07/03の日記

22:20
【ユーラシア】『ドイツ・イデオロギー』ノート(5)

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 こんばんは。(º.-)☆ノ



 【ユーラシア】『ドイツ・イデオロギー』ノート(4)からのつづきです。


  マルクス/エンゲルスの共著『ドイツ・イデオロギー』は、編集中途の草稿の状態で遺された未完成の著作です。内容的に未完成で、さまざまに矛盾する主張を含んでいますが、それこそがこの作品の魅力でもあります。また、内容だけでなく、形式面でも大きな混沌をはらんだテクストであるため、字句はもちろん篇別構成・断片の順序に至るまで、編集者の介入を必要としており、版本によって相異があります。ここでは、廣松渉・編訳,小林昌人・補訳『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,2002,岩波文庫. をテクストとして使用します。

 上記岩波文庫版からの引用中、青字はマルクスの筆跡、それ以外(白字)はエンゲルスの筆跡。草稿の抹消箇所は下線付きで、追記・挿入は斜体で示します。



「エンゲルスの筆跡エンゲマルクスの筆跡ルスの筆跡」



「人間を動物から区別するのは、生産するみたいな感じでことによってである。」



「人間が自らを動物から区別するのは、道具を用いて生産することによってである。」



 この「ノート」は、著作の内容を要約することも、著者らの思想を伝えることも目的としていません。あくまでも、私個人の思索のための抄録と、必ずしもテクストにとらわれないコメントを残すためのものです。






 【12】「本論三2」――「交通分業」論:パズル



 「本論三2」は、前の部分が無くなってしまった断片から始まっている。↓「……」は、用紙の最初の部分で、マルクスの筆跡で「40」というページ番号が記されているが、第「39」ページの草稿は失われている。「本論二」の末尾の草稿に「35」のページ付けがあり、「本論三1」は、ページ付けのない6ページ分の原稿だった。

 「本論三2」の内容は、中世後期から近代への歴史叙述につながっている。その点では、おおざっぱに「本論三1」に続いている。



「……見出される。前者からは陶冶された分業と拡張された商業との前提が生じ、後者からは局地性が生じる。諸個人は、前者においては一箇所に集合していなければならず、後者においては所与の生産用具と並んで彼ら自身が生産用具として存在する。」

『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,p.138.



 問題は、「前者」「後者」とは何かだ。つづく部分↓の「第一の場合」は「後者」を、「第二の場合」は「前者」を引き継いでいる。ここで前後が入れ替わっている。

 「第一の場合」「後者」を、“前近代”ないし“資本主義以前”、「第二の場合」「前者」を、“近代”ないし“資本主義”と考えてみたい。



「こうして、ここに、自然発生的な生産用具と、文明によって創出された生産用具との差異が際立ってくる。耕地(水など)は自然発生的な生産用具とみなすことができる。第一の場合、つまり自然発生的な生産用具の場合には、諸個人は自然に服属させられ、第二の場合には労働の生産物に服属させられる。それゆえ、第一の場合には、所有(土地所有)もまた直接的・自然発生的な支配として現われ、第二の場合には労働の、とりわけ蓄積された労働の支配として、つまり資本の支配として現われる。第一の場合は、諸個人が、何らかの紐帯――家族であれ、部族であれ、大地そのものであれ、等々――によって共属していることを前提とし、第二の場合は、諸個人がたがいに独立であること、そしてただ交換によってのみ結び合わされるということを前提とする。第一の場合には、交換は主として人間と自然の間の交換、つまり人間の労働と引き替えに自然の産物を得る交換である。第二の場合には、人間相互間の交換が優勢となる。第一の場合には、平均的な人知で間に合い、身体的活動と精神的活動はまだまったく分離されていない。第二の場合には、精神労働と肉体労働との分業がすでに実践的に遂行されている必要がある。第一の場合には、非所有者に対する所有者の支配は、人格的な諸関係、一種の共同体を基礎とすることができる。第二の場合には、この支配は貨幣という第三者において物的な姿態をとっていなければならない。第一の場合には、小工業は現存するが、自然発生的な生産用具の使用に服属しており、したがって、さまざまな諸個人への労働の配分は行なわれない。第二の場合には、工業はただ分業において、そして分業によってのみ、存立する。」

廣松渉・編訳,小林昌人・補訳『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,2002,岩波文庫,pp.138-140.













 ↑“資本主義”と“資本主義以前”の対比で延々と述べられていることを、表にまとめてみると:










 B以下は、耕地、水、農具、手工業の道具といった・前近代の「自然発生的な生産用具」と、近代に特有の「文明によって創出された生産用具」(機械・装置・設備)との相違から生ずる区別を述べている。

 そこで、Dで述べられているような・「所有」のいわば正当化根拠の相違が生じる。前近代の土地の場合には、なぜ領主の所有なのか?‥と問われても、「伝統だから」「人格的に、支配すべき人だから」としか言いようがない。所有の根拠を経済的に説明することはできない。これに対して、近代の生産手段の「所有」概念は、“道具の所有”から発している。「俺が造ったのだから俺のものだ」というのが原初的根拠で、そこから、「造った人から買ったから俺のものだ」という近代的「所有」概念が成長する。

 Fの「交換」は、のちのマルクスの体系では、「物質代謝」概念になる。まだ「物質代謝」概念がないために、人間と自然との関係を「交換」概念でとらえようとしている。すなわち、前近代の場合には、「交換は主として人間と自然の間の交換、つまり人間の労働と引き替えに自然の産物を得る交換である」ということになる。「交換」概念でとらえているために、近代の場合には、「人間相互間の交換が優勢」だということになって、自然との《物質代謝》は背景に退いてしまう。この概念枠組みのままでは、リービッヒの《掠奪農業》批判などの・資本主義の《自然》攪乱の側面を正当にとらえることができない。



「われわれはここまで生産用具から出発してきたが、以上のところですでに、一定の産業諸段階にとっての私的所有の必然性が明らかになった。採取産業では、私的所有はまだ労働とまったく合致している。小工業や従来のあらゆる農業では、所有は現有生産用具から必然的に帰結するものである。大工業において初めて、生産用具と私的所有との間の矛盾が現われる大工業の産物となるが、これが生み出されるためには大工業がすでにかなりの発展を遂げていなければならない。こうして、大工業とともに私的所有の廃止もまた初めて可能となる。――――――」

『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,p.140.



 「大工業において初めて、生産用具と私的所有との間の矛盾が現われる……こうして、大工業とともに私的所有の廃止もまた初めて可能となる。」――というクダリ。おおぜいの労働者の協業を必要とする機械制大工業の出現が、私的所有の廃止・共産主義的生産への転換を不可避にするというのだが、甘すぎやしないか。その後の歴史は、(株式会社制度、経営者エリート集団の形成によって)どんな巨大な私的所有も跋扈するし、労働者に矛盾を矛盾と感じさせないほど徹底して彼らを隷属化しうる――ことを示してきた。ともかく、このモチーフをマルクス/エンゲルスは最後まで言い続けているようだ。

 高度資本主義を牛耳る経営者集団にしろ、「社会主義」国の支配者集団にしろ、私的所有が資本主義の高度化に順応し“発展”したにすぎないのではないか? そこから資本主義がほころびるなどと言うのは、とんだ思い違いだ。





 






「物質的労働と精神的労働との分業の最たるものは、都市と農村との分離である。都市と農村との間の対立は、未開から文明への、部族制から国家への局地性から国民への移行とともに始まり、文明期の歴史全体を今日に至るまで(反穀物法同盟)貫通している。――都市とともに、同時に、行政、警察、租税等、要するに共同体とそれに伴う政治一般が必然的なものとなる。ここにおいて、まず、人口の二大階級への分化が現われる。この分化は分業および生産用具に直接基づくものである。都市はすでに、人口の、生産用具の、資本の、享楽の、欲求の、集中という事実であるのに対して、一方の農村は、孤立と分散というまるで正反対の事実を呈する。

 都市と農村の対立は、私的所有の枠内においてのみ実存することができる。この対立は、個人が分業の下に、押し付けられた特定の活動の下に、服属していることの顕著な表現である。この服属が、一方の者を偏狭な都市動物にし、他方の者を偏狭な農村動物にし、両者の利害の対立を日々新たに生み出すのである。ここでもまた、労働が、事の眼目であり、諸個人に君臨する威力である。これが実存する限り、私的所有も実存せざるをえない。都市と農村との対立を止揚することは、共同社会
(ゲマインシャフト)にとって第一条件の一つである〔…〕都市と農村との分離は、また、資本と土地所有との分離として、そして土地所有から独立して実存し発展する資本の、つまりもっぱら労働と交換の内に土台をもつような所有の、端初として捉えることができる。」
『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,pp.140-142.



 「都市と農村の対立」という捉え方自体が陳腐すぎる。「都市と農村の対立は、私的所有の枠内においてのみ実存することができる」から、「都市と農村の対立」をなくせば、「私的所有」をなくせる(なくすための前提条件がクリアされる)という論理だが、およそ無関係な事柄をごっちゃにしている感がある。共産主義社会は、午前は魚釣り、夕方は牧畜……の夢想が、こんな論理を信じさせているのだろうか? たしかに、「タウン・コミュニティ」構想は悪くない。しかし、その後じっさいにそのために努力した社会主義者も革命家も皆無なのは、いったいなぜ?






 【13】「本論三2」――「交通分業」論:中世都市






「中世には、以前の歴史からそのまま引き継いだのではなく、新たに、自由民となった農奴たちから形成された都市がある。ここでは、各自が携えてきた僅かな――ほとんどはただぎりぎり必要な手工具の形で存在する――資本の他には、各人の特殊な労働が各人の唯一の所有
(ざいさん)であった。続々と都市に到来する逃散農奴たちの競争、都市に対する農村からの不断の戦争とそこから生じる組織化された都市戦力の必要性、ある特定の労働を所有(ざいさん)とする点で共通するという紐帯、手工業者が自分の商品を販売する――当時、彼らは同時に商人でもあった――ための共用の建物の必要性、それに伴って生じるこの建物からの部外者の排除、個々の手工業相互間の利害対立、苦労して修行した労働を保護する必要性、そして国土全体の封建的組織化、――これらが、各種の手工業ごとに労働者をツンフトに結合させた原因であった。〔…〕

 中世全体を貫いて、農奴の都市への逃散が間断なく続いた。農村で領主に迫害され、てんでんばらばら都市に逃げ込んだ農奴たちは、都市では、組織化された共同団体
〔ツンフト〕に直面した。この共同団体に対して、彼らは無力だった。〔…〕というのも、彼らの労働が修行を要するツンフト的労働であった場合にはツンフトの親方たちが彼らを支配下に置き、親方の利害に従って彼らを組織化したからであり、あるいは、彼らの労働が修行を要しないもの、つまりツンフト的労働ではなく日雇い労働であった場合には、彼らは決して組織化されず、非組織的な下層民にとどまったからである。都市における日雇い労働の必要性が下層民を創り出した。――

 このような都市こそ真の『連合
(フェアアイン)』だった。すなわち、直接的な必要――所有の保全に配慮し、そして個々の成員の生産手段と防衛手段を乗積させるために配慮する、という必要――によって生じたものだった。これら諸都市の下層民は、互いに見ず知らずの個々バラバラに流入した諸個人からなっていて、組織化され、実戦的に武装し、疑い深く彼らを監視する威力の矢面に、組織化されることもなく立たされる羽目になったため、一切の威力を奪われていた。

 手工業では、どこでも、職人や徒弟は親方の利益に最もよく適うように組織化されていた。彼らが置かれた親方に対する家父長制的な関係は、親方たちに二重の威力を与えた。一つには、職人の全生活に及ぶ親方の直接的な影響力である。二つには、――同じ親方の所で働く職人たちにとっては、この家父長制的な関係が現実的な紐帯だったので――これが、彼らを他の親方の下の職人たちに対して結束させるとともに、彼らと他の職人たちとを分断する威力となった。そして、最後に、職人たちは自分が親方に成るという彼ら自身の利害をもっており、この点からしてもすでに現存の秩序に結び付けられていた。それゆえ、下層民が都市秩序の総体にせめて暴動で反抗するくらいはした
〔…〕のにひきかえ、職人たちは、個々のツンフトの内部で、ツンフト制度そのものの存続には付きものの小さな抵抗をするのが関の山であった。

 中世の大きな蜂起はすべて農村から起こったが、これも、農民たちの分散状態とその結果としての未熟さのために、総じて不成功に終わった。

『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,pp.142-145.

註★「連合 Verein」:シュティルナー『唯一者とその所有』(片岡啓二・訳,現代思潮社,下巻,1968,pp.105,156,230,239.)の「エゴイストたちの Verein」が念頭にある(訳者註)



 ↑第3段。ここではじめて「生産手段」の語が登場する。これまで(中世・前期までの叙述)は「生産用具」と呼んでいた。前資本制社会の《大地》のようなものは、生産者と一体性を保ち、所有者と人格的に結合しているがゆえに、「手段」とは称しえないのでは?

 「連合 Verein」:Association が生産者の連合体・協同体を意味するのに対し、フェアアインは、支配者(生産手段の所有者)の連合体を意味する。連合体が、血統の絆でつながったヒエラルヒー的「共同体」ではない点に、騎士貴族のレーエン共同体との違いがあった。






 






「これらの都市における資本は、自然発生的な特殊身分的資本であり、住居、手工具、自然発生的な、相続されていく得意先、から成る。それは、交通の未発達と流通の欠陥のために、換金できないものとして父から息子へと引き継がれなければならなかった。この資本は、近代の資本のように貨幣で評価される――資本がどんな物件に投じられているかはこの場合どうでもよい――ものではなく、占有者の特定の労働と直接連関し、この労働からまったく分離できないもの、そしてその限りにおいて身分的な資本であった。――――――

 分業は都市においても個々のツンフトの間でかろうじてごく僅かに行なわれていただけで、ツンフトそのものの内部では個々の労働者の間の分業がまったく行なわれていなかった。労働者は一人一人が諸々の労働の全般に通じていなければならず、およそ自分の道具で作れるはずのものなら何でも作ることができなければならなかった。局限された交通、個々の都市相互間の吹けば飛ぶような結び付き、人口の乏しさ、欲求が局限されていること、これらの事情で、分業それ以上には発展しなかった。

 こうして、親方に成ろうとする者は皆それぞれ、自分の携る手工業の全般に精通していなければならなかった。このため、中世の手工業者たちには、自身の専門的労働とその熟練に対する関心がまだあり、
〔…〕頑固な名人気質にまで高まることもありえた。それだけにまた、中世の手工業者は皆、各自の労働に没頭し、この仕事に心安らぐ隷属関係をもち、そして、自分の労働に感知しない近代の労働者たちよりもずっと、労働の下に服属させられていた。――――――」
『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,pp.145-147.



 『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』参照。@パン屋の親方は職人に、「明日朝までにパンを焼いておけ」としか指示しない。A職人が他の都市へ逃げてしまえば、親方も都市の役人も、追いかけてゆくことができない。B狭量な親方は、新奇な製品を作ったり、(ツンフト会館でない)街頭で売ったりして、儲けようとは決してしない。

 "用具に、職人・親方は従属する。――"親方も職人も、自分の仕事に「心安らぐ隷属関係」をもち、「近代の労働者たちよりもずっと、労働の下に服属させられていた。」――農奴の場合と同様の、人格的隷属(生産用具[《大地》をふくむ]との、それを通じて領主との)と、その反面である gemütlich「心安らぐ」「和気あいあいとした」関係。しかし、そこから、未来における Gemütlichkeit の回復――《疎外》の克服――をどう展望するのか?



「次いで現われた分業の拡張は、生産と交通との分離、商人という特別な階級の形成であった。この分離は、長い歴史をもつ諸都市に(とりわけユダヤ人とともに)昔からあったが、新興都市でもまたたく間に始まった。これによって近傍の周辺地域を越える商業的結び付きの可能性が生まれた。可能性がどのように現実のものとなるかは、現存するコミュニケーション手段や、政治的諸関係によって左右される国土の治安状態(周知の通り、中世全体を通じて商人たちは武装した隊商を組んで往来した)、そして、交通可能な地域の需要――これはその時々の文化段階によって左右され、より未熟だったりより発展していたりする――にかかっていた。――――――

 交通が特別な一階級の仕事として構造化され、商業が商人たちによって都市近傍の周辺一帯を越えて拡大するようになると、ただちに、生産と交通との間の相互作用が始まる。諸都市は互いに結合関係に入り、新しい道具が一つの都市から別の都市へ持ち込まれるようになる。生産と交通との分割は、やがて、個々の都市の間に生産の新たな分割を呼び起こし、各都市は、やがてそれぞれ主力となる産業部門を開発していく。当初あった局地性という制限が次第に解消され始める。――――――

 一地域で獲得された生産諸力、とりわけ発明が、その後の発展にとって徒花
(あだばな)となるか結実するかは、ひとえに交通の拡張にかかっている。隣接地域を越える交通がまだ実存しないうちは、どんな発明も地域ごとに、別々になされざるをえないし、蛮族の侵入といった単なる偶発事で、それどころか通常の戦争ですら、発展した生産諸力と需要を有する国土を、初めからまたやり直さざるをえなくするには十分なのである。〔…〕商業が比較的に拡大している場合でさえ、生長した生産諸力が全滅のおそれを免れていることがいかに少ないかは、フェニキア人が証明している。フェニキア人の発明の大部分は、商業からのこの国民の駆逐、アレクサンドロスの征服とそれによるこの国民の没落によって、永い間失われてしまった。

 中世においても同様――例えばガラス絵。

交通が世界交通となり、大工業が土台に据えられ、あらゆる諸国民が競争戦に引き込まれるようになって、初めて、獲得された生産諸力の継続性が保障されるようになる。」

『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,pp.147-149.



 「一地域で獲得された生産諸力……が、その後の発展にとって徒花となるか結実するかは、ひとえに交通の拡張にかかっている。」――――「ひとえに」として交通(ここではもっぱら本義。すなわち商業交通)の役割を重視するが、これは現在の社会経済史学の常識とは違う。現在の考え方では、そのような発展が起こるかどうかは、もっぱらその地域の生産事情(生産関係のほか封建的束縛、規制の強さ、領主・王権による政策など)の発展程度によると見る傾向をもつ。交通の発達は、かえって地域内の発展を阻害する(安くて優れた同種製品の流入など)場合もあると考える。

 しかし、マルクスは交通を重視する。その傾向は『資本論』になっても、なお明確に表れている。交通分業⇒局地性の打破

 この段は、"産業革命はなぜイギリスで、ヨーロッパで起きたか?"という問題に直結する。現在の社会経済史学の理解は、市民革命(封建的制限の解体)を、産業革命の前提条件とみる。しかし、マルクスのここでの史観によると、交通(商業交通)が発達することが、産業革命の最重要の必要条件となる。


 マルクスは、生産力発展には消長があると見る。一方的に進歩していくわけではない。進むか衰えるかを決定するのは「ひとえに」交通だとする。そして、交通自体は、多分に偶然的要素に左右される。マルクスが発展史観かどうかは、疑問なのではないか?

 フェニキア人の没落とアレクサンドロスの遠征。無関係ではないか?? フェニキア人の「失われた発明」というのも、あったという伝承があるのかどうか。単なる、自説の"生産力発展"シェーマに都合のよい丁稚上げではないか。














【ユーラシア】『ドイツ・イデオロギー』ノート(6) ―――につづく。   










ばいみ〜 ミ




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カテゴリ: ユーラシア

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