07/14の日記

11:56
【ユーラシア】『哲学の貧困』ノート(1)

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ギュスタヴ・クールベ「プルードンと子供たち」  







 こんばんは。(º.-)☆ノ




 マルクス著『哲学の貧困――プルードン氏の「貧困の哲学」への回答』は、プルードン『貧困の哲学』(1846)に対する批判の書として 1847年にフランス語で公刊された。

 しかし、公刊の数か月前にマルクスはプルードンに、『正義者同盟』――『共産主義者同盟』の前身――への参加を要請して断られている。プルードンは、その返信のなかで、「運動の最前線にいるからといって、新たな不寛容の指導者になるのはやめましょう」と忠告している。また、プルードンの「連合 assotiation」社会主義構想は、後年に至るまでマルクスに深い影響を及ぼし続けたと言われている。

 じっさい、マルクスは『哲学の貧困』の前書き(47年6月15日付)で、



「プルードン氏は、不幸なことに、奇妙に誤解されている。」



 と述べてプルードンを擁護し、この著は、プルードンに対する誤解に抗議し、むしろ「ドイツ哲学を批判し、それと同時に経済学の概要を提示すること」を目的として書いたと断っている。また本文中で、プルードンには常に敬称「ムッシュー」を付している。「前書き」は、次のように締めくくられる:



「プルードン氏の著作は
〔…〕通常の書物ではない。それは聖書のごときテクストである。〔…〕読者も私たちとともに『創世記』の無味乾燥で謎めいた学識につきあう覚悟を決めなくてはならない。その後で、プルードン氏とともに『超-社会主義』の霊感にみちた沃野へ飛翔すればよいのだ。」



 マルクスは、プルードンの思想のある部分に共感して『同盟』に誘ったが、断られたので、怨恨のあまり近著への激烈批判を書いたが、もともと共感していたせいで、口調では批判しながら中身は批判になっていないようなものができあがってしまった。それと、フランスで権威の高いプルードンを誹謗して本が売れなくなっても困ると思い、「ほんとは批判じゃないんですよ」みたいなゴロニャンをして諂った――ということではなかろうか。

 そういうわけで、『哲学の貧困』には、マルクスがプルードンから「アソシアシオン」構想を継受したことを示す記述があるのではないかと期待して、紐解いてみたのだが、残念ながらそのような部分は見あたらなかった。

 内容の大部分は、プルードンのヘーゲル理解の誤りに対する指摘、および国民経済学に対する理解の不十分さの指摘と是正に費やされている。

 読んでみて有益だったのは、未完の著『ドイツ・イデオロギー』でははっきり表れていなかった「唯物史観」の構想を、マルクスがようやく固めたと思われる記述が散見されることだ。「生産力」「生産様式」といった公式的用語が現れている。「分業」についても、『ドイツ・イデオロギー』よりも明確な論理で扱われている。しかし、だからといって、公式一辺倒でも決定論でもないことが、読んでみると解る。

 筑摩書房『マルクス・コレクションU』の塚原史・今村仁司訳を使用した。「第1章 一つの科学的発見 第1節 効用価値と交換価値の対立」「第2章 経済学の形而上学 第1節 方法」「第4節 所有ないし地代」から抄録する。第2章第1節までは塚原氏、第4節は今村氏の訳である。

 ちなみに、現在、ネットや書店の端末で『哲学の貧困』の訳本を検索すると、まとばウンタラの訳しか出てこない。他の訳書は品切れのようだが、マトバ訳はお勧めしない。“超訳”で無理やりマルクスとプルードンを近づけようとしているらしく、「効用価値」を「使用価値」と訳すなどの誤訳(故意の誤訳を何と言うのか?)が目立つ。だいいち、この本は中身のわりに高すぎる。読者を貧困にしないと気がすまないのだろうか?


 この「ノート」は、例によって、著作の内容を要約することも、著者らの思想を伝えることも目的としていません。あくまでも、私個人の思索のための抄録と、必ずしもテクストにとらわれないコメントを残すためのものです。













 【1】第1章第1節―――「効用価値交換価値の対立」




「『自然物であれ産業の産物であれ、すべての生産物がもっている人間の生存に役立つ能力は、とりわけ効用価値(valeur d'utilité)と名づけられる。それらがたがいにみずからを与えあう能力は、交換〔代用〕価値(valeur en échange)である……。効用価値はどのようにして交換価値になるのか……。
〔…〕私が必要とする物の大部分は、自然にはたいして、あるいはまったく存在しないのだから、私は足りないものの生産に力を貸さないわけにはいかない。その際、自分だけでは多くのことに手を出せないので、私は自分以外の人間たち(多様な職種を営む私の協働者たち)に、私の生産物と交換に彼らの生産物の一部分を私に譲渡するよう提案するだろう。』(プルードン〔『貧困の哲学』。以下同じ〕、第1巻第2章)

      
〔…〕

 大多数の生産物は自然には存在せず、産業の結果として生じる。需要が自然の自発的生産を超えているとすれば、人間は産業による生産に頼らざるをえないが、プルードンの説では、
〔…〕単独の人間は、多くのものが必要になっても『多くのことに手を出せない』。多くの必要=欲求(besoin)を満たすには、多くのものを生産することが前提となる――生産なしに生産物は存在しないのだ。――多くのものを生産しなければならないということは、すでに単独の人間の手でそれらを生産する以上の場面を前提としている。ところで、生産のために、単独の人間以上の手を前提したひとは、そのときすでに産業全体が分業を土台とするという前提に立っているのである。こうして、プルードンが想定するように、必要=欲求それ自体が全面的な分業を前提としていることになる。分業を前提とすることで、交換と、その結果としての交換価値(valeur d'échange)が得られる。さしあたり、このような事情からして交換価値の存在を前提としたほうがよいと考えられるのである。」
『哲学の貧困』,in:今村仁司・他訳『マルクス・コレクション』,2008,筑摩書房,pp.167-168.



 マルクスはまず、プルードンの議論はどんなものかを説明している。

 「需要が自然の自発的生産を超えているとすれば」――「自然の生産」という考え方は、プルードンの「聖書のごとき」神秘的表現だったかもしれないが、マルクスとしては、『ドイツ・イデオロギー』で展開しかけた萌芽的基礎をもっていた。

 プルードンは、個人の「効用」から出発して、「交換」が必須となる道筋を示そうとしている。しかし、マルクスに言わせれば、プルードンが最初に考えている「個人」の「欲求」は、産業が発達した時代の「欲求」であり、発展した「分業」を前提とするものなのだ。つまり、プルードンは、「分業交換」から「分業交換」を導くという堂々巡りをしている。

 けっきょく、プルードンの議論だと、「分業」も「交換」も、それらに対応するような「欲求」も、人間にとっては永遠の条件だ、ということになってしまう。それらは、歴史的に発生してきた、ということが見えなくなってしまう。

 重要なことは、「欲求」は増大する、ないし成長するということだ。はじめの小さな欲求が生産と「分業」の発達を促し、「交換」と交通の形態をより複雑なものに発展させ、そうして多様化した産物の供給が、「欲求」を拡大させる。こうして、堂々巡りではないスパイラルな発展がはじまる。



「要約しよう。私には分業交換にもとづく必要=欲求がある。これらの必要=欲求を前提として、プルードンは交換交換価値を仮定した
〔…〕

 プルードンは論述の順序を逆にしたほうがよかったはずだ。そうしておけば、彼の結論は正しいものになっただろう。交換価値を説明するためには、まず交換そのものが必要である。交換を説明するためには、分業が必要になる。そして、分業をもたらすのは諸々の必要=欲求であって、これらの必要=欲求を説明するためには、必要=欲求の存在自体を『想定』する必要がある。」

『哲学の貧困』,in:今村仁司・他訳『マルクス・コレクション』,2008,筑摩書房,p.169.




 つまり、「欲求」は「想定」されるものなのだ。「分業」のように眼に見えるものでも、自明に存在するものでもない。そして、「欲求」が想定されたら、そこから出発して、眼前の事態――「交換」と「交換価値」を導くのだ。






 






交換は独自の歴史をもつ過程であって、さまざまな段階を経過して現在にいたっている。かつては、中世のように、余剰すなわち消費にたいする生産の過剰分しか交換されない時代があった。

 あるいは、余剰だけでなく、全生産物、産業によるすべての成果が商取引中に移行し、産業全体が交換に依存していた時代もあった。
〔…〕

 最後に訪れた時代は、人間たちが譲り渡せないものとみなしてきたあらゆるものが交換と取引の対象とな
〔…〕る段階である。〔…〕与えられはしたが、けっして売られなかったもの、獲得されはしたが、けっして買われなかったもの――美徳、愛情、言論、知識、良心など――、そうしたもののすべてが究極的に商取引中に移行する段階だ。これこそ堕落が蔓延する時代、金銭関係が普遍化される時代であり、経済学の用語で語るなら、精神的なものであれ物質的なものであれ、あらゆるものが金銭的価値となって市場にもちこまれ、そのもっとも正当な価格で評価される時代である。」
『哲学の貧困』,in:今村仁司・他訳『マルクス・コレクション』,2008,筑摩書房,pp.170-171.



 ただし、ここで注意したいのは、「交換」の“発展”は、単線的なものではないということだ。エントロピーが増大するように不可逆に増えてゆく変化ではないのだ。

 たとえば、北海道アイヌは、かつては半農半猟、または半漁で、ほぼ自給自足した生活をしていたが、ヤマトからの交易圧力が強まるにつれ、無人だった北海道内陸部に進出して、交易用の毛皮をとる狩猟生活に特化した。毛皮と交換に主食の米を手に入れて生活するようになったのだ。

 このように、時系列の「発展経路」よりも、「中心⇔周縁」のような空間的構造のほうが重要な局面がある。「発展段階」という言葉は誤解を招く。「段階」を語るなら、「構造」全体の「段階」を問題にしなければならない。頂点に昇りつめた「構造」は、転形するか崩壊し、範囲を変えて、また新たな「構造化」が始まる。






 【2】「第2章 経済学の形而上学 第1節 方法」―――弁証法




「一軒の家から個性的な部分を少しずつ剥ぎ取ってゆき、その家を構成する材料や、その家を際立たせている形象を抽象してゆくと、
〔…〕やがて空間しか残らなくなる――最後に、この空間の諸次元を抽象してゆくと、そこには結局まったく純粋な量という論理的カテゴリーしか残らなくなってしまう。〔…〕こうして、あらゆる主体から、いわゆる偶発性を、生命あるものもないものも、人間も事物も、すべて抽象してしまえば、最終的抽象の結果、実体として残るのは論理的カテゴリーだけである。〔…〕

 生存するものすべて、地上と水中に生きるものすべては、なんらかの運動をつうじてしか存在しないし、生きてはいない。こうして、歴史の運動は社会関係を生み出し、産業の運動は産業製品等々をもたらすのである。

 抽象の作用によって、われわれがあらゆる事物を論理的カテゴリーに変換したように、抽象的状態の運動、純粋に形式的な運動、運動の純粋に論理的な公式に到達するためには、さまざまな運動のきわだった性格をすべて抽象しさえすればよい。論理的カテゴリーのなかに運動の実体が見出されるとすれば、運動の論理的公式のなかにあらゆる事物を説明するだけでなく、事物の運動さえも含むような、絶対的方法が見出されると想像することになる。

      
〔…〕

 それでは、この絶対的方法とは何か。運動の抽象である。
〔…〕運動の純粋に論理的な公式あるいは純粋理性の運動である。純粋理性の運動とは何のことか。自己を位置づけ、対置し、組成すること、定立、反定立、綜合として公式化すること、自己を肯定し、否定し、自己の否定を否定することである。

 
〔…〕理性がひとたび定立されるなら、この定立、この思想はそれ自体に対置され、肯定と否定、ウイとノンという二つの矛盾した思想に分裂する。これら二つの二律背反的要素の闘争が、反定立のうちに含みこまれて、弁証法的運動を構成する。〔…〕これら二つの矛盾する思想の融合は、綜合という新たな思想を構成する。この新たな思想は、またしても二つの矛盾する思想に分裂し、今度は、また別の新たな綜合が構築される。〔…〕この一群の思想は、単純なカテゴリーと同じ弁証法的運動をたどり、反定立として、矛盾する一群をともなうことになる。これら二つの思想群から、それらの総合である新しい思想群が生まれる。

 単純なカテゴリーの弁証法的運動からひとつの群が生まれるように、群の弁証法的運動から系列が生まれ、系列の弁証法的運動から体系全体が生まれる」

『哲学の貧困』,in:今村仁司・他訳『マルクス・コレクション』,2008,筑摩書房,pp.260-263.



 ↑ヘーゲルの弁証法を説明している。













「プルードンは、真の哲学者としてはものごとを逆に理解しているので、現実の諸関係を経済学的原則やカテゴリーの具体化としてしか見ようとしない。哲学者プルードンが、またしてもわれわれに言うことによれば、これらの原則やカテゴリーは『人類の非人格的理性』の奥底に眠っていたものなのだ。

 経済学者プルードンは、人間が一定の生産関係においてウールや帆布や絹布をつくることを、じつによく理解していた。しかし、彼が理解しなかったこと、それはこうした一定の社会関係もまた帆布やリネン等々のように、人間によってつくられるということだ。

 社会関係は生産力と密接に結びついている。新しい生産力を獲得することで、人間は生産様式を変化させる。生産様式や生活物資の入手法を変えることで、人間はあらゆる社会関係を変化させるのである。手でひく臼は封建領主のいる社会をもたらし、蒸気の臼は産業資本家のいる社会をもたらすだろう。

 物質的生産性に応じて社会関係を確立する、同じ人間が、彼らの社会関係に応じて、原則や観念やカテゴリーを生産するのである。
〔…〕

 生産力には増大をめざす、生産関係には破壊をめざす、観念には形成をめざす、持続的な運動が存在している。」

『哲学の貧困』,in:今村仁司・他訳『マルクス・コレクション』,2008,筑摩書房,pp.264-265.



 生産関係は「人間によってつくられる」「人間は生産様式を変化させる」――と言いながら、すぐ先では、「手でひく臼は封建領主のいる社会をもたらし、蒸気の臼は産業資本家のいる社会をもたらすだろう」と言う。《生産力至上主義》が過ぎたきらいがあるが、ともかく、「生産力」の発展が旧い「生産関係」と矛盾し、「生産様式」を変えてゆくという「唯物史観」の論理は、『ドイツ・イデオロギー』稿よりも明確に述べられている。






 【3】「第2章第1節 方法」―――奴隷制、封建制とブルジョワジー




「ここで問題とされるのは直接的奴隷制、スリナムやブラジルや北アメリカ南部諸州の黒人奴隷制のことだけである。

 直接的奴隷制は、機械や信用などとともに、ブルジョワ産業の枢軸である。奴隷制がなければ、綿花は手に入らない。綿花がなければ、近代産業は成り立たない。植民地に価値をもたらしたのは奴隷制であり、世界的商取引を創造したのは植民地である
〔…〕

 奴隷制がなければ、もっとも進歩的な国である北アメリカは、族長的な国に変貌するだろう。北アメリカを世界地図から抹消せよ。そうすれば、近代商取引と近代文明は、無政府状態と完全な退廃に陥るだろう。
〔…〕

 奴隷制は、それがひとつの経済的カテゴリーである以上、つねに諸国民の制度のうちに存在していた。近代の諸国民は、自国内でしか奴隷制度を覆い隠すことができなかった。新世界では、彼らは変装なしに奴隷制を強制した。」

『哲学の貧困』,in:今村仁司・他訳『マルクス・コレクション』,2008,筑摩書房,p.267.



 奴隷制は、近代資本主義の「枢軸である」。――まともに主張しているのであれば、“奴隷制、封建制から資本主義への継起的発展”などという図式は成り立たなくなる。構造的観点で受けとめれば、“図式”とは矛盾しないかもしれない。しかし、むしろ、「継起的発展の法則」などは存在しないというべきだ。

 マルクスがここで言っているのは、奴隷制なくして近代資本主義は成立しなかった、奴隷制は近代資本主義の必須の構成要素だ――ということなのだ。

 近代資本主義の成立に奴隷制の存在が寄与したのは“偶然だ”と言うなら、“奴隷制、封建制から資本主義への継起的発展”――それが史実だったとして――も“偶然”でなくて何なのか? 一方を「偶然」と称し、他方を「必然」と称する根拠は、恣意以外にはない。






 






「経済学者たちは奇妙な論の進め方をする。彼らにとっては、人為の制度と自然の制度との二つの制度しか存在しない。封建制度は人為的な制度であり、ブルジョワジーの制度は自然的な制度である。
〔…〕現在の関係――つまり、ブルジョワ的生産関係――が自然的であると言うことによって、経済学者たちは、富が創造され、生産力が発展するこの関係が自然の法則に従っているのだと言いたいのである。だから、この関係自体が時間の影響から独立した自然の法則だということになる。それは、社会をつねに管理するはずの永遠の法則である。〔…〕

 
〔プルードンによれば〕封建的生産も、二つの対立する要素をもっていた。それらもやはり、封建制の立派な面〔「騎士道」「家長的生活秩序」「農村家内工業」「同職組合・親方制度」による産業発展〕と悪い面〔「農奴制、諸特権、無政府状態」〕と名づけられるが、そのさい、最終的には、悪い面がつねに立派な面に勝利したことが考慮されてはいない。闘争を構成して、歴史をつくる運動を生み出すのは、悪い面のほうなのである。〔…〕

 生産様式生産諸力がそのなかで発展する関係は永遠の法則どころではない。それらは人間とその生産諸力の一定の発展に対応しているのであり、人間の生産諸力に生じる変化が、生産関係の変化を必然的にもたらすのだと言っても、言いすぎではないだろう。文明の果実や獲得された生産力を奪われないようにすることが、何よりも重要である以上、それらの生産力が生み出された伝統的な形態を破壊しなくてはならない。」

『哲学の貧困』,in:今村仁司・他訳『マルクス・コレクション』,2008,筑摩書房,pp.278-279.



 「人間の生産諸力に生じる変化が、生産関係の変化を必然的にもたらすのだと言っても、言いすぎではないだろう。」――――「必然的にもたらす。」という断定的な言い方をしていない。マルクスは、あくまでも、事実の観察から抽象される一般的な傾向として述べているのだ。決定論的法則が人間を支配しているとも、社会全体を支配しているとも、彼は述べていない!!

 「この場合には、必然的にそうなったと思ってもいいくらいである。それほど、この二つの要素の結びつきは密接であったように見える。」――われわれは、マルクスの示唆を、このように受け取るべきだ。しかし、社会の事実的変化に影響を与える因子(諸条件)は多数ある。そのうちの「二つ」を取り出して観察したにすぎないのだ。そして、この・特定の地域の・特定の時期区間においては、ある「二つ」の因子のあいだに、他の因子の影響に勝る密接なつながりが見られる、ということなのだ。



「ブルジョワジーは、それ自身が封建時代のプロレタリアートの残滓であるプロレタリアートとともに始まる。歴史的発展の過程で、
〔…〕ブルジョワジーが発展するにつれて、その内部に新たなプロレタリアート、近代プロレタリアートが発展し、プロレタリア階級とブルジョワ階級との闘争が展開される。〔…〕富が生産される同じ関係のなかで貧困も生み出されること、生産力が発展する同じ関係のなかに抑圧する力が存在すること、これらの関係は、この階級を構成するメンバーの富をたえず抹消してプロレタリアをつねに増加させることを通じてしかブルジョワ的富(つまりブルジョワ階級の富)を生産しえないことも、また明らかになるのである。」
『哲学の貧困』,in:今村仁司・他訳『マルクス・コレクション』,2008,筑摩書房,p.280.













【ユーラシア】『哲学の貧困』ノート(2) ―――につづく。   










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