10/30の日記
01:42
【BL週記】奥多摩のオイノさま(3)―――大岳山
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奥多摩、蕎麦粒山 サラサドウダン
こんばんわ(^.^)y
奥多摩の狼神社。前回は、奥多摩でも最大と思われる武蔵御嶽神社を訪ねてみました。
【参考】⇒:【BL週記】奥多摩のオイノさま(2)
残念ながら、現在の武蔵御嶽神社には、古い“オイノ”石像は残っていませんでしたが、御岳山の奥にある大岳山(おおたけさん)の祠には、おそらくは奥多摩最古の狼像――しかも、年代のわかる一対の“オイノ”さまが、今も現役で鎮座しています。
きょうは、まず大岳神社を訪ねてみたいと思います。
(3)大岳神社
御嶽神社から大岳山までは、ちょっとしたハイキングコースで、大岳山を越えると、鋸山、御前山、三頭(みとう)山へと縦走路が続きます。
1267mの大岳山頂からは、奥多摩全域の展望が得られます。いわば御岳山塊の盟主と言ってよいのですが、そのほかに、この大岳山は、山頂の形に特徴があります。
大岳山 馬頭刈(まずかり)尾根から
↑これらは南側から撮った写真ですが、前方後円墳を横から見た形に似ていませんか?
左側がとがって見えますが、見る角度によっては、もう少し円くなります。
さて、大岳神社は、大岳山の肩の付近にあります。
大岳神社
大岳神社、社殿
↑登山道の途中に、木の鳥居と掘っ立て小屋のような社殿が見えます。
「大岳神社」という標識さえありません。一対の“オイノ”が社殿の左右に置かれています。
大岳神社、拝殿
大岳神社、拝殿(右)と本殿
左の“オイノ”
左の“オイノ”
右の“オイノ”
右の“オイノ”
“オイノ”の台の矢印のところに、建造年代が彫り付けられています。写真でも、何か字が書いてあるのがわかると思います。
こちらのブログで解読してくださったのによると、
「宝暦九卯四月吉日施主」
と彫ってあるそうです⇒:『興味神使録 別館』最古のオオカミ
こちらの『桧原村史』にも、「九卯四月吉日」の年代銘が記録されていますから、まちがえありません⇒:『桧原村史』
宝暦9(1759)年といえば、将軍徳川吉宗の跡を継いだ家重の時代。秩父の三峰神社に残る最古のオオカミ像は文化7(1810)年のものだと言いますから、それより半世紀も古いことになります。
《狼神社》とは知らずに通りすがりに見たら、これがオオカミだと思う人はいないでしょう。あまりにもかわいいユーモラスな形をしています。けれども、これが関東最古の“ヤマイヌ”像の型なのです。
もうひとつ目立つのは、左右の“オイノ”の口の開き方に違いがないことです。つまり、“あ・うん”の対になっていません。
これから見て行くように、奥多摩の山中には、この古いタイプの“ヤマイヌ”像を安置した神社が、ほかにもいくつかあります。
そして、長野県には、さらに 10年古い銘をもった“オイノ”像があるとのこと。
イザナギ・イザナミ神の“眷属”である《オイヌ》(ヤマイヌ)に対する信仰は、秩父三峰神社に発祥して関東一円に伝えられた―――というのが“通説”ですが、
三峯神社は最古ではなく、むしろ奥多摩地方か、あるいは長野県方面から秩父に伝わったと見たほうがよいのかもしれません。
奥多摩には、長野県伊那谷方面から、さらにもとをたどると、飛騨高山地方に《狼神社》の淵源があるようです。
飛騨高山には、紀伊方面から、ヤマイヌを捕獲して飼う一族が移り住んだという伝説があるそうです。
こうして、《狼神社》は西から伝わって来たという推測に、大きく胸を膨らませることになりました‥
臼杵山から見た馬頭刈尾根全景。最奥に“前方後円墳型”の大岳山が見える。
次回は、大岳山の南方にある臼杵山、臼杵権現神社を訪ねたいと思います。じつは、臼杵山の“オイノ”は、ギトンが最初に《狼神社》に関心をもつことになったきっかけでして、とてもなつかしい思い入れがあるのです。。。
ばいみ〜 ミ彡
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