03/30の日記

18:05
【必読書150】スピノザ『エティカ』(11)―――「市民国家(キヰタス)」と“友愛のグローリア”

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スピノザの家(レインスブルフ 1660-63)   
スピノザがカセアリウスと同居した書斎兼寝室  











 こんばんは。(º.-)☆ノ



 【必読書150】スピノザ『エティカ』(10)からのつづきです。






 【41】《自然状態》から“共同社会”へ



 前回【40】での検討により、『エティカ』で描かれた《自然状態》には、次のような特質がありました:




@ 《自然状態》では、人間は、独立した「個人」ではなく、不安定で流動的な集団をなして生きている。

A 《自然状態》では、人間は「感情」に翻弄されるが、他方、“「理性」の導き”を受け入れることも可能である。

B 《自然状態》では、「所有権」はない。したがって、「罪悪」も「正義」も「不法」もない。



 同時代の他の社会思想、ホッブズやロックと比べると、@の点は、スピノザの大きな特色です。スピノザには、人間社会の“出発点”の状態が、互いに争い合う独立した「個人」、あるいは、互いに《自由》な立場で取引し契約する「個人」だとは、考えられなかったのです。なぜなら、個々の人間はあまりにも無力であり、《自然》の脅威から身を守るには、他の人間に保護してもらったり、助けあったりと、要するに集団をなすほかはないからです。

 また、“《自然》の脅威”という物理的な条件への注目だけでなく、そこには、「感情」に翻弄される存在というスピノザ独自の人間観〔ex.第4部・定理4・系、定理6,7〕が根底にあると言えます。「感情」、他の人間に対して持つ場合に強く働くのであり〔第3部・定理49,同註解〕、それは、相手を憎むにしろ愛するにしろ、他の人間の存在に「依存」することにほかなりません。スピノザの想定する《自然状態》とは、「万人の万人に対する戦い」ではなく、「万人の万人に対する依存」状態なのです(上野修『デカルト、ホッブズ、スピノザ――哲学する17世紀』,2011,講談社学術文庫,p.145)。

 さらに、ロックやホッブズとの違いをいえば、スピノザの《自然状態》には、「所有権」「正義」「法」も存在しません(B)。《自然状態》では、ロックの言うような「公平に、生命、健康、自由、財産(所有 Possessions)を享受する諸権利」などは存在しないのです。ロックやホッブズの言うような“独立した「個人」”という状態は、生存に必要なものに対する支配ないし「所有権」が確保されていてはじめて、ありうるものです。しかし、スピノザの考えでは、「所有権」も、いっさいの法的「権利」も、「正義」も「不正義」も、人間たちのあいだで、そういうものを決める「同意」(契約,誓約)があってはじめて出現するのです。結局は、《国家》と法律の強制力(暴力装置)があってはじめて存在するものです。

 なるほど、スピノザも「自然権」という言葉を使ってはいますが、それは、ホッブズやロックが考える天賦の人権といったようなものではなく、人的・社会的な制約が何もない状態で、各人が《自然》の必然性にのみ動かされて愛しあい、憎みあい、危害を加え、保護を与える実力(暴力,威力)の別名でしかないのです。

 したがって、↑特質の@とBは、同じことがらの両面にほかなりません。

 そこで、今回は、以上に続いて、《自然状態》から、《社会契約》による“社会状態”への移行を見てゆくことになります。



「〔定理37・註解2〕
〔…〕しかし人間は、〔この部の定理6より〕人間的能力と徳をはるかにこえた強い感情に隷従しているのであるから〔この部の定理4・系による〕、したがって〔この部の定理33より〕しばしば異なったほうへひきまわされる。すなわち、〔この部の定理34より〕たがいに敵対的になる。そのようなときこそ、たがいに援助しあうことが彼らには必要であるのに〔この部の定理35・註解による〕。

         A したがって、人々が心を和して生き、たがいに助けあって生きうるためには、彼らの自然権を譲歩して、他人に危害を与えるようないかなる行為もなさないという保証をたがいにもつことが必要である。

         B ところが、このようなこと、すなわち〔この部の定理4・系より〕感情にいやおうなしに隷従し、したがって不安定で〔この部の定理33より〕変わりやすい人間が、たがいに保証しあい、たがいに信頼しあうということがどのような根拠によっておこりうるのか、この点についてはこの部の定理7と第3部定理39によって明らかである。すなわち、いかなる感情もそれより強力で、しかも反対の感情によってでなければ、抑えられえないのであり、また各個人は自分により大きな危害の加わる恐れ※がなければ、他人に危害を与えようとするのを思いとどまれないものである。〔第4部〕」

スピノザ,工藤喜作・斎藤博・訳『エティカ』,2007,中公クラシックス,pp.350-351.













 すなわち、《自然状態》の人間社会はたいへん不安定で、いつ誰が、どんな感情に駆られて危害を加えてくるかもわからないので、各人はたがいに疑いを向け合うほかはなく、しばしば「敵対的になる」。《自然》の脅威を前にして「援助しあうことが……必要であるのに」それは難しくなってしまうのだ。

 そこで、「人々が心を和して生き、たがいに助けあって生きうるためには、彼らの自然権」つまり実力の行使を控える必要がある。たんに実力を行使しないだけでなく、たがいに実力を行使することはないのだという「保証をたがいにもつことが必要である。」そのような「保証」ないし“誓約”がなければ、安心して協力しあうことなど不可能である。

 こうして、《社会契約》の必要性は、誰の眼にも明らかになるのですが、しかしどうして、それは決して容易なことではないのです。なぜなら、「たがいに助けあって」「援助しあうことが……必要である」という「理性」の呼びかけは、「不安定で変わりやすい」「感情」の力よりも、つねに弱いからです〔第4部・定理13〜17〕。

 そのように「感情」に支配され「隷属」している人間たちは、いったいどのようにしたら《社会契約》に至ることができるのか? スピノザがこれまでに明らかにしてきた人間観から言えば、それは、「感情」「それより強力で、しかも反対の感情によって……、抑え」ることによってしか達しえません。

 それでは、たがいに危害を加えあう「感情」を「抑え」ることのできる「強力で反対の感情」、また「他人に危害を与えようとするのを思いとどま」らせる「より大きな危害」の「恐れ」を、人々が抱かざるをえないのは、どのような場合なのでしょうか?

 それは、「国家」が法律と刑罰で人びとを怖れさせればよいのだ、‥と、頭の切れる人はすぐに言うかもしれません。しかし、ちょっと待ってください。私たちはまだ、「国家」のない《自然状態》にいるのです。《社会契約》によって「国家」を創設することの可否を、人びとが判断しようとしているときに、「国家」の法律と刑罰で従わせようというのは本末転倒です。

 さあ、みんなで《社会契約》をして「国家」をつくれば、あなたがたは刑罰を怖れて文句が言えなくなる。だから、みんなで「国家」をつくろう。……などという呼びかけに、いったい誰が応ずるでしょうか ?!(上野修,op.cit.,pp.22-36.)

 ここは重要な部分なので、慎重に読み進めて行きたいと思います。






 【42】“共同社会”と《市民国家(キウィタス)》



「        C したがって、このような法則によって社会の基礎は確固たるものになるが、☆社会自身は各人の、復讐したり善や悪について判断したりする権利を、ただ社会自体の所有にし、★さらにこれによって社会自身が共通の生活の原理を制定し法律を裁可する力をもち、そしてその法律を、〔この部の定理17・註解より〕感情を抑えるのに無力な理性によってではなく、刑罰の威嚇※によって強固にしなければならない。ところで社会はこのような法律と、自分を維持しようとする力によってその基礎をかためられたとき、国家と呼ばれる。またその国家の権利によって擁護されている人々は、国民と呼ばれる。」

工藤喜作・斎藤博・訳『エティカ』,pp.351-352.



 どうでしょうか?

 読んでいて、何か飛躍があるような気がします。段落BとCのあいだで、文意がうまくつながっていないような気がするのです。これは、翻訳の問題かもしれない。そこで、岩波文庫の訳を見ると:



「C そこで、この法則に従って社会は確立されうるのであるが、☆それには社会自身が各人の有する復讐する権利および善悪を判断する権利を自らに要求し、★これによって社会自身が共通の生活様式の規定や法律の制定に対する実権を握るようにし、しかもその法律を、感情を抑制しえない理性〔この部の定理17・備考より〕によってではなく、刑罰の威嚇※によって確保するようにしなければならぬ。さて法律および自己保存の力によって確立されたこの社会を国家と呼び、国家の権能によって保護される者を国民と名づけるのである。」

スピノザ,畠中尚志・訳『エチカ(下)』,改版,2011,岩波文庫,p.60.



 訳は同工異曲で、B→Cの飛躍を感じさせるのは、畠中訳も同じなのです。

 『エティカ』の翻訳をしている人たちというのは、みな“頭の切れる人たち”です。“頭の切れる人”に特有の先走りがあるかもしれない。デカルトやホッブズの著作で、頭の中がいっぱいになっているかもしれない。しかし、スピノザは、決して“頭の切れる人”ではなかったと思います。才気煥発、頭の中でどんどん論理が展開してゆくような人ならば、こんな本を書くはずがない。幾何学か基礎数学のように、煉瓦を一箇一箇積み重ねるように論理を組み立てるやり方でしか自説を展開できないスピノザが、頭のよい人であるはずはない。むしろ、鈍重な頭脳がたどる“カタツムリの歩み”こそ、『エティカ』というこの著作ではなかったか?

 「上手の手から水が漏れる」―――スピノザの鈍重な歩みを、才気煥発の頭脳でなぞろうとして、あちこちで小さな――しかしスピノザにとっては重要な――段を飛び越えてしまうことも、ありうるのではないか? 

 そういうわけで、ここは非才をかえりみずに原文に遡ってみることにします:



「C Hac igitur lege s o c i e t a s firmari poterit, si☆ modo ipsa sibi vindicet ius, quod unusquisque habet, sese vindicandi et de bono et malo iudicandi;★ quaeque adeo potestatem habeat communem vivendi rationem praescribendi, legesque ferendi, easque non ratione, quae affectus coercere nequit (per schol. prop. 17. huius), sed minis※ firmandi. Haec autem societas legibus et potestate sese conservandi firmata c i v i t a s appellatur, et qui ipsius iure defenduntur c i v e s .」

"Ethica", in: Rudolf W. Meijer "A hypertext edition of works by Spinoza".



 疑問に思われるのは、各訳文で「法則,法律」と訳されている「lege, legibus: lex の単数奪格,複数奪格」、「社会」と訳されている「ソキエタス societas」、「刑罰の威嚇」と訳されている「minis: minae の複数奪格」、「国家」と訳されている「キウィタス civitas」、「国民」と訳されている「cives: キウィス civis の複数」です。

 また、☆位置の原文には「si: もし」があり、★位置にはセミコロンがありますから、☆〜〜★は、「もし〜〜ならば、……」と、後ろに返って訳したほうが忠実でしょう。

 これらに手を加えて、Cの部分の逐語に近い訳を作ってみると、次のようになります:



「C このようにして それゆえ,もしも☆ [各人が持つ,復讐し かつ善と悪について判定する 権能(ius)]を 共同体(societas)だけが自分のものだと主張する(sibi vindicet 接続法)ならば,法(lex)によって 共同体(societas)は 強固にされることができるだろう[未来];★ それぞれの共同体(societas)が{共通の生活規則を定め さらに法(lex)を作り出し それらを [感情をなだめることができない]理性によってではなく 威力(minae)※によって 強固にする}力(potestas)を持っている[接続法]あいだは。しかし [もろもろの法(lex)と 自己を保存する力(potestas)によって強固になった]この共同体(societas)は 都市(civitas)と呼ばれ、それ(都市)の(ipsius)権能(ius)によって防護される者たちは 市民(cives)と(呼ばれる)。」






 






 「ソキエタス」は、辞書を見ると、「同志団,結社,共同体,商人仲間」といった訳が並んでいます。全体としての「社会」よりも、個別の団体を指す意味のようです。しかし、後のほうで、「キウィタス(国家、都市など)と呼ばれる」とありますから、領域をともなった村や町のようなものをイメージして、「共同体」と訳しておくことにします。

 両訳ともに「刑罰の威嚇」と訳している「minae」ですが、この語自体は「恐怖、脅威、威嚇」といった意味で、「刑罰」の意味は含んでいません。もちろん、刑罰が制定されれば人びとは威嚇されるでしょうけれども、スピノザは、刑罰に限定してはいない、どんな手段であれ、人びとが恐れて従うようなものであればよい、と考えていると見るべきです。

 それでは、「刑罰」以外に、この場合にどんな「恐れ」がありうるのか? どんな「恐れ」が、人びとを共同体の「法」に従わせる力をもつのか? じつは、スピノザ自身が、『エティカ』のあとに書いた『国家論』で、その点を説明しているのです。



「『人間が共同の諸権利を持ち、全員があたかも一つの精神によってであるかのごとくに導かれる場合
〔…〕彼らのおのおのは自分以外の残りの者(reliqui)が一緒になって(simul)自分より強力であるその程度に応じて少ない権利を有する。いいかえれば、各人は〔…〕共同の同意に基づいて自分に命令されることなら何であれ、実行するように拘束される。あるいは(本章の4節により)権利によってそれへと強いられる』(国家論 2/16)。

 
〔…〕服従に拘束する『実際上』の根拠は〔…〕各人がめいめいにその『残りの者』と対峙するという仕方で相互に関係しあう〈非対称性の相互性〉にあるのだ。そしてまさに『群衆の力能(multitudinis potentia)によって定義されるこの権利が、ふつう統治権=国家(Imperium)と呼ばれるもの』(国家論 2/17)だというのである。〔…〕

 まず、各人は命令を履行するよう『権利によって(jure)強いられる』とスピノザが言っている箇所に注目しよう。『権利によって』と言われるかぎりそのように強いるのはある権利関係なのだが、
〔…〕第4節を参照すると」この「権利」とは、「『自然の力そのもの』としての『自然権=自然権利(jus naturae)』であることが分かる(国家論 2/4)。〔…〕その『自然権』とはしかし『エチカ』のいう『衝動』(appetitus)でなければ何であろう。〔…〕いうまでもなくそのような『衝動』と解された『自然権』は、〔…〕主体の意のままにはならぬ集団的な産出力の一部分なのである。」
上野修『デカルト、ホッブズ、スピノザ――哲学する17世紀』,2011,講談社学術文庫,pp.45-47.

青字は、引用元の傍点付き文字。



 つまり、成立した集団―――都市、村のような「共同体」―――が、刑罰を行なう国家である必要はないのです。「村八分」のようなこと――それは一種の刑罰です――さえ必要はありません。ただ、各人は“ひとり”であり、自分以外の者は“おおぜい”だという事実、‥それだけで、各人が「共同体」の“力”を怖れるには十分なのです。



「『群衆は理性の導きによってではなく、何らかの共同の感情(affectus)から自然的に一つとなり、あたかも一つの精神によってであるかのごとくに導かれたがる』のであって、鍵をにぎるのは『共同の希望あるいは恐れ』という集団的情動なのである(国家論 6/1)。さて『エチカ』の定義(第3部・諸感情の定義12,13)によると、希望や恐れとは、『われわれがその結末に幾分疑念を抱いているような、そういう未来あるいは過去の事柄の観念から生ずる』ところの『不安な感情』である。つまり人は現前にいたるかどうか何の保証もないはずの不在のものにイマジネールな仕方でかかわってしまうわけで、そこからそうした
「希望」または「恐れ」の――ギトン注〕感情が生じ、人はある行為に衝動から駆り立てられるのである。〔…〕

 『残りの者』の力がめいめいにとって現に出現するかどうか本当は保証は無い。にもかかわらず、あるいはむしろそれゆえに、めいめいがイマジネールな仕方で等しくそれを恐れあるいは期待するのであり、こうして各人は衝動に駆られてそれぞれ自分以外の『残りの者』に従属する(国家論 3/3)。
〔…〕そこには、出現するとはかぎらぬ『残りの者』の力を各人が期待し恐れ、それが互いにとって現実の『残りの者』の力の実現となり、今度はこの実現が各人の期待と恐れをまた備給し……というふうに、いわば保証なき履行があたかも保証があるかのごとき現実を産出しつづけるといった逆説的な循環がある。」
上野修『デカルト、ホッブズ、スピノザ――哲学する17世紀』,pp.48-49.



 こうして、各人が《社会契約》に従うのは、他の全員が従う保証のある場合で、全員が従うという保証は、それぞれが現実に従う以外には与えられない―――だから「理性」的にふるまうほど《社会契約》は不可能になる―――という《社会契約》のアポリア(現代の囚人のジレンマに似ている)は、「希望」「恐れ」衝動」という“集団的情動”によって解消することになります。スピノザの考えでは、《社会契約》は「理性」を基礎とするものではなく、むしろ不合理で盲目的な“集団的情動”によって支えられたものなのです。

 なぜ不合理がと言えば、それぞれが《契約》に従う「衝動」は、自分以外は全員が従うはずだ、自分が従わなければ他の全員から制裁を受けるにちがいない、―――という根拠のない予想(想像,イマジネーション)にもとづいているからです。なぜ根拠がないかと言えば、「他の全員」もまたそれぞれが、同じイマジネーションを抱いているのであり、「他の全員が……」というイマジネーションがなければ《契約》に従おうとする者など実は一人もいないからです。にもかかわらず全員が《契約》に従ってしまう。そして、こうして現出した「他の全員が従っている」という事実が、各人の「期待」と「恐れ」を高め、各人は、集団の絶対的な“力”を感じるようになる。

 この集団の絶対的“力”は、「合意」(誓約)によって成立するあらゆる人間集団を支える・もっとも基礎にあるものでしょう。「国家」もまた、その例外ではありません。いかなる理想社会も“ユートピア”も、それが人間の集団であるかぎり、例外とはなりえない。

 たしかに、現実の「国家」では、法律や刑罰が、人びとの遵法精神を支えているように見えます。しかし、スピノザが闡明する集団の盲目的“情動”が基礎にあってこそ、法律も刑罰も意味をもつのです。警官が法に従って違反者を逮捕し、刑吏が法に従って処刑を執行する、という“不確かな未来”が実現すると人びとが「想像」するからこそ、“全員の「想像」”によって、予想されたとおりの“未来”が実現しつづけているのです。この集団的“情動”のメカニズムがなければ、法律も刑罰も法治国家も、まったく無効になってしまうのです。













 さて、このように考えると、『エティカ』引用段落Cにあった「国家」「国民」という訳語は、かならずしも適当でないことがわかります。語源的にも、「キウィタス」は、古代ギリシャ・ローマなどの都市国家を意味します。ただ、「都市国家」という訳語はやはり「国家」を思わせるので、「都市」「市民」と訳しておきます。

 スピノザの考えているCの段階の「ソキエタス」は、市民が守るべき「生活の規範」を定め、「何が善で何が悪か」を個々の市民に代って判定し、市民の集団的“情動”によってそれらを守らせる“全体”です。それはいまだ、法律も刑罰も、それらを強制して遵守させる“暴力装置”も備えてはいないのです。

 すなわち、「国家」以前の共同体なのです。






 【43】《市民国家(キウィタス)》と民主政と神政政治



 それでは、そのような「国家」以前の「ソキエタス」は、民主的に運営されるのでしょうか? その点について、『エティカ』には何も書かれていません。しかし、『国家論』のほうを見ると、かならずしも民主的である必要はない‥と考えられていることがわかります。もちろん、民主的に運営されて悪いわけではない。しかし、民主的でなくてもよい。要は、市民の集団的“情動”に基いて、“全体”の決定が守られればよい。

 というのは、『エティカ』に先立つ『神学政治論』で、「国家」以前の「ソキエタス」の例として挙げられているのは、『旧約聖書』に書かれた、モーセに率いられたユダヤ人集団(出エジプト記)なのです。

 モーセに率いられてファラオの圧政から脱出したユダヤ人たち(イスラエルびと)にとって、彼らの運命のすべては“神”に委ねられています。“神”は絶対的な支配者であり、モーセは“神”の絶対的命令をイスラエルびとに伝える“代理人”です。もちろんスピノザは、「ヤハヴェ」というような人格的な神の存在は全否定していますから、モーセが伝える「ヤハヴェ」の言葉は、すべてがモーセの創作にほかなりません。「十戒」も何もかも、こういう内容なら民は従うだろう‥とモーセが考えて布告した、偽りの“神の言葉”なのです。

 モーセのそのような、民に対する“絶対的権力”を支えているのは、民の“原初的「同意」”であり、民の集団的“情動”です。行くての海が干上がって彼らを通した、などの数々の“奇蹟”が民の確信を強めた結果、彼らはモーセの“絶対的権力”に同意したのです。

 こうして、イスラエルびとの「ソキエタス」を成立させている集団の絶対的“力”は、彼らにあっては、「神」という“眼に見える”ものによって表象されることになりました。「ヤハヴェの神」として崇められているものの実体は、彼ら自身の集団的“情動”なのであり、集団としての彼ら自身にほかならないのです。



人が命令に服従するとすればそれは『残りの者』の力を恐れあるいは期待するからだが、そうなるには『残りの者』を、彼の聴くその同じ命令の声に従うであろう群衆として表象するのでなければならない。
〔…〕ここに命令あるいは法の声の超越性という問題が出てくる。〔…〕命令は聴取しうるエノンセ〔布告――ギトン注〕でなければならず、結局だれかがそれに仮の肉声を貸し与えてやらねばなるまい。それゆえ〈非対称性の相互性〉という群衆の自然的構成は、唯一至高の〈掟の布告者〉という虚構と不可分なわけである。〔…〕

 こうして『ひとりモーゼのみが神の立法の伝達者かつ解釈者、したがってまた最高の審判者としてとどまったのであり、彼を裁くことはだれにも出来ず、また彼のみがヘブライ人の間にあって神の代理、つまりは最高の主権を独占したのである』
〔スピノザ『神学政治論』第17章―――ギトン注〕。ここに神話的痕跡として語られているのは、だれにも帰属しえぬ恐るべき至高の声の代理人、〈掟の布告者〉の出現でなければ何であろうか。モーゼはそのような『神の代理』として他の成員に対し超越的な位置を占める。

 とはいえそれはホッブズの主権者の超越性と同じものではない。」

上野修『デカルト、ホッブズ、スピノザ――哲学する17世紀』,2011,講談社学術文庫,pp.51-52.

青字は、引用元の傍点付き文字。



 ホッブズの「主権者」は、「群衆」から完全に超出し、自らは何らの制約も受けることなく専制的権力をふるうことができる。「群衆」の《社会契約》はそれを是認しています。なぜなら、「万人の万人に対する戦い」(《自然状態》)となるよりは、ただひとりが恣意的権力をふるう代わりに、他の者全員が相互に平和に生活できるほうがよいからです。

 しかし、モーセ―――スピノザの「ソキエタス」《社会契約》―――の場合は、そうではない。モーセは、“神”の名を語れば何でもできるかのように見えて、そうではない。彼は、ヘブライ人たち(イスラエルびと)が、それこそ“神”の声だ、と信じるようなことしか布告することはできないのです。彼は、「群衆」のひとりひとりが恐れる“「群衆」全体”すなわち「残りの者」:他の全員の声を体現するという役割の外には、決して出られない。したがって、



「モーゼもまた他の成員と同様『神』
〔すなわち「他の全員」――ギトン注〕の声に聞き従い、その力を期待しかつ恐れねばならない。そしてその恐るべき声ならびに力とは、〔…〕『神』であり『社会』でもあるような〔…〕だれにも帰属しえない『群衆の力能』なのである。〔…〕

 統治権掌握者は唯一至高の〈掟の布告者〉であるとはいえ、好きなように命令できるわけではない。あくまで彼は各人に対し、あたかも各人にとっての『残りの者』がそれに聞き従うかのごとくに語るほかないのであって、さもなくば自国の国民のゆえに危機に曝されるは必至である。
〔…〕

 いかなる政体においてであれ、統治権は〈非対称性の相互性〉の効果としてしか実現しえず、徹頭徹尾〈群衆の力能〉によって規定されるほかない
〔…〕
上野修『デカルト、ホッブズ、スピノザ――哲学する17世紀』,2011,講談社学術文庫,pp.52-55.



 さきほど、モーセは、何でもできるわけではなく、「群衆のひとりひとりが恐れる『群衆』全体、すなわち、他の全員の声を体現する」ことしかできない、と書きましたが、これをより正確に言えば、引用文にある説明のとおりです。つまり、各自は、自分の思いなし‥「想像知」にしたがって行動するのですから、基準になるのは、モーセの“布告”を各自が、どう思うかです。したがって、モーセに課せられているのは、“こういう内容の布告には”あるいは“このようなやり方で布告された掟には、自分以外の者全員が従うだろう”と、各自が思ってしまうような内容、方法の布告をすることです。

 その実例は『旧約聖書』に書かれているとおりで、火山の爆発とともに“布告”を告げたり、蹄のない動物の肉を食べるなとか、発酵した食物を作ってはならないとか、布告する“生活規則”の中に、彼ら遊牧民の迷信や慣習を取り入れたり、‥しまいにいよいよヤバくなると、「神は私を死なせることに決めた」と言って、安全に群れから去って行くとかです。






 
Jean-Étienne Chaponnière (1801-1835)  






 『エティカ』〔第4部・定理37・註解2〕の《社会契約》論を、先へ読み進めましょう。



「        D このようなことから、自然状態のもとでは、善であれ、悪であれ、すべての人々の同意◆(ex omnium[gen.pl] consensu[abl.sg])に支えられているものがありえないということを、容易に認識しうる。というのは、自然状態のもとにあるものはすべて、自分たちの利益だけを思いめぐらし、自分たちの気ままによって、ただ個人的な利益をもとめるという原理にたって、何が善か、また何が悪かを判定する。またいかなる法律も自分に従う以外には、だれにも従うように拘束しないからである。このことから、自然状態では、罪というものは考えられない。

         E ところがたしかに国家状態においては、何が善であり、何が悪であるかは、共通の同意◆によって(communi consensu)判定される。そして各人は国家に従うことを義務づけられるのである。かくて罪とは不服従以外の何ものでもない。したがって、不服従はただ国家の法によってのみ罰せられ(punitur)※、また反対に服従は国民にとっては功績と見なされる。なぜなら、まさにそのことのために国民が国家の恩恵を享受することは、当然のことと判断されているからである。〔第4部〕」

工藤喜作・斎藤博・訳『エティカ』,p.352.



 E段落で、“処罰”がはじめて現われ、また、「共通の同意」という言葉が現れます。「キウィタス」は、この段階で、「処罰」を執行できる“暴力装置”を備えて、Cの段階よりも「強固に」され、それとともに、「共通の同意」という明示的な“市民誓約”が成立します。モーセの場合のような、絶対権力への“なしくずし”的な同意ではなく、民主的な制度的「同意」が、法に従った「処刑」をなしうる“暴力装置”の成立を支えているわけです。

 ここでようやく、名実ともに「国家」といえるものが成立したと言ってよいのだと思います。Cの段階の「キウィタス」は、いまだ「国家」を持たない社会――しかし《自然状態》とは異なって、善悪を共通化する「掟」と、その決定機関を持つ安定した社会―――でした。



「        F 次に、自然状態においてはだれも共通の同意にもとづいてあるものの主人になることはできないし、
〔…〕いいかえれば、自然状態では正義とか、また正義に反するとか言われるようなことは、まったく起りえないのである。

         G しかし、たしかに国家状態においては、共通の同意◆にもとづいて(ex communi consensu)何が正義であり、何が正義に反するかが判断される。

         H 以上のことから、正義と、正義に反すること、罪と功績は、外面的な概念であって精神の本性を説明する属性ではないことが明らかである。しかしこれについては、以上の説明で十分である。〔第4部・定理37・註解2、終り〕」

工藤喜作・斎藤博・訳『エティカ』,pp.352-353.



 なお、『エティカ』のラテン語原文を電子テクストで何度か参照しましたが、このテクストは、 Editor's Preface によると、“For the content I have based myself on Bruder’s edition of 1843, a copy of which I own. I have also consulted Gebhardt’s edition of 1925 (reprinted 1973) as available to me in electronic form on the CD-ROM produced by Biblia, ...”――― 1843年ブルーダー版を底本とし、1925年ゲプハルト版を参照して編集したとのこと。畠中訳はゲプハルト版を定本とし、工藤斎藤訳は、ゲプハルト版を底本として 1914年 Vloten & Land版等を参照しています。

 しかし、そんなのではなく、スピノザの原稿そのまま(?)のオリジナル・テクストは見れないのかというと、これは電子テクストにはなっていませんが、インターネットで簡単に閲覧できます。

 『エティカ』は、スピノザの生前には(危険書籍だと思われて)出版されませんでした。最初の版は、没年に友人たちが出版した『遺稿集 OPERA POSTHUMA』に収載された 1677年版ですが、幸いなことに、Wolfenbütteler Digitale Bibliothek (WDB) で閲覧できます。ラテン語がわかる・わからないにかかわらず、これはぜひ見ておくべきです。というのは、17世紀当時の出版には、現在のテクストには到底盛りきれないほど多数の記号や情報が満載されており、そのようすだけでも一見の価値があるからです。






 【44】「理性知」から「直観知」



 こうして、「第3部」「第4部」から「第5部」前半にかけて、ひたすら外部からの「感情」の波に動かされ、動揺する人間の精神を、「理性」によって、あるいは、「より強い反対の感情」を喚起することによって、どう導いてゆくかということに、考察が向けられてきました。

 しかし、「第5部」の後半、つまりこの著作の最後の部分では、一転して「直観知」について述べられます。

 (9)【36】で概説したように、「理性知」が理念世界の「イデアル」“種類”を対象とするのに対して、「直観知」は、私たちの身の回りにある「個物」を直接に対象とします。しかも、「想像知」とは違って、「直観知」はつねに“真”なる認識――「十全」な認識です。

 スピノザが「直観知」を「最高の認識」とするのは、「直観知」が、《神》を把えることのできる認識だからです。



「〔定理24〕われわれは個物をより多く認識するにつれて、神をそれだけ多く認識する〈あるいはそれだけ多く神を理解する〉。

 〔定理25〕精神の最高の努力、最高の徳は、ものを第3種の認識
「直観知」――ギトン注〕によって認識することである。

 〔定理27〕この第3種の認識から、存在しうる精神の最高の満足が生じてくる。

   〔証明〕精神の最高の徳は、神を認識することである〔第4部定理28による〕、あるいはものを第3種の認識によって認識することである〔この部の定理25による〕。
〔…〕〔第5部〕」
スピノザ,工藤喜作・斎藤博・訳『エティカ』,2007,中公クラシックス,pp.-.



「『エチカ』第5部定理24は、『我々は、個物をより多く認識するに従って、それだけ多く神を認識する』と述べ、その理由を、
〔…〕個物というのが神の一部であり、それゆえ、神の本質を何らかの仕方で分ち持っていることに求めている。」
清水禮子『破門の哲学』,1978,みすず書房,p.120.













 つまり、《神》ないし《自然》は、「理性」によって推論して認識しうるものではなく、多くの「個物」―――多くの「個人」と、種類ではない個別の事物―――を認識し理解することを通して、各「個物」の中に現われている《神》を観取することによって〔第2部・定理45〕、認識することができる。そのようなものだと言うのです。

 清水氏によれば、スピノザが『デカルトの哲学原理』で述べていることから、



「神の認識は、『個物の認識とともに』あるいは『個物を認識しつつ』成立すること。それゆえ、第三に、神の認識というのは、分節的な前提‐帰結の関係を含まぬ認識でなければならぬこと。」

op.cit.,p.122.



 が帰結する。したがって、
「『エチカ』の場合、神の認識に携わる人間精神の働き」「、飽くまでも直観でなければならず、それも、一切の分節を含まぬ単一の直観でなければならないのである。〔…〕神の認識というのが直観によってのみ成立すること」神は「直観知」によってのみ認識しうる―――というのがスピノザの考えであることがわかる。
清水禮子『破門の哲学』,pp.122-123.



 したがって、このようなことから、「理性知」は、「直観知」へと向かうべく「欲望」し「努力」することになります:



「〔定理28〕ものを第3種の認識によって認識しようとする努力あるいは欲望は、第1種の認識からではなく、第2種の認識から生じてくる。〔第5部〕」

スピノザ,工藤喜作・斎藤博・訳『エティカ』,pp.446.



 ところが、このようにスピノザが言う「直観知」、なかんずく《神》を認識する「直観知」は、たいへんに解りにくいものです。じっさい、スピノザ自身がこの著作の最後に、



「〔定理42・註解〕
〔…〕

          さて、私がここに到達するために示した道は、きわめてけわしい道であるかのように見えるが、
〔…〕このようにまれにしか見いだされないものは困難であるにちがいない。なぜなら、もし幸福が手近なところにあり、たいした労力もかけず見いだされるならば、それをほとんどすべての人がどうして無視することができようか。〔困難であるがゆえに、誰もが無視しているのである。―――ギトン注〕

 とにかくすぐれたものは、すべて希有
(けう)であるとともに困難である。〔第5部〕」
スピノザ,工藤喜作・斎藤博・訳『エティカ』,2007,中公クラシックス,p.463.



 と記している理解の非常な困難さが、そこにはあります。「直観知」の理解を困難にしている原因のひとつは、それが“永遠性”と関係していることにあります:



「知性の永遠性に関するスピノザの理論の難解さは伝説的である。
〔…〕

 最も根本的な問題は、スピノザは、人間の精神は人間の身体の観念であり、身体が存在する間のみ存在すると主張しているにもかかわらず、精神(人間の知性)の『何か』は永遠であるとも主張しているが、どうすれば一貫してそう主張できるのか、あるいはそもそも一貫してそう主張できるのかどうか、ということである。」

チャールズ・ジャレット,石垣憲一・訳『知の教科書スピノザ』,2015,講談社,選書メチエ592,p.267.



「〔定理23〕人間精神は、身体とともに完全に破壊されえない。むしろ、そのうちのあるものは永遠なものとして残る。〔第5部〕」

スピノザ,工藤喜作・斎藤博・訳『エティカ』,2007,中公クラシックス,pp.-.



 この定理は、
「思惟する実体と延長する実体とは同じ実体である」「延長の様態とその様態の観念〔すなわち思惟の様態――ギトン注〕とは同じものであ」るとする〔第2部・定理7・註解〕「人間精神を構成する観念の対象は身体である。すなわち現実に存在する延長のある様態であって、それ以外のものではない。」とする〔同・定理13〕等、これまでに述べられてきた多くの定理と矛盾するように思われます。なぜなら、〔第4部〕までの諸定理にしたがえば、人間の精神は、身体の誕生とともに現出し、身体の消滅とともに消滅するはずだからです。スピノザの《神すなわち自然》の中には、「実体」である《神》そのものを除くほか、永遠の存在、たとえば“不滅の霊魂”のようなものが存在しうる余地は、無かったはずなのです。

 ところが、ここ、「第5部」の後半では、一転して「精神」(の一部?)の永遠性が語られます。その永遠性が、「直観知」と結びつけられているのです。

 人間の精神――ないし「精神のなにか」――は永遠である。精神は、永遠であるかぎり「直観知」をもち、《神》を認識する:



「▽定理23 人間の精神ないし『精神のなにか』は永遠である。

      
〔…〕

 ▽定理31とその備考 精神は、永遠である限り、第3種の認識を持つ。
 ▽定理32とその系 神の知的な愛は第3種の認識から生じる。
 ▽定理33 知的な愛は永遠である。」

チャールズ・ジャレット,石垣憲一・訳『知の教科書スピノザ』,2015,講談社,選書メチエ592,pp.257-258.



 「神の知的な愛(amor Dei intellectualis)」は、文法的には、“神が愛する”“神を愛する”どちらの意味にもとれますが、〔定理32・証明〕の文脈から、“人間の神に対する愛”の意味であることがわかります。

 この“人間精神の「永遠」性”を、比喩的な意味に理解することはできません。“人間というもの”は個人の存在を超えて永遠であるとか、人間の精神は、永遠のもの――「イデアル」――を認識しうるというだけの意味に“縮小”しようとしても無理です。なぜなら、この“精神”の「永遠」性は、人間という“種類”「イデアル」にかかわるものではなく、わたしやあなたといった個別の人間が「永遠」だと言っているのだからです。「永遠」である「限り」においてのみ、個々の人間は(イデアルではなく現実の)《神》「直観」《神》を愛することができるのです。

 これは、文字どおりに、わたしやあなたの“精神”は永遠である。その「永遠」とは時間と無関係な「永遠」だとスピノザは言うけれども、とにかく「永遠」なのだと、そう読むほかはありません。






 






「〔定理23・註解〕
〔…〕身体の本質を永遠の相のもとで表現するこの観念〔「身体とともに完全に破壊されえない」精神の永遠な部分―――ギトン注〕は、精神の本質に属し、しかも必然的に永遠な、ある一定の思惟の様態である。だがわれわれは、自分たちが身体の存在以前に存在していたことを思い出すことはできない。というのは、身体のうちにはその痕跡が何一つ存在しえないし、また永遠性は時間によって規定されえないし、また時間とはなんの関係もないからである。だがそれにもかかわらず、われわれは自分が永遠であると感じ、またそれを経験する。なぜなら、精神は、知性の認識によって把握するものを記憶するものと同じように感ずるからである。というのは、ものを見たり、観察したりする精神の眼が、その証明となっているからである。

 このようにわれわれは、身体の存在以前に存在したことを思い出すことができないけれども、われわれの精神は、身体の本質を永遠の相のもとにふくんでいるかぎり、永遠であり、また精神のこの存在は時間によって規定されず、また持続によっても説明されえないことを感ずる。それゆえわれわれの精神は、たんに身体の現実的存在をふくむかぎりにおいて、持続すると言われ、またその存在は一定の時間によって規定されるのである。そしてそのかぎりにおいてのみ、われわれの精神は、ものの存在を時間によって決定し、ものを持続において理解する能力をもつのである。〔第5部〕」

スピノザ,工藤喜作・斎藤博・訳『エティカ』,2007,中公クラシックス,pp.442-443.



 「永遠性は時間によって規定されえない」―――つまり、自分の言う「永遠」とは、時間的に“いつまでも”という「永遠」ではなく、そもそも時間を超越した、時間とは無関係な「永遠」なのだ、と、スピノザは言うかのようです。しかし、それでいて、「われわれは、自分たちが身体の存在以前に存在していたことを思い出すことはできない」「われわれは、身体の存在以前に存在したことを思い出すことができない」という言い方で、誰もが自分の誕生以前から存在していた、(おそらく死後にも存在しつづける)―――まさに「時間」の中で!―――と仄めかしてもいるのです。

 ↑引用の第2段落になると、スピノザの語りは、いよいよ奇怪きわまりないものになります。なにか……私たちにとって本来の世界は、「時間」の外にある世界なのであって、私たちは、「時間」の中に存在する「身体」を持つことによってはじめて、「時間」の中で生滅する「個物」や自分の「身体」というものを理解することができるようになる‥‥と、まるで、私たちの“現世的”観念とは真逆なことが語られていることに、私たちはギョッとするほかはないのです。。。






 【45】《神》と友愛の「グローリア(栄光)」






「ところで、『エチカ』を書き始めた頃のスピノザは、ライデンの北西 5キロのところにあるリーンスブルフ
〔Rijnsburg レインスブルフ―――ギトン注〕という村で暮していた。1656年7月の破門によりユダヤ人社会との結びつきを凡て失いながらも、」アムステルダム「を離れる元気の出なかったスピノザが、1660年の初頭、遂にその生まれ故郷を去り、コレギアント派の宗教的活動の中心であったリーンスブルフに移る決心をしたということは、破門後に得た〔破門前から。↓工藤『スピノザ』参照―――ギトン注〕コレギアント派のオランダ人の友人たち〔…〕が、当時のスピノザの中で如何に重要な場所を占めていたかを物語るものである。」
清水禮子『破門の哲学』,1978,みすず書房,p.89.



 もっとも、最近の研究で明らかになったのは、スピノザがアムステルダムを離れたのは、本人の「決心」よりも、市当局によって追放されたせいだったということです。この追放は、ユダヤ教会の執拗な陳情圧力によるものでしたが、市当局は強硬な要求に折れて、1659年に市の郊外への形ばかりの追放を行なったのでした。それでも、この措置はスピノザに、アムステルダムからすっかり離れる決意を起こさせ、彼は翌年春にレインスブルフに引越したわけです。

 「コレギアント派」は、一定の教義で固まった宗派ではなく、当時オランダにあったさまざまな宗派の寛容な人たちが、宗派の違いを超えて集まった自由主義的―――同時にやや神秘主義的なサークルでした:



「1619年のドルトレヒトの宗教会議によって正統カルヴィニズム以外の教団には牧師をおくことが禁じられた。このとき、ファン=デル=コッデは、神の言葉に耳を傾けるためには、僧侶や神学者は必要ないとして、ライデン近郊のレインスブルフ村に、俗人たちを集め、聖書を自由に解釈し、即時に語られる霊感によって信仰を強めあっていた。この派は
〔…〕聖書について自由に語りあう団体(コレギウム)に因んで、コレギアント派ともいわれた。このコレギアント派は宗派を問わず、多くの人たちから構成された。〔…〕

 スピノザがこのコレギアント派の会合に出席したことは
〔アムステルダムにいた時から、すでに破門より前から出席していた。―――ギトン注〕、彼の精神的発展のためには大きなプラスとなった。〔…〕

 彼がライデン近郊のレインスブルフ村に移ったのは、1660年の春であった。この村は、コレギアント派の本拠地であり、年2回 700人以上の人たちがこの地に集まり、礼拝が行なわれていた。このようなことからこの村はスピノザのような異端的な思想の持主には格好の隠れ家を提供する村でもあった。」

工藤喜作『スピノザ』,新装版,2015,清水書院,pp.54-55,65.



「当時のスピノザは、究極的な目標を神との合一に定めながら、その一方で、差し当り可能な何ものかと早急に結合し、世界と自分との絆を回復することを切実に求めていた」

清水禮子『破門の哲学』,1978,みすず書房,p.90.



 “破門”とそれに続くユダヤ人社会での孤立生活、そして市内からの“追放”―――この数年間に受けた心傷からの回復が、何よりも望まれました。そういうスピノザにとって、レインスブルフでの新生活は満足のゆくものでした。彼の下宿には、コレギアント派の友人たちが足しげく訪れ、アムステルダムからも友人たちが足を運んで来ました。また、ほど近いライデン大学の若い学生たちも、“破門されたユダヤ人”に対する好奇心も手伝って、スピノザがうるさく感じるほど押しかけたようです。そしてまもなく、そうした学生のひとり・カセアリウス(Johannnes Casearius 1642-77)を誘って、スピノザは共同生活を始めることになります。

 レインスブルフ村のスピノザの下宿先の家は、友人のひとりが「小屋」と呼んでいるほど狭い家でしたが、スピノザの居住空間は、その「小屋」の1階の一部――寝室兼用の勉強部屋と、その隣のレンズ研きの作業部屋だけでした。






 
レインスブルフ、「スピノザの家」 
スピノザの部屋    






「スピノザが、一人で住んでも広過ぎるとは言えぬ空間にカセアリウスを誘い、生活をともにしたことについて、フロイデンタールは、何か或る不自然なものを感じて率直に遺憾の意を示し、『単に外的な、我々には全く判らぬ事情』が働い
〔…〕たとしか考えられぬと述べている〔…〕

 当時アムステルダムにいたデ・フリースが、書簡の中で、寒さと悪天候とに妨げられてスピノザに会いに行けぬ自分の不運を嘆き、『私に比べると、あなたと一緒のカセアリウス
〔tuus socius Casuarius あなたの相方カスアリウス[cf.casurus 倒さるべき者]―――ギトン注〕は幸せです。実に幸せです〔Felix, imo Felicissimus 男の陰毛のように幸せで、下劣にも最高の幸せにひたっている―――ギトン注〕。あなたと同じ屋根の下に住み、朝食の時にも、昼食の時にも、散歩の時にもあなたと話せるのですから』と羨むように、文字通り起居寝食をともにするものであったらしい。スピノザは、後に植物学の分野で業績を挙げ、やがてスピノザの死の1ヶ月前に、ジャワのバタヴィアで研究途上客死することになるこの10歳年下の青年の幼さを持て余しながらも、その才能を評価し、『私は、彼を愛さずにはいられないのです』と〔デ・フリース宛て返書の中で―――ギトン注〕語り、少しずつ哲学の基礎を教えたりしている。後年、〔…〕『デカルトの哲学原理』として出版された著作は、もともと、リーンスブルフでのこの共同生活の中で、カセアリウスのためにスピノザが行ったデカルト哲学の解説であった。」
清水禮子『破門の哲学』,1978,みすず書房,pp.90-91.



 コレギアント派の友人デ・フリースの書簡には、カセアリウスに対する単なる羨望を超えて、強い嫉妬がうかがえます。300年以上昔の下世話な事情を確かめる手段はありませんが、スピノザとアセアリウスの同居生活は、同性愛だったと考えてもおかしくはないでしょう。それは、《神》への「知的愛」と「合一」を求めつづけたスピノザの生涯に対して、決して貶める想像ではないと思います。友人たちの反応のしかたにも、それはうかがえるのです。

 しかし、1663年4月に、スピノザはカセアリウスとの共同生活を解消して、レインスブルフを引き払い、ライデンからもアムステルダムからも遠いデン・ハーク郊外に移ります。転居の動機については、カセアリウスとの「知的傾向の違い」や「私の手に余る」ことを、デ・フリースにこぼしていますが、それだけでなく、友人たちの訪問が多く気ぜわしい生活が、スピノザには次第に負担になってきたようです。

 もっとも、デン・ハークといえば、当時オランダ共和政治の中心地であり、共和派の頭目デ・ウィットとの交友など、スピノザはそれまで以上に政治の世界にもコミットしてゆくことになるのです。



 ところで、コレギアント派の中心地レインスブルフでの生活、とりわけカセアリウスとの共同生活は、スピノザに何を残したでしょうか? わずか丸3年の滞在でしたが、レインスブルフは、短い期間のわりには大きな影響を、スピノザの上に残していると思います。

 レインスブルフで最初に書き上げた『神、人間および人間の幸福に関する短論文』(1661年)では、主要な論題である「認識」について、「認識」とは、対象との「結合」「合一」によって安らぎを得ることであるとし、とりわけ「他のものによって限定されえない最高に完全な存在」との「合一」――「認識」「愛」――による「幸福」が求められていました(『破門の哲学』,pp.72-73,78-79)。

 ここには、のちに『エティカ』で展開されることになる「無限の実体」としての《神すなわち自然》、およびその直観的認識「神への知的が予告されています。しかし、『短論文』でのスピノザは、《神》との直接的かつ受動的な「合一」―――いわば、外部への没主体的依存・没入―――を性急に求めており、『エティカ』のような、外部環境の“必然”を主体の《自由》として取り返すダイナミズムは、そこにはありません。

 「認識」は、一種神秘主義的な秘蹟のように考えられていたのです。

 しかし、レインスブルフでの経験は、やがて大きな転機をもたらします。『短論文』のあと、翌1662年にかけて書かれた未完の『知性改善論』では、まず、“対象との合一”“《神》との合一”という、他人には伝えることのできない神秘体験的な「認識」観を改めることが、目指されました。その欠点を改め、より客観的な、「理解可能」な認識方法が、模索されたのです。知的な友人たちとの頻繁な交流、またカセアリウスとの密着した共同生活が、認識を他人に伝えることの重要性に気づかせたと言えるでしょう。



「つまり『知性改善論』においては、原理的なものは直観によって、原理から派生するものは原理との直接的な関係の中で
〔推論・論理展開によって――ギトン注〕認識されることになったのである。〔…〕このように無垢の直観〔神秘的な「合一」―――ギトン注〕であることを止め、観念の或る展開を含むものに変ったことは、この時期のスピノザに固有な、知的レヴェルで他の存在と浸透し合う要求、及び、そのためには先ず、認識というのを他の人々にとっても『理解可能な』もの、実行可能なものとして説く必要に促されてのことであろう。何故ならば、手続を一切含まない純粋な直観というのは、何と言っても、その行われ方の説明の困難なものであり、他の人間がそれに『与り得る』可能性が著しく限られてしまうから、〔…〕
清水禮子『破門の哲学』,1978,みすず書房,pp.186-187.



 ところで、『知性改善論』でいったん後退した「直観知」(合一)という方法は、『エティカ』では、「最高の認識」と評価されて復活しているように見えます。

 しかし、『エティカ』の「直観知」は、レインスブルフ以前の『短論文』で追求されたような直接的な“対象との合一”とは異なります。すでに見たように、『エティカ』「第5部」の「直観知」による《神》の認識は、《神》「様態」である・さまざまな「個物」に現われた《神すなわち自然》の本質を看取し、そうした直観的認識を数多く重ねることによって得られるものなのです〔第5部・定理14,定理24〕

 こうした、「直観知」の対象としての「個物」への注目は、萌芽的ながらすでに、『知性改善論』にも現れています:



「『知性改善論』の説く方法は、究極的には最高完全な存在
〔すなわち“神”――ギトン注〕の観念、すなわち神の観念を起点として、そこから他の凡ての観念を展開して行くものでなければならないのであるが、しかし、神の観念というのは、必ずしも現に『与えられ』ているわけではない。」

 そこで
「立てられたのが、『与えられた』個物の観念から出発する『最初の道』だったのである。したがって、やや図式化して言うと、『知性改善論』のスピノザは、〔…〕最終的な方法を最も究極的な存在の観念からの認識という下降の道に求めながら、他方、そうした観念に到達〔…〕するために、差し当り、人間にとって身近な個物の観念から出発することを予備的な方法として考えていたことになる。」
清水禮子『破門の哲学』,1978,みすず書房,pp.190-191.













 このような「個物」への注目、最高価値である《神すなわち自然》の現れとしての「個物」すなわち具体的個人への注目、だれそれの個人を、「合一」的に「直観」的に理解すること、―――そうした志向が、同性愛をもふくむ身近な人との友愛関係に起源をもつであろうことは、想像に難くないと言えます。かかる「直観」「合一」的な認識・理解は、対象に対する「愛」とほとんど一体であるといってよいからです:



「〔定理35〕 神は自分自身を無限の知的愛をもって愛する。

 〔定理36〕 神にたいする精神の知的愛は、神が自分自身を愛する神の愛そのものである。しかしこの場合の神は無限であるかぎりの神ではなく、永遠の相のもとで考察される人間精神の本質によって説明される神である。いいかえれば、神にたいする精神の知的愛は、神が自分自身を愛する無限の一部である。

    〔系〕 この帰結として、神は自分自身を愛するかぎりにおいて人間を愛し、したがってまた、人間にたいする神の愛と神にたいする精神の知的愛とは同じものであるということになる。

   〔註解〕 以上のことからわれわれは、自分たちの救済あるいは至福、あるいは自由が何にもとづいているかを明瞭に理解する。すなわちそれは、神にたいする不変の、永遠の愛あるいは人間にたいする神の愛の中にある。だがこの愛あるいは至福は、聖書において栄光
(グロリア)と呼ばれているが、これは不当なことではない。〔…〕

 
〔…〕われわれの精神が、その本質と存在に関して、どのようにして、またどのような仕方で、神的本性から生じてくるか、そしてたえず神に依存しているのであるか、ということが明らかとなる。〔…〕私は、第1部においていっさいが〔したがって人間精神も〕、本質と存在に関して神に依存していることを一般的に示したけれども〔…〕あらゆる個物の本質そのものから、このことを結論する場合ほど、われわれの精神を感動させることはないのである。〔第5部〕」
スピノザ,工藤喜作・斎藤博・訳『エティカ』,2007,中公クラシックス,pp.452-454.



 《神》に対する人間の「知的愛」も、人間に対する《神》「愛」も、したがってまた、人間に対する人間の「知的愛」も、「神が自分自身を愛する無限の一部」、すなわち《神》「自己愛」にほかならない。―――この部分も注目してよいでしょう。

 「愛」とは自己愛である。……そう言いきるスピノザに、数多くの「個物」との「合一」体験を反省しつくした、同性愛経験の豊かな蓄積を感じとってはいけないでしょうか? 性愛が「知的愛」に“昇華”しているのではありません。スピノザ流の“逆方向論理”で言えば、どんな性愛も、「知的愛」の衝動的な現われ、外部依存的な現れであって、そこにはつねに、「知的愛」、「神の」の本質が脈打っているのです。






【必読書150】スピノザ『エティカ』―――終り。  










ばいみ〜 ミ




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