03/25の日記

19:11
【吉本隆明】の宮沢賢治論――選ばれた者のユートピアか?誰でもの「さいはひ」か?(4)

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 こんばんは (º.-)☆ノ







〇 吉本隆明「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学―――解釈と教材の研究』,23巻2号,1978年2月号,学燈社,pp.6-29.


 ↑この論文を検討しています。連載第4回。





(ハ)登場人物と景観のすべてを遠くから見透している「装置の眼」とは、すべてを察知する「如来」の眼にほかならない。これに対して、作者の「冷たい白熱」すなわち「ほんたう」「まこと」への執着と鋭い感受性が、拮抗している。
――― p.18下段第2段落 〜 p.20上段第2段落






 前節のさいごで、吉本氏はつぎのように述べていました:



「もちろんこういうばあいでも、かれの作品をありふれた説教童話にしなかったものは、かれのあの<視線>である。

 どこかに作品を統御しながら、登場者のすべて、登場する風や雲や樹木や鳥や景観のすべてを、あたかも水槽のなかに見透しているような装置の<眼>
〔“視線B”―――ギトン注〕であったといってよい。

 わたしたちはかれのこの<視線>の特異なメタフィジイクが、かれの思い込んでやまなかった冷たい白熱である『ほんたう』や<まこと>の構造とかかわるところに触れたいのだが、思惑どおりに手易くはいかない。」

「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,p.18.


 @ 「登場者」と「登場する‥景観のすべてを‥見透している」「装置の<眼>」、すなわち“視線B”。

 A 宮沢賢治が「思い込んでやまな」い「冷たい白熱」、すなわち「ほんたう」「まこと」に対する「執着」・こだわり。


 この2つのものの対立が、この節のテーマです。

 そして、吉本氏の結論を言えば、@は、すべてを察知する如来(ブッダ,悟った者)の全知の眼であり、Aは、@が体現する自然世界・生活世界の秩序に対して、作者からあふれだす懐疑と異議の源泉なのです。

 はたして、@は、Aを包摂して、調和ある世界を築くことができるのか?‥そこに、宮沢賢治の“ユートピア思想”の問題圏があります。





「     猫の事務所

 ……ある小さな官衙に関する幻想……



 軽便鉄道の停車場のちかくに、猫の第六事務所がありました。ここは主に、猫の歴史と地理をしらべるところでした。

 書記はみな、短い黒の繻子
(しゆす)の服を着て、それに大へんみんなに尊敬されましたから、何かの都合で書記をやめるものがあると、そこらの若い猫は、どれもどれも、みんなそのあとへ入りたがつてばたばたしました。

 けれども、この事務所の書記の数はいつもただ四人ときまつてゐましたから、その沢山の中で一番字がうまく詩の読めるものが、一人やつとえらばれるだけでした。」

『猫の事務所』より



 小品童話『猫の事務所』は、このようにして始まります。「軽便鉄道の停車場のちかく」とありますから、この「事務所」は、1923年まで花巻町の岩手軽便鉄道「鳥ヶ崎」停車場の前に―――賢治の勤務していた『稗貫農学校』の隣りにあった『稗貫郡役所』が、モデルになっています。

 ちなみに、『郡役所』が無くなったのは、政府の地方制度改革によるもので、それまで長と議会を備えていた“郡”という自治団体が廃止され、現在とおなじ単なる行政区画になってしまいます。(制度としては、1921年郡制廃止法が公布され、1923年に郡会[議会]廃止、1926年に郡長と郡役所が廃止された)

 しかし、上の引用にも「一番字がうまく詩の読めるもの」を「書記」に登用するとあるように、モデルの郡役所とは違って、中国王朝のような、実際性のない権威だけの官僚組織として描かれています。






稗貫郡役所跡 現・岩手県花巻合同庁舎





 さて、「第六事務所」で事務長の黒猫の下にいた4人の「書記」は、上から順に、白猫、虎猫、三毛猫、竃
(かま)猫で、「竃猫」というのは、


「生れ付きではありません。
〔…〕夜かまどの中にはひつてねむる癖があるために、いつでもからだが煤できたなく、殊に鼻と耳にはまつくろにすみがついて、何だか狸のやうな猫のことを云ふのです。

 ですからかま猫はほかの猫には嫌はれます。」

『猫の事務所』より



 作者は、こう書いた後、「事務所」の中で「かま猫」が体験する“いじめ”や嫌がらせの実態を、これでもか、これでもかと言うように次々と述べていきます。

 生まれつきではないと言っても、かまどの中で寝るのは趣味の問題ではなく、真夏に生れた猫は皮膚が薄いので、ふつうの猫のように窓の外で寝ると寒くて眠れないのでした。



「なぜそんなに寒くなるかといふのに皮がうすいためで、なぜ皮が薄いかといふのに、それは土用に生れたからです。やつぱり僕が悪いんだ、仕方ないなあと、かま猫は考へて、なみだをまん円な眼一杯にためました。

 けれども事務長さんがあんなに親切にして下さる、それにかま猫仲間のみんながあんなに僕の事務所に居るのを名誉に思つてよろこぶのだ、どんなにつらくてもぼくはやめないぞ、きつとこらへるぞと、かま猫は泣きながら、にぎりこぶしを握りました。」

『猫の事務所』より



 つまり、「かま猫」の場合は、『なめとこ山の熊』や『祭の晩』の山男などと違って、「かま猫」が文句も言わずに“いじめ”に堪えて勤務しているのは、“無償の善意”というより、仲間の「かま猫」たちの名誉のためなのです。ある種の集団的利益が目的だと言えます。したがって、“無償の善意”とは、問題圏が少しずれています。

 しかし、“いじめ”の激しさ、執拗さは『祭の晩』の「街の人たち」の比ではありませんから、「かま猫」の忍耐は、心情的には“無償の善意”と異ならないと言うことができます。

 重要なのは、「やつぱり僕が悪いんだ、仕方ないなあと、」「かま猫」が考えたという部分です。

 つまり、“いじめ”を受けているほうは、“いじめ”る者たちが悪いとは考えずに、いじめられるのは自分の資質のためだから、そういう資質を持った自分が悪い、自分のせいだと思ってしまうのです。

 “いじめ”ということが起きる‥可能になる‥心がけの悪い人たちがいれば、そこに“いじめ”が発生する・いわば土壌は、“資質の秩序”にあるのだ―――と言うことができます。

 この“資質の秩序”について、吉本氏は、“鳥捕りの男”についてですが、↓つぎのように述べている部分があります:





「鳥を捕る人は宮沢賢治の作品の登場人物のなかでは、資質の自然な秩序を象徴する稀な存在だといえる。あるひとりの人間があるひとつの資質を自然にあたえられてしまった
〔…〕ために、資質の秩序のどこかに位置づけられるということの必然と偶然が、このばあいの資質の自然だ。これに抗うにはどうすればいいのか。〔…〕

 あるひとを邪魔なような、侮るような気をどこかでもちながら、そのひとの好意をうけとっているということがしばしばありうる。そのことにたいする鋭敏な痛みこそが、資質の自然がつくってしまう秩序への異議申立てを意味する。」

吉本隆明「『銀河鉄道の夜』の方へ」, in:ders.『宮沢賢治』,1996,ちくま学芸文庫,pp.225.



 「資質の自然な秩序」の体現者として、吉本氏が“鳥捕りの男”を出したのは、適当でなかったとギトンは思います。むしろ、「かま猫」のほうがふさわしい。(吉本氏が、このような思い違いをしている理由も、ギトンにはなんとなくわかります。吉本氏は、“いじめ”ということについて――現実社会での”いじめ”の構造について、理解が足りなかったように思われます。吉本隆明「いじめと宮沢賢治」, in:『宮沢賢治の世界』,2012,筑摩書房,pp.276-318.参照)

 それはともかく、宮沢賢治の『猫の事務所』は、「資質の自然がつくってしまう秩序への異議申立て」の起こりうる場所を、呈示していると言えます。





 





「ある時、
〔ギトン注―――かま猫は〕風邪をひいて一日やすんで事務所に出てゆくと、自分の持前の原簿がほかの3人の猫の机にふりわけられ、仕事を奪われていた。外の猫は忙しそうに気づかぬふりをして立働いていて、暗黙の仲間外れの雰囲気になっている。」
「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,p.19.



かま猫は、やつと足のはれが、ひいたので、よろこんで朝早く、ごうごう風の吹くなかを事務所へ来ました。するといつも来るとすぐ表紙を撫でて見るほど大切な自分の原簿が、自分の机の上からなくなつて、向ふ隣り三つの机に分けてあります。

     
〔…〕

 仕事がはじまりました。かま猫はだまつてうつむいてゐました。原簿がないのです。それを何とか云ひたくつても、もう声が出ませんでした。

     
〔…〕

 事務所の中は、だんだん忙しく湯の様になつて、仕事はずんずん進みました。みんな、ほんの時々、ちらつとこつちを見るだけで、たゞ一ことも云ひません。

 そしておひるになりました。かま猫は、持つて来た弁当も喰べず、じつと膝に手を置いてうつむいて居りました。

 たうとうひるすぎの一時から、かま猫はしくしく泣きはじめました。そして晩方まで三時間ほど泣いたりやめたりまた泣きだしたりしたのです。

 それでもみんなはそんなこと、一向知らないといふやうに面白さうに仕事をしてゐました。

 その時です。猫どもは気が付きませんでしたが、事務長のうしろの窓の向ふにいかめしい獅子の金いろの頭が見えました。

 獅子は不審さうに、しばらく中を見てゐましたが、いきなり戸口を叩いてはひつて来ました。猫どもの愕ろきやうといつたらありません。うろうろうろうろそこらをあるきまはるだけです。かま猫だけが泣くのをやめて、まつすぐに立ちました。

 獅子が大きなしつかりした声で云ひました。

 『お前たちは何をしてゐるか。そんなことで地理も歴史も要つたはなしでない。やめてしまへ。えい。解散を命ずる』

 かうして事務所は廃止になりました。

 ぼくは半分獅子に同感です。」

『猫の事務所』より





「なぜ突然『獅子』が窓の外からのぞいたのか。
〔…〕そして一瞬のうちに『かま猫』がいままでみなから意地悪されいじめられてきたという<猫>の事務所の<歴史>と<地理>を、その場の様子ですぐに<察知>したのか。〔…〕

 みんなの猫はうろうろし、『かま猫』だけが泣くのをやめて『まっすぐに立ち』あがる。なぜなのか。
〔…〕

 わたしの憶測をいえば、突然猫の事務所をのぞきに登場して、いじいじと弱い仲間をいたぶりながら『歴史』だの『地理』だのもっともらいしことを調査、研究することなどやめてしまえと叱咤する『獅子』は、『法華経』のなかの
〔…〕究極の一切種智を説く<如来>から着想された。それをさり気ないユーモラスなタッチでひと刷毛したところに宮沢の独自な冴えがあった。けれど<ほんたう>とか<まこと>とかの構造に触れたことに変りない。」
「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,pp.19-20.



 さらにギトンの憶測をいえばですねw…“如来”(ブッダ)である獅子が、突然やってきて、一瞬ですべてを察知したのは、「正徧知」の全知のまなざしによるものです。

 事務長から第3書記まで、「かま猫」以外のすべての猫が、「うろうろうろうろそこらをあるきまはるだけ」で、なすすべがないのは、過去も未来も、心の奥の奥までも見透している“如来”の前では、どんな弁解をしても無駄だからです。

 単なる百獣の王が来ただけならば、狡くて賢い猫たちは、「ほんとうは、すべてカマ猫が悪いんです。」「私たちは、カマ猫に迫害されています。」「カマ猫は、王国に謀反を企てています。」などと申し立てたでしょう。相手が、すべてを察知する“如来”では、そうはいきません。

 他方、「かま猫」が「泣くのをやめて、まつすぐに立」ったのは、ふつうに考えれば、天皇陛下のような偉い人が来たので、直立不動の姿勢で敬意を示したものでしょう。礼儀作法としては、ほかの猫たちも直立不動になるべきなのですが、「かま猫」以外は、“如来”の絶対的な秩序に服したくない―――自分らの間違えを認めたくないのでしょう。しかし、弁解もできない。だから、うろつきまわるよりほかありません。

 ところで、作者は最後に、


「ぼくは半分獅子に同感です。」


 と書いています。なぜ「半分」なのでしょうか?











「『獅子』がお前たち猫どもは
〔…〕仲間外れや足のすくいっこで弱いものをいたぶったりしながら、『地理』も『歴史』もへちまもないというとき、もう『半分』を超え全体作品を超えて、宮沢賢治は『獅子』に同感している。」
「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,p.19.



 吉本さんは↑このように言うのですが、宮沢賢治の「同感」は、やはり「半分」だと思います。

 モデルの『郡役所』廃止について言えば、それまで県と町村の間でクッションになっていた郡が(実質的地方行政団体としては)廃止されたために、県の統制が直接町村に及ぶことになった……そのことに対して、宮沢賢治はかなり反発していたように見うけられます。24年には、県の米穀政策(冷害に強い新品種“陸羽132号”を奨励するため格付けで優遇した)に抗議していますし、26年には県の社会主事と取っ組み合いの格闘をしたという証言があります。

 従来の郡の行政に対しても批判を持っていたことは、いろいろな作品に現れており、たとえば、文語詩「四時」に、


「時しも土手のかなたなる、 郡役所には議員たち、

 視察の件を可決して、   はたはたと手をうちにけり。」

『文語詩稿一百篇』「四時」より。


 とあります。「視察」とは物見遊山の別名ですから、郡会議員は遊んでばかりで、たいしたことはしていなかったのでしょう。『猫の事務所』で、「事務所」の仕事が地理や歴史を調べるだけというのも、郡役所に対する風刺かもしれません。

 しかし、だからと言って、ぶちこわして廃止してしまえばいいというものではない。

 モデル論を離れても、宮沢賢治は、“悪いものは破壊してしまえ!あとは何とかなる”式の“革命的オプティミズム”―――小児病的オプティミズム?―――とは無縁だったと思います。賢治はどこまでも改良主義者……いや、改良主義の一歩手前に踏みとどまっていたかもしれません。

 そういうわけで、「半分同感」と言うのは、「解散を命ずる」には同感しないという意味だと思います。“如来”は“全知”ではあっても万能ではない。誰かが「察知」したからと言って、皆が幸福になるとは限らない‥‥‥たとえば、かま猫だって失業したら困るでしょう‥‥‥。それが、賢治の考えではなかったか?

 皆を幸福にするという、「察知」だけではできないことをするのが“菩薩”の役割……そこまで賢治が考えていたかどうかは、わかりませんけれども。 




◇    ◇




 さきほど文庫の『宮沢賢治』から引用した吉本氏の文を、もういちど引きますと:



「あるひとを邪魔なような、侮るような気をどこかでもちながら、そのひとの好意をうけとっているということがしばしばありうる。そのことにたいする鋭敏な痛みこそが、資質の自然がつくってしまう秩序への異議申立てを意味する。」

吉本隆明「『銀河鉄道の夜』の方へ」, in:ders.『宮沢賢治』,1996,ちくま学芸文庫,pp.225.



 この「資質の自然がつくってしまう秩序」の例としては、賢治童話のなかで、『猫の事務所』がもっとも典型的だというギトンの考えも申し上げました。しかし、この童話では、“資質の秩序”に対する“異議申立て”のほうは、残念ながら見いだせません。“弱者の善意・無償”に気づいて「鋭敏な痛み」を感ずる者がいないからです。

 獅子は、いわば絶対的な「ほんたう」を布告するだけで、痛みも狼狽も獅子にはありえません。おろおろしているのは、「かま猫」以外の猫たちですが、この場合の彼らの狼狽は、「かま猫」の“善意”にようやく気づいたためではなく、獅子が現れて、悪事を隠せなくなってしまったことによっています。

 なぜなら、彼らには、“いじめ”を“いじめ”として認める意志は無いからです。認める気持があれば、ひれふすでしょう。うろうろしているのは、自分らのしてきたことは、それでよかったと思い続けたいからです。あわよくば、獅子が立ち去った後、今までどおりの状態で続けたい。彼らは、そう思っています。





 





「「<弱>・<小>・<醜>・<卑>といったものがもつ『オロオロ』した<善意>や<無償>が登場した途端に、いつも作品のなかに巻きおこされる対処のしようもないほどおたおたした羞恥や狼狽や途惑いの鋭敏な感受性を、宮沢賢治はそのまま<天上>へもっていきたかった。

 けれどいつもそうとばかりはいかなかった。かれが現実の構造に眼を閉じて、捷径をとりたがったりして衝突するものは、けっして高級なものではない。」

「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,p.20.



 吉本氏の↑この前半の指摘は、『猫の事務所』については当たらないでしょう。事務長以下、第3書記までの猫たちは、「かま猫」が「善意」の忍従を続けようと、泣こうと喚こうと、「羞恥や狼狽」どころか、「そんなこと、一向知らないといふやうに」無視しているだけです。内心では、ざまを見ろ、醜い弱虫には当然の仕打ちだ、と思っています。

 そういうわけで、この童話には、宮沢賢治が「<天上>へもっていき」たいと思うものは何もありません。

 しかし、『なめとこ山の熊』の小十郎や、『祭の晩』の亮二らが、“弱者の善意・無償”に接して受けた衝撃というモチーフのゆくえを、吉本氏とともに追って行きたいと思います。

 作者が、このような、青臭いほど純真なモチーフをかかえて現実と衝突するとき、現実は「猫の事務所」ばかりなわけですから……そこには小十郎も亮二もいない、たまにいても、すぐに周りから潰されてしまう。もちろん獅子もいない……、賢治のモチーフは、どんな変質をこうむるのか?‥あるいは、新たな展開を見るのか?―――そこに、宮沢賢治の“ユートピア”思想の問題圏があります。







ばいみ〜 ミ




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カテゴリ: 宮沢賢治

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