01/30の日記
23:04
【宮沢賢治】『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(7)
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田沢湖線「銀河ステーション雫石」駅
こんばんは (º.-)☆ノ
『銀河鉄道の夜』草稿の失われた“欠落部分”の内容を推理してみようということで、連載の7回目です。
興味をもたれた方は、シリーズの最初から読んでいただけたらと思います。そのほうがよく分かります:
⇒:『銀河鉄道の夜』の成立過程
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(1)
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(2)
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(3)
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(4)
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(5)
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(6)
【2.1】修辞的モダニズム
前回の最後のところで、中村三春氏の『修辞的モダニズム』の一部を紹介したのですが、この本は、宮沢賢治について書かれたもののなかではじめて、得心することのできた評論でした。
と言うと、ほかの研究家の書いたものをおまえは全部否定するのか、などと言われそうですがw、…もちろん個別のさまざまな問題については、多くの論文によって眼を啓かれていますし、まったく御説のとおり、ごもっともと思うことも多いです。しかし、ギトンにとっていちばん肝心な問題‥‥宮沢賢治のここが、どうも引っかかっててよくわからない‥‥と思うような点について、すっきり納得させてくれる議論には、これまで出会えていないと思うのです。
引っかかってしまう点というのを、手短かに言いますと‥、賢治の書いた詩や童話…、とりわけ童話以外の散文に顕著に表れているのですが、その特有の描写のしかたというか、人や動物や自然に対する独特のアプローチが、賢治作品のさまざまな主題、あるいは宮沢賢治という人の生き方、宗教について、さまざまに言われていることとは、少し――大きく?――ずれているような気がするのです。
その点がどうもすっきりしないために、ギトンはこれまで浅学菲才をかえりみずにあれこれと、吉本隆明氏の評論を掘り下げたり、フッサール現象学をかじったりして、ここまで来てしまった感があります。
少しだけ例をあげますと、たとえば『銀河鉄道の夜』では、前回すでに引用した↓つぎのような部分です。
「ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけに振りました。するとほんたうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろかゞやく三角標も、てんでに息をつくやうに、ちらちらゆれたり顫へたりしました。」
多くの人は、これを“アニミズム”だとか“自然との交感”といったキーワードで説明するのでしょうけれども、単に“アニミズム”によって自然をとらえるのであれば、「それぞれ息をつくやうに」と書けばすむことです。「てんでに」という表現が引っかかります。
「てんでに」という言い方は、たとえば、牛乳屋の下の「十字路」で、ジョバンニと出遭った同級生たちが、ジョバンニを嘲罵して立ち去る時に「みんなはてんでに口笛を吹きました。」と書かれているのと同じなのです。「てんでに息をつくやうに」という表現には、“アニミズム”プラス・それ以上の何かが含まれているように思うのです。
あるいは、『春と修羅』収載の「小岩井農場」から挙げますと、↓こんな部分です。
「たむぼりんも遠くのそらで鳴つてるし
雨はけふはだいじやうぶふらない」
遠くの空で鳴っている「たむぼりん」は、遠雷の音なのか何なのかわかりませんが、それがどうして、賢治の天候予測と関係するのかが不明です。不明である以上に奇妙です。
【参考】⇒:《ゆらぐ蜉蝣文字》3.3.1〜
こうした“みょうな”部分を読み流してしまって、“幻想”だとか“聖人”だとか“宇宙意志”だなどと言ってみても始まらないのではないか?‥‥という思いが、ギトンにはずっとあるのですが、その点に納得できる解釈を加えている評論は、いままで見たことがありませんでした。
中村三春氏の「統合的組成のレトリック」という指摘は、このようなギトンの疑問に対して、ひとすじの解明の光を投げかけているように思われました。
「村瀬学・吉本隆明・別役実らは、このテクスト〔『銀河鉄道の夜』―――ギトン注〕を対人関係と成長というトピックによって論じ、それらの読み方は一時代を画した。〔…〕ジョバンニの行程は人間関係論の習得による、『少年』から『青年』への成長の通過儀礼として表象されるのである。
〔…〕子どもから大人へのイニシエーション、それは対幻想的な親密な環境から脱出し、他者との共同性において自我を同定する道筋にほかならない。〔…〕ほとんどエディプス的なファミリー・ロマンスと言うべき“成長読み”には、〔…〕書かれるべき理由はあったのだろう。しかし、〔…〕
(i)ジョバンニが信奉する世界の否定的‐統合的組成は語りの文体によって呈示され、その真理値が物語内容のレベルで明確に問題とされることはない〔作者は「少年」ジョバンニの見方をそのまま通用させており、それは疑われることさえない―――ギトン注〕。(ii)『ほんたうの神さま』を巡る青年とジョバンニとの論争は決着せず、『ほんたうのさいはひ』を目指すカムパネルラとの同行も実現しない。〔…〕ジョバンニも語り手も、成長の成功や失敗はもとより、全然何も語らない。(iii)ただし、〔…〕〈夢〉世界の実在性が推認される叙述は残されている。
これらの傍証により、レトリック分析の見地からは次のことが言えるだろう。このテクストはあらゆる意味での成長とは関係がない。〔…〕成長=イニシエーションの否定は価値の高低の否定であるから、ここには勝者も敗者も存在せず、また〈夢〉と〈現〉とはあい拮抗した位置を占めると言うべきである。何よりも、そこでは子ども/大人の区別は意味をなさない。それらの二項対立は、いずれもテクスト内でせめぎ合いを演じ続けるべく設定されているのである。」
中村三春『修辞的モダニズム』,2006,ひつじ書房,,pp.79-81.
吉本隆明氏のような評論家が、賢治の童話を題材にしてどんな議論をしようとまったく自由なのですが、私たちの眼の前にある賢治の書いたテクストは、いつもそうした“高邁な”弁説を裏切っているのです。
作者である賢治本人にしてからが、自分の書くテクストの言葉のはしばしが持つ途方もない威力を、つねに意のままに操っていたわけではないと思います。彼自身、それを正面からとらえて取り組むようになるまでには、ある程度時間がかかったかもしれません。
〔第3次稿〕で挿入された「黒い大きな帽子をかぶった大人」の話から、ギトンがかつて(中学生の時に)感じた“うそ寒さ”は、そうした、作者の意図しない不整合のためだったのかもしれないと思います。賢治は、ここでおそらく無理をしているのです。だからこそ〔第4次稿〕では、この部分を含めて“ブルカニロ博士”を全面的に削除してしまったのだと思います。
【2.2】死とともにある生
中村三春氏も指摘するように(p.81)、『銀河鉄道の夜』の〔第3次稿〕には、吉本氏らが主張するのとは少し意味が違うようにも思いますが、ジョバンニの“成長”の可能性を示唆する部分が潜在しているように感じられます。
たとえば、地上に降りて来たジョバンニに対して、ブルカニロ博士が語りかけ、ジョバンニが応える↓つぎの場面です。
「『さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしに本統の世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つのほんたうのその切符を決しておまへはなくしてはいけない。』あのセロのやうな声がしたと思ふとジョバンニはあの天の川がもうまるで遠く遠くなって風が吹き自分はまっすぐに草の丘に立ってゐるのを見また遠くからあのブルカニロ博士の足おとのしづかに近づいて来るのをききました。
『〔…〕お前は夢の中で決心したとほりまっすぐに進んで行くがいゝ。そしてこれから何でもいつでも私のとこへ相談においでなさい。』
『僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんたうの幸福を求めます。』ジョバンニは力強く云ひました。」
博士はここで、“銀河の旅”の中での学者風の「黒い帽子」の“お説教”をひきとって続けるかのように、「お前はもう夢の鉄道の中でなしに」現実世界の中で「まっすぐに」生きて行かなければならないと命じ、ジョバンニはこれに対して、「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんたうの幸福を求めます。」と答えています。
たしかに、ジョバンニは、“銀河の旅”へ出る前の内向的で鬱屈した心情からは脱却したようにも思われなくはありません。
また、“夢”の中の世界に拘泥していてはならない…という教訓も聞こえてくるかのようです。
しかし、博士は他方で、「さあ、切符をしっかり持っておいで。」「天の川のなかでたった一つのほんたうのその切符を決しておまへはなくしてはいけない。」とも言い、現実社会のなかで「まっすぐに進んで行く」というジョバンニの目指すべき生き方が、〈夢〉を否定するのではなく、むしろ〈夢〉体験を内部に持ち続けることにほかならないことを示してもいるのです。
もしも、ジョバンニの“銀河の旅”が、「少年」が大人への成長の過程で通過する「イニシエーション」であり、「少年」らしい甘美な〈夢〉にすぎないのだとしたら、〈夢〉体験の保持を意味する「切符」を、「しっかり持って」行け、「その切符を決しておまへはなくしてはいけない」などと言う必要はないはずです。〈夢〉体験への固着は、大人として生きて行くためには障害ともなりかねないでしょう。
ブルカニロ博士の激励のことばのうち、「切符を決しておまへはなくしてはいけない」という部分を重視するならば、博士はジョバンニに、カムパネルラや車中の人々とともに過ごした“銀河の旅”を忘れるなと、一場の〈夢〉として捨て去ってはならないと言っているようにも聞こえます。博士は、ジョバンニがつどつどぶつけてくる“反発”をも含めて、彼が自らの世界に対する見方――世界の“組成観”を、つまり“少年の心”を、「しっかり持って」行くことを望んでいるように思われるのです。
「《心ノ中ニアル君ダケノ瞳、閉ジテハイケナイヨ。》
誰もが持っていてアドレッセンス中葉のころには、閉じてしまうあの瞳。その瞳に重くのしかかるまぶたを開いた者には、現実の向こうにあるもう一つの現実地帯が見えるのだ。〔…〕現実しか見えない者はそうした感覚が信じられないから、『童話』と呼んだのだ。」
ますむらひろし『イーハトーブ乱入記』,p.112.
ジョバンニが、カムパネルラと「どこまでもどこまでも」続けたいと望んでいた“旅”は、「心ノ中ニアル‥瞳」を見開いて生きる生き方を表しているでしょう。ひとりでは〈現実〉に押しつぶされて閉じてしまいそうになる「瞳」を、しっかりと保ってゆくために、親友と肩を組んで進んで行きたいとジョバンニは望むのです:
「何とも云へずさびしい気がしてぼんやりそっちを見てゐましたら向ふの河岸に二本の電信ばしらが丁度両方から腕を組んだやうに赤い腕木をつらねて立ってゐました。『カムパネルラ、僕たち一諸に行かうねえ。』ジョバンニが 斯う云ひながら ふりかへって見ましたらそのいままでカムパネルラの座ってゐた席にもうカムパネルラの形は見えずジョバンニはまるで鉄砲丸のやうに立ちあがりました。〔…〕」
↑このカムパネルラが消える場面で、「向ふの河岸」に「両方から腕を組んだやうに赤い腕木をつらねて立」つ「二本の電信ばしら」は、そうしたジョバンニの願いを象徴しています。
しかし、彼の願いもむなしく、カムパネルラは、どこへ行ったのかもわからず、ただ居なくなってしまいます。そのあとで「黒い大きな帽子」の男が現れて、
「『あのひとはね、ほんたうにこんや遠くへ行ったのだ。おまへはもうカムパネルラをさがしてもむだだ。』」
などと“言い渡し”ますが、それはとうていジョバンニを納得させられるものではありません。
ジョバンニが、“銀河の旅”の「切符」を「しっかり持って」、“銀河の旅”を自らのうちに保持しながら地上で生きる生き方とは、“カムパネルラとともにする旅”を続けるような生き方でなければならないはずです。それは、カムパネルラを失った「〈かなしさ〉と同居する生き方、カムパネルラの死とともにある生」(『修辞的モダニズム』,p.81)のほかにはないはずです。
それこそが、「〈夢〉世界の実在性」を信じることにほかならず、ジョバンニが〔第3次稿〕のラストで語る「何とも云えずかなしいやうな新しいやうな」気分の示すものなのです。
ところで最近、直木賞を受賞したノンフィクション小説『銀河鉄道の父』を読んでいて、みょうなことに気づきました。
「『おじいさん。さっきのお話、何という題ですか』
『さっきの話?』
『ええ、あの教室で、カムパネルラとジョバンニが……』
政次郎はにっこりした。箸を置き、えへんえへんと咳払いして、
『「銀河鉄道の夜」』
『ふたりは最後、どうなったのです?』
『わからねぇ。未完成だから』
『未完成?』
〔…〕政次郎はうなずいて、
『んだじゃ。君たちの叔父さんは悪い奴だ。あれだけ原稿に手を入れたくせに、幕を引かねぇのす』
『どうすればいいのです』
と、純蔵は顔をくもらせた。子供はいつも結末をもとめる。宙ぶらりんは不安なのだ。」
門井慶喜『銀河鉄道の父』,2017,講談社,p.406.
↑作中で、賢治の甥・純蔵が政次郎にする質問「ふたりは最後、どうなったのです?」とは、童話『銀河鉄道の夜』の結末がどう書いてあるのか、訊いているのですが、たとえ最後まで読み聞かせたとしても、やはり同じ質問をされるような気がします。
現行〔第4次稿〕の最後まで読んでも、これで物語が終ったとは、少なくとも子どもは思わないのではないでしょうか?‥ジョバンニとカムパネルラが別れ別れになって、それでおしまい…とは読めないのです。
そう言えば、〔第4次稿〕の最後の水難捜索の場面で、ジョバンニは↓こうつぶやいています:
「みんなもぢっと河を見てゐました。誰も一言も物を云ふ人もありませんでした。ジョバンニはわくわくわくわく足がふるえました。魚をとるときのアセチレンランプがたくさんせはしく行ったり来たりして黒い川の水はちらちら小さな波をたてゝ流れてゐるのが見えるのでした。
下流の方の川はゞ一ぱい銀河が巨きく写ってまるで水のないそのまゝのそらのやうに見えました。
ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のはづれにしかゐないといふやうな気がしてしかたなかったのです。」
ジョバンニは、水に映った銀河を見ながら、「カムパネルラはもうあの銀河のはづれにしかゐない」としか思えなかったと言うのです。
また、〔第4次稿〕に採用されず斜線で消された1枚の草稿には、↓こう書かれています:
「けれどもまたその中にジヨバンニの目には涙が一杯になつて來ました。
街燈や飾り窓や色々のあかりがぼんやりと夢のやうに見えるだけになつて、いつたいじぶんがどこを走つてゐるのか、どこへ行くのかすらわからなくなつて走り續けました。
そしていつかひとりでにさつきの牧場のうしろを通つて、また丘の頂に來て天氣輪の柱や天の川をうるんだ目でぼんやり見つめながら坐つてしまひました。
汽車の音が遠くからきこえて來て、だんだん高くなりまた低くなつて行きました。
その音をきいてゐるうちに、汽車と同じ調子のセロのやうな聲でたれかが歌つてゐるやうな氣持ちがしてきました。
それはなつかしい星めぐりの歌を、くりかへしくりかへし歌つてゐるにちがひありませんでした。
ジヨバンニはそれにうつとりきき入つてをりました。」
いったんは童話のラストとして書かれたと思われる↑この草稿にしても、また、じっさいの〔第4次稿〕のラストにしても、読者を納得させる結末が示されたとは言いがたいと思います。その理由は、カムパネルラがどこへ行ったのか分からないからです。生きているのか死んだのかもわからない。少なくとも子どもには、「死んだ」とは読めないでしょう。
ジョバンニはこのあと、カムパネルラを捜しに、また“銀河の旅”に出かけるかもしれない。いや、ひょっとすると、翌日の放課後にカムパネルラの家へ行くと、そこにカムパネルラがひょっこり出て来るのかもしれない‥‥
「『〔…〕ジョバンニさん。あした放課后みなさんとうちへ遊びに来てくださいね。』
さう云ひながら博士はまた川下の銀河のいっぱいにうつった方へじっと眼を送りました。」
“二人はその後、どうなったのか?”―――この大きな疑問を読者に突きつけるかたちで締めくくられている『銀河鉄道の夜』は、“大人への成長物語”などというお誂えの枠にはとうていおさまりきらない、巨きく深い問題をはらんでいるのだと思います。
ばいみ〜 ミ彡
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