10/13の日記

19:30
【必読書150】ドストエフスキー『悪霊』(3)―――真理はわれらを自由にする、か?

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陳情のため県庁舎におしかける工場労働者たち。鎮圧する騎馬警官 
1988年フランス映画『悪霊』 アンジェイ・ワイダ監督    











 こんばんは。(º.-)☆ノ





 【必読書150】ドストエフスキー『悪霊』(1)

 【必読書150】ドストエフスキー『悪霊』(2)

 からの続きです。






 【10】キリストの譬え話



 前回は、キリーロフ、今回は、シャートフを中心に《脇スジ》を追う計画なのですが、シャートフに入る前に、前回にキリーロフが、ピョートルとの会話の中で口走っていた“処刑された後、天国も復活も見いだすことができなかったキリスト”のアレゴリー(たとえ話)を、もう一度見ておきたいと思います。

 というのは、このアレゴリーは、シャートフのたどった運命とも、微妙につながっているように思われるからです。

 前回は、この譬え話の部分を要約して、はしょってしまいましたので、まずはキリーロフの語りをそのまま引用してみます:



「『
〔…〕これはあの人の言葉だ』

 そう言うと彼
キリーロフ――ギトン注〕は、熱に浮かされたような歓喜の面持で、救世主の聖像を指さした。その前には燈明がともっていた。ピョートルはすっかり怒ってしまった。

 『すると、きみはまだあの人
〔キリスト――ギトン注〕を信じていて、燈明なんぞともしているんですか〔…〕

 『
〔…〕聞きたまえ』キリーロフは足を止め、じっと動かぬ、狂信的な眼差しで、前方を見据えた。『偉大な思想を聞きたまえ。この地上にある一日があり、大地の中央に3本の十字架が立っていた。十字架にかけられていた一人が、その強い信仰ゆえに、他の一人に向って、「おまえはきょう私といっしょに天国へ行くだろう」と言った。一日が終り、二人は死んで、旅路についたが、天国も復活も見いだすことができなかった。予言は当たらなかったのだ。

 いいかね、この人は地上における最高の人間で、この大地の存在の目的をなすほどの人だった。
〔…〕ところで、もしそうなら、つまり自然の法則が〔…〕この人をも虚偽のうちに生き、虚偽のうちに死なしめたとするなら、当然、全地球が虚偽であって、虚偽の上に、愚かな嘲笑の上にこそ成り立っているということになる。つまりは、この地球の法則そのものが虚偽であり、悪魔の茶番劇だということになる。なんのために生きるのか、きみが人間であるなら、答えてみたまえ』」
江川卓・訳『悪霊』,下,新潮文庫,pp.531-532.



 この譬え話には、ふにおちない点があります。「3本の十字架が立っていた。」――つまり、処刑された人は(福音書のイエス・キリストの処刑と同様に)3人だったと言っているのに、「いっしょに天国へ行く」約束をして旅立ったのは2人なのです。残りの一人は、どうなってしまったのか?

 ゴルゴタの丘で処刑されたのは、イエスと、たまたま他の件で捕まっていた2人の盗賊でした。譬え話の「二人」は、キリストと、盗賊のうちの一人なのか、それとも、2人の盗賊なのか?‥‥その点も謎です。

 @ 「その強い信仰ゆえに」「『おまえはきょう私といっしょに天国へ行くだろう』と言った。」とあるのを見れば、「二人」の片方は、キリストのように読めます。その場合、キリストは、「天国も復活も見いだすことができなかった。」つまり、福音書に書いてある《キリストの復活》はウソだった。イエスは、神でも神の子でもなかった。――ということになります。

 キリーロフは、「この人は地上における最高の人間で、この大地の存在の目的をなすほどの人だった。」と言っていますから、キリーロフは、そう解釈しているのかもしれません。

 A しかし、別の解釈もありえます。「二人」とは、2名の盗賊だと考えてみます。そうすると、盗賊は2人とも天国に行けなかったし《復活》もしなかった、ということで、当たり前の話になります。中央で処刑されたイエスが《復活》したか、天国に行ったかは判らないけれども、ともかく盗賊たちにはキリストの真似はできなかった。

 その場合、信心深いほうの盗賊が言った「天国へ行くだろう」という言葉は、滑稽な思い上がりだったことになります。来世を信じきった信仰者の愚かさを嘲笑した譬え話、とも言えます。

 しかし、『聖書』そのものを否定することには、必ずしもなりません。現実のキリスト教会(ロシア正教会)とその信者は否定するけれども、キリスト教そのものは否定しない‥‥『聖書』も《復活》も否定しない。―――これは、著者ドストエフスキーに近い考え方と思われるのです。

 キリーロフが@のつもりで語っているのは、まちがえないように思われますが、著者の考えは、作中人物であるキリーロフの主観的意図を超えていて、Aなのではないか?‥

 というのは、この譬えの“3人なのに2人”という“謎”が、この小説にある別の挿話を思い出させるからです。













 キリーロフシャートフは、かつて移民船でアメリカに渡って、農場で働いたことがありました。

 シャートフは言う:



「『ぼくらは一昨年、なけなしの金をはたいて、3人、移民船でアメリカへ渡ったんですよ。「アメリカ労働者の生活を自ら経験し、その個人的体験によって最も困難な社会的状況に置かれた人間の状態を検証せんがため」にです。
〔…〕』」
江川卓・訳『悪霊』,上,p.263.



 このアメリカ行きの“旅”も、出かけたのは「3人」であり、“理想郷”を見出せずにヨーロッパへ帰って来る時には、キリーロフシャートフの2人になっているのです。

 “キリストの喩え話”の「3人」→「2人」が、このアメリカ行きの挿話の「3人」→「2人」とのつながりを暗示していることは明らかでしょう。つまり、キリーロフシャートフは、往きには、《キリスト》とともに「3人」で、「天国」も「復活」も信じていたけれども、帰って来る時には《キリスト》を喪っていた‥‥



「『向うでは、ある開拓民の農場に雇われましてね。総勢6人、ロシア人ばかりが集まったもんです。大学生もいたし、領地もちの地主もいたし、将校までいましたよ。それがみんな同じ壮大な目的をもっているわけです。で、まあ、働いて、汗みどろになって、苦しい思いをして、へとへとになって、あげく、ぼくとキリーロフは逃げだしましたよ。病気にかかって、辛抱できなくなったんです。で、その開拓農場の主人は、いざ勘定となると計算をごまかしやがって、30ドルの契約のところを、ぼくには8ドル、キリーロフには15ドルしか払わなかった。そのうえ、何度もなぐられましたよ。
〔…〕

 『農場主がきみらをなぐったって、それがアメリカの話ですか? どうしてです? 主人の悪口でも言ったんでしょう?』

 『とんでもない。それどころか、キリーロフと二人で、さっそくこう決めましたよ。「われわれロシア人は、アメリカ人と比べたら、まるで子供であり、彼らと対等になるためには、アメリカに生れるか、ないしはすくなくとも長年月アメリカ人とともに生活することが必要である」とね。
〔…〕何もかもぼくらの讃美の的でしたよ。降霊術も、私刑(リンチ)も、拳銃も、渡り者もね。

 一度、汽車の中で、一人の男がぼくのポケットに手を突っこんで、ぼくの櫛を取出すと、それで頭を梳かしはじめたもんですがね。ぼくはキリーロフと目まぜして、さっそく、これはいい、こいつは気に入った、と決めてしまったもんです……』

      
〔…〕

 『
〔ギトン注――ロシアのインテリゲンチャは〕紙でできた人間なんです』シャートフはくり返した。」
江川卓・訳『悪霊』,上,pp.264-265.



 アメリカ人が、移民や外国人の櫛を勝手に使って自分の髪を梳かす異様な習慣は、内村鑑三も体験していました(内村鑑三『余はいかにして基督信徒となりしか』,2017,岩波文庫,pp.162-163)。当時、移民に対する侮辱の表現として行われていたのでしょう。

 そのような、“文明人からの野蛮な扱い”を、当時のロシア人たちは、アメリカ文明を理想視するあまり、むしろ欣喜雀躍して受けていたのです。ロシア人は、日本人や東洋人以上に、“白人文明”に隷従していたと思わなくてはならないようです。内村鑑三は、アメリカでの差別的取り扱いの体験から、かえって日本人としてのアイデンティティを自覚し、ナショナリズムに目覚めています。当時、アメリカで生活した他の東洋人も、同じだったでしょう。(⇒:【必読書150】内村鑑三『余はいかにして基督信徒となりしか』(1)【3】愛国心とナショナリズム)

 しかし、(ドストエフスキーによれば)ロシア人は、そうではなかった。

 シャートフが、「紙でできた人間」だと言っているのは、紙、つまり書物に書かれた文字を、眼の前の現実よりも“ほんとう”だと思い、現実を書物の色眼鏡で見てしまうことを言っているのだと思います。

 ロシア人の移民たちは、“新世界”での屈辱的な経験から、逆に、《キリスト》を見失ってしまった。ロシア人にとっての《キリスト》とは、正教の信仰であり、ロシアのアイデンティティであり、ナショナリズムなのです。

 故国に帰って来たキリーロフシャートフは、それぞれのしかたで、この《キリスト》喪失という痛手に対処しなくてはなりませんでした。

 建築技師であったキリーロフは、あくまでも理性的思考によって対処しようとし、最終的には、自分が《キリスト》となることによって、喪失の埋め合わせをしようとした。






 
   燃え上がる農奴の村とシャートフ
 1988年フランス映画『悪霊』 アンジェイ・ワイダ監督






 これに対して、シャートフは?


『紙でできた人間なんです』


 という彼の言い方からもわかるように、シャートフは、書物に書かれたことや、それを頭から信じているインテリゲンチャを深く軽蔑し、ロシアの「民衆の中へ(ヴ・ナロート)!」という彼らの標語をも、彼は激しく否定するようになります。

 それでは、シャートフは、書物を超える真理を、みずからの直接の生活体験から得るべく努力しようとはしないのか?

 努力しているように見えないのが、じっさいです。しかし、彼自身まったく予想もしなかった出来事をきっかけに、シャートフは、新たな《キリスト》の生誕に立ち会うこととなるのです。

 今回から次回にかけて、その過程を『悪霊』のテクストから読みとってゆくことを、課題としましょう。






 【11】シャートフ―――「あなたがたは、ロシアの民衆など、わかっちゃいない!」



 “自由主義”サークルの集まりで、ステパン先生が言う:



「『1847年に、外国にいたベリンスキーゴーゴリに例の有名な手紙を送って、その中で、ゴーゴリが《神などというもの》を信じていると、手きびしくやっつけたものですが、
〔…〕昔は人物がいた! ということになりますかね。なにしろこの人たちは自国の民衆を愛することができたのだし、民衆のために苦しみ、そのためにすべてを犠牲に供し、それでいて、必要とあれば、民衆と同じになるのでなく、ある種の見解については民衆を甘やかさないことができたのですからね。〔…〕

 だが、そこへシャートフが口を入れた。

 『ちがうんだな、そういう人たちはですね、民衆を愛したこともなければ、民衆のために苦しんだこともないし、何ひとつ民衆のために犠牲に供したこともありませんよ。そりゃ、ご当人は頭の中でそんな気になっていたかもしれないけど、良心の気休めに!』

 『あの人たちが民衆を愛していなかったって!』ステパン氏は声を高めた。『ああ、あの人たちはどんなにロシアを愛していたことか!』

 『ロシアも、民衆も、愛してなんかいるものですか!』目をきらきらさせながら、シャートフは声を張りあげた、『自分が知りもしないものを愛するわけにはいかない。ところが連中は、ロシアの民衆のことなど、これっぱかりもわかっちゃいなかったんですからね! 連中ときたら、先生も同類だけど、みんなロシアの民衆を自分たちの色眼鏡で見ていただけじゃないですか。とくにベリンスキーはそうだな。そのゴーゴリに送った手紙ひとつだけ見ても、それは明らかですよ。ベリンスキー
〔…〕象の姿は見落して、虫けら同然のフランスの社会主義者連中にばかり目を向けてきた口です。で、結局、そこどまりだった。ところが、その彼が、先生たちのなかではだれより聡明だったんですからね! 先生たちときたら、民衆を見落したどころか、呆れかえった軽蔑的な態度を彼らにとってきたものです。なにしろ民衆といえば、フランスの民衆のことしか、それもパリの民衆のことしか念頭になくて、ロシアの民衆がそれに似ていないのを恥じていたくらいですからね。これが真実ずばりですよ!

 ところで、民衆をもたぬ者は、神をももつことはない! はっきり言いますがね、自国の民衆を理解することをやめて、民衆との結びつきを失った者は、即座に、それに応じて、国民的な信仰を失うし、無神論者になるか、無関心派になるしかないんです。まちがいありませんよ! これは事実で、いずれ証明されるんです。だからこそ、先生たちはみんな、いや、ぼくらもみんな、現在、いまわしい無神論者であるか、堕落した屑のような無関心派であるかで、それ以上の何ものでもないわけなんです。先生もそうなんですよ、ステパン先生、
〔…〕いいですね!』」
江川卓・訳『悪霊』,上,pp.66-68.



 ヴィッサリオン・ベリンスキー(1811-1848)は、ロシアの思想家・文芸批評家。


「モスクワ大学に在学中、農奴制を攻撃した戯曲『ドミトリー・カリーニン』(1831年)を書いて、放校される。“ロシア社会主義の父”ゲルツェン、無政府主義者バクーニンらと親交を結んだ。

 ロシア文学における社会批評的な文学観の伝統を創設した人である。プーシキンを最初の国民詩人として確定し、レールモントフを高く評価、〈現実生活の詩人〉としてゴーゴリを、またツルゲーネフドストエフスキーらを発見し、熱烈に紹介した。

 ベリンスキーは、専制とドグマ、同調主義に対して、生涯をかけて戦った。ゴーゴリが自らの使命に反してロシア正教・農奴制を擁護したことを責めた、ベリンスキー晩年の『ゴーゴリへの手紙』は、彼の情熱・真剣さ・不正への怒りが入り交じった文体の代表であろう。この志の高さと音調が、1860年代のロシア左翼の著述家たちに長く続く影響を残した。プレハノフやレーニンら社会主義者によって、ロシア革命の先達としての地位を与えられている。」
(Wiki 一部改)






ステパン先生
1988年フランス映画『悪霊』 アンジェイ・ワイダ監督






ニコライ・ゴーゴリ
(1809-1852)は、ロシアの小説家・劇作家。ウクライナの雑階級人(ソロチンツィ)の小地主の家に生まれる。俳優を志すが失敗し、かろうじて下級官吏の職を得る。この時期の、薄給に喘ぐ貧寒な生活の経験が、のちに、都市の下層民や小役人や俗物たちを描いた作品群を生む。

 ウクライナの民俗・民話に取材した『ディカーニカ近郷夜話』で一躍人気作家となる。地方役人の腐敗を風刺した戯曲『検察官』(1836年)によって、国内外で広く知られるようになる。

 しかし、これ以後のゴーゴリは、教化と予言によってロシア民衆を覚醒させ、キリスト教的な理想社会へと教え導くことこそが自己の使命であると、痛感するようになる。1847年に出版した『友人との往復書簡選』は、その頑迷で教条的な説教と、帝政と農奴制を賛美する反動思想により、ベリンスキーはじめそれまでゴーゴリを高く評価してきた多くの支持者を失望させることとなった。
(Wiki 一部改)



 1847年に、ゴーゴリの“反動化”を激しく批判したベリンスキーの手紙は、当時たいへん有名になったもので、著者ドストエフスキーは、読者が当然にその内容を知っているものとして、ステパン先生の発言を書いていると思われます。

 この手紙は、ネットでも、断片的ながらあちこちで引用されていますので、サワリの部分を拾ってみたいと思います。



ベリンスキーは、ゴーゴリが農民に言った言葉『やい、貴様、洗わざる面め!』を引用して、

 『その表現は、なにごとであるか。百姓たちの利益と教化に役立つ偉大な発見として
〔これは皮肉――ギトン注〕、あなたは一体これを(どこから)盗み出したのか。

  百姓たちは、それでなくてさえ、自分の主人たちのいうことを信じ、自分で自分を人間とは考えない故に、顔も洗わないではないか。「正しき者も罪ある者も共に鞭打つべし。」という馬鹿げた諺の中に(あなたは理想を見出した。)

  笞の説教者、蒙昧の使徒、非開化主義と迷妄の擁護者、タタール的習俗の賛美者よ―――あなたは、いったい何をするのか! 自分の足もとを見よ。あなたは深淵の縁に立っているではないか。

  あなたがこのような教えの拠り処を、正教会に求めること、それはまだ解る。何故なら、正教会は常に笞の支持者であり、暴政の追従者であった。

  しかし、キリストを、何故あなたは巻き添えにしたのか? あなたは、キリストと、ろくでもない教会、ましてや正教会などとの間に、どんな共通点を見出したのか?

  キリストは初めて人々に自由と平等と博愛の教えを伝え、自分の教えの正しさを、受難によって確証し、強固なものにした。そして、その教えは、それがまだ教会として組織されず、正教の原理をその基礎に採り入れなかった間だけは、人々の救いであった。

  (中略)わが国の僧侶の多くは逆に、いつでも肥え太った腹、スコラチックなペダンチズム、そして粗野な無教養だけを特徴としていた。宗教心が発揮されたのは、わが国ではただ分離派の宗派においてだけである。

  他人の苦しみを見て苦しむことのできる人、他人の迫害される光景が自分にとって苦しい人―――そのひとは、自分の胸にキリストを持っているのであり、その人にとっては、徒歩でエルサレムに行く必要は毫もないのである。』」

(和久利誓一訳・一部改)⇒:ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会通信・No.137



 ベリンスキーは、現実の《ロシア正教会》とツァーリ(皇帝)のロシア帝国支配、そして《農奴制》を讃美するゴーゴリを批判し、《正教会》と《農奴制》を否定します。《ロシア正教会》で、カトリックのローマ法王にあたる人はツァーリなのですから、《ロシア正教会》とツァーリ帝政は、文字通りの〈政教一致〉で一体なのです。

 《正教会》に帰依することは、農民蔑視も搾取も理不尽な暴力もすべて含めて《農奴制》を全肯定することにほかなりませんでした。

 しかし、そうは言いながら、ベリンスキーは、キリスト教の信仰そのもの、キリストそのものを、否定しているわけではないのです。「キリストは初めて人々に自由と平等と博愛の教えを伝え」た。「他人の苦しみを見て苦しむことのできる人、他人の迫害される光景が自分にとって苦しい人――そのひとは、自分の胸にキリストを持っている」と、彼は書いています。

 また、ベリンスキーは、ゴーゴリ死後(1854年)の別の書簡の中で、


「誰かが真理はキリストの外にあると証明したとしても、私はむしろ真理よりもキリストとともにある。」

⇒:ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会通信・No.139


 とも書いています。ベリンスキーにとって、《キリスト》は、真理以上の存在なのです。






 






 そこで、『悪霊』のステパン先生の発言に戻りますと、ステパン先生は、



ゴーゴリが《神などというもの》を信じていると、手きびしくやっつけたものですが、」



 と言っているように、ベリンスキーの主張を、あまり正確に読み取っていないようです。それに応じて、ステパン先生自身の思想も、たいへん曖昧なものになっています。



「『キリスト教はどうかというと、ぼくは哀心からの敬意をそれに払うけれど、キリスト教徒じゃない。ぼくは、どちらかといえば、偉大なゲーテや古代ギリシャ人のような、古代異教徒なんですね。』」

江川卓・訳『悪霊』,上,p.65.


 と、ステパンは言っています。いわば“無害な自由主義者”で、ロシアの現実の《教会》に対しても、《農奴制》に対しても、批判を向けたりしない。それでいて、なんとなく、キリスト教のドグマから自由なインテリゲンチャのふんいきを漂わせて、自己満足している。それが、農奴出身で苦労しているシャートフのような人を、苛立たせるのかもしれません。

 ところで、ここでのステパン先生シャートフの会話は、キリスト教よりも、《ロシアの民衆》、つまり農奴が中心テーマです。



「『昔は人物がいた! ということになりますかね。なにしろこの人たちは自国の民衆を愛することができたのだし、民衆のために苦しみ、そのためにすべてを犠牲に供し、それでいて、必要とあれば、民衆と同じになるのでなく、ある種の見解については民衆を甘やかさないことができたのですからね。』」



 ステパン先生は、↑こう言ってベリンスキーを讃えるのですが、その実、彼自身は、この町の小地主で、領地を外国の投資家に切り売りで貸し出して、“合理的”経営で農奴を働かせ、その上がりで、自分がトランプ賭博でこしらえた借金を払っているのです。

 シャートフに言わせれば、ロシアの“自由主義者”たちのそうした生活そのものが欺瞞的であり、彼らの“自由主義”も“無神論”も「民衆への愛」も、口先だけのものでしかない―――ということなのでしょう。もっとも、彼はそれを、はっきりした言葉に出しては言いません。彼の発言は、いつも舌足らずなのです:



「『ロシアも、民衆も、愛してなんかいるものですか!』目をきらきらさせながら、シャートフは声を張りあげた、

 『自分が知りもしないものを愛するわけにはいかない。ところが連中は、ロシアの民衆のことなど、これっぱかりもわかっちゃいなかったんですからね! 連中ときたら、先生も同類だけど、みんなロシアの民衆を自分たちの色眼鏡で見ていただけじゃないですか。とくにベリンスキーはそうだな。

  ベリンスキー
〔…〕象の姿は見落して、虫けら同然のフランスの社会主義者連中にばかり目を向けてきた口です。で、結局、そこどまりだった。ところが、その彼が、先生たちのなかではだれより聡明だったんですからね! 先生たちときたら、民衆を見落したどころか、呆れかえった軽蔑的な態度を彼らにとってきたものです。なにしろ民衆といえば、フランスの民衆のことしか、それもパリの民衆のことしか念頭になくて、ロシアの民衆がそれに似ていないのを恥じていたくらいですからね。これが真実ずばりですよ!』」



 つまり、シャートフの考えでは、ステパン先生たちが「愛する」“民衆”とは、眼の前にいるロシアの民衆ではなく、書物で読んだ“フランス革命史”で先頭に立って戦う“民衆”にほかならない。“民衆”とは、そういうものだ、という「色眼鏡」で、ロシアの民衆を見たら、「呆れかえった軽蔑的な態度」で彼らを扱うほかはなくなるのだ、と。













 ちなみに、このシャートフという登場人物に、ドストエフスキーは自己の姿を投影しているように思われます。

 というのは、ここで話題になっているベリンスキーゴーゴリ宛て手紙は、ドストエフスキー自身が、反体制の秘密結社(ペトラシェフスキー・サークル)でそれを朗読した咎で逮捕され、他のサークル員とともにシベリア流刑になったという、いわくつきのものだからです。



「ペトラシェフスキー事件でドストエフスキーが逮捕・投獄された容疑は、ゴーゴリを痛烈に批判したベリンスキーの『ゴーゴリへの手紙』を、会員仲間の前で朗読したことによるものであった。

 政府の密偵は、ドストエフスキーが朗読したベリンスキーの手紙に、ペトラシェフスキー・サークルの面々が熱狂する場面を目撃します。ドストエフスキーが『ロシア国民には宗教はない』と読み進んだところで、割れるような拍手が起きたのです。

 このときドストエフスキーが朗読した手紙というのは、宗教に回帰しようとするゴーゴリベリンスキーが非難したもので、当局からみれば『ロシア正教に対する不適な表現に充ちて』いました。

 ドストエフスキーが逮捕されると、彼が管理していた印刷機を、仲間たちがすばやく隠した。このあたりの経緯は、『悪霊』の状況とシャートフの役回りをほうふつとさせる。

 印刷機については、ドストエフスキーは、20世紀後半に公表された尋問調書によると、したたかに白を切りとおしたのである。もし、印刷機の件が露見していれば、とうてい流刑ではすまなかったろう。ドストエフスキーは、この秘密と暴露の恐怖を抱えて、生きていくことになる。



 《ベリンスキーの手紙》をめぐるシャートフステパン先生のやりとりには、この《手紙》に対するドストエフスキーのアンビヴァレンツな感情が反映しているように思われます。









ばいみ〜 ミ



 
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カテゴリ: 必読書150

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