03/01の日記
15:56
【宮沢賢治】旅程ミステリー:東海篇(5)
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(5)星に祈る...
さて‥、こうして、“箱根越え”をしたことは明らかになったのですが、その日程となると、はっきりしないのです。
時刻表によると、@の上り普通列車が三島に着くのは、午後7時5分です。停車時間が1分しかありませんから(当時のダイヤでは珍しい短時間停車)、賢治たちは、あわただしく列車から降りたことでしょう。
・・・・ ・@ ・A
蒲郡発・ 1320 ・‖・
豊橋着・ 1343 1402
豊橋発・ 1346 1405
三島着・ 1905 ・‖・
三島発・ 1906 ・‖・
国府津着 2123 1927
国府津発 2132 1930
東京着・ 2335 2105
(注) 「・‖・」は通過駅。
そのまま夜通しのナイト・ハイクで箱根を越えたのか?‥それとも、三島に泊って、翌朝箱根へ出発したのか?
なお、当時のことですから、登山バスなどはありません。いずれにしろ、徒歩での箱根越えです。
同級生・大谷良之氏の回想記によると:
「旧街道を行こうということになつて、丸い玉石を敷きつめた石畳の旧街道を馬鹿話をしたり、カチユーシヤを歌つたり弥次喜多気分で登つて行つた。関所跡も近づいて土地も広く開け畑地が右側に見える所にさしかかつた。『関所までどれ位ありますか』と農夫に聞いたところ『そうじやのー、あと二里あるで』と返答があつた。所が大きな声で『馬鹿野郎 嘘をつくなツ』と宮澤君が叫んだ。」
(新校本全集『年譜』から再引)
となっています。
畑が見えた、農夫がいた‥‥などは、昼間の状況ですが、‥‥のちほど検討するように‥‥だからナイト・ハイクをしていないとも断定できません。関所の近くまで行った時には、もう夜が明けていたのかもしれないからです。
ここでも、重要な手がかりは、賢治本人の短歌だと思います。盛岡に帰ってからの短歌の中に、↓つぎのようなものがあります:
283 双子座のあはきひかりはまたわれに告げて顫ひぬ水色のうれひ
284 われはこの夜のうつろも恐れざりみどりのほのほ超えも行くべく
285 伊豆の国三島の駅にいのりたる星にむかひてまたなげくかな
(『歌稿A』#283-285)
これと、富士裾野〜箱根の間で詠んだ↓つぎの和歌群を比べてみると:
264 日沈みてかなしみしばし凪ぎたるをあかあか燃ゆる富士すその野火
265 あゝつひにふたゝびわれにおとづれしかの水色のそらのはためき
266 いかでわれふたたびかくはねがふべきたゞ夢の海しら帆はせ行け
267 さそり座よむかしはさこそ祈りしがふたゝびこゝにきらめかんとは
(『歌稿A』#264-267)
(『歌稿A』)
↑このように関連の短歌を並べた場合、もし#285まですべて「さそり座」と解しうるならば、意味のつながりは、とても分かりやすいでしょう:
浪人時代の #169,170の歌で、天の“悪魔”ともいうべき蠍座に魂を売り渡す祈りを捧げたあと、
その効果あってか高等農林に合格。入学後、修学旅行の三島で、ふたたび蠍座がきらめくのを見て、
「おまえの魂を俺に売り渡したのを忘れるな。」
「おまえを合格させてやったのだから、約束を履行しろ。」
と告げられているように感じて、恐怖を覚えた。。。
そして、盛岡に戻って新学期が始まってからも、蠍座を夜空に見るたび、そのことを思い出して、「また嘆くかな」。。。
しかし、そのように解釈するのは無理のようです。
#285の「祈りたる星」は、蠍座ではないからです。
#169,170 と #267 によって喚起された蠍座(悪魔)との“契約”の恐怖については、そう解してよいと思います※
※ 1914年末〜1915年の受験勉強の追い込みの時期については、ほかにも疑問が多いのです。たとえば、14年12月頃に葬儀を詠んだ短歌がいくつかありますが、誰の葬儀なのか判らない。真冬に籠って受験勉強をした盛岡・教浄寺についても、勉強に打ち込むとか、清浄な気持といったことには副わない一種“魔的”な詩歌が書かれています:「僧の妻面膨れたる、飯盛りし仏器さゝげくる。/(雪やみて朝日は青く、かうかうと僧は看経。)/寄進札そゞろに誦みて、僧の妻庫裡にしりぞく。/(いまはとて異の銅鼓うち、晨光はみどりとかはる。)」
しかし、#285の「祈りたる星」のほうは、蠍座ではなくて、双子座です。
双子座の「淡き光」は、血のように赤い(アンタレス星を主星とする)蠍座の邪悪さとは、むしろ異なる印象を与えます。
たいへん淡く、頼りない光ではあっても、彼にとって、“魔の力”を避け、“幸福”に至る道程を指し示しているのだと思います。
つまり、#285の「祈り」「嘆き」は、双子座に向かって、“さそり座の魔力から、救い出して欲しい”と祈っているのです。
283 双子座のあはきひかりはまたわれに告げて顫ひぬ水色のうれひ
284 われはこの夜のうつろも恐れざりみどりのほのほ超えも行くべく
285 伊豆の国三島の駅にいのりたる星にむかひてまたなげくかな
(『歌稿A』#283-285)
“契約”の履行を迫る「さそり座」の“魔の力”に脅かされる賢治を、夜空から心配そうに見守っているのが「双子座」なのかもしれません。
賢治の身にしのび寄る“魔の力”の危険を告げるべく、「双子座」は、「淡き光」を、憂わしげに顫わせます。
「双子座」が見守っているいることに気を強くして、賢治は、「この夜のうつろも恐れざり」(#284)。。。
しかし、賢治も、この時点では、信仰も思想も将来も定まらない気弱な一青年に過ぎません。「双子座」の光に勇気づけられて気丈になったかと思うと、また萎えて弱気になって行くのを感じないわけにいきません。
そして、「双子座」に向かって甘えるように、「また嘆く」(#285)のです。
このように、「さそり座」「双子座」それぞれの星の“異なる役割”を考えてみると、三島での短歌群も、よりいっそう理解しやすくなると思います↓
265 あゝつひに ふたゝびわれに おとづれし かの水色の そらのはためき
266 いかで われ ふたたび かくは ねがふべき たゞ夢の海 しら帆 はせ行け
267 さそり座よ むかしは さこそ祈りしが ふたゝびこゝに きらめかんとは
(『歌稿A』#265-267)
午後7時、三島駅で降り立った賢治が空を見上げると、天頂高くかかっているのは双子座です。
双子座の「淡き光」「水色の空のはためき」に満たされた「夢の海」のような星空の下で、賢治は、憂いに満ちた“自分ひとりの秘密”を思い出さざるを得ないのです。
それは、将来への希望を失って最も苦しかった浪人時代に、一時的とはいえ、“魔物の力”に頼ろうとしたことです。
思えば、彼は、少年期以来ことあるごとに、自分の背後にいつも“魔力の影”があることに、気づかざるを得なかったのでした。
いま、「双子座」は、「淡き光」の「夢」で彼を満たしていますが、その「夢の海」には、底知れない危険が内在しているような予感さえあるのです。
そして、‥入学以来、充実した学生生活の中で、すっかり忘れていた・あの「さそり座」の「赤い目玉」の邪悪な「きらめき」が、“悪魔との契約”を思い出させるかのように、夜半過ぎには、南の空に現れてくるのでした。。。
ところで、なぜ「双子座」なのでしょうか?‥彼が救いを求めた対象は、なぜ他の星(北極星、シリウス、など)ではなく、「双子座」だったのでしょうか?
19歳の賢治にとっては、深い「うれい」を含みつつも、もっとも頼りになる甘美な思慕の対象が、「双子座」だったのだと、ギトンは思います。
そこには、永遠に空に輝く・肩を組んだ2人の少年の姿に象徴された・彼の“同性愛”の理想があったのだと思います。
「その時向ふから暴い声の歌が又聞えて参りました。大烏は見る見る顔色を変へて身体を烈しくふるはせました。
『みなみのそらの、赤眼のさそり
毒ある鉤と 大きなはさみを
知らない者は 阿呆鳥。』
そこで大烏が怒って云ひました。
『蠍星です。畜生。阿呆鳥だなんて人をあてつけてやがる。見ろ。こゝへ来たらその赤眼を抜いてやるぞ。』
〔…〕もう赤い眼の蠍星が向ふから二つの大きな鋏をゆらゆら動かし長い尾をカラカラ引いてやって来るのです。その音はしづかな天の野原中にひゞきました。」
(『双子の星』,in:『新校本全集』,第8巻,本文篇,pp.21-22.)
『双子の星』は、宮澤清六氏の回想によって、高等農林卒業後の1918年頃の作と推定されますが(成立時期が確認できる童話作品としては最も早いもの)、在学中の1916年時とは、“さそり座”観にも変化が見られます。
また、この童話で云う「双子の星」とは、“双子座”よりも、“さそり座”の尾の部分にある2つの星(λ,υ)を指すものと考えられています(草下英明『宮澤賢治と星』,1975,学藝書林,p.67.)⇒さそり座 λ・υ
ばいみ〜 ミ彡
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