかりと
     草の実の雨……

 ひるもはだしで酒を呑み
 瑪瑙のやうに眼をうるませた人たちが
 おまへなんぞはいらないといふて  
〔下線部抹消〕

 としよりたちがさう云った」

#378「住居」1925.9.10.〔下書稿(二)手入れ〕

 1行空けの段落は引用者



 花や作物の種子を分けてやろうとして行ったら、村人からニベもなく拒絶された体験と思われますが、この下書原稿の裏に、ベートーヴェンの「第9交響曲」を聴きながら記したらしい単語のメモが、たくさん書きなぐってあります。

 書かれている単語で、多いのは、「Beethoven」が2回、「Sondern」が5回。

 「Sondern(ゾンダーン)」は、英語の not ..., but の but にあたる、「……ではなくて、なになに」の意味のドイツ語ですが、「第9」の「歓喜の歌」の歌いだしのテノールのアリア↓の一部と思われます。「喜びよ、神々の美しき火花よ」以下が「歓喜の歌」です。


「おお友らよ、この調べではなく!
 そうではなく(Sondern) もっと快い
 喜びにみちた歌を始めようじゃないか。
 喜びよ!喜びよ!

 喜びよ、神々の美しき火花よ、
 至福の園の娘よ、...」



 つまり、『羅須地人協会』時代の賢治は、周囲の無理解と戦いながら、


「そうじゃない! そうではなくて、もっと快い、もっと喜びにみちた生活を、労働をしようじゃないか!」


 と、いつも念じていたのだと思います。








ばいみ〜 ミ



 
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カテゴリ: 宮沢賢治

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