12/05の日記

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【必読書150】石川啄木『時代閉塞の現状』(4)―――《自然主義》と啄木

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冬の岩手山 盛岡市「農高西門」バス停  











 こんばんは。(º.-)☆ノ





 【必読書150】石川啄木『時代閉塞の現状』(1)

 【必読書150】石川啄木『時代閉塞の現状』(2)

 【必読書150】石川啄木『時代閉塞の現状』(3)

 からの続きです。






 【10】《自然主義》文学―――ヨーロッパと日本



 前回の終りに予告したように、今回は最初から『時代閉塞の現状』論文にとりかかります。



 この論文の前半――(一)から(三)までの節――は、自然主義をめぐる論争について書かれています。そこで、自然主義について、一般的な知識をおさらいしておくほうがわかりやすい。

 自然主義は、19世紀フランスではじまった文学理論、ジャンルはもっぱら小説です。中心人物は、エミール・ゾラ



「自然の事実を観察し、『真実』を描くために、あらゆる美化を否定する。ダーウィンの進化論やベルナール著『実験医学序説』の影響を受け、実験的展開を持つ小説のなかに、自然とその法則の作用、遺伝と社会環境の因果律の影響下にある人間を描き見出そうとする。

 
〔…〕ゾラは、人間の行動を、遺伝、環境から科学的、客観的に把握しようとした。」
Wiki:自然主義文学



 自然主義は、写実主義(リアリズム)の中から出てきた文学理論ですが、たんなる写実を超えて、登場人物に対する“環境と遺伝”の影響を重視する‥‥というより、ほどんど“決定論”なのです。人間の性格も行動も、“環境と遺伝”によって科学的に決まってしまう‥という、19世紀の思想がバックにあります。



写実主義のうちに自然科学の客観性と厳密性を取り入れることを主張して、19世紀後半のフランスでゾラを中心としておこり、ヨーロッパ各国に広がった文芸主潮をいう。
〔…〕

 単にありのままの現実再現という写実主義に飽き足らず、
〔…〕現実をつくりあげている科学的根拠としての『原因』を追求しようとした。つまり、この現実世界を説明することができる方法はただ一つ、科学しかなく、物理的世界の認識に対して科学がすることを文学のなかで行おうとするもの、

 たとえば心理学にかわり、人間の行動における生理学的根拠や、感情、性格を決定づける社会環境などが追求される『科学的作品』を創造しようとする
〔…〕
コトバンク(日本大百科全書):「自然主義」



「簡単に言うと、十九世紀の機械論的な唯物論(自然科学主義・生物学主義)の認識に立った人間観・世界観・現実観が、本来の意味における自然主義ということなのであって、この立場からは人間も究極において自然物(生理的・生物的存在)として観察され
〔…〕

 たとえばゾラにあっては、人間の自我――その性格、その運命を決定するものは遺伝と環境であった。
〔…〕ルゴン家三代の人々の性格と運命とを遺伝の面から追求したこの作家の『ルゴン・マッカール叢書』〔…〕は、自然主義の基本的方向を決定した大作であった。」
文学と教育ミニ辞典:「自然主義」〔熊谷孝著『現代文学にみる 日本人の自画像』,1971,pp.88-93〕



 つまり、心理学や生理学がやるようなことを、小説でやろうとした‥‥といえば、わかりやすいかもしれません。ヨーロッパで起きた自然主義とは、こういうものでした。

 しかし、ここで、事典や概説書には決して書かれないことを付け加えておく必要があります。

 ゾラはたしかに、理論としては、人間は“遺伝と環境”で決定されるんだと、もって生まれた血すじと社会環境にさからうことなどできないんだと、そう主張しました。しかし、ゾラの小説(文庫本でいえば『ナナ』とか『居酒屋』)が多くの人に読まれるのは、“遺伝と環境”にもとづく科学的な研究として読まれるわけではありません。ゾラの小説は、本人の主張する理論を超えているのです。

 “遺伝と環境”という、どうしようもない決定因を、それでもなおかつ越えようとする人間のさが、いかなる運命も消し去ることのできない、しぶとい人間の意志と感情‥、そういったものが描かれているがゆえに、ゾラは人気がある―――とも言われています。

 じっさい、その作品をはなれても、ゾラという人は、“遺伝と環境”・運命に忍従するどころか、まったくそれとは真逆の人だったと言えます。《ドレフュス事件》のさいに、ユダヤ人差別をはげしく糾弾した論文『私は弾劾する』は有名です。













 このように、ヨーロッパにおける本来の自然主義にあっても、“理論”と“実作”のあいだには、かなり複雑なギャップがありました。このギャップが、のちに、19世紀末〜20世紀はじめに、この思潮が日本に伝えられた時に、その受容のしかたを、たいへんこみいったものにしたと言えるでしょう。



「日本における自然主義運動は、明治20年代以来の写実主義の必然的深化であるとともに、西欧の自然主義の日本的消化の結果であった。
〔…〕評論の面では、長谷川天渓などが作家の科学的態度を求めて自然主義の主張を展開していた。

 しかし、そのゾラの理論は根づかず、客観描写への関心だけがやがて花袋の『露骨なる描写』(1904)の主張に結晶して、自然主義文学の方法的準備は整った。

 日露戦後、藤村の『破戒』(1906)の出現によって自然主義文学はほぼ確立し、花袋の『蒲団』(1907)の成功によって決定的となった。島村抱月はこの2作を高く評価して自然主義を評論の面から積極的に支持し、実作と評論とが一体となってこの運動を推進し、以後1910(明治43)年ごろまでがこの派の文学の最盛期であった。
〔…〕

 しかし、自然主義の徹底した傍観的態度は現実暴露の悲哀を感じさせるだけの無解決の文学であったために、1910年にはほぼ運動の頂点を超えた。

 だが、そこで得られた近代リアリズムの手法は近代日本文学の確立に重要な役割を果たした。」

コトバンク(日本大百科全書):「自然主義」



「日本においては自然主義は、自然科学的実験精神・事象精神の産物としてではなく、性本能の非科学的・直覚的把握によるナィーヴな本能主義にさえなって行ったのである。
〔…〕

 日本の自然主義が、人間自我の追求と把握を『破戒』の示したような社会と個人との関係把握の方向に進めることをしないで、いわば『蒲団』の方向へと歪みを深めて行った
〔…〕

 多くの自然主義作家が、性本能に人間の自然――本性=ネイチュア――を見つけ、人間をもっぱら生理に支配され尽くした存在に還元することにいちずだった
〔…〕人間を、歴史の主体として考えうるだけの展望が一般的なものになるにはまだ間(ま)のある時代であった〔…〕当然の結果として、自然主義到達点は〔…〕『現実暴露の悲哀』ということであった。人間自我の実体を見きわめようとして、いっさいの付帯的なものを取り去ってみたら、『人間以前』がそこに発見されただけだった、という『悲哀』である。つまり、人間とは人間以前のそのようなものでしかないということの悲哀と自己嫌悪である。」
文学と教育ミニ辞典:「自然主義」〔熊谷孝著『現代文学にみる 日本人の自画像』,1971,pp.88-93〕



 つまり、日本における自然主義文学は、ゾラの言う科学的な面は取り去ったうえで、“人間(じつは、もっぱら男)とは、性に支配される存在でしかない”という「悲哀」の表明が中心をなした、ということです。ということは、‥科学的ではないとしても、ゾラ自然主義の、決定論的・運命論的な面は、たしかに受け継いだことになります。

 そうした事情のなかでは、“客観的”ということも、科学的な冷静な観察というよりは、傍観者的な、諦観的冷笑的な態度、ということになりがちです。

 これが、日本の自然主義文学の一面でした。しかし、ここでもやはり、さきほど“概説書や事典には書かれない”と言った、もうひとつの半面を考える必要があります。

 つまり、決定論・運命論に対抗するような、人間の意志と感情を重視する面は、日本の自然主義文学にも顕著に見られるのです。むしろ、この“反・科学的”な面が、実作以上に、理論において大きく打ち出された点に、日本の自然主義の特性があった、といえるかもしれません。

 啄木自然主義評論では、こちらの半面が、たいへん重要です。啄木はこれを、運命論に忍従する「自己否定的傾向」に対して、「自己主張的傾向」と呼んでいます。






 
  蓋平館別荘跡 旧・本郷区森川町
  啄木は、1908年9月から翌年6月まで
  金田一京助の援助で、ここに住んだ。






 【11】混迷、諦観、冷笑、逃避



「見よ、花袋氏、藤村氏、天渓氏、抱月氏、泡鳴氏、白鳥氏、今は忘られているが風葉氏、青果氏、その他――すべてこれらの人は皆ひとしく自然主義者なのである。そうしてそのおのおのの間には、今日すでにその肩書
〔「自然主義者」と呼ばれること――ギトン注〕以外にはほとんどまったく共通した点が見いだしがたいのである。〔…〕白鳥氏対藤村氏、泡鳴氏対抱月氏のごとく、人生に対する態度までがまったく相違している事実をいかに説明すればよいのであるか。〔…〕現実暴露、無解決、平面描写、劃一線の態度等の言葉によって表わされた科学的、運命論的、静止的、自己否定的の内容が、その後ようやく、第一義慾とか、人生批評とか、主観の権威とか、自然主義中の浪漫的分子とかいう言葉によって表さるる活動的、自己主張的の内容に変ってきたことや、荷風氏が自然主義者によって推讃の辞を贈られたことや、今度また「自己主張の思想としての自然主義」という論文を読まされたことなどを、どういう手続をもって承認すればいいのであるか。それらの矛盾は、ただに一見して矛盾に見えるばかりでなく、見れば見るほどどこまでも矛盾しているのである。〔…〕

 魚住氏はこの一見収攬しがたき混乱の状態に対して、きわめて都合のよい解釈を与えている。曰く、『この奇なる結合(自己主張の思想とデターミニスチックの思想
〔“決定論”すなわち「自己否定の思想」――ギトン注〕の)名が自然主義である』と。〔…〕しかし我々は覚悟しなければならぬ。〔…〕人間の思想は、それが人間自体に関するものなるかぎり、かならず何らかの意味において自己主張的、自己否定的の二者を出ずることができないのである。すなわち、もし我々が今論者の言を承認すれば、今後永久にいっさいの人間の思想に対して、『自然主義』という冠詞をつけて呼ばねばならなくなるのである。」
「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,pp.112-114.



 啄木がここで言っているのは、「自然主義」という名のもとに、「自己否定」⇔「自己主張」という、まったく相反する2つの傾向が主張されているということです。

 「自己否定的」とは、客観的、科学的、決定論的、運命論的な見方のことで、それが自然主義の本来の理論に近いことから、「純粋自然主義」とも呼ばれました。

 「自己主張的」とは、それに対抗する、「第一義慾」「主観の権威」「自然主義中の浪漫的分子」といったことばで主張される傾向のことで、啄木はもちろん、こちらの側に立っています。こちらの主張は、「自然主義」というよりも、「ロマン主義」と言ったほうがよいかもしれません。ただ、当時の日本では、「浪漫主義」と言うと、「時代遅れだ」と思われてしまうので、「自然主義の一面だ」と主張しているのです。



自己主張的傾向が、数年前我々がその新しき思索的生活を始めた当初からして、一方それと矛盾する科学的、運命論的、自己否定的傾向(純粋自然主義)と結合していたことは事実である。
〔…〕近来(純粋自然主義が彼の観照論において実人生に対する態度を一決して以来)の傾向は、ようやく両者の間の溝渠のついに越ゆべからざるを示している。」
「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,p.108.



 つまり、日本では、自然主義が紹介された最初のころには大きな誤解があって、「自己主張的傾向」のほうを「自然主義」だと思っていたようです。啄木自身、前回見たように、ルソーの「自然に帰れ」という呼びかけに象徴されるような・ロマンチックな理想主義として、「自然主義」を理解していたのです。



「論者
〔魚住折蘆――ギトン注〕〔…〕自己主張の思想としての自然主義』を説くために、我々に向って一の虚偽を強要していることである。相矛盾せる両傾向の不思議なる五年間の共棲を我々に理解させるために、そこに論者が自分勝手に一つの動機を捏造していることである。すなわち、その共棲がまったく両者共通の怨敵たるオオソリテイ――国家というものに対抗するために政略的に行われた結婚であるとしていることである。

 それが明白なる誤謬、むしろ明白なる虚偽であることは、ここに詳しく述べるまでもない。我々日本の青年はいまだかつてかの強権に対して何らの確執をも醸したことがないのである。したがって国家が我々にとって怨敵となるべき機会もいまだかつてなかったのである。」

「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,pp.108-109.



 魚住折蘆の議論は、自然主義の・この2つの相反する傾向のあいだを、調停する内容だったようです。折蘆によれば、「自己否定的」も「自己主張」も、両者ともに、「オオソリテイ――国家」を敵とするのであって、「共通の怨敵たるオオソリテイ――国家というものに対抗するために」、自然主義の旗のもとに手を結んでいるのだ―――というわけです。

 しかし、啄木は反論します。日本の青年は、いまだかつて、「国家」に対抗して争ったことなど無いではないか! 「国家」を「敵」にしたことなど一度もない。せいぜい、無視するふりをして、従順にお追従しているにすぎない。「オオソリテイ(権威)」も「国家」も、「怨敵」にしたことがない文学青年たちが、いったいどんな動機があって、“統一戦線”を組もうと言うのか?! 笑わせないでほしい‥‥













 そのあと、109〜111ページ((一)後半から(二)前半)に書かれているのは、“無視するふりをして、従順にお追従している”という、その詳しい実態です。



「じつにかの日本のすべての女子が、明治新社会の形成をまったく男子の手に委ねた結果として、過去四十年の間一に男子の奴隷として規定、訓練され(法規の上にも、教育の上にも、はたまた実際の家庭の上にも)、しかもそれに満足――すくなくともそれに抗弁する理由を知らずにいるごとく、我々青年もまた同じ理由によって、すべて国家についての問題においては(それが今日の問題であろうと、我々自身の時代たる明日の問題であろうと)、まったく父兄の手に一任しているのである。
〔…〕国家てふ問題が我々の脳裡に入ってくるのは、ただそれが我々の個人的利害に関係する時だけである。そうしてそれが過ぎてしまえば、ふたたび他人同志になるのである。」
「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,p.109.



 明治の「すべての女子」が、「男子の奴隷として規定、訓練され」た結果、奴隷の地位に満足してしまっているのと同様に、「我々青年もまた同じ理由」で、国家と「父兄」に奴隷的に従属する訓練を受け、それに満足していると言うのです。その結果、「青年」は、「国家についての問題」はすべて「父兄の手に一任して」しまっていて、けっして自分で考えようとはしない。触れようともしない。



国家てふ問題が我々の脳裡に入ってくるのは、ただそれが我々の個人的利害に関係する時だけである。」



 しかし、もしそうだとすれば、「我々の個人的利害に関係する」場合、徴兵、中高等教育の“狭き門”、「高率の租税の使途」‥‥といったことならば、「我々青年」の「脳裡」にも入ってくるのではないか?‥「自由討究を始めしむる動機」となっていいはずです。

 ところが、そうはならない。なぜならないのかといえば、


「そこには日本人特有のある論理がつねに働いている。」


 と啄木は言うのです:



「けだしその論理は我々の父兄の手にある間はその国家を保護し、発達さする最重要の武器なるにかかわらず、一度我々青年の手に移されるに及んで、まったく何人も予期しなかった結論に到達しているのである。『国家は強大でなければならぬ。我々はそれを阻害すべき何らの理由ももっていない。ただし我々だけはそれにお手伝いするのはごめんだ!』

 これじつに今日比較的教養あるほとんどすべての青年が国家と他人たる境遇においてもちうる愛国心の全体ではないか。そうしてこの結論は、特に実業界などに志す一部の青年の間には、さらにいっそう明晰になっている。曰く、『国家は帝国主義でもって日に増し強大になっていく。誠にけっこうなことだ。だから我々もよろしくその真似をしなければならぬ。正義だの、人道だのということにはおかまいなしに一生懸命儲けなければならぬ。国のためなんて考える暇があるものか!』」

「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,pp.110-111.



 「父兄」の論理は、↓こうです。


国家は強大でなければならぬ」→「だから、国家のために尽くさねばならぬ」


 それが、「我々青年の手に移される」と、↓こうなります。


国家は強大でなければならぬ」→「だから、我々は邪魔しないが、我々がそれをお手伝いするのはごめんだ!」



 日露戦争によって、世界の一等国の仲間入りをした――という幻想に、日本人は酔っていました。“不平等条約の改正”という明治維新以来の課題も果たし、“富国強兵”のためにひたすら国家を応援してきた理由を、国民は失ったのです。

 「国家は強大でなければならぬ」という同じ“大前提”から出発して、日露戦争後に成人した世代は、それ以前の世代とは逆の結論に至っているのは、そのためです。

 「実業界などに志す一部の青年」の場合は、さらに強烈です。彼らは、一般の青年と違って、たんなるお題目でなく、“強大な国家”“帝国主義国家”を歓迎しているのですが、それだから国家に貢献するのかというと、むしろ逆なのです:



国家は日に増し強大になっていく。誠にけっこうだ」→「だから、我々もその真似をしなければならぬ」→「正義だの、人道だのおかまいなしに、一生懸命儲けなければならぬ。国のためなんて考える暇があるものか!」



 「今日……ほとんどすべての青年」は、国家に貢献するでもなく、国家を敵とするのでもなく、いちように“国家”とは距離をおき、無関心になってしまっている。“国家”の強大さの恩恵――帝国主義的収奪の余恵を受けることには熱心ですが、それ以外は、“国家”の問題にはできるだけ関わらないようにしたいと思っているのです。






 
Victor Borisov-Musatov 画  






 それでは、啄木自身は、「国家は強大でなければならぬ」という前提部分を、承認しているのでしょうか?

 そう見えなくもないのですが、この論文全体の論理の流れからすれば、承認しているとはいえないでしょう。啄木は、自分をふくむ日本の青年を、



「我々日本の青年はいまだかつてかの強権に対して何らの確執をも醸したことがないのである。したがって国家が我々にとって怨敵となるべき機会もいまだかつてなかった」
(pp.108-109)



 と批判しています。そして、それを指摘することは、自分にとって「一つの新しい悲しみ」である―――



「なぜなれば、それはじつに、我々自身が現在においてもっている理解のなおきわめて不徹底の状態にあること、および我々の今日および今日までの境遇がかの強権を敵としうる境遇の不幸よりもさらにいっそう不幸なものであることをみずから承認するゆえんであるからである。」



 と言っています(p.109)。「強権を敵と」して反抗し、弾圧されるロシアの青年よりも、国家を敵として意識することさえできない日本の青年のほうが、「さらにいっそう不幸」だとしています。

 《自然主義》に対する啄木の批判も、それが、自己主張的自己否定的、いずれの流派においても、“国家”を敵として意識するに至らない―――それだけ、自己省察においても不徹底である点に向けられていました。

 また、のちの(四)節で、



「我々青年を囲繞する空気は、今やもうすこしも流動しなくなった。強権の勢力は普
(あまね)く国内に行わたっている。」(p.117)



 と言っていることからすれば、啄木は、“国家”を敵として意識できないことが、「今日」の青年の病いの主要な兆候だと考えていることがわかります。

 啄木は、「国家は強大でなければならぬ」という大前提から出発することを拒否していたと言わなければなりません。



 もっとも、この点については、啄木が、『東京毎日新聞』に書いた評論『文学と政治』(1909年12月)では、日本国家の帝国主義的争奪を支持するかの発言をしていることとの関係も、問題になります:



「彼
啄木――ギトン注〕は、明治の戦争というものを、『国と国との戦争の目的は、一国若しくは両国が其現在の国力及び其国力から生れる欲望によりよく満足を与へるところの平和を獲ると云ふ事である。』という風に理解しているのである。〔…〕この日本の『国力』および『国力からくる欲望』というもののなかに、他民族の領土、および他民族そのものを圧迫する帝国主義的なものがある〔…〕

 日・米帝国主義の満洲における争いについて、啄木は、日本政府のアメリカにたいする弱腰を憤り、口先の『平和』と『親善』で日米の葛藤をゴマかそうとする外交を非難している。彼はむしろ、アメリカから『抗議』の来ることを願うといい、『
〔…〕世界を挙げて終局なき戦ひを闘ふの日の一日も早く来らん事を願ふ。〔…〕』啄木は、ここで、日本の帝国主義的政策の擁護者として現われているばかりでなく、好戦的な言辞さえ弄しているのである。〔…〕これは、日露戦争を、日本の『国力』と『国力からくる欲望』に満足をあたえるものとして承認した啄木にとっては、当然のことであった。」
石母田正「啄木の時代的背景」,in:『石川啄木全集』,第8巻『啄木研究』,1978,筑摩書房,pp.187-189.



 日本中世史の権威であった石母田正氏によるこの指摘は、たいへんに重いのですが、それでもやはり、啄木が、翌年 8月の『時代閉塞の現状』では、“国家”を敵として意識することを(あからさまにではなくとも)表明している事実は、動かないと思います。それが、何人かの論者が指摘する啄木の「二面性」なのか、それとも、《大逆事件》に接したことによる思想の転回があったのか? ‥‥その点は、今後に考えていかなければなりませんが。。。



【追記】 啄木は、「世界を挙げて終局なき戦ひを闘ふの日の一日も早く来らん事を願ふ。」の後に続けて、その後には、少しはましな世界になるにちがいない、と書いている。しかし、石母田氏は、その部分も“公平に”引用したうえで、なお「好戦的な言辞さえ弄しているのである」と啄木を非難するのである。石母田氏の指摘は、正面からは反論しがたいのだが、しかし、どうも違う、そうではない‥‥という声が自分のなかから消し難く響いてくるのである。

 戦後に国際連盟ができて、第2次大戦後には国際連合になったことを見れば、、結果的には啄木の予言は当たっているのだ。石母田氏自身がその大衆的読者の支持を受けながら「好戦的な言辞さえ弄しているのである」などと書けるのも、そうした歴史の上に立ってのことなのだ。もし、啄木と同じ 1910年にそんなことを書けば、大学教授の職から追放はもちろん、著書はすべて禁書とされ、学界と思想界から永久に抹殺されたことだろう。

 国家ないし為政者の側から見る功利主義的な国家観:――啄木がそれを学んだことは確かだ。「明日の考察」のために、1909年ころは多方面の勉強をしたのだろう。当時はそれが唯一のアクセス可能な「理論」だったのだろう。

 啄木はたしかに、そうした理論をも参照し、その上に立って国際的事件の理解を試みたりもしたが、そうした思惟は、―――『現状』を見る限り―――彼にとって、けっきょく何の役にも立たなかった。私はそう言いたいのだ。

 そう言うと、結論先にありきになってしまうのだが、1909-10年にわたる時期の啄木の評論を克明に見てゆく必要があるだろう。その際、問題は、‥啄木の「二重性」か、時期的思想変化かではなく、国家の側からの議論を学んだことは、何の意味も持たなかった、と言ってよいか、あるいは、それを転倒して初めて意味をもったというべきか。それを確かめることだと思う。













 【12】「時代閉塞」―――社会の固定と青年のアパシー



 こうして、(三)節までで《自然主義》に関する考察を終え、(四)節以降では、啄木独自の国家論、社会論が展開されます。もちろん、それらの議論の背景にあるのは、“文学者の社会的責任”の自覚であり、文学をなりわいとする者は、社会に対して、なかんづく青年たちに対して、何を言うべきか、どんな関係をむすぶべきかという問題が、つねに意識されています。



「かくて今や我々には、自己主張の強烈な欲求が残っているのみである。

 自然主義発生当時と同じく、今なお理想を失い、方向を失い、出口を失った状態において、長い間鬱積してきたその自身の力を独りで持余
(もてあま)しているのである。すでに断絶している純粋自然主義との結合を今なお意識しかねていることや、その他すべて今日の我々青年がもっている内訌的、自滅的傾向は、この理想喪失の悲しむべき状態をきわめて明瞭に語っている。――そうしてこれはじつに『時代閉塞』の結果なのである。」
「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,p.108.



 啄木の言う「自己主張」とは、他人に向かって何かを言う、という狭い意味ではなく、「自己実現」「自我の拡張」といったことばで言いかえてもいいような、広い意味を表しています。

 注意したいのは、 啄木の言う「現状」すなわち『時代閉塞』ということが、「時代」「国家」「環境」といった外的条件の問題として一方的に主張されているわけではないことです。“青年はいつも健全だが、政治や社会が悪いために苦悩している”式の“公式主義”とは、啄木は無縁です。

 『時代閉塞』とは、まさに「青年」自身の問題でもあるのです。「理想を失い、方向を失い、出口を失った状態において、長い間鬱積してきたその自身の力を独りで持余
(もてあま)している」青年たちの状態こそが、「時代閉塞の現状」なのです。もちろん、その原因を「青年」自身の内部にのみ突き詰めてゆけば、「内訌的、自滅的傾向」を助長することにしかなりません。それこそが「時代閉塞」そのものです。

 しかし、一方的に国家、社会を糾弾して足れりとするような考え方では、この隘路を突破することはできないと、啄木は考えています。自己を没却して、一方的に国家、社会を糾弾する道を進むならば、青年たち自身は、よくて革命軍の兵士―――普選以後の民主主義社会ならば、数としか見なされないタダの票―――、わるければ鉄砲玉にしかなりません。国民の政治参加が認められない明治体制のもとでは、《大逆事件》の被告人たちの一部が惹かれたような、爆弾闘争に向ってゆくだけでしょう。

 さしあたって、啄木は(四)で、『時代閉塞』の外的な諸状況を描いていきます。ここでは、大陸権益が、政変が、といった“遠い”政治問題を論ずるのではなく、「青年」たちが日々ぶつかっている身近な問題を提示している点が重要です。

 そして、しかるのち(五)において、こうした閉塞状況に対し、高山樗牛以来の著者たち――オピニオン・リーダーと、青年読者たちが、いかにして紆余曲折しながら格闘してきたかを回顧し、現在の「我々」がどうしたらよいかを攻究するのです。



「ここに一人の青年があって教育家たらむとしているとする。彼は教育とは、時代がそのいっさいの所有を提供して次の時代のためにする犠牲だということを知っている。

 しかも今日においては教育はただその『今日』に必要なる人物を養成するゆえんにすぎない。そうして彼が教育家としてなしうる仕事は、リーダーの一から五までを一生繰返すか、あるいはその他の学科のどれもごく初歩のところを毎日毎日死ぬまで講義するだけの事である。もしそれ以外の事をなさむとすれば、彼はもう教育界にいることができないのである。

 また一人の青年があって何らか重要なる発明をなさむとしているとする。しかも今日においては、いっさいの発明はじつにいっさいの労力とともにまったく無価値である――資本という不思議な勢力の援助を得ないかぎりは。」

「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,p.116.



 「教育家たらむと」するこころざしをもった青年が、教職に就いてみると、教師として許されるのは、「リーダーの一から五までを一生繰返すか、あるいはその他の学科のどれもごく初歩のところを毎日毎日死ぬまで講義するだけ」である。「もしそれ以外の事をなさむとすれば、彼はもう教育界にいることができない」。理想をもって教育を行なうことなど不可能な現実がある。

 また、発明家をこころざしたとしても、おなじこと。どんなにすばらしい発明に成功しようとも、「資本という不思議な勢力の援助を得ないかぎりは」「いっさいの発明は……無価値」だからだ。






 






「今日我々の父兄は、だいたいにおいて一般学生の気風が着実になったといって喜んでいる。しかもその着実とはたんに今日の学生のすべてがその在学時代から奉職口
(ほうしょくぐち)の心配をしなければならなくなったということではないか。そうしてそう着実になっているにかわらず、毎年何百という官私大学卒業生が、その半分は職を得かねて下宿屋にごろごろしているではないか。

 しかも彼らはまだまだ幸福なほうである。前にもいったごとく、彼らに何十倍、何百倍する多数の青年は、その教育を享
(う)ける権利を中途半端で奪われてしまうではないか。

 中途半端の教育はその人の一生を中途半端にする。彼らはじつにその生涯の勤勉努力をもってしてもなおかつ三十円以上の月給を取ることが許されないのである。むろん彼らはそれに満足するはずがない。

 かくて日本には今『遊民』という不思議な階級が漸次その数を増しつつある。今やどんな僻村へ行っても三人か五人の中学卒業者がいる。そうして彼らの事業は、じつに、父兄の財産を食い減すこととむだ話をすることだけである。」

「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,pp.116-117.



 ここでふたたび、啄木は、教育の問題に言及します。学制が整備されて卒業者が増えると、就職難が発生します。どんな時代でも、国家の政策は、じっさいに官界と社会が必要としている数よりも多い人数を卒業させて競争させるのですから、就職難は、国家が政策的に引き起こしている苦難なのです。日本の場合、“競争”とは、より優れた者を選び出すためではなく、より従順で“使いやすい”者を振り分ける手続きです。学歴偏重も、不条理を不条理と思わず屈従する“訓練”の、一部にすぎません。“富国強兵”の近代化のもとでは、すべての学校は軍隊の予行なのです。

 上に行けば行くほど人数が少なくなる学校教育のヒエラルヒーは、“ふるい”からこぼれ落ちた大量のエリート予備軍を生じさせます。一見すると、彼らの存在は無駄なようですが、国家に従順なエリートを選別する、“富国強兵”による急速な近代化のためには、避けることのできない“必要な”無駄なのです。

 しかし、こころざしある青年にとっては、これらすべてが『時代閉塞』にほかならない。なぜ彼らの環境が『時代閉塞』なのかと言えば、国家の政策がそれを要求しているからです。



「我々青年を囲繞する空気は、今やもうすこしも流動しなくなった。強権の勢力は普
(あまね)く国内に行わたっている。現代社会組織はその隅々まで発達している。〔…〕

 戦争とか豊作とか饑饉とか、すべてある偶然の出来事の発生するでなければ振興する見込のない一般経済界の状態は何を語るか。財産とともに道徳心をも失った貧民と売淫婦との急激なる増加は何を語るか。はたまた今日我邦
(わがくに)において、その法律の規定している罪人の数が驚くべき勢いをもって増してきた結果、ついにみすみすその国法の適用を一部において中止せねばならなくなっている事実(微罪不検挙の事実、東京並びに各都市における無数の売淫婦が拘禁する場所がないために半公認の状態にある事実)は何を語るか。」
「時代閉塞の現状」, in:石川啄木『時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇』,1978,岩波文庫,p.117.



 ここで啄木は、重要な問題提起をはじめています。

 たしかに、一面では、重化学工業化、官僚機構の確立、日露戦争による「植民地」獲得、学制ピラミッドの整備などによって、明治国家は帝国主義国家として完成しました。


「囲繞する空気は、今やもうすこしも流動しなくなった。」


 社会は固定して、もはや動かしがたいものとなった。しかしそれは、ここで啄木が述べようとしていることがらの一面です。啄木が、ほのめかすように述べていること、大意の流れによって伝えようとしていること、明確な定式化された形では述べていないことをも、私たちは読み取らねばならない。

 しかし、今回の紙面ももはや尽きました。最重要な問題を、次回に論じることとしましょう。








【必読書150】石川啄木『時代閉塞の現状』(5) ―――につづく。   






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カテゴリ: 必読書150

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