11/04の日記

19:00
【BL週記】奥多摩のオイノさま(4)―――臼杵山

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奥多摩、榧ノ木山 ムシカリ  









こんばんは(^。^)っ







 奥多摩の狼神社。前回は、みたけの奥にある大岳神社を訪ねてみました。

 【参考】⇒:【BL週記】奥多摩のオイノさま(3)

 現在、年代がわかっている奥多摩最古の“オイノ”さまに出会うことができましたが、狼とも犬とも思えないユーモラスな像は、とても現代的に思えなかったでしょうか?

 あえて似たふんいきをさがすとしたら、古墳時代の埴輪や「亀石」ではないかと思います。あるいは、ヨーロッパやオリエントの古い時代の土偶に、似たものがあったかもしれません。関東の山ひだの奥深くでは、古代人の素朴な想像力の造形が、江戸時代にまで息づいていたのです。

 このあと3か所の⦅狼神社⦆では、この古いタイプの“オイノ”を見ることになります。



 まずは、秋川の南側にある臼杵山に上がってみたいと思います。








 (4)臼杵権現神社






 「臼杵山」は、頂上に立っている山名標によると「うすぎやま」と読むようです。市道山、刈寄山とともに“戸倉三山”と呼ばれていますが、北の“高水三山”とは異なって、この3つの山を1日で駆け巡るのは容易ではありません。

 臼杵山も、頂上の形は大岳山と同じ“前方後円墳型”に見える角度があります。










臼杵山 市道山付近から





 
臼杵山 トッキリ場付近から 







 写真に撮して見ると、大岳山ほどはっきりとした“前方後円墳”ではありません。それでも、《狼神社》に取り憑かれた眼には、同じ形に見えてしまいます。。。







臼杵山 南コルから



 



 さて、臼杵神社の祠は、山頂から 100mほど離れたところにあります。つまり“前方後円墳”の背中にあたります。





 




 ほんとうに小さな祠です。大岳神社のような拝殿もありません。登山道のわきに立つ高さ 50センチ程度の祠が、おそらくは江戸時代からずっと守られてきたということ―――まったく奇跡としか思われません。

 “オイノ”は2対あります。まず、外側の“オイノ”から見ていきましょう。






 
左の“オイノ”  




 
左の“オイノ”  



 
  右の“オイノ”



 
  右の“オイノ”



 ↑銘を見ると、たいへん新しいものです。








 重要なのは、内側に置かれた対のほうです。こちらは銘はありませんが、おそらく大岳神社と同じくらい古いものでしょう。古層の“オイヌ”の形をしています↓




 
左の“オイノ”  




 
左の“オイノ”  



 
  右の“オイノ”





 ほとんどばらばらに分解してしまった石像を、ジグゾーパズルのように組み立てて復元しています。古い“オイノ”像に対する、麓の集落の人たちの熱意がうかがわれます。



 “あ・うん”の形相をしています。また、臼杵山の“オイノ”の特徴は、しっぽが犬のように丸まっていることです↓。これは、ヤマイヌよりも犬の特徴でしょうね。建造年代が、やや新しいのかもしれません。いずれにしろ、ヤマイヌがこの地域ではすでに絶滅したあとで、想像によって造られた像ならではと言えます。






左の“オイノ”









 ところで、じつは↑上に出した“右のオイノ”は、ちょうど2年前の写真なのです。

 数日前に行ってみたところ、“右のオイノ”は、こんな無残な状態になっていました↓




 
  右の“オイノ”



 
  右の“オイノ”






 おそらくは、嵌め合わせて復元してあったのが、台風の突風で分解してしまったのでしょう。もしかすると、心無い登山者の“いたずら”もあったかもしれません。↓木製の祠も破壊されてしまっているようです。残念でなりません。

 麓の村の篤実な方々の手で、めげることなくまた復元されることを祈ってやみません‥‥

















 石造りの祠のほうが年代は古いと思われます↑








 臼杵神社の古い“オイノ”は、もとは“左のオイノ”だけが、しかも、嵌めて復元していない残骸のままで残っていました。“右のオイノ”は、あたりに破片として散乱していたのでしょうか。当時、これが古い山犬像だとはつゆも知らないギトンは、気づきませんでした。

 そのころ発行された登山ガイドブックには、“ユーモラスな猫だ”などと説明されていました。ギトンも、猫だか犬だかわからないなどと思っていました。ヤマイヌと確信したのは、奥多摩のほかの《狼神社》の存在を知ってからです。それは、外側の新しい狼像の対が建てられた後でした。

 ギトンが、臼杵山の古い“オイノ”像に愛着を持っているのは、命を拾われたことがあると信じているからです。



 学生のころでした。高尾山のほうから力まかせに縦走して来て、臼杵山に着いた時には真っ暗になっていました。地図はない。ヘッドライトはおろか懐中電燈も持っていない――まったく若気の至りとしか言いようがありませんw

 当時、山頂の北側へ降りる道はありませんでした。臼杵山頂で 90度右へ折れなければならないのに、まっすぐに北側の斜面につっこんでしまいました。まもなく崖になり、これ以上進めば滑落はまちがえないと思われました。けっきょく、その斜面で一夜を明かしたのです。

 明るくなって目を覚ますと、足元のはるか下で自動車が行き交っています。もう 10メートル進んでいたら転落していたところでした。

 必死の思いで崖の草をつかんで登り返し、頂に戻ると、小さな祠の前に、猫のような石像が、あごを出して臥せっていました。それを見て、祠の手前にある下山路を見過ごして進んでしまったことに気づいたのです。

 この時、迷いこんだ崖の途中で、危ないところでとどまったのは、“オイノ”の守護のおかげだったと、ギトンはいまでも信じています‥‥

 宗教はいっさい信じていないつもりなのですけれどw



 東京に戻ってから、学校の友人たちにこの体験を話すと、軽蔑して笑うか、怒るか、そのどちらかでした。人は利己的で、あてにならないものだと思いました。

 こうして、命を救ってくれた“猫だか犬だか”への愛着は、胸に刻みこまれることになったのです。。。









 






ばいみ〜 ミ




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カテゴリ: BL週記

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