08/14の日記

06:26
【ユーラシア】『ドイツ・イデオロギー』ノート(11)

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 こんばんは。(º.-)☆ノ



 【ユーラシア】『ドイツ・イデオロギー』ノート(10)からのつづきです。


  マルクス/エンゲルスの共著『ドイツ・イデオロギー』は、編集中途の草稿の状態で遺された未完成の著作です。内容的に未完成で、さまざまに矛盾する主張を含んでいますが、それこそがこの作品の魅力でもあります。また、内容だけでなく、形式面でも大きな混沌をはらんだテクストであるため、字句はもちろん篇別構成・断片の順序に至るまで、編集者の介入を必要としており、版本によって相異があります。ここでは、廣松渉・編訳,小林昌人・補訳『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,2002,岩波文庫. をテクストとして使用します。

 上記岩波文庫版からの引用中、青字はマルクスの筆跡、それ以外(白字)はエンゲルスの筆跡。草稿の抹消箇所は下線付きで、追記・挿入は斜体で示します。



「エンゲルスの筆跡エンゲマルクスの筆跡ルスの筆跡」



「人間を動物から区別するのは、生産するみたいな感じでことによってである。」



「人間が自らを動物から区別するのは、道具を用いて生産することによってである。」



 この「ノート」は、著作の内容を要約することも、著者らの思想を伝えることも目的としていません。あくまでも、私個人の思索のための抄録と、必ずしもテクストにとらわれないコメントを残すためのものです。






 【28】「本論三2」――植民、征服と交通形態の発展




「これに対して、北アメリカのような、すでに発展を遂げた歴史段階において第一歩を踏み出す国々では、発展は非常に速く進む。そのような国々は、それらを形成するそこに移住してくる諸個人、しかも、彼らの欲求に照応しない・旧い国々の交通形態に・せかされてやって来た諸個人以外にはを除くほか、いかなる自然発生的な前提も持たない。
それゆえこれらの国々は、旧い国々のもっとも進歩した諸個人とともに、したがってこれら諸個人に照応するもっとも発展した交通形態とともに、出発する。この交通形態が、旧い国々で実現できるようになるより前に、いち早く出発するのである。これは、どの植民地についても、それが単なる軍事基地や商業基地でない限り、言えることである。カルタゴ、ギリシャの諸植民地、11,12世紀のアイスランドがその実例である。

 類似の関係が征服の場合にも生じる。それは、別の土地で発展した交通形態が、出来上がった形で被征服地に持ち込まれる場合である。この交通形態は、本国ではまだ前代からの諸利害や諸関係にまといつかれていたのに対し、それが持ち込まれたところでは完全に、妨げられることなく実現されうるし、征服者たちに持続的な威力を保障するという目的からしても実現されなければならない。(ノルマン人による征服後のイギリスとナポリ。これらの地は、征服期に封建的組織の最も完成された形態を受け取った。)――――――」

廣松渉・編訳,小林昌人・補訳『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,2002,岩波文庫,pp.188-189.

註★:「これに対して」からここまで、廣松・小林訳は誤訳を含むため(「〜以外」の als を「〜として」と訳すなど)、廣松・河出版の原文と渋谷訳を参照して、訳し直した。



 征服・植民によって、植民者は、もと居た社会の最も発展した「交通形態」を持ち込んで、もと居た社会にあった桎梏に妨げられることなく、新しい土地でそれを展開する、㋐――という場合。

 新しい土地の先住民が有していた「交通形態」には妨げられないのか? なぜか? 征服によって抑え込んでしまうからか?

 朝鮮植民地の場合、当時の日本に存した最先端の「交通形態」が持ち込まれて“自由な”展開を見ただろうか? むしろ逆ではないか? ㋐にならなかったとしたら、なぜなのか?

 資本主義段階では、㋐は成立しないのか? 帝国主義段階だから? 通貨改革、「土地調査事業」などは、完成した制度をもちこんで、抵抗を制圧し、制度自体はいちおう定着した。(「先住民」にとっては、その種の持ち込まれた近代化諸制度自体が、攘夷の対象となった)

 しかし、農業に問題を限ってみよう。けっきょく持ち込まれたのは、内地の最も遅れた部分とされる半封建的不在地主制ではなかったか?

 資本主義の「外部化」。また、本源的蓄積。と、どういう関係になるのか?













「征服という事実は、この歴史観全体と矛盾するかのように見える。これまでは、暴力、戦争、略奪、強盗殺人、等々が歴史の原動力ということにされてきた。われわれはここでは主要な点だけ述べればよいだろう。そこで、最も顕著な例――旧い文明の蛮族による破壊と、その後を承けて一から形成が始まる新しい社会体制――だけを取り上げておこう。(ローマと蛮族、封建制とガリア、東ローマ帝国とトルコ人。)

 征服を行なう蛮族にあっては、先に示唆しておいたように、戦争そのものがまだ通常の交通形態の一つである。伝来の、そして彼らにとって唯一可能だった粗野な生産様式にあって、人口の増加が新たな生産手段への欲求を増大させればさせるほど、ますます熱心にこの交通形態が利用される。

 イタリアでは、これに反して、土地所有の集中(これは買占めや負債によるほか、相続によっても生じた。というのは、はなはだしい放縦とまれな結婚のために、旧い諸家系がしだいに死に絶えて、その財産が少数者のものになったからである)と、その放牧地への転化(これは、今日でも当てはまる通常の経済的原因によるほか、略奪された穀物と貢納穀物の流入、およびその結果生じたイタリア産穀物に対する消費者の不足に原因があった)によって、自由な住民はほとんど姿を消してしまった。奴隷そのものは繰り返し死に絶え、常に新たな奴隷で補充されなければならなかった。奴隷制は、全生産の土台であり続けた。自由民と奴隷の間に位置する平民 Plebejer は、決してルンペン・プロレタリアートを超えなかった。そもそもローマは
〔単なる〕都市の域を出たことがなく、諸属州とはほとんど政治的連関にしか立っていなかった。その連関は、当然のことながら、政治的事件のたびに中断されえたのである。

 ―――――― ―――――― ――――――


 歴史においてはこれまで略取だけが問題だった、という表象ほどありふれたものはない。蛮族がローマ帝国を略取した。そしてこの略取という事実で、古代世界から封建制への移行が説明される。しかし、蛮族による征服の場合に問題となるのは、占領される側の民族が
〔占領されるに先立って――ギトン註〕、近代の諸国民に見られるように、工業的生産諸力を発展させていたのか、それとも、彼らの生産諸力は主として彼らの結合 Vereinigung と可能な範囲での協働共同体 Gemeinwesen に基づくものでしかないか、ということである。

 略取はさらに、略取される対象に条件づけられている。紙の形で存在する銀行家の資産は、略取する者が略取される国の生産諸条件・交通諸条件に屈服することなしには、けっして略取されえない。近代の工業国の全産業資本についても、同様である。そして、結局のところ略取はどこでもたちまち終ってしまう。略取するものがなくなれば生産を始めるほかはない。こうしてたちまち生ずる生産の必要性から、定住する征服者がとる共同体の形態は、
〔被占領地の――ギトン註〕現存の生産諸力の発展段階に照応したものとなる、ことが結果する。あるいは、もし最初からそうはならないなら、それ〔征服者の共同体形態〕は、〔被征服地の〕生産諸力に倣って変化しなければならない。ここから、民族移動後の時代にはどこでも見られたとされる事実、すなわち、僕(しもべ)が主(あるじ)となり、征服者はローマ化された被征服者の言語、教養、および習俗をたちまち受け入れた事実もまた、説明される。――――

 封建制は、決して、ドイツから完成されたものが持ち込まれたのではない。封建制は、征服の最中における
〔ゲルマン〕軍隊の戦士団組織に征服者側の起源をもち、これが、征服後に、被征服諸国に現存した生産諸力の影響を受けて、はじめて本来の封建制へと発展したのである。この〔征服者共同体の〕形態が、それら〔被征服地の〕生産諸力によって、どれほど強く条件づけられていたかは、古代ローマの残光から湧き出る他の諸形態を実現しようとして破綻した・諸々の試みが示している(カール大帝、等々)――――――

 もっと続けること―――――― ―――――― ――――――」

『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,pp.189-192.

註★:以下、この引用の最後まで、河出版の原文を参照して改訳した。



 前の引用部分とは逆に、主として被征服地の社会にあった・進んだ「交通形態」から、さらに進んだ形態が生まれる場合。征服者は、むしろ「先住民」の「交通形態」に吞み込まれる。

 「占領される側の民族が……現代の諸国民に見られるように、工業的生産諸力を発展させていた」――発展した産業国家が(未開民族によって)占領された場合、占領者は、被占領国の経済制度(交通形態)に従い、その中に入り込んで掠取を行なうことになる。被占領国が、自給的農業共同体の段階にある場合には、占領者は、その外側に立って、貢租の形で富を収奪する。

 しかし、後者の場合も、けっきょくは、征服者の共同体は、被征服国の発展段階に照応したものに変化していかざるをえない。なぜなら、定住して支配を続けていくには、被征服者の(進んだ)発展段階に見合った共同体形態を、自らもとらねばならないからである。

 ↑最後の段落は、ゲルマン人によるガリア征服とフランク王国建設が念頭にある。すでにローマ化していたガリアの住民から、ゲルマン人(フランク族)征服者は、ラテン語とローマ的教養を学び、ローマ帝国に倣って自分たちの共同体(支配組織)を編成しようとしたが、征服者の共同体は、けっきょくは、(ローマではなく)ガリアの発展段階に規定(条件づけ)されざるをえず、ローマ帝国を再興しようとしたカール大帝の試みは失敗した(3王国に分裂した)。

 この場合、ガリアはローマよりも、奴隷制の発展段階は低いにもかかわらず、封建制への発展においては、ローマよりも有利な条件を持っていた、ということになる。つまり、ローマとガリアの違いは、単線上の段階の先後ではなく、タイプ的相違だ、ということになる。






 






 【29】「本論三2」――大工業、生産力と諸個人




大工業と競争においては、

 諸々の被制約性、諸々の一面性

諸個人のすべての生存諸条件は、二つの最も単純な形態、私的所有と労働に、融合されてしまっている。貨幣によって、どの交通形態も、それどころか交通そのものが、諸個人にとって偶然的なものにされてしまっている。したがって、貨幣の内にはすでに、従来の交通はすべて、一定の諸条件の下にいる諸個人の交通でしかなく、諸個人としての諸個人の交通ではなかった、ということが含意されている。この一定の諸条件は、蓄積された労働すなわち私的所有か、それとも現実的労働か――という二極に還元されてしまっているのだ。それらの一極でも無くなれば、交通は途絶する。近代の経済学者たち自身、例えば、シスモンディ、シェルビュリエ等、諸個人の連合 assiciation des individus を諸資本の連合 association des capitaux に対置している。

 他面では、諸個人自身が完全に分業に服属させられており、それによって、完璧な相互依存状態に置かれている。私的所有は、労働の内部で労働と向き合っているうちは、蓄積の必要性として現われから発展し、当初はなおどちらかといえば共同体 Gemeinwesen の形態をもっているが、しかししだいにいっそう発展するにつれ、ますます私的所有の近代的形態に近づく。分業によって、すでに最初から労働諸条件、用具と材料の分割が与えられ、それによって、蓄積された資本の、種々の所有者への分裂、それによって資本と労働との分裂、および所有そのものの種々の形態が与えられている。分業がさらに進み、蓄積がさらに増大するにつれ、この分裂もさらに尖鋭化する。労働そのものが、この分裂を前提としてのみ存続しうるのである。

『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,pp.192-194.

註★:この引用全体に、河出版の原文を参照して手を入れた。



 「従来の交通はすべて、一定の諸条件の下にいる諸個人の交通でしかなく、諸個人としての諸個人の交通ではなかった」――資本主義社会も、それ以前の社会も、貨幣が支配している限り、「諸個人としての諸個人の交通」はありえない。という意味。



「こうして、ここに二つの事実が見られる。第一に、生産諸力が諸個人から引き剝がされたまったく独立のものとして、諸個人と並ぶ独自の世界として、現われる。このことの根底にあるのは、諸個人の諸力こそが生産諸力であるのに、彼らは分裂して相互対立の中で生存していること、ところが他方、この諸力は彼らの交通と連関の中でしか現実的な力とはならないこと、こうした事態である。

 こうして、一方の側には生産諸力の一総体 eine Totalität が立ち、生産諸力があたかも gleichsam 物象的な姿 eine sachliche Gestalt を身に帯びていて angenommen haben、諸個人の側からすればそれはもはや諸個人の力ではなく、私的所有の諸力である。それゆえ、それが諸個人の諸力であるのは、諸個人が私的所有者である限りにおいてである。以前のどの時代にも、生産諸力が諸個人としての諸個人の交通にとってどうでもいいような、こんな姿だったことはない。それは、彼らの交通そのものがまだ局限されたもの ein bornierter だったからである。


 他方の側には、このような生産諸力と向かい合わせに諸個人の大多数が立ち、この諸力が彼らから引き剥がされているために彼らは一切の現実的な生活内容を奪われ、抽象的な諸個人になってしまっている。しかし、まさにそのことによって、彼らは今や初めて、諸個人として相互に結合関係に入ることができる立場に立たされたのである。」

『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,pp.195-196.

註★:この段落のみ、河出版の原文を参照して改訳。borniert: 偏狭な、狭量な、視野の狭い。



 廣松訳は、少し前のクダリでは危うかったが、この部分ではたいへん正確で、しっかりしている。こうした内容――物象化論――に、氏の関心が集中しているからだろう。













 「物象化」を生み出している事態とは?:「物象化」の「根底にあるのは、諸個人の諸力こそが生産諸力であるのに、彼らは分裂して相互対立の中で生存していること、ところが他方、この諸力は彼らの交通と連関の中でしか現実的な力とはならないこと、こうした事態である」――――

 「生産力 Produktivkräfte」とは、「諸個人の諸力 Kräfte der Individuen」にほかならない(といっても、バラバラな個人のそれぞれの力の総和‥なのではなく、諸個人の協働 Zusammenwirken ――まとまった協同活動であれアナーキーに連関しあった活動であれ――によって生ずる・多岐に向かう合成力)。したがって、当然のことながら、「生産力」すなわち「諸個人の Kräfte」は、諸個人の「交通と連関の中でしか」現実化しない。ところが、この「交通と連関」は、分裂し相互対立しあう諸個人によって、アナーキーに遂行される。それでも、合成力は、いささか分裂ぎみに生み出されるし、現に、高度な水準の生産活動と交通を現出させているのだが、その動向も向かう方向も、いつどう変わるか予想しがたいようなものであるし、諸個人自身にとっては、まったく自分らの自由にはならない、自分らとは別個の巨大な“生きもの”にしか見えない。

 著者らは、資本主義のもとでの・こうした物象化の昂揚に関心を集中させているけれども、こうした事態は、久しく以前の社会においても存在したものである。その場合に重要なのは、この“諸個人を超えた諸力”の存在とふるまいが、人間たちに対する《自然》のふるまいによく似ていることである。この“物象化した諸力”を、人びとは、ある場合には“国家”として、ある場合には宗教的な形象として把えただろうけれども、彼らにとっては、それら諸力は、《自然》の威力と相即するものであった。

 ◎ そして、資本主義下の場合とちがうのは、人びとは(各々の立場に応じて異なる程度で)多かれ少なかれ、この“物象化した力”を、自分たちにつながるものとして感じ、その内に安心立命 Gemütlichkeit を見出すことができた点である。非農業民、遊行の民、といった“おもての国家秩序”から疎外された集団ほど、それは顕著であった。それゆえにこそ、彼らの提供する芸能は、人々を魅了したのだ。

 “神とは人間自身である”“国家とは、社会とは人間自身である”という、フォイエルバッハ→シュティルナーの命題が、マルクス/エンゲルスのこの議論の背後に響いている。


 人びとは、「一切の現実的な生活内容を奪われ、抽象的な諸個人になってしまっ」たが、「まさにそのことによって、彼らは今や初めて、諸個人として相互に結合関係に入ることができる立場に立たされたのである。」――――生産手段の占有から排除され、“二重に自由”になったおかげで、共同体の束縛からも解放された、→∴新たな結合の可能性を獲得した……ということを言っているのか?



「〔第二の事実。〕諸個人が生産諸力および彼ら自身の生存とかろうじて関わりを保っている唯一の連関、すなわち労働が、彼らの側では自己活動の輝きをことごとく失ってしまい、労働はただ彼らの生活を不快にさせることによって彼らの生活を支えるだけになる。以前のどの時代でも自己活動と物質的な生の創出とは分離していたが、それは双方が別々の人物に割り振られていたことによるのであって、物質的な生の創出
〔すなわち広義の労働〕はまだ――諸個人自身の局限性のため――程度は低いが一種の自己活動とみなされた。これに対して今日では、そもそも物質的な生が目的として現われ、この物質的な生の創出、すなわち労働(これが今日では唯一可能な、だがわれわれが見たように否定的な、自己活動の形態なのである)が手段として現われるほどに、自己活動と物質的な生の創出とは離れ離れになっている。」
『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,pp.196-197.



 近代以前には、(本来の「自己活動」に近い)「物質的生の創出」=生産活動が:目的

 資本主義の下では、   「物質的な生」:目的
   「物質的生の創出」=(従属的)労働:手段。


 また、このクダリから、『ドイツ・イデオロギー』の時点では、「労働」という言葉を、人間の働く活動一般、生産活動一般(←これらはヘスに倣って「(自己)活動」と呼んでいる)ではなく、その特定の一部を指して使っていることがわかる。おそらく、雇用労働ないし従属労働の意味で使っている。

 だから、「労働の廃止」とは、従属労働を廃止するという意味。

 シュティルナーは『唯一者とその所有』のなかで、


国家は、労働の奴隷制にもとづいている。労働が自由になれば、そのとき、国家も消滅する。」


 と述べていた。マルクス/エンゲルスは、これに反論して、「労働」が共同体からも生産手段からも「自由」になることこそが、ブルジョア国家を支える基盤だ、と主張した。だから、まっとうな議論をするなら、彼らは、シュティルナーの言う「自由」の意味を問題にすべきだった。ところがマルクス/エンゲルスは、「労働」が自由になっても国家は消滅しない。「労働」が消滅しなければ国家は消滅しない。これ、論理必然ではないか、と主張したのだ。

 シュティルナーが「労働」をどんな意味で用いていたかはわからない。従属労働に限らず、手工業親方や独立農民の労働(つまり「自由」な労働)まで含んでいたかもしれない。しかし、マルクス/エンゲルスは、このような形式論理的な無理な反論をした結果として、ここでは「労働」の意味を狭く解さざるをえなくなっている。(『廣松渉著作集』,第11巻,pp.361-362.)

 「自由」の意味が問われなかったことは、彼らの未来社会の構想に影を落とすことになってしまった。「自由」の意味が主題的に問われることがないために、社会主義国家や共産主義社会において、どのように「自由」を確保し、「平等」の維持と両立させてゆくのか、という観点が欠けることになった。「平等」な社会編制と両立する限度でのみ「自由」の余地が認められ、それによって斬り捨てられる部分は、「ブルジョア的」な意識形態であり共同幻想にすぎないと言って済ます。そういう安易きわまりない・ご都合本位の詐欺的「自由」観が跋扈することとなった。






 






 【30】断章――決定論と非決定論



 われわれはすでに、『ドイツ・イデオロギー』における彼らの言明から、マルクス/エンゲルスが、少なくとも人間の社会、および人間社会の歴史に関しては、かならずしも決定論を採っていないことを見てきた。たとえば、{5}d:



「こうして、思弁のやむところ、
〔…〕人間たちの実践的な活動、実践的な発展過程の叙述が、始まる。〔…〕

 現実が叙述されれば、自立的な哲学は、棲息の場を失う。それに代わって登場しうるのは、たかだか、人間の歴史的発展の考察から抽象されるごく一般的な結論の総括ぐらいでしかない。この抽象されたものは、それ単独では、つまり現実の歴史から切り離されては、全く無価値である。それはただ、他の人々に歴史の考察のための歴史的史料を整理しやすくし、史料の個々の成層を順序づける輪郭を与えるのに役立てることができるだけである。抽象されたものは、しかし、哲学のように、それに従えば歴史の各時代がうまく切り盛りできるといった処方箋や図式を与えてくれるものでは決してない。

 むしろ、史料の考察や整理に、さまざまな成層の現実的・事実的な連関の探求に、着手するそして
〔…〕、現実的な叙述に着手する、その場面から初めて困難が始まる。この困難が除去される条件となる諸前提は、〔…〕各時代の各個人の現実的生活過程と実践的営為とを研究することを通して、初めておのずから明らかになる。われわれはここで、これら抽象されたものの若干を取り出し――それをわれわれはイデオロギーに対置して用いる――それを歴史的事例に即して説明することにしよう。」
『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,岩波文庫,pp.32-33.



 『ドイツ・イデオロギー』の歴史叙述――彼らの言う「発展過程」の叙述――は、このように前置きして、開始される。それは、振り返ってみれば「発展」してきたことがわかる、というだけのことであって、人類は「法則」にのっとって必当然的に「発展」するとか、与えられた初期条件によって、「発展」の経路と速度が決定される、などということではない。

 たしかに、彼らが、この「生産力至上主義」を奉じていた段階では、「発展」に価値を読み込み、「発展」が速いほど、また「発展」の・より進んだ段階ほど価値が高いとする観念に侵されていたことは、否定できない。しかし、それにしてもその「発展」は、諸個人の「意識的」行為――生産活動、その他「自己活動」――の集積によるのであって、諸個人は、何らかの「法則」に“決定”されて行動するわけではない。生命のない宇宙が「法則」にしたがって進行し、昆虫や動物が「本能」にしたがって行動するとしても、人間たちは自ら「意識」して《自然》との交換を行ない、その結果として、人間と《自然》との関係、および彼ら人間の社会編制――分業交通――が造られてゆく、というのが、この段階ですでに彼らが獲得していた認識であった。その過程が、結果として・ある「発展」経路を描いてきたように見えるとしても、それは事後的に見て・そうなのであって、“神の摂理”のような、あるいはヘーゲルの“世界理性”のような、何らかの「法則」に支配されて進んで来たわけではない。

 それでも、「決定論」と「非決定論」は、今日でも社会理論上の大きな論点となりうる。廣松渉氏によれば、@客観的「法則」が、一人ひとりの人間の一挙手一投足を決定しているかのような極端な「決定論」と、A人間はその主観的意思によって、なにごとをもなしうるかのような極端な「非決定論」という両極が、現代の人々を支配しているために、両極の矛盾は、これまでになく巨大な裂け目を現出させている。しかし、この両極端はどちらも、科学がかつてない巨大な支配力を人間に与えている……現代の人間たちが、そう思い込んでいるために生じている現象にほかならない。



「中世ヨーロッパのキリスト教神学においては、一方では神の絶対的・全一的な支配が主張される。神によることなくしては何事も生じないとされる。この意味において、神の意志による森羅万象の全面的な決定論が立てられる。」

廣松渉『マルクス主義の地平』,1969,勁草書房,p.156.



 しかし、そうなると、悪人のどんな犯罪行為も神が決定した行為だということになり、逆に、どんな堕落した背徳的生活をしようとも、神の決定にしたがっているだけだ、ということで正当化されてしまう。
「この不都合を回避するためには、何らかの仕方で人間の自由意志が承認されなければなら」ないというジレンマが生ずる。

 「自由なくして責任なし。」背徳行為、犯罪行為に非難を向けるためには、
「道徳律の根拠として自由意志、非決定論が要請される」(p.157)













 「近代科学の要請」。もともと、ユダヤ教でも原始キリスト教でも、またギリシャ人の運命観でも、
「人間の運命が定められているのは結末であって、その帰結に至るまでの過程は必ずしも一義的に被決定的とは見做されなかった」(廣松渉『マルクス主義の理路』,p.226)。たしかに、アリストテレスの説く天体の運行は一義的軌道と速度によるけれども、それはまさしく「地上界とは秩序を異にする天上界」の現象だからであった(ibid.,p.227)


「ヘブライズムの原型における神とその民との関係は、
〔…〕牧夫と家畜の関係になぞらえて」理解することができる。羊の群れが「行き着く先は牧夫によって定められている。しかし、羊は道草を食ったり、一時的に行路を離れたり、時によっては牧夫の意に叛いたりすることも可能なのであって、〔…〕そこには過程的“自由”の余地が残されていた。」
廣松渉『マルクス主義の理路』,1974,勁草書房,p.227.



 このような古代・中世人の“常識”が大きく変化したのは、「近代科学の要請」によるところが大きい。



「事象が合法則的に生起するという思想は、その原型に遡れば、超越的な有意的な主宰者
〔例えば、キリスト教の神〕による支配という思想から変成したものであろう。この原型においては、生起する事象はことごとく超越的な主宰者の意志・計画の実現だと思念される。〔…〕近代的な発想の確立にともなって、有意的人格の主宰者が消去され、超越的な計画が世界に内在する法則性となり、事物の世界からアニマが抜き去られるに及び、法則は単なる"路線"以上のものとなる。〔…〕

 法則はもはや単なる路線ではなくして、いわばミサイルを誘導するビームのように、事象が自分に則って進行するよう、
〔…〕何らかの規定的な作用を及ぼすものであるかのように表象されがちである。」
廣松渉『マルクス主義の地平』,1969,勁草書房,pp.167-168.



「近代科学は超越的意志の逐次的干渉
〔多分に気まぐれな。加持祈祷は、供え物をして神仏の感情に訴える必要がある〕や事物に内在する霊魂の意志を排除して、万象を力学的な法則性に服せしめる。もし、物象が必然的な法則性に服していなければ、科学的探究は無意味になってしまうと思念される。〔…〕

 
〔しかし、〕この際留意すべきことは、偶然や自由が存在しないということを科学そのものは決して証明しえたわけではなく、それはあくまで公準 Postulat だということである。」
廣松渉『マルクス主義の地平』,1969,勁草書房,pp.157-158.



 たとえば、熱に関する法則は、統計的・大数的にしか成立しない。個々の分子の行動までは予測も支配もできない。

 もっともその場合、理論的には、個々の分子も力学と電磁気の法則に厳密に従っているとされる。個々の分子の位置や速度を予測できないのは、初期条件を正確に測定できないためにすぎないとされる。

 それでも、素粒子レベルの微小な単位の研究が進んでくると、「不確定性原理」や光子の波動性、観測問題のような“ほころび”が現われてくる。

 個々の分子や素粒子が一義的な法則にしたがっているというのは、解釈にすぎない。

 範囲を広げて、生物界、地質界の諸現象になると、“例外のない法則はない”と言われるほどである。“法則の支配”は、研究の指針であり、必要な仮定にすぎない。



「"ロシア・マルクス主義"は、その科学主義的発想から、決定論と、因果律の承認とを同値化し、『因果律を承認する以上、マルクス主義が決定論の立場をとるのは当然である』と称する。
〔…〕そして他面では、革命的実践の当為〔道徳主義的な!〕を権利づけようとして〔…〕自縄自縛に陥る」
廣松渉『マルクス主義の地平』,1969,勁草書房,p.161.



 しかし、“自然科学的因果関係”と言うとき、承認可能なのは、「Pが存在すればQが起きる」ではなく、「Pが存在しなければQは起きない」「PなければQなし」だけである。つまり、「必要条件である」ということだけが、「原因」というものの・認めうる唯一のあり方である。なぜなら、自然界では、ただひとつの原因によって必当然的に起きる結果というものは存在しないから。あらゆる事象は、多数の条件の結果として生ずる。それが自然界というものである。まして、人間社会は。。。

 「PならばQ」が成り立つのは、同義反復(トートロジー)の場合だけである。すべての数学的命題は同義反復であるがゆえに、数学においては「PならばQ」が成り立つ。

 かりに人間社会において因果律が成り立つとしても、――実は成り立たない。中間に「人間の意志」が介入する場合に因果律を認める法理論などは存在しない。そんな狂った考えで裁判を行なったら、世の中はめちゃめちゃになってしまうからである――それだから決定論的法則が成り立つ、ということにはならない。

 "ロシア・マルクス主義"は、その前提からして全くの誤謬の集積である。

 そして、「自縄自縛」に陥った彼ら「マルクス主義」者――“ロシア”とは限らない――は、「客観的」と「主体的」なるものの両刀使いを始める。どこまでも、ご都合主義と粉飾論理のみが彼らの信条である。 






 






「カントは、個々人の自由意思にもとづく行為であっても、それを全体的統計的にみれば統計的必然性に従っているという思想をいちはやく打ち出している」

廣松渉『マルクス主義の地平』,1969,勁草書房,p.163.



 カントは、「結婚、出産、死亡」の数の増減について、「それらの現象が規則正しい歩み方をしていることを発見しうる。」「意志の現象、すなわち人間の行為は、他のあらゆる自然現象と同様、普遍的な法則によって規定されている。」と語る(『世界公民の見地における一般歴史の考察』)。廣松氏は、これを、統計力学や量子力学の「統計的必然性」と同様の法則が支配するかのように言うのだが、せいぜい比喩ではないか。分子や素粒子は意志を持たないし、物理現象は反復可能だが、歴史現象はそうではないからである。

 しかし、それ以上に注意すべき点は、個々人は、出生率を上げようとして結婚、出産するわけではないし(国家が政策的に追求することはあっても、意図が実現するとは限らない)、個々人の意識する目的と、統計的に観察される“傾向”とは、まったくかけはなれたものである、という事実だ。

 また、カントが言うのとは違って、じっさいに観察されるのは、「法則」というより、おおざっぱな「傾向」であろう。物理法則のように、将来の出生率の数値を予測することなどは不可能である。

 ともかく、ドイツ・イデオローグの言説は、極端へ向かう。シェリングになると、次のように言う(『人間的自由の本質』):



「『知的存在は、それ自身の内的自然本質に従ってのみ行為することができる。
〔…〕絶対的必然性のみが、また絶対的自由である。なぜなら、自己自身の本質の諸法則に従ってのみ行為し、自己の内外を問わず、他のいかなるものによっても限定されないものこそ、自由だからである。〔…〕

 内的必然性がとりもなおさず自由なのであり、
〔…〕必然と自由は、一つの本質として融合する。』」
廣松渉『マルクス主義の地平』,1969,勁草書房,pp.163-164.



 この「内的本質」「内的必然性」は、ヘーゲルになると、「絶対理念」という、個人の外にある客観的な実体となる。そして、「自分が絶対理念に全く規定されているのだということを知るのが人間の最高の自立性〔自由〕である」とする。

 ただ、ヘーゲルの場合には、「絶対理念」「世界精神」は、個々人がどんな意図をもって行為するかに関わらず、諸個人全体によって自己を貫徹する(「理性の狡智」)。たしかに、カントもすでに、各個人が「自分の意図を遂行しようと努めることによって、……彼自身の知らない・自然の意図を促進する」ことになると言っていた。






     






「『理性の狡智がどういう点にあるかといえば』ヘーゲル自ら説明していう『
〔…〕神はさまざまの特殊な激情や関心をもっている人びとを好き勝手にさせておく。しかし、その結果として生じてくるものは神の意図の実現であって、それは神が手段として用いている人びとが追求していたものとは全く別のものである』

 この世界理性の意図を対自的に知り、絶対理念に全一的に規定されていることを知るのが、人間の最高の自立性であり、
〔…〕神への知的愛にほかならない。必然性の洞察が自由だというヘーゲルの思想は、このような内実をもつ。〔…〕

 個別的主体の"自由行為"――
〔…〕この個別的な事象、〔…〕偶然的な諸事象が全体としては大法則を貫徹せしめるという発想である。

      
〔…〕

 売買という人間の行為をはなれて物価が自己運動するわけではない。
〔…〕"因果的"規定関係が存立しうるためには、人間の意識的な行為が〔によって?〕媒介されなければならない。まさしく、『人間の意志行為なくしては何事も生起しない』。〔…〕

 
〔しかし、〕人びとは"適正価格"以下で売ることも、"適正価格"以上で買うこともできる。この限り、人びとの売買行為は、需給関係と需給法則によって一律に例外なく支配されているわけではない。〔…〕抛物運動の法則などとは決定的に異なる。需給法則が物価を支配するといっても、〔…〕集合現象としての売買価格が、全体として結果的・統計的には、"需給法則"にかなっているというだけである。〔…〕需給法則を貫徹させようと意志する人は存在しない。〔…〕各人の意識内容や目標は、需給関係と直接的な関係をもっていない。〔…〕売買主体の行為は需給法則に対して、〔…〕偶然的である。〔…それどころか〕需給法則が成立しうるためには、売買が単に"偶然的"であるにとどまらず"自由"でなければならない。〔…〕

 右の需給法則にみられる事情は歴史法則の貫徹様式一般に推及することができよう。そして、これを推及するとき、歴史法則の"必然性"と諸個人の"自由行為"との間には、ヘーゲルのいう『理性の狡智』を髣髴たらしめるものがないであろうか?

 
〔…〕人びとは、各人の本性に従って、さまざまな関心や情熱をもって活動し、"好き勝手"に振舞うことを通じて、全体的・結果的に、理性の目的を実現していくのである。

      
〔…〕

 エンゲルスはいう。『社会の歴史においては、行為者は……一定の目標をめざして活動している人間である。……しかし、その行為から現実に帰結する成果は、意慾されていたものではなく……
〔…〕欲求されていたものとはおよそ異なったものである。〔…〕

      
〔…〕

 エンゲルスは続けていう。『
〔…〕歴史的に行為している人間の、表面上の、そしてまた現実の作動している動因は、決して歴史的出来事の究極的な原因ではないこと、この動因の背後に、別の可動力が存立しているのであって、これを探究すべきだということ〔…〕』」
廣松渉『マルクス主義の地平』,1969,勁草書房,pp.165-166,170-172,174.













 「適正価格」――均衡価格のことだろう。均衡価格より安く売る売り手、高く買う買い手のことが述べられているが、それぞれの事情(在庫を早くはける必要があるなど)や戦略があってのことだろう。しかし、こうした行動が全体の需給に対しては攪乱要因となって、わずかな攪乱が全体の動向を大きく左右することもあるのではないか? しかも、それは意図して生じさせることができるようなことではない。

 需給法則のとらえ方が、あまりにも単純で公式主義的だ。

 歴史一般についても同様に言えるだろう。「理性の狡智」と言うが、「理性の狡智」が“失敗”する場合も多々あるように思う。つねに「法則」どおりになるわけではない。いや、「法則」は「貫徹」しないことが常態だと考えるべきではないか? また、「法則」自体が、そんなに単純なものではない。さまざまな要因の影響を受けて、結果は大きく異なったものになる。





【ユーラシア】『ドイツ・イデオロギー』ノート(12) ―――につづく。   










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