07/17の日記

06:44
【ユーラシア】『ドイツ・イデオロギー』ノート(7)

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Charles Louis La Salle   







 こんばんは。(º.-)☆ノ



 【ユーラシア】『ドイツ・イデオロギー』ノート(6)からのつづきです。


  マルクス/エンゲルスの共著『ドイツ・イデオロギー』は、編集中途の草稿の状態で遺された未完成の著作です。内容的に未完成で、さまざまに矛盾する主張を含んでいますが、それこそがこの作品の魅力でもあります。また、内容だけでなく、形式面でも大きな混沌をはらんだテクストであるため、字句はもちろん篇別構成・断片の順序に至るまで、編集者の介入を必要としており、版本によって相異があります。ここでは、廣松渉・編訳,小林昌人・補訳『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,2002,岩波文庫. をテクストとして使用します。

 上記岩波文庫版からの引用中、青字はマルクスの筆跡、それ以外(白字)はエンゲルスの筆跡。草稿の抹消箇所は下線付きで、追記・挿入は斜体で示します。



「エンゲルスの筆跡エンゲマルクスの筆跡ルスの筆跡」



「人間を動物から区別するのは、生産するみたいな感じでことによってである。」



「人間が自らを動物から区別するのは、道具を用いて生産することによってである。」



 この「ノート」は、著作の内容を要約することも、著者らの思想を伝えることも目的としていません。あくまでも、私個人の思索のための抄録と、必ずしもテクストにとらわれないコメントを残すためのものです。






 【16】「本論三2」――マニュファクチュア《第二期》






「第二期は 17世紀半ばに始まり、18世紀末頃まで続いた。商業と海運マニュファクチュアよりも急速に拡がり、マニュファクチュアは脇役を演じるようになった。植民地が有力な消費者になり始めた。個々の国々が永い抗争を経て、開かれつつある世界市場を分けあった。この時期は、航海条例と植民地独占をもって始まる。諸国民間の競争は、税率、禁令、条約によってできる限り排除されたが、結局は戦争(特に海戦)によって競争戦が遂行され決着がつけられた。海上で最強の国民、つまりイギリス人が、商業とマニュファクチュアにおける優位を保った。すでにここに一つの国への集中〔が見られる〕。――――――

 マニュファクチュアは、国内市場では引き続き保護関税に、植民地市場では独占に、そして国外市場ではできるだけ手厚く差別関税に、護られた。自国産原料の加工が助成され(イギリスの羊毛・亜麻、フランスの絹)、国産原料の輸出が禁止され(イギリスの羊毛)、輸入原料の加工は軽視されるか抑制された(イギリスの綿花)。海上貿易と植民地支配力で優勢な国民が、当然また、マニュファクチュアを量質ともに最も拡大・拡充する道を確保した。マニュファクチュアはそもそも、保護なしにはやっていけなかった。というのも、マニュファクチュアは、他国にごく僅かな変化が起きただけで市場を失い、潰されかねないからである。ある国にある程度好適な条件があれば簡単に導入されるが、それだけにまた簡単に破壊されるのがマニュファクチュアなのだ。しかもマニュファクチュアは、とりわけ 18世紀がそうであるように農村で営まれたという性格からして、国民の多数の諸個人の生活諸関係に密着したものとなっていたたため、どの国も、自由競争を認めてマニュファクチュアの存廃を賭けるような真似をあえてするわけにはいかない。こういうわけで、マニュファクチュアは、それが輸出品を作る場面では、商業が拡大するか制限されるかにまるごと左右され、釣り合い〔をとるには〕余りに軽すぎる反作用しか〔商業に〕及ぼさない。それゆえに、マニュファクチュアの副次的〔役割〕、またそれゆえに、18世紀における〔商〕人たちの影響力。

 商人たち、そして特に船主たちが、他の誰よりも熱心に国家的保護と独占を要求し続けた。マニュファクチュア業者たちも保護を願い、それを受けてはいたが、しかし政治的存在意義にかけては、終始商人たちの後塵を拝した。商業都市、とりわけ港湾都市がある程度文明化されて大市民的になったのにひきかえ、工場都市には著しい小市民性が残存していた。エイキン等を参照。18世紀は商業の世紀であった。ピントがこのことをはっきりと述べている。
〔…〕『近頃は商業、航海、海軍のこと以外、問題にもならない』と。」
『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,pp.158-161.



 「マニュファクチュアはそもそも、保護なしにはやっていけなかった」――「交通」、とくに外国貿易を発展の要因として重視する立場から、当然に出てくるマニュファクチュア観。すべてのマニュファクチュアは、本質において特権マニュファクチュアだ、ということになる。

 しかも、マニュファクチュアの"軽さ"と脆弱性という指摘は重要。マニュファクチュアは、外国貿易を牛耳る商人(例外なく特権商人)に従属せざるをえなかった。













「――――――資本の運動は大いに加速されたが、それでもまだどちらかといえば緩慢なままだった。世界市場は個々の部分に分断され、部分のそれぞれがある特定の国民によって搾取されたこと、諸国民相互間の競争が排除されたこと、生産そのものが頼りない状態にあったこと、そして貨幣制度が初歩的段階からようやく発展し始めたばかりであったこと、こういった事情が、流通をいたく妨げた。その結果は小商人風の浅ましいケチ臭い根性であり、これが商人全員に、また商業経営のやり口全体に、依然としてこびりついていた。なるほどマニュファクチュア業者や、まして手工業者たちと比べれば、彼らは確かに大市民、ブルジョアであったが、次の時期の商人や産業家に比べれば、彼らは俗物〔市民〕小市民にとどまっている。アダム・スミスを参照。――――――

 この時期はまた、金銀輸出が解禁されたことや、貨幣取引、銀行、国債、紙幣、株券と公債の投機など、総じてあらゆる商品の投機業と貨幣制度の整備が始まったことによっても特徴づけられる。資本はここで再び、資本にまといついていた自然発生的性格の大部分を払拭することになった。」

『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,pp.162-163.






 【17】「本論三2」――《第三期》:大工業






「17世紀にとめどなく進行した商業とマニュファクチュアのイギリス一国への集中は、次第にこの国のための相対的な世界市場を創り出し、そのことによってこの国のマニュファクチュア製品に対する需要を創り出した。それは、従来の工業生産力ではもはや満たせないような需要であった。生産諸力を凌ぐようになってきたこの需要が駆動力になって、中世以後の私的所有の第三期を呼び起こした。というのも、この駆動力が大工業――自然力の工業目的への利用、機械装置、最も拡充された分業――を生み出したからである。この新局面の他の諸条件――国内での競争の自由、力学理論の発展(ニュートンによって完成された力学は、一般に 18世紀のフランス・イギリスで最も普及した学問だった)等々は、イギリスに以前からすでに現存していた。(自国内での自由競争はどこでも革命によってかちとられなければならなかった――イギリスの 1640年と 1688年、フランスの 1789年。)

 やがて競争は自らの歴史上の役割を護持しようとする国々に、自国のマニュファクチュアを関税措置の更新によって保護することを余儀なくさせ(大工業の前には旧い関税はもはや役に立たなかった)、やがてはさらに、大工業を保護関税の下に置くことを余儀なくさせた。この保護政策にもかかわらず、大工業は競争を普遍化し(競争が実際上の商業の自由なのであり、そこでは保護関税は緩和剤、商業の自由の枠内での抵抗にすぎない)、そしてコミュニケーション手段と近代的世界市場を創出し、商業を支配下に置き、あらゆる資本を産業資本に転化し、そのことによって資本の迅速な流通(貨幣制度の整備)と集中を生み出した。

 大工業は普遍的競争によって、すべての諸個人に全精力を振り絞るよう強制した。

 大工業は、イデオロギー、宗教、道徳等をできる限り根絶し、それができない場合でも、それらを見え透いたまやかし物にしてしまった。


大工業がいかなる文明国をも、またそこに住むいかなる個人をも、自らの欲求を充足する上で全世界に依存するようにさせ、個々の国民の旧来の自然発生的な排他性を根絶したこと、この点において、大工業は初めて世界史を産み出した。大工業は自然科学を資本に服属させ、分業から自然発生性の最後の外観を剥ぎ取った。大工業は、労働の枠内で可能な限り、自然発生性をおおむね根絶し、自然発生的な諸関係をことごとく金銭関係に解消した。大工業は、自然発生的な都市に代えて、近代的な大都市――これは一夜にしてできてしまった――を生み出した。大工業は、それが貫通していく先々で、手工業ばかりか一般に旧い段階に属する産業をことごとく破壊した。大工業は農村に対する都〔市の〕勝利を完全なものにした。大工業の〔……
草稿破損箇所……〕は自動的なシステムである。」
『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,pp.162-164.



 「大工業」の成立。つまり《産業革命》。

 「世界市場の成立」によって、「従来の工業生産力では満たせない」巨大な「需要」が生み出された――――「生産諸力を凌ぐようになってきたこの需要が駆動力になって」「この駆動力が大工業を生み出した」――――「大工業」とは「自然力の工業目的への利用、機械装置、最も拡充された分業」にほかならない。………→ つまり、「生産力」ではなく(!!)、「生産力」を上回る「需要」こそが、資本主義大工業を成立させた「駆動力」だったと言う。

 いわゆる「史的唯物論」は、増強した「生産力」が旧来の「生産関係」と矛盾して、その桎梏を突破し、社会を発展させる‥と主張するが、これはマルクス/エンゲルスの思想ではないかもしれない。「史的唯物論」とは、「生産力至上主義」を極端な教条の形にしたものだ。『ドイツ・イデオロギー』から『共産党宣言』に至る時期に、マルクス/エンゲルスは「生産力至上主義」だったが、教条化してはいなかった。それが、このクダリで、わかる。

 しかし、「大工業」成立の要因(副次的な?)はあと2つあって、ニュートン力学の普及と、国内の《競争の自由》だと言う。「競争の自由」は《市民革命》によってはじめてもたらされた。しかし、これらは、イギリスでは、《産業革命》を開始させるだけの需要が「世界市場」からやってきた時には、すでに用意されていた。

 つまり、《市民革命》による桎梏の除去⇒《産業革命》‥は、マルクス/エンゲルスによれば、主要な因果関係ではない、ということになる。

 「大工業」と資本主義発展にとって、《競争の自由》は本質的なものだ。《競争の自由》なくしてこれらは発展しないし、これらの発展は《競争》をもたらす。さしあたっては、《競争の自由》は国内でのみ支配する。草創期の「大工業」には保護関税による保護が必要だからだ。ここに、「国民経済」ないし一国資本主義という実体および観念が成立する。しかし、まもなく《競争の自由》は、国外的にも主張され、保護主義を突破していく。《競争》は資本主義発展にとって本質的だからだ。

 こうして、「大工業」成立の結果は、@資本家、労働者、国家官僚と政治家をふくむ「すべての諸個人に全精力を振り絞るよう強制した」。A旧来の「イデオロギー、宗教、道徳等をできる限り根絶し」、資本主義の観念と矛盾しないものに変えた。B「いかなる文明国の・いかなる個人をも、自らの欲求充足を全世界に依存するようにさせ」た。C「自然発生的な諸関係をことごとく金銭関係に解消」した。

 こうして「大工業」は、「世界史」を創出した。つまり、《世界資本主義》を現出させた。


 草稿破損箇所を、リヤザノフ版は「Signature(特質,刻印)」と、アドラツキー版は「die erste Voraussetzung」と判読ないし推定し、東独版、新MEGA版は、推定しない。内容からは、リヤザノフ版が適切と思われる。

 アドラツキー版は凡庸な推定であり、マルクス/エンゲルスの歴史観・資本主義批判に対する理解の浅さを示すが、教条主義を強めるようなものではない。意図的改竄ないし「偽書」と非難するのは、当たらないであろう。






 






「〔大工業は〕大量の〔生〕産諸力を〔産み〕出したが、この生〔産〕諸力にとっては、私的〔所〕有はまさに桎梏となった。それはちょうど、かつてマニュファクチュアにとってはツンフトが、生長し始めた手工業にとっては農村の零細経営が、桎梏になったのと同じである。この生産諸力は、私的所有の下では一面的な発展を遂げるだけで、大多数の者にとっては破壊力となる。そのような生産諸力の多くは、まったく活用されずに終わる。

 大工業はおおむねどこでも、社会の諸階級の間に同一の諸関係を生み出し、そのことによって個々の国民性の特殊性を根絶した。そして最後には、各国のブルジョアジーが依然として別々の国民的利害を固持し続けている間に、大工業は一つの階級を生み出した。それは、国籍に関わらず同一の利害をもち、国民性などというものが彼らにあってはすでに根絶されている、そういう一階級
〔プロレタリアート〕である。それは、〔…〕旧い世界全体と対峙しているような一階級である。大工業は、労働者たちにとって、単に資本家との関係だけでなく労働そのものを、耐え難いものにする。

 
〔…〕大工業は、一国のどの地方においても同じ高さまで成長するわけではない。にもかかわらず、このことは、プロレタリアートの階級運動を押しとどめるものではない。なぜなら、大工業によって生み出されたプロレタリアートが〔…〕全大衆を牽引していくからであり、また、大工業から締め出されている労働者たちはこの大工業によって、大工業そのものの労働者たちよりずっとひどい生活状態に追い込まれるからである。

 同時にまた、大工業が発展している国々は、多かれ少なかれ非工業的な国々が世界交通を通して普遍的競争戦に引きずり込まれている限り、これらの国々に影響を及ぼす。

『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,pp.164-166.



 ネズミに喰われた箇所。

 「桎梏」という語が表れており、眼を惹くが、「生産力」発展の「桎梏」として名指されているのは、「生産関係」でも「旧体制」でもなく、「私的所有」「ツンフト」「農村の零細経営」。マルクス/エンゲルスの見方は、「史的唯物論」のような公式でも抽象でもなく、具体的な歴史過程そのものだ。「農村の零細経営」は、外からの需要に刺激されて内部から伸びようとする農民の「生産力」が、みずからの狭隘な経営を桎梏と感ずる、そういうイメージ。「私的所有」についても同様の面が考えられる。「生産力」発展の弁証法は、公式主義の言うような“闘争史”ではないのだ!

 工業組織が「私的所有」されているという桎梏によって全面的発展を止められた(一面的にしか発展できなくされた)「生産力」は、「大多数の者にとっては破壊力となる」――つまり労働者と地域住民の健康と精神を破壊する。労働者の生を実現させるためには「まったく活用されずに終わる。」資本家にとっても、享受しうるのは、成果のごく一部分であって、大部分は資本自体の拡張に費やされ、たかだか無駄な費消を促して産業・文化を腐爛させる。→全面的発展のためには、「私的所有」を廃棄して、生産システムを生産者の「共同占有・共同管理」によるものに変える必要がある、‥‥と繋がる。


 「大工業から締め出されている労働者たちは……、大工業の労働者たちよりずっとひどい生活状態に追い込まれる」――二重構造・低生産性部門に対する考察がある。ただし、認識は甘い。基幹大企業の労働者がウゾウムゾウを率いていくとして、かんたんに解決されるように言う。「マルチチュード」の考え方は、ここにはない。

 最後の太字で、「周辺」非工業諸国へのプロレタリアート階級運動の拡がりの可能性に言及する。まだ具体的な構想は無い。これは、次の節で再論される。



「これらのさまざまな諸形態と同じ数だけ、労働の組織の諸形態が、したがってまた所有の諸形態がある。どの時期にも、そこに現存する生産諸力の集〔中〕結合が――欲求によって必要になっている線まで――遂行された。」

『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,p.166.



 「これらのさまざまな諸形態と同じ数だけ、……」加除訂正で構文が混乱しているので、「労働の組織の諸形態」と「所有の諸形態」の1対1対応の主張と見てよい。「労働の組織の諸形態」は、農民小経営とか、資本主義大工業の協業形態とかだろう。「欲求」は、《産業革命》をもたらした「需要」の高まりなどを指すだろう。社会の「欲求」の全体量が、それほどでないあいだは、農民「零細経営」による自給生産で事足りる。国際商業交通によって巨大な需要がもたらされると、「生産諸力の結合」=マニュファクチュアや工場制への集中が必須になる。

 ここでも、需要側の因子(そこには、国家の海外拡張政策や特権保護政策が厚くコミットしている)が「駆動力」であり、供給側の生産過程の編制・「生産力」「生産関係」の革新を導いてゆく、と想定されている。













 【18】「本論三2」――「生産諸力と交通形態の矛盾」






「生産諸力と交通形態との矛盾がこれまでの歴史に幾度となく現れたのを、われわれは見てきた。この矛盾は、歴史の基礎を危うくするほどではなかったにせよ、そのつど一つの革命となって爆発せざるをえなかった。その際、この矛盾は同時に、諸々の衝突の総計やさまざまな階級の衝突として、意識の矛盾や、思想闘争やら政治的闘争やら等々として、さまざまな副次的姿をとった。そこで、狭隘な見地に立つなら、これらの副次的姿の一つを取り出して、それをこれらの革命の土台とみなすことにもなる。これは、そもそも革命を起こした当事者諸個人が
〔…〕自身の活動そのものについて幻想を抱いていただけに、なおさらありがちなことである。――――――〔…〕歴史上のあらゆる衝突は、その根源を生産諸力と交通形態との間の矛盾の内にもっている。

 とはいえ、この矛盾がある国で衝突にまで進むには、矛盾がその国自身で極限に達している必要はない。拡大した国際的交通がもたらす工業的先進諸国との競争があれば、それほど発達した工業を擁しない諸国にも同様の矛盾を生み出すには十分なのである(例えばドイツの潜在的プロレタリアートは、イギリス工業の競争によって顕在化した)。」

『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,pp.167-168.



 ここでようやく、「生産力」と「交通形態」の矛盾発展論が、あたかも定式化されたような形で現れる。しかし、「生産力」と「生産関係」ではなく「交通形態」だ。この「交通形態」を“マルクス主義”者たちが垂れ流す教条の「生産関係」と同じものだと見るべきではない。「交通形態」の・もっと内容雑多で多義的(曖昧)な概念を、著者らは中世〜近代の歴史過程に即して十分に述べてきている。

 しかも、「生産力」と「交通形態」の矛盾は、「幾度となく……爆発」したものの、「歴史の基礎を危うくするほどではなかった」と言うのだ。「歴史の基礎」とは、《自然と人間の物質代謝》という、人間の本源的な「現実的諸関係」のことか? それとも、そのつどの・もっと具体的な歴史的諸関係を言うのか?

 廣松渉『著作集』,第8巻,pp.339-340:「ヘスは当時〔マルクスがブリュッセルで『フォイエルバッハに関するテーゼ』を書いた 1845春〕すでに、協働、生産力、交通、土台、等々の概念を確立して一種の唯物史観を樹て、この史観によって共産主義に基礎づけを与えていただけでなく、独自の組織論、運動論を携えて共産主義的実践運動を展開しており、彼には学ぶべき多くのものがあった。」 p.418:「協働 Zusammenwirken, 交通 Verkehr, 生産力 Produktionskraft といったヘスの概念と発想に拠った地の文に、分業の概念を持ち込み、ヘスのいう『協働関係』を補修しつつ、交通関係、ひいては生産関係といった概念に至り、これをヘス以来の生産力概念と関係づけ、さらには下部構造・上部構造の発想を根づかせていく。」と『ドイデ』執筆中の体系的史観構想の発展を述べる。

 『ドイデ』最初のほうでは、「交通」が概念内容曖昧なまま頻出していたが、まもなく「分業」概念が現われ、「交通」は「交通形態」として捉えられるようになる。

 ともあれ、商業や国際貿易、また需要側の圧力を重視するマルクス/エンゲルスの歴史把握は、ヘスの「交通」概念の影響か?


 最後の段落で、国際的「交通」「競争」を通じて、後進非工業国に矛盾を“輸出する”影響が再論される。しかしやはり、抽象的論理が提示されるだけで、どう“プロレタリアート階級運動”を惹起するのか、具体化されていない。

 「ドイツの潜在的プロレタリアートは、イギリス工業の競争によって顕在化した」は、具体的に何を指しているのか?



「競争は
〔…〕諸個人を、ブルジョアたちばかりかそれ以上にプロレタリアを、互いに孤立させる。したがって、これらの諸個人が自ら結合できるようになるまでには、永い時間がかかる。この結合のためには〔…〕大工業都市と安くて速い通信網が、大工業によってあらかじめ創出されていなければならないが、このことを度外視してもそうなのである。したがってまた、これら孤立化した諸個人〔…〕の前に立ちはだかる組織化された威力は、どれも、長期の闘争を経てはじめてこれを打ち破ることができるようになる。これと反対のことを求めるのは、歴史のこの特定の時代に競争は現存すべきでないと求めたり、あるいは、諸個人は孤立者として制御できない諸関係を頭から叩き出すべきだと求めるのと、まるで同じことであろう。」
『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,pp.168-169.



 「競争は……プロレタリアを、互いに孤立させる」――雇用と賃金をめぐる個々の労働者間の競争によって、であろう。

 「このことを度外視してもそうなのである」――大都市と通信手段が整えられたとしても、やはり、人びとの再結合、労働者が手を結び合うまでには、長い時間がかかる。

 「これと反対のことを求めるのは」――みな虐げられているのだから、直ちに団結して“敵”を打ち破らなければならない、などとアジるのは、‥資本主義そのものが「孤立化」の原因であることを見ないで、ただ「孤立化するな」と精神論を述べたり、‥生産手段(工場設備、土地など)を資本家が所有していると思うのは幻想だ、財産は窃盗なり、と宣教したりするのと同じくらい非現実的なことだ。

 「孤立者として制御できない諸関係」――生産手段の私的所有、市場価格の変動、といった社会的諸関係を、個人が自由に変えることはできない。






   






 【19】断章――『ドイツ・イデオロギー』の内容構成と手稿



 『ドイツ・イデオロギー』という、モーゼス・ヘス、ヴァイデマイヤー、カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルスの共著で刊行される予定だった著作の目次は、次のようなものであった:


第1巻
 〇 序文
 第1篇 フォイエルバッハ
 〇   ライプツィヒ宗教会議
 第2篇 聖ブルーノ (ブルーノ・バウアー批判)
 第3篇 聖マックス (マックス・シュティルナー批判)
 〇   ライプツィヒ宗教会議の終結

第2巻
 〇   真正社会主義
 第1篇 真正社会主義の哲学
 第4篇 真正社会主義の歴史記述
 第5篇 真正社会主義の預言


(〇 詩と散文におけるドイツ社会主義)
(〇 真正社会主義者たち)


 『ドイツ・イデオロギー』というタイトルは、草稿のどこにも書かれていない。著者らの間の書簡でも、そう呼ばれたことはない。マルクスが雑誌に乗せた出版予告にあるだけ。

 第2巻第4,5篇の番号が跳んでいるが、もと1巻本の計画だった時の番号が草稿に残されているため、という説がある。

 篇番号のないまとまりは、便宜上〇を付けた。各篇のタイトルは長いので、適当に省略して示す。

 第2巻第4篇は、『ドイツ・イデオロギー』の出版が頓挫したあと、マルクス著として雑誌発表された。同第5篇は、ヘスの執筆の論文原稿の一部で、他の部分(ルーゲ批判)は、ヘスが雑誌に発表した(廣松渉著作集,8,p.504)。

 ( )付きの2つは、『ドイツ・イデオロギー』に含まれる文章かどうか争いがあるもの。いずれもエンゲルス著で、「詩と散文……」は新聞に発表。「……たち」は草稿で遺された。

 第1巻のうち、第1篇以外は、印刷用原稿として完成されている。第1篇のみ未完だが、もっぱらこれだけがよく読まれている。史的唯物論につながる記述や社会経済史の叙述は、ここに集中して遺されている。集中している理由は、第1篇の原稿が基底稿(もっとも最初に書かれた草稿)で、その後、批判対象別の篇立てに計画変更してから、バウアー批判、シュティルナー批判の部分を第2,3篇に移したという説。逆に、第2,3篇から、純然たる哲学論争でない脱線部分を(総論的な)第1篇に移したという説。の2通りが唱えられている。

 そこで、第1篇として遺された(というより、完成された他篇に入らない原稿を、研究者が「第1篇」としている、とも言えるが、それらは内容的につながりがあるのもたしかで、単なる寄せ集めではない。)草稿は、次のとおり:

 「第1篇」草稿は、198×313 〜 216×345 mm の用紙(「ボーゲン」という)を二つ折りにして、両面合計4ページにして使っている。ボーゲン22枚と、半ボーゲン3枚,書簡用紙1枚がある。

 16枚のボーゲンと1枚の半ボーゲンには、エンゲルスの筆で一連番号(ボーゲン番号)が記されており、それらの大部分にマルクスの筆でページ番号が付されている。これらをまとめて「大きい束」と呼んでいる。

 「大きい束」に入らない 6ボーゲンと 1半ボーゲンをまとめて、「小さい束」と呼んでいる。「小さい束」のうち、2ボーゲンと1半ボーゲンには、第三者(遺稿を保管していたベルンシュタインか)の筆でボーゲン番号が記されており、2ボーゲンにはエンゲルスの筆でボーゲン番号 {3} {5} が記されている。しかし、{5} は「大きい束」の {6} とは直接繋がらず、かえって「小さい束」の無番号のボーゲンから続けて読める。同様に、{3} は、ベルンシュタイン番号の <{4}> へ続けて読めるので、これらは「小さい束」に入れられている。2ボーゲン <{1?}> <{2?}>は、ボーゲン番号無し。

 「小さい束」にも入らない草稿が 2枚あり、<ア>と称される半ボーゲンは、他のどの断片とのつながりも見いだせないもの。書簡用紙の表裏に書かれた1枚は、河出版,p.158.によれば、エンゲルスがマルクスの依頼に応じて、『ドイツ・イデオロギー』執筆のための覚え書きを手紙に入れて送ったもの。

 番号に付けた括弧: {}:エンゲルスのボーゲン番号。[]:マルクスのページ番号。<{}>:ベルンシュタインまたは研究者が付けたボーゲン番号。



「大きい束」
  第1ブロック
ボーゲン番号 頁番号 
.  {6}a   [8]  文の途中から。
    b   [9]  
    c   [10]  
    d   [11]  
.  {7}a   [12]  
    b   [13]  
    c   [14]  
    d   [15]  
.  {8}a   [16]  
    b   [17]  
    c   [18]  
    d   [19]  
.  {9}a   [20]  
    b   [21]  
    c   [22]  
    d   [23]  一応完結。
  {10}a   なし  全部抹消。(抹消部は)[23]生存部から続く内容で、bに続く。
    b   [24]  
    c   [25]  
    d   [26]  
  {11}a   [27]  
    b   [28]  
    c   [29]  それぞれbから続く抹消部と欄外追補のみ。抹消部がdに続く。
    d   なし  全部抹消。(抹消部は)文の途中で切れる。

  第2ブロック
ボーゲン番号 頁番号 
  {20}a   なし  全部抹消。(抹消部は)文の途中から。
    b   [30]  
    c   [31]  
    d   [32]  
  {21}a   [33]  
    b   [34]  
    c   なし  全部抹消。(抹消部は)前頁から続き、次頁に続く。
    d   [35]  生存部は一応完結。(抹消部は)文の途中で切れる。

  第3ブロック
ボーゲン番号 頁番号 
  {84}a   [40]  文の途中から。[35]末とも<[4]>b末とも繋がらない。
    b   [41]  
    c   [42]  
    d   [43]  
  {85}a   [44]  
    b   [45]  
    c   [46]  
    d   [47]  
  {86}a   [48]  
    b   [49]  
    c   [50]  
    d   [51]  
  {87}a   [52]  
    b   [53]  
    c   [54]  
    d   [55]  
  {88}a   [56]  
    b   [57]  
    c   [58]  
    d   [59]  
  {89}a   [60]  
    b   [61]  
    c   [62]  
    d   [63]  
  {90}a   [64]  
    b   [65]  
    c   [66]  
    d   [67]  
  {91}a   [68]  末尾近く、「国家および法の所有に対する関係――」との下線付き見出しに続いて、新たな歴史記述が始まる。
    b   [69]  
    c   [70]  
    d   [71]  
  {92}a   [72]  Eng.筆で完結したあと、梗概メモv.Marxがbへ続く。
    b   なし  梗概メモv.Marxが完結。欄外にEng.筆で第1篇の標題。


「小さい束」
ボーゲン番号 頁番号
 <{1?}>a   なし
    b   なし  
    c   なし  「われわれが出発点とする諸前提は……」の段がある。
    d   なし  
 <{2?}>a   なし  <{1?}>dから続けて読める。完結。余白あり。
    b   なし  空白
    c   なし  空白
    d   なし  空白
. {5} a   なし  <{2?}>aから続けて読める。
    b   なし  
    c   なし  
    d   なし  「われわれはここで、……それを歴史的事例に即して説明することにしよう。」で完結。
 <{1}>.a   なし
    b   なし  
 <{2}>.a   なし  
    b   なし  
    c   なし  
    d   なし  完結。余白あり。
. {3} a   なし  正常に開始。
    b   なし  
    c   なし  
    d   なし  
 <{4}>.a   なし   {3}dから続けて読める。
    b   なし  完結。余白あり。
    c   なし  空白
    d   なし  空白


 その他
ボーゲン番号 頁番号
 <ア> .   [1]
    .   [2]
 書簡用紙  [18]
       [19]












【ユーラシア】『ドイツ・イデオロギー』ノート(8) ―――につづく。   










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