09/09の日記

08:44
【必読書150番外】カッシーラー『シンボルとスキエンティア』(1)―――デッラ・ミランドラからケプラーへ

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Hugo Kaufmann (1868-1919)    











 こんばんは。(º.-)☆ノ






 【1】エルンスト・カッシーラーについて



 エルンスト・カッシーラー(1874-1945)については、2年ほど前に、【BL週記】科学と神話と宗教と。【3】でちょっと触れましたが、西洋近代思想史の・わかりやすくて読み応えのある解説として、20世紀末の一時期に日本ではたいへんに流行し、彼のほとんど全著書が翻訳されました。しかし、『カッシーラー著作集』といったものが出されることはなく、かつて盛行した翻訳書のほとんどが、現在では絶版入手不可となっています。

 カッシーラーを、哲学史、思想史の解説として見れば、たしかにその思想史観は、今日ではすでに言い古されている、時代遅れになっているとさえ言えるかもしれません。しかし、それをカッシーラー自身の自立した思想として理解すれば、私は、今日でも傾聴に値する指摘を見いだせると思っています。

 とくに白眉は、近代科学史と科学哲学に関する洞察だと思います。第2次大戦後は、この分野でも、ニーチェ、ベルグソン、フロイトの影響を受けたフランスの諸学派が全盛状態ですが、それらとは異なる視角と、より保守的なスタイルの議論として、カッシーラーが注目されるのです。

 さいきん、⇒:「近藤洋逸『新幾何学思想史』ちくま学芸文庫」←こちらでレヴューを書いたさいに、



「カッシーラーは、20世紀前半までの哲学者で唯一、曲率可変の非ユークリッド空間を認めた。『新カント学派に属しながらも、新幾何学に対して最もすぐれた解釈をもっていた彼に対しては敬意を表しておくべきであろう。』」



 との同書の指摘を見いだして、いまさらのようにカッシーラーの重要性を想起しました。

 カッシーラーは「新カント学派」に属するとされています。たしかに、近代科学(おもに数学,天文学,力学)の基本線を、カントの合理主義的な枠組みで考える傾向があるかもしれません。近代科学の確立に対して力があったのは、実験、観察、といった帰納的方法よりも、人間理性の独創的な合理的思惟――論理的・演繹的な方法であった、という基本的な考え方が、カッシーラーにはあるようです。

 しかし、カントの科学哲学の枠組みは、幾何学の公理、ユークリッドの無限・一様な三次元空間を、絶対的アプリオリ(実験も証明もなく認められるべき基本真理)として前提します。この枠組みを絶対視するかぎり、非ユークリッド幾何学は認められる余地がないのです。

 ところが、カッシーラーは、他の哲学者が誰も理解できなかった時点で、非ユークリッド幾何学を十全に理解し、自らの哲学の基礎に据えたのです(『実体概念と関数概念』,1910年)。これは、特筆されるべきことです。

 さて、今回は、1995年発行の訳書『シンボルとスキエンティア』をとりあげます。この本は、日本の翻訳者が編んだカッシーラーのアンソロジーでして、近代科学と近代精神の基盤を構成したルネサンス・プラトン主義―――という彼の中心思想を示す論文が選ばれています。



 エルンスト・カッシーラー著,佐藤三夫・他訳『シンボルとスキエンティア―――近代ヨーロッパの科学と哲学』,1995,ありな書房.



 本書の第[章は、スピノザを扱っています。カッシーラーにあっては、スピノザも、“ルネサンス・プラトニズムの最後に位置する大成者”であるということになります。スピノザの哲学体系は、「17世紀が建立しようと努め……た認識の新しい構築物〔ルネサンス・プラトニズムの啓蒙的科学精神―――ギトン注〕に、本来の仕上げを施し」たものとして評価されます。

 しかし、↑上でリンクした《ブックメーター》のレヴューには、



「シンボル形式から見ると、科学も一つの解釈または認識の仕方である、と著者はいう。本書は、17世紀科学革命とデカルト、スピノザの哲学の登場に至る知識概念の変容を、sapientia(超自然的な事柄の知識/知恵)とscientia(自然的な事物の知識/知識)に区別され、後者に対して前者が優位していた中世・ルネサンス的伝統の崩壊に見る。」



 と書かれています。細かく言えば、ピーコ・デッラ・ミランドラをはじめとするルネサンス思想は、超自然的・宗教的な「超越的」認識に対して、人間の独創的で「自由」な自然認識の優位を主張しており、この思想が、ケプラーガリレイからデカルト、スピノザに至る科学・哲学の“革命”をみちびいた―――というのが、本書でのカッシーラーの主張の基本線です。その点で、上のレヴューには誤読があります。

 しかし、「シンボル形式として見ると、科学も一つの解釈または認識の仕方である」というのが、カッシーラーの・より基本的な考え方であることは、まちがえありません。そうであってこそ、非ユークリッド幾何学の十全な理解と評価という、同時代者の追随を許さない彼の業績も成立しえたのです。「シンボル形式」という・彼の一種相対主義的な観点、ないし柔軟な科学史観は、「ルネサンス・プラトニズムによる啓蒙的科学精神の確立」という本書の基本主張と、どういう関係に立つのか?……私の見解は、このレヴューの最後に明らかにしたいと思います。







Friedrich Enterrez(1763-1823): "Eros"






 【2】ナチス・ハイデガーとカッシーラー



 第2次大戦に向かおうとするファシズム浸透期のドイツで、ユダヤ人哲学者カッシーラーは、ナチス党の一員としてドイツ哲学界の“革新”を企てていたハイデガーと、烈しく論争しました。ルネサンス・プラトニズムから啓蒙主義につらなる正統的“近代精神”を代表するカッシーラーは、ハイデガーにとっては、まさに倒すべき―――しかも容易に倒せる―――象徴的標的であったからです。

 1933年ヒトラーの政権掌握とともに、カッシーラーは、その管理下にあった「ヴァールブルク文庫」―――ユダヤ人銀行家ヴァールブルクが設立したルネサンス書籍・視覚資料の蒐集館―――とともに、イギリスに亡命します。のちまもなく、スウェーデンに帰化し、さらにアメリカ合州国に移住、終戦間近い 1945年4月13日に急逝しています。彼が永眠した日、ヨーロッパでは、ソ連軍がウィーンを占領、翌々15日には英軍がハノーファー先のベルゲンベルゼン強制収容所[アンネ・フランクの死亡地]を解放しています。カッシーラーは、もうしばらく生きていれば、人類の“栄光の回復”を目にすることができたでしょう。

 このレヴューでは、『シンボルとスキエンティア』に収録された論文のうち、



 V「ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ―――ルネサンス観念史の一研究」,pp.53-107.

 X「ヨーロッパ精神史におけるケプラーの位置」,pp.121-131.

 Y「ガリレオのプラトン主義」,pp.133-154.

 [「一般的精神史におけるスピノザの位置」,pp.177-205.



 の4つをとりあげます。






 【3】ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ(第V論文)



 ピーコ・デッラ・ミランドラ(1463-1494)は、日本では高校の倫理社会の教科書に登場するので、比較的知られた思想家です。ルネサンスの“人間中心主義”を象徴するような確固とした言説と、神秘主義を徹底して排除したわかりやすさ、明瞭さが、教科書にふさわしいと見られているのでしょう。しかし、その思想内容を立ち入って解説した本は、わが国には少ないようです。

 ピーコの思想の特徴をひとことで、いや、ふた言でいえば、@“自然”世界と“人間精神”の世界、という2分的区別、そして、A神話、占い、宗教に対する“人間の自由”の優位―――と、まとめることができます。Aの“人間の自由”に対する確信が、“自然”世界に対する人間の洞察‥‥いかなる宗教にも教義にも囚われない自然理解の確立へと向わせることになります。ここでピーコは、古代・中世のプラトン主義を、大きく変容させたのです。



 「自然の領域」と「自由の領域」の区別。
「自然学的なものはすべて、厳格な必然性に従属している。霊的なものはすべて自由に基づいており、その言葉によってのみ理解することができる。」各々の領域には、それぞれに適切な認識方法が適用されなければならない。
『シンボルとスキエンティア』,p.103.

 

「ピーコにとって、哲学的真理の基準は、その恒常性、その斉一性、その同一性に存している。彼は、哲学を〈永遠の哲学〉として、すなわちその主要な点において不動な、永続する『真理』の啓示として理解した。」

『シンボルとスキエンティア』,p.54.



 すなわち、ピーコにとっても、《真理》とは、私たちが眼の前に見る世界の“あいまい”な事物とは異なる、《叡智界》の・永遠かつ不変な「イデア」だったのです。この点でピーコは、プラトニズムの忠実な信奉者でした。



「彼
ピーコ――ギトン注〕は、存在の深奥の秘密は数と図形の言語によって扱われうると考えていた」
『シンボルとスキエンティア』,p.74.



 もっとも、ピーコは、彼の先覚者であるニコラウス・クザーヌス(1401-1464)とは異なって、みずから数学や幾何学を研究したわけではありません。彼の言う「数学」すなわち「数と図形の言語」とは、古代ピュタゴラス学派のような“魔術的数学”を、一歩も出るものではありませんでした。それは、


「新ピュタゴラス主義的な数の神秘主義の形式を超え」
なかった。


 この“魔術的数学”から、神秘主義的な「占星術」までは、わずかな一歩です。じじつ、古代から、クザーヌスピーコ以前までの大部分の数学者は、この魔術的思考にとらわれて占星術に沈潜したけっか、近代的な天文学、自然学への扉は、開かれることがなかったのです。

 しかし、ピーコが、この「占星術」の隘路に陥らなかったのは、数学とは別の彼の思想が、占いや神秘主義を厳しく否定したからです。






 






 ピーコは占星術を断乎として攻撃したが、それは、数学的自然観・宇宙観の観点から占星術を迷信と見なしたからではなく、占星術の運命論が、彼の主張する人間の自由と矛盾するからだった(『シンボルとスキエンティア』,p.77.)



「人間の特権的な地位とは、他のいかなる被造物とも異なって、人間はその道徳的な性格を自分自身に負うている、ということである。人間は『自ら〈造る〉ところのもの』である――そして人間は自分がしたがうべき範型を自分自身から引きだす。」

『シンボルとスキエンティア』,p.77.



 ピーコの『人間の尊厳についての演説』のなかで、



「創造主はアダムに次のように語りかける。

 『われわれは定まった住居も、固有の姿形も、おまえ自身に特有ないかなる天賦の才も、おまえに与えなかった。……おまえが自分で選ぶ住居、姿形、天性を、おまえが得て所有するためである。……おまえは、いかなる制限によって抑制されることもなく、
〔…〕おまえの自由意志にしたがって、自分自身に対して自分の本性を定めるだろう。……われわれはおまえを、天上的なものとも地上的なものとも、死すべきものとも不死なるものとも創らなかった。それというのも、おまえが、あたかも自分の自由な造り主であり形成者であるかのように、自分の選り好むどんな姿形にでも自分をかたちづくるためである。』

 人間が自分自身の造物主であり形成者であるというこの観念
〔…〕人間はその存在を、自分自身の諸行為に負っているのである。」
『シンボルとスキエンティア』,pp.77-78.



 人間は、天使や天界の叡智的存在を超えて自らを高めることもできる。人間は、固定された本性を与えられてはいない。
「人間は自らの完成を、彼が自分で独自に、しかも自由な決断に基づいてそれを達成する場合にのみ所有するのである。」
『シンボルとスキエンティア』,p.81.



 人間は自分自身を、どんなものにも創り上げることができるという・この根底的な《自由》の観念こそ、ピーコが決して譲ることのできない信念でした。したがって、人間は、自分の運命も、性格も、自ら決定することができるのであり、占星術のように、星や惑星の動きによって人間の性格や運命が決定される、あるいは影響を受けるという考えは、決して受け入れることのできないものでした。



「ピーコの演説において、人間は自分自身のほとんど自由な形成者と呼ばれる。
〔…〕人間は、自然が彼に授けた素材から自分自身の姿形を生みだし、ある意味で彫りださなければならない『彫刻家』である。」芸術、とくに造形美術は、いまや単なる感覚的事物の模倣ではなく、「美」の創造という、「人類を〔…〕特色づける〔…〕精神的な目的を見いだした〔…〕なぜなら、自分自身から諸形態の世界を産出するという人間の能力の中には、彼の生得的自由が表現されているからである。芸術家は〔…〕ある新しい『自然』を生みだしうるのである。」
『シンボルとスキエンティア』,p.93.



 こうして、ピーコにおいては、認識の2つの領域が区別されます。《自然》の領域においては、数学的な必然性―――といっても、多分に神秘主義的で象徴的な―――が支配している。しかし、《人間》の領域において支配しているのは、どこまでも《自由》な人間の意志の力である。

 クザーヌスは、



「もし神性の本質への洞察を与える人間の認識の領域があるならば、それは数学的認識である。」「われわれはわれわれの学知において、われわれの数学以外に確実なものをなにももっていない」
と述べ、そこから「実在・の普遍的な数学的構造と規定・の観念を引きだす。〔…〕実在の精神的核心と起源は、〔…〕普遍的な自然法則、数と大きさの法則」の中にある。
『シンボルとスキエンティア』,pp.73,79.



 しかし、ピーコは、数学的な「イデア」に支配された世界を認めつつも、「イデア」を直観するプラトン的知性とは別の「隠された知性」をもちいて、「洞窟の暗やみ」のなかで、人間の《自由》を発見し、「自然のいかなる必然性よりも高みに立ち、自然を超えて高められた、人間の自由の光」(p.79)を見るのです。

  クザーヌスによれば、空間のいかなる点も等価であり、他の点に対して特権的価値をもたない。すなわち、のちにニュートンによって定式化されたような、階層も境目もなく一様な三次元空間が、無限にどこまでも広がっているのが、この宇宙です。

 ピーコは、この考え方を、時間に対して……人間の歴史に対して適用します:



「時間の諸瞬間は他の各々の瞬間と等価である。」
「人間の本性」が何であり、その固有の尊厳が何に存するかということは、われわれが時間に関して固定的な価値を捨て、「過去、現在、未来を統一的な見方において理解する場合にのみ、判断されうるのである。」ここにはじめて、「人間の自由の十全な意味が開示される。」

「歴史の各々の瞬間は、ある新しい始まり、またある新しい出発点と理解されうるし、また理解されなければならない。」

『シンボルとスキエンティア』,pp.81-82.



 歴史的世界の中心は、至る所にある。全体は
「無限の領域として現れ」、外部はない。「知的にして歴史的な世界の周辺は限定されたり固定されたりしえないからである。それは人々の働きによってたえず広げられてゆくのである。」
『シンボルとスキエンティア』,p.97.













 人間の《自由》の結果として、人間は、超越的な神の教示や運命にとらわれることなく、自らの知性によって《真理》を探究してゆくことができるのですが、《真理》の探究は、それ自体が、「エロース」の発露なのです。人は、《真理》を知ること、所有すること以上に、それを探究することに喜びを見いだします。



「『われわれは、
〔…〕愛することによって所有することよりも、認識による探究を永久に行なっても、われわれが探求するものをけっして見いだせないことの方をむしろ選ぶ。』」

「探究することに存し、所有することに存するのではないこのの形式は、
〔…〕他のいかなる存在にも譲らぬ価値を、人間に与える。というのは、意志の自由の中に表明されている霊的力ほど高いものはないからである。これのみが、人間の目標と『聖なる野心』を形成するのである。もし人間が、正しい仕方で自己を支配することをこの野心に許すならば、人間にとって到達しえないものはなにもない。」
『シンボルとスキエンティア』,pp.82-83.



 「人間の自由」の帰結として、人は
「いつも善と悪という〈問題〉に直面している」。それは、「自由」であるがゆえに負わねばならない人間の宿命である。また、人は、その「善と悪という〈問題〉」を、「自分自身の力で解決しなければならない」。避けようのない・この2つの課題が、「人間の本性の中には存するのである。」

「人間の自由は、彼が自分自身に課する不断の創造性の中に存する。」

『シンボルとスキエンティア』,p.89.


 たしかに、人間は“なんにでもなれる”のですが、“いつ、なれる”かが約束されているわけではない。ピーコにとって重要なのは、人間が自己を形成しうるということ以上に、人間が、自己を形成“しようとする”精神の力をもつこと、意志の《自由》をもつことなのです。



 さいごに、ピーコの自然観の神秘主義的な面を見ておきましょう。

 人間が、限りない《自由》を有しているのとは対照的に、《自然》は、受動的存在です。《自然》の事物は、つねに変転してやまないのですが、それらは自らの目的を持って変化するわけではなく、つねに、なんらかの「外的な原因の作用」を受けて、変化するのです。自然学がとらえる可感的事物は、この作用に「完全な受動性をもって服従する」(p.92)。ピーコにとって、《自然》は、必然的というよりも、完全に「受動的」なのです。



「彼が通用すると思った原理は、〈宇宙生命主義〉の原理と特徴づけることができる。

 自然は諸部分から構成されているのではなく、また実体によって相互に異なる、存在物のさまざまな部類に分けられるのでもない。それは単一の大きな相互に関連ある生命を形成しており、この生命は、全体の運動が各々の部分において見いだされうるような種類のものである。ここにおいては、空間的に一点から次の点へと連続する諸作用の間断のない連鎖があるだけではない。独特の全面的な『共感』が支配しており、その力によって個々の出来事は出来事の全体系と結びつけられているのである。

 宇宙は、一本の張りつめた糸のごときものであり、そのある点に触れるとその波紋はあらゆる方向へと伝わり、その糸のあらゆる部分において感知されうるのである。」


 この世界観は、ストア派ポセイドニオスまで遡る。
「この世界観によれば、自然についてのあらゆる〈認識〉とは、生命のこの宇宙的秩序と共感することだけを意味し、より高次のものへと向かうことはできない。われわれが自然について形成している概念はすべて、もしそれらが単なる抽象にとどまらないとするならば、この感情から生じるのである。」
『シンボルとスキエンティア』,p.99.



「ピーコの基本的な自然哲学観からシェリングの世界=霊魂論にまで、あるひとつの思潮が流れている。ピーコにとってもまた、世界=霊魂は、世界をその深奥の存在において繋ぎとめるものであった。それは宇宙の多様な運動すべての源泉であり、それらに秩序と調和を与えている。」

『シンボルとスキエンティア』,p.100.



「思考する存在として人間は天を理解し、この理解作用によって天を凌駕する。」―――ピーコの「この議論のもっとも注目すべき点は、自然科学の進歩にとって決定的な意義をもつ結果に達していながらも、この達成は精密な科学的思考とはまったく異なった基盤の上で展開したという事実である。」

『シンボルとスキエンティア』,p.105.



 しかし、ピーコの独特の《自由》の思考は、ケプラーの数学的で精密な科学的思考以上に、宇宙観の革新のためには「効果的であった」。というのも、次節で見るように、ケプラーは、ピーコの知らなかった厳密な数学的論理を駆使し、「数学的自然観」を持していながら、ともすれば占星術の思考に陥りがちであった。ピーコが全否定した占星術の「シンボル思考」に、ケプラーは、いつも足をとられていた。



「ケプラー自身」「ピーコという先行者」
に依拠していなければ、「最終的な一歩を踏みだすことはできなかっただろう。」「桎梏が破られたのは、科学的基盤に基づいた純粋に合理的な議論によってではなかった。世界に対する新しい態度と新しい感覚〔つまり、「人間の自由」と知性の優位に対する確信―――ギトン注〕が必要だったのである。

 ピーコ自身は、この新しい感覚を、次のエピグラムにこめている:

 『霊魂の……奇跡は……天よりも偉大である。』(ピーコ・デッラ・ミランドラ『予言占星術駁論』,3.27)」

a.a.O.






 






 【4】ヨハネス・ケプラー(第X論文)






「『他の者たちは単なる計算で満足するかもしれない。だが私を魅了しているのは、天文学の精華である構造の規則性と運動の美しさである。』※

 これらの言葉は実際、数学的計算の価値の過小評価を意味しているのではない。
〔…〕しかし彼にとって、計算は常に基点そして出発点を表わすものでしかなかった。彼の追究した目標は計算自体ではなく、計算がそれへといたる理論の形成にあった。〔…〕ケプラーがヨーロッパ精神史において果たしたきわめて重要な貢献のひとつは、この厳格なまでの哲学的な志向性にある。」
『シンボルとスキエンティア』,p.122.

※ ケプラーの、プラハ皇帝付き数学官ウルスス宛て手紙。



 ヨハネス・ケプラー(1571-1630)は、当時神聖ローマ帝国領だったプラハに招かれ、天文観測家ティコ・ブラーエのもとで助手として働いた。ティコは、肉眼ではあったが(望遠鏡はまだ無かった)精密な観測記録を遺し、この記録を精査して天体の運動を明らかにする仕事をケプラーに託して亡くなった。生前のティコ自身は、まだ地動説には踏み出さず、複雑な天動説によって惑星の運動を解明しようとしていた。

 当時のヨーロッパ随一の精密かつ膨大な観測記録をティコから受け継いだケプラーが取り組んだのは、膨大な計算によって、惑星の運動法則を帰納するという、気の遠くなるような仕事だった。ケプラーは、この仕事をやりおえて、惑星運動に関する「ケプラーの3法則」を発見したのだが、当然のことながら、計算だけでこの結果に達することができたわけではない。

 計算の結果としてみちびかれる理論を正しく予想し、仮定したうえで計算を進めなければ、結果に達することは困難である。とくに、ケプラーの場合には、みちびかれた理論は、地動説にもとづくものであり、しかも、楕円軌道上の変速運動(速くなったり遅くなったりする)という、コペルニクスもまったく思いつかなかったような“奇妙な”運動だった。あらかじめ理論の予想をつけずに到達しうるような結果ではなかったのだ。

 したがって、ケプラーが「3法則」に到達したのは、ティコが根気よく観測したためだけではなく、ケプラーの計算能力のおかげだけでもなかった。なによりも、ケプラーが、「構造の規則性と運動の美しさ」を発見しようとしていたこと、天体の運動に関する「哲学的」探究をめざしていたことにある。

 アリストテレス自然学の伝統のもとでは、天上の物体―――太陽、月、惑星、星々―――はみな高貴な存在であるから、それらの軌道は、もっとも高貴な図形である「円」でなければならない。しかも、高貴な存在は、できるだけ不変不動でなければならないから、運動は一様でなければならない。つまり、等速運動である。

 ところが、じっさいの天体の観測記録は、「等速円運動」とは似ても似つかない、速くなったり遅くなったり、時には戻ったり進んだり、あるいはジグザグの“見かけの運動”を見せていることが、しだいにはっきりしてきた。そこで、このような・あたかも不規則なように見える「現象を救う」ために、多数の円軌道の上の等速運動を組み合わせて、惑星運動を“解析”するやり方が、行なわれてきた。



「円においてのみ、一様性という至高な理念が実証されるゆえに、円は唯一の完全な図形なのである。アリストテレス自然学全体がこの前提に基づいて」
いる。「天体という永劫不変な実体は、その運動においても」円によって示される「内在的な一様性を最大限に保持しなければならない。」

 コペルニクスにおいても同様で、
「完全な円軌道」だけが「自然の高貴な産物である天体に」ふさわしい。そして、天体の運動は、速度も一定でなければならない。「速度の減少は、運動力の減少によってしか説明されえないが、」そのような弱化は、地上の運動にしか生じえない。コペルニクスも従っている「哲学的前提によれば、」天の物体は「天の知性、〈永遠の運動力〉によって円周上を運ばれているのである。」
『シンボルとスキエンティア』,pp.122-123.



 これに対して、ケプラーが最終的に得た結果(ケプラーの法則)は、つぎのとおり:



【第1法則――楕円軌道の法則】

 惑星は、太陽を焦点のひとつとする楕円軌道上を動く。

【第2法則――面積速度一定の法則】

 惑星と太陽を結ぶ線分(動径)が単位時間に掃過する面積(面積速度)は、一定である。

【第3法則――調和の法則】

 惑星の公転周期の2乗は、軌道・長半径の3乗に比例する。













「ケプラーは、
〔…〕形体の統一性から法則の統一性への一歩をあえて踏みだした最初の人だった」

 ケプラーは、あいかわらず等速円運動の組み合わせにこだわっている同僚ファブリキウスに宛てた返書で、
「真の本質的な統一性は、運動自体やその空間的一様性、あるいはその時間的一様性にではなく、むしろ原理に求められるべきである。それゆえ完全な理論は、可能なかぎり単純な原理から、できるだけ大きな多様性と多様な形態を導くようなものである。」と答えている。

「ケプラーは、この基本的見解のためにプラトンには少しも頼っていない。」
『シンボルとスキエンティア』,pp.123-124.



 ケプラーは、かつて、プラハに来る前に出版した『宇宙の神秘』(1596年)では、互いに内接・外接する5種の《プラトン立体》(5種類の正多面体)によって、惑星軌道の間の距離が説明できるとして、コペルニクスの地動説モデル(円軌道)を支持していました。



「多種多様な多面体のなかで,正4面体、立方体、正8面体、正12面体、正24面体の5種類しか正多面体が存在しないことに神秘性を感じたプラトンは,彼のイデア論において正多面体に大きな意義を与えた。このため正多面体は〈プラトン立体〉と呼ばれることもある。」

『世界大百科事典』「正多面体」



 ケプラー《プラトン立体》の説は、観測結果や計算によって証明したわけではなく、図形や数に象徴的意味を認める神秘主義的な観念にしたがっていたのです。

 しかし、「ケプラーの法則」では、ケプラーはもはや、《プラトン立体》や神秘数(数秘術)のような「象徴的」な思考は用いていません。



「彼の世界像はもはや立体幾何学的ではなく、純粋に動力学的である。
〔…〕彼にとって肝要なのは、感覚の領域のみならず、直観と直観的想像の領域をも打破することである。」

 想像力と直観の豊かさは、ケプラーの天賦ともいえる才能であり、彼の科学研究を牽引していたものにほかならなかった。だから、
「ここで彼に課された課題は極めて大きく困難だった。」

「彼は、すべてのものを自由に結びつける想像力によって可能な事例を結合し、この結合によって直接的な観察よりも先へたえず進んだのである。」
たしかに、彼の空想力の衝動はとても強かったが、彼はけっして無条件に夢中になることはなく、鋭い批判力によって科学的想像力を導き制御した。」

 ケプラーの研究論文には
象徴、さらには寓意や隠喩」が繰り返し駆使されている。しかしその一方でケプラーは、自分の中からたえまなく湧き出てくる・これらの豊かなイメージを、理知的に解明し、批判的に捉える態度をももちあわせてい」た。ケプラーは、「かつて書簡の中ではっきりと述べていた。

 『私も象徴と戯れるが、……しかし戯れに関わっていることをけっして忘れないように戯れている。なぜなら象徴によってはなにひとつ証明できないからである。実際それが単なる比喩や類比であるのではなく、明白な因果関係、真の因果的結合をともなっていることがたしかな根拠によって証明されなければならない。』」

「ガリレオが実験の論理学者、ケプラーが仮説の論理学者と言われるように、
〔…〕ケプラーは仮説の理論によって、最初に近代科学の探求のために固有の思考の道具を生みだした。」ケプラーが述べていたような物理学の「仮説に関する基本的原理は、現代でもあらゆる自然研究者によってくりかえ」し述べられ実践されている。
『シンボルとスキエンティア』,pp.124-126.



 《プラトン立体》のような「象徴的思考」は、自由奔放な想像力の源泉となるものかもしれません。しかし、そうした「象徴的」想像力に夢中になって、数学的な精密さや因果関係の証明を没却するならば、けっして《真理》に達することはできない。このような理知的な批判的思考が、ケプラーをみちびいたと言えます。

 たんなる「象徴的思考」は、思いつきにすぎません。「象徴」から出発しながら、「仮説」としての理論を、「象徴」にとらわれない自由な想像力と批判的論理によって構成し、観測、計算、実験によって確証すること。――ここに、ケプラーが見いだした新しい科学の方法があるのです。






 






 ケプラー「調和」と呼ぶのは、こんにちの用語でいえば「関数」関係のことと思われます。たとえば、「ケプラーの第3法則」


「惑星の公転周期の2乗は、軌道・長半径の3乗に比例する。」

   T2 = α・a3


 は、「調和の法則」と呼ばれます。

 このような「関数」も、また「数」自体も、ケプラーの考えでは、《自然》そのものが具えている性質ではありませんでした。あくまでも、人間の「精神に対してのみ存在」するものでした。「数」「関数」も、本来は「神の精神」の中に存在するのであり、それが、「一方では物体的宇宙に、他方では人間精神に伝わる」のだと、ケプラーは考えました。

 ケプラーは、惑星の運行を支配する「関数」関係の法則を定式化しただけでは満足せず、そうした「関数」法則の哲学的基礎を解明しようとしたのです。

 ケプラーの・この考え方は、プラトン的色彩の強い観念論ですが、カッシーラーによれば、こうした観念論によってはじめて、数学的に定式化されるような《自然法則》の実在が確信され、それらが―――ケプラーの法則ガリレイの運動の法則、ニュートンの万有引力の法則、……―――“発見”されるに至ったのです。



 ケプラーの考えでは、
「数と調和はそれ自体では存在せず、精神に対してのみ存在し、そして精神がそれをとらえ、それ自身においてまたその支配法則において再発見する。第一に、調和と数は本来的に事物よりも神の精神の中に存在し支配し、次いで、一方では物体的宇宙に、他方では人間精神に伝わるのである。〔…〕

 ケプラーが述べているところによれば、たとえ視覚が精神に具わっていなかったとしても、そのために精神は、数と量の認識を欠くことはなかっただろう。なぜなら、その認識は固有の力によって精神に本質的に内在するからである。純粋な量の認識は、精神にとって生来のものである
〔…〕ケプラーのプラトン的観念論から、はじめて近代自然科学の実在論が生じえた。」
『シンボルとスキエンティア』,pp.129-130.






【必読書150番外】カッシーラー『シンボルとスキエンティア』(2) ―――につづく。   










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