10/20の日記
15:44
【BL週記】奥多摩のオイノさま(2)―――みたけ山
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奥多摩、蕎麦粒山 シロヤシオツツジ
こんにつわ(^.^)y
奥多摩の狼神社。前回の高水山では、残念ながらお堂の前には、ごく新しい犬の石像しかありませんでした。山頂の祠の中にある石像は、ヤマイヌ型で、古いもののようでしたが、超小型で年代はわかりません。
【参考】⇒:【BL週記】奥多摩のオイノさま(1)
今回は、奥多摩で最も規模の大きい《狼神社》―――みたけ山を訪ねてみたいと思います。
(2)武蔵御嶽神社
♪木曽のな〜ア なかのりさん… の御岳山は「おんたけさん」ですが、こちらは同じ字を書いて「みたけさん」と読みます。
ケーブルカーで上がって行くと、山の上には宿坊や山荘がぎっしりと建っていて、まるで町のようです。舗装路の急坂をふうふう言いながら登って、大鳥居をくぐると、さらに石段があって、やっと本殿に着きます。ここが頂上だと思うかもしれませんが、じつはまだ中腹なのです。
本殿のある社域から、乢(たわ。尾根の低い処。「峰」の反対語)をひとつ越えた先のピークに「奥の院」があり、さらにその奥のピークが御岳山頂です。山頂まで行く人は、ほとんどいません。
上部の叢林が御嶽神社
木立の間に拝殿の屋根が見える
↓ここが大鳥居と随身門。奥秩父の三峯神社ほどではないが、やはり大きな神社です。講の石碑があちこちにあります。
本殿へ上がる石段。左右に“オイノ”が居ます。
あいにく本殿は工事中でした。
左の“オイノ”
右の“オイノ”
↑これらは、たいへん新しいもので、1985年に「神狗一対」を奉納したと説明板にあります。現代の美術品として立派なものですが、歴史的・民俗的な“オイノ”さまとしては、ちょっとどうなんでしょうか‥
↓ヤマイヌの絵馬もあります。
しかし、新しい“オイヌ”が奉納される前にあった石像は、どうなったのだろうと探してみると……
ありました。工事中の本殿の中に、たいせつにしまわれていました↓
右の“オイノ”
左の“オイノ”
現代美術よりはよほどヤマイヌらしい彫像です。
しかし、これらもそれほど古いものではなさそうです。
じつは、この山域でもっとも古い“オイヌ”石像は、御嶽神社でも奥の院でもなく、大岳神社にあるのです。大岳山は、次回に訪ねてみることにしましょう。
今回は、本殿のさらに奥へと進みます↓
本殿のある神域の、いちばん奥手にあるのが、この「大口真神(おおぐちまかみ)」の祠です。
「大口真神」は、オオカミそのものがご神体として祀られているもので、イザナギ・イザナミなどの祭神の“眷属”とされる・ふつうの“オイヌ”とはすこし信仰のありかたが違うようです。しかし、ここにも左右の“オイヌ”石像があります↓
「大口真神」は“ヤマイヌとは別種の日本古来の狼だ”と説明されることがありますが、日本列島にヤマイヌ以外の種のオオカミ(タイリクオオカミなど)がいたという証拠は、まったくありません。宗教目的でない私たちとしては、これもヤマイヌ信仰のひとつと考えてよいと思います。
右の“オイノ”
左の“オイノ”
“オイノ”石像は、狛犬と同じように、ふつうは“あ”・“うん”の対なのですが、ここのオイノさまは2頭とも“うん”です。いや‥、よく見ると左は“あ”ですね。口の開き方が小さいだけかな。
これらも、石像の年代は新しそうです。
↑「大口真神殿」の脇に、「太占祭場(ふとまにさいじょう)」の入口があります。「太占祭」は、鹿の肩甲骨を火であぶり、ひび割れのぐあいから農作物の豊凶を占う神事で、毎年1月3日に行われるそうです。大和時代の古い占い――起源は中国の殷王朝――が行われているのですね。
ばいみ〜 ミ彡
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