07/21の日記

18:00
【ユーラシア】『哲学の貧困』ノート(2)

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ヘリット・ベルクヘイデ「ハーレムの擁壁とピンクモーレン(風車)の風景」(17世紀) 







 こんばんは。(º.-)☆ノ




 【ユーラシア】『哲学の貧困』ノート(1)からのつづきです。


 マルクス著『哲学の貧困――プルードン氏の「貧困の哲学」への回答』は、プルードン『貧困の哲学』(1846)に対する批判の書として 1847年にフランス語で公刊された。

 「第2章 経済学の形而上学 第2節 分業と機械」は社会的分業と工場内分業の関係を、「第4節 所有ないし地代」はリカード「地代論」にからんで資本主義下の「近代的土地所有」の問題を扱っている。これらの節から抄録する。

 筑摩書房『マルクス・コレクションU』の塚原史・今村仁司訳を使用した。第2章第2節、第4節は今村氏の訳である。

 ちなみに、現在、ネットや書店の端末で『哲学の貧困』の訳本を検索すると、まとばウンタラの訳しか出てこない。他の訳書は品切れのようだが、マトバ訳はお勧めしない。“超訳”で無理やりマルクスとプルードンを近づけようとしているらしく、「効用価値」を「使用価値」と訳すなどの誤訳(故意の誤訳を何と言うのか?)が目立つ。だいいち、この本は中身のわりに高すぎる。読者を貧困にしないと気がすまないのだろうか?

 現在求められるのは、マルクスとプルードンそれぞれのカドをすり減らして両者をくっつけることではない。むしろ、両者の意見の違いを際立たせ、“思想対思想”の戦いを尖鋭化させることだ。そうしてはじめて、われわれは両者から必要な部分を採り入れることができる。われわれは、マルクスもプルードンも信奉しないし崇拝もしない。彼らから2世紀を隔てた現在、われわれは、彼らの間違えを正す材料をふんだんに手に入れているのだから。


 この「ノート」は、例によって、著作の内容を要約することも、著者らの思想を伝えることも目的としていません。あくまでも、私個人の思索のための抄録と、必ずしもテクストにとらわれないコメントを残すためのものです。






 【4】第2章第2節―――「分業と機械」




分業の良い側面
 『分業は、その本質からみれば境遇と知力の平等が実現される様式である』(
〔プルードン『貧困の哲学』。以下同じ〕第1巻,93ページ)

 分業の悪い側面
 『分業は、われわれからみれば貧困
(ミゼール)の道具になった』(第1巻,94ページ)

   異文
 『労働は、労働にふさわしく、また労働の生産性の第一条件である法則に従って分割されるとき、かえってその目的の否定にいたり、自分で自分を破壊する』(第1巻,94ページ)

 解決すべき問題
 『分業の有益な結果を保存し、分業の不都合を消し去る再構成』(第1巻,97ページ)」

『哲学の貧困』,in:今村仁司・他訳『マルクス・コレクション』,2008,筑摩書房,pp.284-285.



 社会改革のプランとしては、↑このプルードンの考えのほうが適切に近い。マルクス/エンゲルスは『ドイツ・イデオロギー』で「分業の廃止、止揚」を盛んに主張しているが、精神的/肉体的労働以外の社会的分業と工場内分業を全面廃止してマニュファクチュア以前に戻るとしたら、「資本主義時代の成果に立脚して未来社会を建設する」という彼らの主張と矛盾する。

 プルードンの主張する分業の「平等化」作用は、たしかに当っている。個人の熟練や技術的巧拙が意味を失うことだから。現実には、マルクスが言うように、「下働き」労働者を苦痛労働に押し込める不平等化の温床になっているとしても。プルードンも気づいて述べているように、「分業」を効率化の手段として利用するならば、「かえってその目的(平等化)の否定にいた」る。

 問題は、分業の「平等化」を発揮させるシステムはどうしたら可能かだろう。この、実施ないし移行の方法に関しては、マルクスのような考え方のほうがよい。プルードンらアナーキストも社会主義者も、秀でた人びとによる企画創案と管理を考えるが、それでは国家テクノクラート支配を必須としてしまう。













「『細分された労働の最初の結果は、魂の退廃であり、そのつぎに支出された知性総量に逆比例して増大する労働時間の延長である。……しかし仕事の持続時間は1日に 16時間から 18時間を超えるわけにはいかないから、
〔…〕価格面で償いがなされ、こうして賃金が低下していく。特別に注目すべきことは、普遍的良心は職工長の労働と見習工の手仕事を同列に置かないという事実である。したがって、1日あたりの賃金の下落の必然性がある。〔…〕』(第1巻,97-98ページ)」
『哲学の貧困』,in:今村仁司・他訳『マルクス・コレクション』,2008,筑摩書房,pp.290.



 工場内分業の結果が、労働の単純化・苦痛労働化、労働時間の延長、賃金の切り下げであることは、プルードンもマルクスも結論において変わらない。産業資本家の肩を持たない限り、当時の人びとにはあまりにも明らかな事実だったのだろう。おそらくリカードも同様に考えていた。

 「普遍的良心は職工長の労働と見習工の手仕事を同列に置かない」――ここにも、テクノクラート支配を正当化してしまうプルードン思想の問題性が表れている。テクノクラート支配が「必然性」をもつということは、「アナーキズム」の看板を裏切って、国家を無くさないどころか、万能の国家権力を正当化してしまうということだ。



「『分業はひたすら労働を多面的な部分に分けて、各人にとってもっともふさわしい専門職に各人を専念させるのである。工場は、各部分が全体とどのように関係するかに応じて労働者たちを類別する。……工場は労働のなかに権威の原理を導入する。
〔…〕機械であろうと工場であろうと、それらは労働者に〔機械という〕主人を与えて労働者を堕落させた後で、労働者を職人のランクから下働きのランクに落ちぶれさせることで、労働者の格下げを完成させる。〔…〕』(第1巻,135,136,161ページ)

 プルードンに対してひとつだけ忠告しておく。各人にもっともふさわしい専門職に各人を専念させるという労働の多面的な部分への分離、プルードンが世界のはじまりからあるというこの分離は、競争体制の下にある現代産業においてしか存在しないのである。」

『哲学の貧困』,in:今村仁司・他訳『マルクス・コレクション』,2008,筑摩書房,pp.292-293.



 ↑このようにマルクスは、ここからはっきりわかるように、工場内分業を否定する。工場内分業は、「競争」に支配された資本主義にだけ見られる現象で、未来社会では廃棄されると言うのだ。この否定は、「資本主義の成果の上に立つ」という彼らの目標と矛盾する。(しかも、この節のなかの・少し後の部分↓では、逆に、「自動機械工場」を全面肯定してしまう

 むしろプルードンの言うように、ひたすら効率を目的として「分業」を発展させるのを、やめるほうがよい。

 マルクスらは、「分業を揚棄する」と言いながらそれを温存し、しかも分業を改良する手立てをまったく検討しもしなかった。ただヘーゲル流の大宇宙的思弁を弄しただけである。



「現代の工場の内部では、分業は企業家の権威によって細部にわたって規制されるのだが、現代の社会では、労働を分配するために自由競争以外の規則も権威もない。

 家父長体制、カースト制、封建制と同職組合制などの下では、社会全体にわたって固定した規則による分業があった
。これらの規則は一人の立法者によって決められたのであろうか。けっしてそうではない。これらの規則は元来は物質的生産の条件から生じたのであって、ずっとのちになってようやく法律となったにすぎない。」
『哲学の貧困』,in:今村仁司・他訳『マルクス・コレクション』,2008,筑摩書房,pp.294-295.

註★:つまり、これらの社会では、さまざまな種類の生産物の生産と配分は、「市場」交換の結果としてではなく、社会のプラン(←自然発生的・伝統的に形成された)によって予め定められていた、とマルクスらは考えた。『ドイツ・イデオロギー』参照。






 






 マルクスは、「分業」の発展のすべてを経済的「土台」から、つまり「生産力発展」から、そのもとをたどれば「生産の条件」から説明しようとする。しかし、政治過程や宗教、文化の、独自の伝統的条件に基づく独自の発展の影響も大きいのだ。たとえば「カースト」。



人格的依存関係が社会の支配的な構成原理として機能しているような前資本主義的構成体においては、とくに、第一次構成体
〔「物象的依存関係を社会の構成原理にしていない社会構成体」。氏族社会とアジア的生産様式社会。『ザスーリチ宛て草稿』による。〕においては、この構成体の『実在的土台』は、≪経済的≫土台にはけっして還元され得ないはずである。

 たしかに、『経済学批判』の『序言』におけるマルクスの経済学方法論的な周知の公式は、『市民社会の解剖学』としての彼の『経済学』『研究にとって導きの糸として役立った。
〔…〕しかし、この定式は、〔…〕そのままのかたちでは前資本主義的構成体(たとえば、封建的構成体)の構造的分析にとっての適切で十分に有効な武器にはけっしてならないであろう。なぜならば、封建社会や古代社会は≪経済的≫関係だけが『生産諸関係の総体』をなしているような社会ではない〔…〕封建社会の運動のメカニズムの分析を資本主義の運動のメカニズムの分析との類推によって経済的カテゴリーの領域だけに限定するわけにはいかないからである。〔…〕

 このようにして、西ヨーロッパ中世史の分野におけるマルクス主義的な≪新しい歴史学≫の代表的な旗手であるA・R・グレヴィチもまた強調してきたように、中世社会においては物象的依存関係と人格的依存関係とが複雑に絡み合っており、人格的依存関係が支配的な構成原理になっているがゆえに、まさにこの中世社会のばあいには、われわれは経済においてあらわれるような社会的関係=社会的諸連関の構造とメカニズムをあきらかにするだけでなく、政治やイデオロギーや宗教や文化やその他の諸領域においてあらわれるような社会的関係=社会的諸連関の構造とメカニズムをも特別にあきらかにしなければならない。『経済学批判』の『序言』における周知の公式は、もっぱら資本主義社会の構造分析のために作成された≪経済的発展諸段階のきわめて抽象的な理論次元におけるモデル≫であるにすぎない。」

福富正美『経済学と自然哲学』,1989,世界書院,pp.77-79.



 つまり、中世封建社会の「生産関係」とは、経済的関係だけではなく、「政治やイデオロギーや宗教や文化」、また、授封、位階制などの「法的」な人格的依存関係を含んでいる。なぜなら、封建社会での剰余価値の収奪は、純経済的な、「物象化」されたものではなく、「経済外強制」を主軸とするものだからだ。「経済外強制」とは、人格的依存関係に基く「強制」である。



マニュファクチュア工業にとってもっとも不可欠な条件のひとつは、アメリカ大陸の発見によって加速された資本の蓄積であり、また新大陸の貴金属の
〔ヨーロッパへの――訳者註〕流入である。

 交換手段の増加の結果は、一方では賃金と地代の下落であり、他方では工業利潤の増加であったことは十分に証明済みである
。いいかえれば、地主階級と労働者階級、封建領主と人民が没落するに応じて、資本家階級すなわちブルジョワジーがのしあがるのである。

 また、これ以外にもいくつかの事情があり、それらが一緒になって、マニュファクチュア工業の発展を助ける。すなわち、商業が喜望峰を通って東インドに浸透してからの流通する商品量の増大、植民地体制、海上貿易の発展、がそれである。

 マニュファクチュア工業の歴史のなかでこれまで十分に注目されてこなかったもうひとつの点は、封建領主たちの多数の家臣の解雇であって、そのなかで下層の従僕たちは工場に入ってくる前には浮浪者になった。工場が生まれる前に、15世紀と16世紀ではほとんどどこにでも浮浪者層がみられた。
〔…〕農民たちは、農地の牧場への転化、土地耕作のために以前よりも少ない人出ですむ農耕法の進歩によって、たえず農村から追放されて、数世紀にわたって都市に流れこんできた。

 市場の拡大、資本の蓄積、諸階級の社会的地位を突如として襲った変動、収入源泉を奪われた人びとの群れ、これらはマニュファクチュア形成のための歴史的条件であった。」

『哲学の貧困』,in:今村仁司・他訳『マルクス・コレクション』,2008,筑摩書房,pp.295-296.

註★:ホブズボームによれば、このことが史料によって実証されたのは、ようやく 1929年前後のことだった。しかし、すでにマルクスの時代には、常識的見解として、そう言われていた。(ホブズボーム,市川泰治郎・訳「『資本制生産に先行する諸形態』の研究序説」,in:『共同体の経済構造』,1969[新装復刊版2006],未来社,p.26.)



 「価格革命」の結果有利になった土壌のもとで、16世紀西ヨーロッパに《初期産業革命》が萌芽した。その象徴的記念物は、オランダの風車である。













「生産用具と労働者の集積と集中は、工場内分業の発展に先行した。マニュファクチュア成立の要点は、仕事の分割とか、ごく単純な課業に一人の専門労働者をあてがうことにあるというというよりも、むしろ多くの労働者と多くの手仕事をただひとつの場所に、資本の指揮下にある部屋に集めることにあった。

 工場の効用は、本来の分業にあるというよりもむしろ、大規模に労働ができて、無駄が省けるという事情にあった。16世紀の終わりと17世紀初めに、オランダのマニュファクチュアはほとんど
〔ギトン註――工場内〕分業を知らなかった。
『哲学の貧困』,in:今村仁司・他訳『マルクス・コレクション』,2008,筑摩書房,pp.297.

註☆:この後の論旨が不明瞭なのだが、“工場制マニュファクチュアが始まっても最初のうちは、集められた労働者のあいだでの作業の細分化は進行しなかった。18世紀になって、機械が導入されて初めて(本来の「工場」生産)本格的な工場内分業が起こった”、ということのようだ。



 マルクスは、マニュファクチュアによる生産力発展の重要部分は、工場内分業よりも、それに先立つ・ひとつの作業場への労働者+生産用具の集中にあったとしている。



「生産用具の集積と分業は、
〔…〕互いに不可分である。土地という農業労働の用具が集積されたイギリスでは、やはり農業の〔ギトン註――農場内〕分業が生まれ、土地耕作に機械が応用された。土地という用具の分割すなわち分割地制度をもつフランスでは、一般に農業の分業はなく、土地への機械の応用もない。

 
〔…〕用具の集積が発展すると、分業も発展するし、逆に言っても同じである。〔…〕機械技術上の大きな発明があれば、それにつづいて一層大きい分業が生まれるのであり、分業が深まるにつれて新しい機械技術上の発明も起きるのである。

 分業の大いなる進歩がイギリスでは機械の発明の後で始まったことを思い起こす必要はあるまい。このように
〔機械の発明より以前には〕織布工と紡績工の大部分は、後進地域でまだ見られるように農民〔兼業農家――ギトン註〕であった。

 機械の発明によって、マニュファクチュア工業と農村工業が完全に分離された。織布工と紡績工は、
〔…〕機械によって分離されてしまった。機械のおかげで、紡績工はイギリスに住み、同じ時点で織布工は東インドに滞在している、といったことが可能になる。機械の発明以前では、一国の工業は原則的に自国の土地の産物である原料を使って営まれていた。たとえばイギリスではウールが、ドイツではリネンが、フランスでは絹とリネンが、東インドと近東諸国では木綿が、使用されていた。機械と蒸気の応用のおかげで、一国の土地から切り離された大工業が、もっぱら世界市場、国際貿易、国際分業に依存するほどの規模にまで達することができた。要するに、機械は分葉に多大の影響を及ぼすのだから、どれかひとつの製品を製造する場合に部分的にせよ機械装置を導入する手立てが見つかると、ただちに製造工程は相互に独立した二つの営み〔機械化された工程と、機械化されていない工程?――ギトン註〕に分離される。〔…〕

 イギリスでは、手の労働で間に合わないまでに市場が発達したとき、機械が必要だと感じられた。そのとき 18世紀にすでにできあがっていた機械の科学
〔力学――訳者註〕を応用するだけでよかった。

      
〔…〕

『ワイアットはアークライトよりもずっと以前に紡指(溝つきローラー列)を発明した。……主要な困難は自動機械装置にあったわけではない。……困難は、わけても、不規則な仕事の習慣を人々に放棄させ、ひとつの大きな自動機械の規則正しさに人々を一体化させることにあった。自動機械システムの要求と迅速さにふさわしい工場生産規律を発明し運用すること、これがヘラクレス級の企てであり、これこそがアークライトの高貴な仕事であった』(第1巻,21-22,23ページ)

 まとめて言えば、機械の導入によって社会内分業は深まり、工場内部の労働者の課業は単純化し、資本は一点に集中し、人間はさらに一層切り刻まれたのである。」

『哲学の貧困』,in:今村仁司・他訳『マルクス・コレクション』,2008,筑摩書房,pp.298-300.






 
Keith Henderson   






「現代社会の内部での分業を特色づけるものは、その分業が特化した仕事や細切れ仕事を生み出し、それとともに職業的痴呆を生み出すことである。

 ルモンテーはつぎのように言っている。

 『古人においては同一の人物が、同時に同じ卓越をもって、哲学者、詩人、雄弁家、歴史家、司祭、行政官、将軍であるさまを見ると、感嘆にたえない。
〔…〕現代人の誰もが垣根をつくってそのなかに閉じこもる。このような囲い込みによって空間が大きくなるのかどうかは知らないが、人間が縮んでいくことぐらいは私にもよくわかる。』

 自動機械工場における分業を特色づけるものは、労働が専門的性格をすべて失うことである。しかし、専門職のあらゆる発展が終わるときから、普遍性への欲求、個人の全体的発展に向かう傾向が感じられはじめる。自動機械工場は細切れ仕事と職業的痴呆を消し去ることになる。

 プルードンは自動機械工場のこのような唯一の革命的側面さえ理解しなかった」

『哲学の貧困』,in:今村仁司・他訳『マルクス・コレクション』,2008,筑摩書房,pp.303-304.



 プルードンが理解しなかったマルクスの「革命的」デタラメは、われわれも理解することができない。

 ここではマルクスはまったく間違えている。「自動機械工場」は、労働者を、「特化した仕事や細切れ仕事」からも「職業的痴呆」からも解放しない。細分化され単純化された非熟練作業の繰り返しによって、永遠の苦痛にうちひしがせるだけである。それは「自動機械工場」という労働システムの特質であって、それを利用するのが資本主義だろうと“社会主義”だろうと変わらない。“社会主義”国家の工場になったとたんに、労働者は、ルネサンスやギリシャ・ローマの「万能人」に変身しただろうか?!

 機械が撲滅したのは、中世の、ひとつの“仕事”に特化した職人芸、親方芸だったが、その結果生み出されたのは、「ひとつの仕事」さえもできないように切り刻まれて「痴呆」化された人間の能力だけだった。そこからどうして「万能人」が生まれよう?

 『ドイツ・イデオロギー』の、「超牧歌的ユートピア」の思い違いも、エンゲルスではなくマルクス自身だったと考えなくてはなるまい。







Pavel Tchelitchew / Gaston Goor










【ユーラシア】『哲学の貧困』ノート(3) ―――につづく。   










ばいみ〜 ミ




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