01/04の日記
18:18
【宮沢賢治】『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(2)
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ますむらひろし画『銀河鉄道の夜』より
「天気輪の柱」
こんばんは (º.-)☆ノ
宮沢賢治の草稿が失われた“欠落部分”には、何が書いてあったのか?‥‥(⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(1))のつづきです。
【1.1】 「琴の星」はヴェガ
『銀河鉄道の夜』〔第3次稿〕には、ジョバンニが「天気輪の丘」の上から「琴の星」を見つめていると、それが「三つにも四つにもわかれ」て瞬いたり、「脚が何べんも出たり引っ込んだりして」キノコのように延びるという“異変”が書かれています。この“異変”は、合計3回(〔第4次稿〕では2回)起きるのです。
「琴の星」というのは、こと座の主星ヴェガ(Vega)を指しています。ヴェガは、天の川の岸辺に青く輝く1等星で、賢治が「青い琴の星」「その青い星」と書いているのは、ヴェガの色を表しています。
【参考画像】⇒:《ギャルリ・ド・タブロ》「ベガ」
【参考記事】⇒:《ゆらぐ蜉蝣文字》8.4.15〜
ヴェガは、中国や日本では「織女星」「織り姫星」と呼ばれて天の川伝説のヒロインとされ、西洋では、こと座は楽人オルフェウスの竪琴(ハープ)とされます。オルフェウスは、死んだ恋人のエウリュディケーを冥界から連れて帰ろうとしますが、途中で冥神ハーデースに課された条件を破って恋人を振り返って見たために、エウリュディケーは連れ戻されてしまう。
このように、ヴェガは洋の東西で悲恋と結びつけられている星なので、この『銀河鉄道の夜』に関しても、賢治の亡き妹トシと関連づけて読む研究家が多いのですが、賢治自身は、オルフェウスも織り姫も語ったことがありませんw。やはりここは、賢治のテクストに即して検討を進めたいと思います。
【1.2】 合理的説明の長短
啓蒙科学者の草下英明氏は、この「琴の星」の異変について、
「琴座の形象からの表現と考えられる。琴座がずっと西にまわると、(即ち夏の夜が既に大分更けたことを示す)琴座の主星ヴェガの左下方にいびつな四辺形をえがく、β,γ,δ,ζの4星が、丁度何かが足を伸している形に見えるのを形容したものか、或はヴェガにつき物のεとζの2星を足に見立てたかどちらかであると思う。」
草下英明『宮澤賢治と星』,1975,学芸書林,p.69.
と説明していました。ヴェガの近くにある琴座のほかの星が、足に見えると言うのです。
しかし、「三つにも四つにもわかれ」たり「脚が何べんも出たり引っ込んだりして、たうたう蕈のやうに長く延びる」という動きは、琴座の形では説明できません。
他方、この“異変”は、ジョバンニの眼にたまった涙に、ヴェガ星のひかりが滲んで見えているのだ、という説明が、最近は有力になっています。
問題の異変の描写には、
「ジョバンニは、もう何とも云へずかなしくなって、また眼をそらに挙げました。」(1回目)
「何とも云へずかなしいやうな新らしいやうな気がするのでした。」(3回目)
と書かれていますから、涙でにじんで見えているという解釈は、いちおう根拠があるように見えます。
しかし、このような合理的・科学的な解釈は、はたして賢治童話を完全に説明するものなのだろうか?‥‥という根本的な疑問が残ります。
【1.3】 生き物のような星のふるまい
ここで、3回の異変の描写を並べてみますと、↓つぎのようになります。
「あの青い琴の星さへ蕈のやうに脚が長くなって、三つにも四つにもわかれ、ちらちら忙しく瞬いたのでした。」(1回目)
「そしてジョバンニはその琴の星が、また二つにも三つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、たうたう蕈のやうに長く延びるのを見ました。」(2回目)
「琴の星がずうっと西の方へ移ってそしてまた蕈のやうに足をのばしてゐました。」(3回目)
「蕈(きのこ)のやうに長く延びる」「脚が長くな」る、「蕈のやうに足をのばしてゐ」ると言うのが、涙のせいにしては異様すぎるように思われます。そらの星というよりも、アメーバのような、生き物の動きのような感じに見えます。
また、3回目を、すこし前のほうから見ますと、
「ジョバンニは叫んでまた走りはじめました。何かいろいろのものが一ぺんにジョバンニの胸に集って何とも云へずかなしいやうな新らしいやうな気がするのでした。
琴の星がずうっと西の方へ移ってそしてまた蕈のやうに足をのばしてゐました。」
と、まるで、星がジョバンニに向かって合図を送っているような、手を振ってさよならしているようなふんいきが感じられないでしょうか?
つまり、一種のアニミズムが読みとれるのです。
一般的に言って、宮沢賢治の自然観察は、いつも“二刀流”なのではないかと思います。“二枚腰”と言ってもよいでしょう。
自然に対する賢治の見方について、それは子どもの見方だという人がときどきいます。たとえば、ますむらひろしさんは、夜親子で歩いていたとき、
「お月さまが追いかけてくる。」
と娘さんが言うのを聞いて、賢治の感性はこれだと思ったそうです。
あるいは、そらに出ている満月を見て、「五十円玉がある。」と言ったり。子どもたちは、こうした“見え”を本気で信じているし、おおげさに言えば、“そこに全存在を賭けている”のです。
「風景からもらってきた記憶。どうしてもそんな気がしてならなかった想い。幼い昔の記憶の沼に針を降せば、たくさんの〈どうしてもそんな気がした時間〉は僕にもあった。〔…〕
誰もが感じていて、成長とともにほとんどの人が感じなくなる〈自然からの信号〉を、『そのとおり書いたまでです』という大人がいることは、ほんとうに嬉しかった。〔…〕
賢治の残した文章のあちらこちらでは、子供の頃感じていたあの気配たちが、僕を待ち伏せしていた。」
ますむらひろし『イーハトーブ乱入記』,1998,ちくま新書,pp.31-33.
「《心ノ中ニアル君ダケノ瞳、閉ジテハイケナイヨ。》
誰もが持っていてアドレッセンス中葉のころには、閉じてしまうあの瞳。その瞳に重くのしかかるまぶたを開いた者には、現実の向こうにあるもう一つの現実地帯が見えるのだ。夢や幻想、そして妄想などと呼ばれる地帯に、宮沢賢治という人は、ある時は悲しい足取りで、そしてある時はヒョウヒョウと軽々と、ほんとうに本気で行ってきて、その記録を原稿用紙に報告してくれた。
木々の奥から漏れてくる気配、異空間と呼んだ場所のぼんやりした温度。それらは決死のわざで嗅ぎ分けた報告であって、現実しか見えない者はそうした感覚が信じられないから、『童話』と呼んだのだ。」
『イーハトーブ乱入記』,p.112.
月が追いかけてくるとか、夜空に五十円玉が浮いているとか、それらは、フッサールの言う《生活世界》です。星が“またたい”たり、2つにも3つにも分かれたり、足をのばしたりするのも、“見え”をそのまま信じてそれを生きる《生活世界》です。
近代人の常識的な見方では、月や星は、がらんどうの真空空間に浮かぶ球状の天体だという科学知識によって、それらの“見え”は錯視として否定されてしまいますが、宮沢賢治は、そうした“見え”とその奥深くにある世界に全存在を賭けて生きようとした人だったのだと思います。
目に見える“現象”こそが、私たちの生きる《世界》の本体であり、科学的な説明や、それに基づいて理解された世界や宇宙の像は、あくまでも“現象”に対するひとつの解釈にすぎないのです。賢治は、「こころのひとつの風物」にすぎないとまで言っています:
【参考】⇒:《ゆらぐ蜉蝣文字》0.1.4〜
【参考】⇒:【序説】宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ【第4章】(iii)〜
【参考】⇒:【序説】宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ【第3章】(ii)〜
「これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです
これらについて人や銀河や修羅や海胆は
〔…〕
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
〔…〕
ある程度まではみんなに共通いたします」
「🈪これらは決して偽でも仮空でも窃盗でもない。
〔…〕どんなに馬鹿げてゐても、難解でも必ず心の深部に於て万人の共通である。卑怯な成人たちに畢竟不可解な丈である。」
しかし、逆に、賢治は、私たちの科学的・合理的な世界観を否定しているわけではありません。“異世界”の透視は、科学より優越しているとさえ言いません。そこが、神秘主義と違う点です。フッサールの言い方をすれば、“エポケー”は否定ではないのです。
子どものような“現象”的な見方と、常識的な科学的見方、―――宮沢賢治は、つねにその両方の見方を駆使し、いわば“二重の世界”のなかで生きながら、両方の見方をうまくバランスさせようとして苦心しているのではないでしょうか。
「 月天子
私はこどものときから
いろいろな雑誌や新聞で
幾つもの月の写真を見た
〔…〕
盛岡測候所の私の友だちは
――ミリ径の小さな望遠鏡で
その天体を見せてくれた
亦その軌道や運転が
簡単な公式に従ふことを教へてくれた
しかもおゝ
わたくしがその天体を月天子と称しうやまふことに
遂に何等の障りもない
もしそれ人とは人のからだのことであると
さういふならば誤りであるやうに
さりとて人は
からだと心であるといふならば
これも誤りであるやうに
さりとて人は心であるといふならば
また誤りであるやうに
しかればわたくしが月を月天子と称するとも
これは単なる擬人でない」
『雨ニモマケズ手帳』より。
【1.4】 “二重の世界”に生きる
そういうわけで、「琴の星」の異変は、ジョバンニの涙のせいだという合理的解釈も、まちがえではないのですけれど、それだけでこの部分が尽くされるわけではありません。じっさいに、「琴の星」のひかりが、ジョバンニの見ている空でアメーバのように分裂したり、原形質の脚をのばしたりしたのだと、私たちは思ってよいし、また、そう思わないと、作者の考えたことをじゅうぶんに読みとったことにならないと思います。
「琴の星がずうっと西の方へ移ってそしてまた蕈のやうに足をのばしてゐました。」
というラストの行にこめられた、星がジョバンニに合図を送っているような、手を振ってさよならしているような印象的なシーンは、“銀河”の異世界を体験した者に対して星が送っているフレンドリーなあいさつだと考えてはじめて納得がいきます。
そのことは、
「何かいろいろのものが一ぺんにジョバンニの胸に集って何とも云へずかなしいやうな新らしいやうな気がするのでした。」
という、ラストでのジョバンニの気分にも影を落としていると思います。
星のひかりの異変が、涙を透して見たためだとしても、そこにある感情は単なる悲哀ではないはずです。〔第3次稿〕に即して言えば、ブルカニロ博士がジョバンニを激励して言ったように、もう“密漁船で捕まった犯罪者の子”という烙印や、同級生たちの侮蔑に負けることなく、大人として、
「本統の世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行」
こうとしているジョバンニの胸には、銀河世界の「夢の鉄道」を旅した記憶が、しっかりと焼きついているのです。
「新らしいような、かなしいような」気分とは、悲哀ではなく、むしろ勇気に近い感情なのだと思います。
同じ年代の少年たちがみな、大人たちの社会に順応するようにして成長し、常識的な大人の見方になってゆくなかで、「心ノ中ニアル瞳」を忘れることなく保持して行こうとする生き方は、どうしても「かなしさ」「さびしさ」を伴わないではいません。自分の目にははっきりと見え、「どうしてもそういうことがあると思われてならない」ことが、ほかの人にはまったく通じないからです。
※
よるのそら
ふとあらはれて
かなしきは
とこやのみせのだんだらの棒
『歌稿B』#541
「おれはかなしく来た方をふりかへる。盛岡の電燈は微かにゆらいでねむさうにならび〔…〕
私はふと空いっぱいの灰色はがねに大きな床屋のだんだら棒、あのオランダ伝来の葱の蕾の形をした店飾りを見る。これも随分たよりないことだ。」
秋田街道:葛根田川と岩手山
しかし、賢治の場合には、その“孤高と悲哀”に没入して事足れりとすることはなかったのだと思います。「心ノ中ニアル瞳」をしっかりと見ひらきながら、足では現実の世界をしっかりと踏みしめ、「大股にまっすぐに歩いて行」くことは、むしろ勇気にみちた生き方なのです。
そして、おおげさかもしれませんが、宮沢賢治という作家が、日本の伝統的な悲哀の“文学感情”とはっきり袂を分かつゆえんが、ここにあると思うのですが。。。
ばいみ〜 ミ彡
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