03/20の日記

22:23
【吉本隆明】の宮沢賢治論――選ばれた者のユートピアか?誰でもの「さいはひ」か?(1)

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 こんばんは (º.-)☆ノ





 たぶんこれが最後になると思うのですが、宮沢賢治を扱った吉本隆明氏の論文が、また見つかりました:




〇 「恐怖と郷愁 ――唐十郎――」,初出1974年, in:『吉本隆明全集』,第12巻,2016,晶文社,pp.580-593.


〇 吉本隆明「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学―――解釈と教材の研究』,23巻2号,1978年2月号,学燈社,pp.6-29.



 上のほうは、唐十郎の赤テント公演『風の又三郎』を観ての感想、というより、しっかりと読みごたえのある文学論ないし演劇論。

 宮沢賢治の原作についても、また唐の芝居に登場する宮沢賢治(誰が演じたんでしょうね‥‥根津甚八が適役かな、とギトンは思うんですがw)のセリフについても言及しており、りっぱな“『風の又三郎』論”になっています。唐の『又三郎』解釈と吉本のそれとを比較できる点でも、たいへん興味深いものです。



 今夜とりあげてみたいのは、↑下のほうです。『新校本全集』が出た段階で‥、あの『銀河鉄道の夜』最終稿が世間をあっと言わせた段階で、吉本氏の“総力”を挙げて賢治圏に切り込んだ論文―――と言えばいいでしょうか。この論文は、氏の宮沢賢治観を全体的・総括的に論じたものとなっています。

 これほどの規模と内容の重要さをもつ論文が、いまだ『全集』(2017年3月までの既刊分)にも『全著作集』にも収録されていないのは、ふしぎというほかありません。宮沢賢治に関する吉本氏の全講演は、この論文の注釈であると言ってもよいくらいです。

 それだけに、議論の個々の部分に関しては、‥ここは飛躍があるのではないか、‥ここはスキだらけじゃないのか、などと思える箇所も少なくありません。しかし、逆に言えばそういう粗削りな部分にこそ、底知れない魅力を蔵しているとも言えます。

 ともかく、現在では手に入りにくくなっているこの論文の梗概を、ひとまずはみなさんにご紹介したく思います。(なお、原論文のコピーをご希望の方は、送り先のメール・アドレスを付して、ギトンにメールでお申し込みください。書き込みで汚れていますが、無料でお送りいたします)

 その際、個々の部分に関しては、すでに『心象スケッチ論序説』などに書いたギトンの見解とは、解釈の異なる場合もありますが、さしあたっては吉本氏の論旨を追っておきたいと思います。ギトンがこれまでに書いたことと矛盾する場合にも、いちいち断りませんので、その点あらかじめご承知いただきたいと思います。






◇    ◇






 この論文は、大きく5つの部分からなっています
(丸カッコ内のページ数は、引用語句の所在)。あくまでもギトンの便宜的な区切りで、吉本氏が設けた節とはかならずしも一致しませんが、内容的なまとまりで区切ると、こうなると思います:



(イ)賢治童話に見られる“2つの視線”、なかんずく、遠方から眺める<眼> ――― p.6 〜 p.12上段


(ロ)自然景観のスケッチに対して、大乗仏教信仰による「先駆的統制」が作品に導入される。すなわち、「繰返しあらわれる<無償>の構造」(p.14)。「弱小なもの、さげすまれているものの<善意>や<無償>」が与える衝撃(p.16) ――― p.12上段 〜 p.18下段第1段落


(ハ)「冷たい白熱である『ほんたう』や<まこと>の構造」(p.18)。「<弱>・<小>・<醜>・<卑>といったものがもつ『オロオロ』した<善意>や<無償>」の衝撃を感受することによって、究極の悟りに至るという、賢治作品の背景にある信仰の「構造」(pp.20-21) ――― p.18下段第2段落 〜 p.20上段第2段落


(ニ)空想的変革さえも伴わない「幻想的美化」としての賢治のユートピア。したがって、それは、「狭き門」をくぐりぬけた選ばれた者の感性だけが感受しうる。しかし、現実との衝突は、賢治をしてしばしば「宗教的な屈折」(p.25)を余儀なくさせ、ともすれば不可知論を信奉し、自己犠牲へと短絡する、おどろくほど月並みな教訓を吐かせることになる。――― p.20上段第3段落 〜 p.26下段第2段落


(ホ)「遠方にある<眼>」とは、すべてを察知する唯一至上の「如来性」にほかならない。『法華経』が説く唯一・全知の「如来性」と、それに対する賢治の「沸きあがる懐疑」(p.29)の葛藤 ――― p.26下段第3段落 〜 p.29


   ――――――――――――――――





 







(イ)賢治童話に見られる“2つの視線”、とりわけ「無限の遠方にある<眼>の登場」
――― p.6 〜 p.12上段



 
 れいによって、吉本氏の考察は、賢治作品にみられる“複数の視線”の指摘と、その意味の解明から開始されます。



 

「宮沢賢治の作品が誇らしげにふり撒く魅惑のうちもっとも巨きなひとつは、並外れて自在な<視線>の位置にあるといえる。かれの作品の<眼>は、遥か高層にとどいた巨大な身体についた<眼>のように、近似的には無限の遠くからわたしたちをとらえてくる。かとおもうと瞬間に這う虫の微小な頭についた<眼>のように極微化される。わたしたちが本能的に慣れていない視角をよく知っていて、そこを衝かれるような気さえする。

 
〔…〕この<視線>の拡大と縮小とが同時に使われた作品に出遇ったとき、かれの文学のいちばん魅力的な根源にぶつかっていることになる。〔…〕たぶん、このいちばん魅惑的な部分でかれの表出はかえって正常な無意識であった。〔…〕もとは自身でも統御できずに筆記された、かれ自身の好きな言葉では<正しい>無意識であった。」
吉本隆明「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学―――解釈と教材の研究』,23巻2号,1978年2月号,学燈社,p.6.




「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。

     
〔…〕

 その時です。俄に天井に白い泡がたつて、青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾のやうなものが、いきなり飛込んで来ました。

 兄さんの蟹ははつきりとその青いもののさきがコンパスのやうに黒く尖つてゐるのも見ました。と思ふうちに、魚の白い腹がぎらつと光つて一ぺんひるがへり、上の方へのぼつたやうでしたが、それつきりもう青いものも魚のかたちも見えず光の黄金の網はゆらゆらゆれ、泡はつぶつぶ流れました。

 二疋はまるで声も出ず居すくまつてしまひました。

 お父さんの蟹が出て来ました。

 『どうしたい。ぶるぶるふるへてゐるぢやないか。』

 『お父さん、いまをかしなものが来たよ。』

 『どんなもんだ。』

 『青くてね、光るんだよ。はじがこんなに黒く尖つてるの。それが来たらお魚が上へのぼつて行つたよ。』」

宮沢賢治『やまなし』より。




「水底にいる『蟹』の<眼>の視線ですべてが視られている。水のなかの魚をとろうと、突然頭から躯を突込んでくるかわせみが、いわば水底から水面を迎向する視角でとらえられる。
〔…〕けれどマジックにかからなければ、この『やまなし』の描写は、同時に川の流れをあたかも水槽を外から視ているような位置で観察しているもうひとつの<眼>の存在なしには不可能である。そしてこの<眼>は無意識のように作品の言表にびまんしている。水底の『蟹』の<眼>になった視線と、川の流れを横断面から視察しているもう一つの架空の<眼>の二重視がわたしたちを惹き込んでいる。

 
〔…〕擬人化された生きものたちの稚拙な構図から作品を超出させているのは、全体にびまんしたもうひとつの無意識の<眼>のはたらきである。これが水底の景観の総体を遠くへ押しやる視線を提供している。そのため読者は、個々の描写を追いながら全景を遠くに時間化している体験をおぼえる。」
「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,p.7.













 『やまなし』を読んで、誰でもが気づく視線は、水底に固定され、上方の水面を見上げている蟹の兄弟の視線(A1)です。しかし、もう一つの視線があって、蟹の兄弟と、小石や砂の水底と、水面付近で起きることがらとを同時に視野に収めています。作者が最初に断っているように、「谷川の底を写した‥青い幻燈」を視ている視線(B)にほかなりません。それは、たしかに水面の上からではなく、横から、断面を見るように、水槽の外に仕掛けられたカメラのファインダーのように投げかけられています。

 この“横から”の視線が無ければ、「二疋」の蟹が「居すくまつてしま」う状況や、そこへ「お父さんの蟹が出て来」る状況が、これほどスムースに、映画を眺めるように如実に現れることはないでしょう。

 そればかりでなく、たとえば、「泡はつぶつぶ流れました。」という水面の描写にしても、蟹の下からの視線(A1)だけであれば、「泡」と見られることはないはずです。それを「泡」と見るのは、泡の浮いた水面を上から見たことのある眼であり、現に私たち読者は、横からの視線(B)によってそれを見ています。

 吉本氏は、この視線Bは、


「無意識のように作品の言表にびまんしている。」


 と言います。視線Bは、A1のように、作者の作品構成意図によって設定されたものではなく、宮沢賢治という作者が自然描写の文章を(あるいは詩を)書けば、かならず伴ってくる視線―――作者が意図すると否とにかかわりなく、その文のいちいちの背後に必ず存在している視線だと言うのです。視線Bは、登場人物の活動する現場から、やや距離を置いて全体を眺める視線であり、逆に言えば、


「水底の景観の総体を遠くへ押しやる視線」


 なのです。この視線の「押しやる」効果によって、


「読者は、個々の描写を追いながら全景を遠くに時間化している体験をおぼえる。」


 「時間化」、すなわち“物語”としての時間の流れは、この視線によって生み出されていると言うのです。






「苔いちめんに、霧がぽしやぽしや降つて、蟻の歩哨は、鉄の帽子のひさしの下から、するどいひとみであたりをにらみ、青く大きな羊歯の森の前をあちこち行つたり来たりしてゐます。

     
〔…〕

 『よし、通れ』

 伝令はいそがしく羊歯の森のなかへ入つて行きました。

 霧の粒はだんだん小さく小さくなつて、いまはもううすい乳いろのけむりに変り、草や木の水を吸ひあげる音は、あつちにもこつちにも忙しく聞え出しました。さすがの歩哨もたうとう睡さにふらつとします。」

宮沢賢治『朝に就ての童話的構図』より。



 蟻の眼で見たシダや苔の“叢林”の中のようすが描かれています。霧の粒が雨滴のように蟻の眼には見えると、賢治は考えていたようです。また、「草や木の水を吸ひあげる音」が―――こちらはもっと疑問ですが―――聞こえると思っていました。

 いずれも、作者の想像のなかでのことですが、このような賢治の想像‥というよりほとんど信念と言ってよい想定は、『序説』第3章(iii)でとりあげた《心象スケッチ》の方法に、非常に近いものだと思います。人間としての通常の視線と聴覚、そこからする蟻や霧に対する通常の観念を停止(エポケー)して、なかば無意識のうちに、想像上の“蟻の視線”を獲得しています。



「蟻の身体についた<眼>の位置まで縮小した感覚がこの描写に如実感をあたえている。
〔…〕この蟻の視線の如実感は、巧まれたものではなく無意識のうちに実現されたものであるとおもえる。」
「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,p.8.





「歩哨は剣をかまへて、じつとそのまつしろな太い柱の、大きな屋根のある工事をにらみつけてゐます。

 それはだんだん大きくなるやうです。だいいち輪廓のぼんやり白く光つてぷるぷるぷるぷる顫へてゐることでもわかります。

 俄かにぱつと暗くなり、そこらの苔はぐらぐらゆれ、蟻の歩哨は夢中で頭をかかへました。眼をひらいてまた見ますと、あのまつ白な建物は、柱が折れてすつかり引つくり返つてゐます。

 
〔…〕『「兵隊さん。構はないさうだよ。あれはきのこといふものだつて。』」
『朝に就ての童話的構図』より。



 成熟して崩壊し、胞子を放出するキノコのありさまが、「太い柱の、大きな屋根の」「輪廓のぼんやり白く光つてぷるぷるぷるぷる顫へてゐる」、また、いきなり「ぱつと暗くなり」「ぐらぐらゆれ」と描写されます。破裂しそうになったキノコの“輪郭がふるえる”ということや、いよいよ傘が破裂すると“あたりが真っ暗になってしまう”ということは、私たちがキノコを見る常識的な見方からも、科学的なメカニズムからも、ただちには出てこないものです。しかし、このようなノエマ――できごとの想定も、認識の原初に遡って展開される《心象スケッチ》であれば可能であり、むしろ迫真した「如実感」――実在感を与えるのです。

 ただ、吉本氏は、賢治のこのような特異な描写を、《心象》としてよりも、「視線」の問題として考えています。それが、吉本氏の宮沢賢治論の特徴と言えるでしょう。

 この、蟻の立場からの視線(A2)は、『やまなし』の視線A1とは、やや異なるものだと思います。『やまなし』の場合は、水底から見上げている点だけが特異で、視線そのものの性質は、人間の通常の眼と異なるものではありませんでした。人が川底にもぐって上を見上げた風景と、異なるところはありません。しかし、この蟻の童話での視線A2の性質は、《心象スケッチ》としてしか説明できないものです。

 そして、この蟻の場合にも、蟻の位置からの視線(A2)のほかに、距離をおいて横から、景観全体を視野に収めている視線(B)が厳としてあることは言うまでもありません。





 






 賢治童話の登場人物に貼りついた視線(A)は、水底の蟹やシダの根元の蟻のように、下から上方を見上げる微小な者の視線であることもあれば、空高くから広大な視野を鳥瞰する文字通りのバード・アイであることもあります。



「このうちひとつ
〔視線B―――ギトン注〕は無意識なのでかえって原形は内部的な<視線>であろう。けれどもうひとつはあきらかに鳥瞰の<眼>あるいは仰向の<眼>であるといってよい。かれの作品に登場する生ものたちはしばしば山や丘の高みにたって村や街や野原の景観を眺めやっている。」
「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,pp.8-9.



「『ありがたう。』雪童子
〔ゆきわらす〕はそれ〔雪狼(ゆきおいの)が木の上から齧って落としたヤドリギ―――ギトン注〕をひろひながら、白と藍いろの野はらにたつてゐる、美しい町をはるかにながめました。川がきらきら光つて、停車場からは白い煙もあがつてゐました。雪童子は眼を丘のふもとに落しました。その山裾の細い雪みちを、さつきの赤毛布(あかけつと)を着た子供が、一しんに山のうちの方へ急いでゐるのでした。

 『あいつは昨日、木炭
(すみ)のそりを押して行つた。砂糖を買つて、じぶんだけ帰つてきたな。』雪童子はわらひながら、手にもつてゐたやどりぎの枝を、ぷいつとこどもになげつけました。枝はまるで弾丸(たま)のやうにまつすぐに飛んで行つて、たしかに子供の目の前に落ちました。

 子供はびつくりして枝をひろつて、きよろきよろあちこちを見まはしてゐます。雪童子はわらつて革むちを一つひゆうと鳴らしました。

 すると、雲もなく研きあげられたやうな群青の空から、まつ白な雪が、さぎの毛のやうに、いちめんに落ちてきました。それは下の平原の雪や、ビール色の日光、茶いろのひのきでできあがつた、しづかな奇麗な日曜日を、一そう美しくしたのです。

 子どもは、やどりぎの枝をもつて、一生けん命にあるきだしました。」

宮沢賢治『注文の多い料理店』「水仙月の四日」より

 ⇒:水仙月の四日(ゆらぐ蜉蝣文字 1.3.1)




 ↑ここでは、視線Aは、丘の上から、下の平原を俯瞰している雪童子の視線と同一化しています。ときどき、視線は赤毛布の子供に集中しますが、それは、この子供に対する雪童子の特別の関心を表しています。この童話の後段で、雪童子は、吹雪のなかで遭難しかけたこの子を―――人間の魂を奪い取る物の怪の“職務”に反して―――救うのですが、この場面はその伏線になっています。



「『雪童子』の<眼>は
〔…〕<鳥の眼>で、赤毛布を着て山の方へ急いでいる子供や、光る川や白い煙をあげている街の停車場が視られている。」
「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,p.9.



 ちなみに、推測するところ、この童話の舞台は大沢坂峠から盛岡方面へ下る七曲り坂の途中、「光る川」は北上川で、「停車場」は盛岡駅とみられます。⇒:水仙月の四日(ギャルリ・ド・タブロ)







姥屋敷付近 ―――『水仙月の四日』の舞台





「そして間もなく、あの汽車から見えたきれいな河原に来ました。

 カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌にひろげ、指できしきしさせながら、夢のやうに云ってゐるのでした。

 『この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えてゐる。』

 『さうだ。』どこでぼくは、そんなこと習ったらうと思ひながら、ジョバンニもぼんやり答へてゐました。

 河原の礫は、みんなすきとほって、たしかに水晶や黄玉
〔トパース〕や、またくしゃくしゃの皺曲〔しゅうきょく〕をあらはしたのや、また稜〔かど〕から霧のやうな青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとほっていたのです。それでもたしかに流れてゐたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるやうに見えたのでもわかりました。

 川上の方を見ると、すすきのいっぱいに生えてゐる崖の下に、白い岩が、まるで運動場のやうに平らに川に沿って出てゐるのでした。」

『銀河鉄道の夜』〔最終形〕より



 『銀河鉄道の夜』の「プリオシン海岸」の場面ですが、ここでは視線Aは、ほぼジョバンニの視線と同一化しています。

 しかし、吉本氏は、渚に手を浸している二人の背後から、「少し遠方から」視ている視線Bがあると言うのです:



「読むものは少し遠方から空想の銀河の河原や河床の方をみている<眼>になる。この<眼>は作品中のジョバンニの<眼>と同一であるようにみえるがそうでないことがわかる。ジョバンニが走って銀河の渚にしゃがんで水素のような「水」に手をひたしても、読むものの<眼>は手をひたしているジョバンニも燐光をあげてさざなみたつ水をも同時に視ている。

 この読むものの遥か遠方からの<眼>は、いわば作者の二重視の立体的な装置に依存している。この<眼>が景観を時間化している秘密である。」

「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,p.9.



 もちろん、この場面でも、作者の“遠方からの眼”(視線B)が一貫してあることは否定しません。

 しかし、吉本氏が“遠方からの眼”の例証とする「燐光をあげてさざなみたつ水」を視る視線は、むしろまさにジョバンニのものでなければならないと、ギトンは思います。おそらくこのテキストからは、両方の読みが可能です。

 まえの『水仙月の四日』の引用部分でもそうでしたが、吉本氏は、賢治童話で同性愛的な親密さの表れる描写に遭遇すると、あえて親密さを避ける読み方を選んでいるように思われます。吉本氏は、同性愛一般に対して、やや歪んだ見方を持っておられたようです(日本の文芸批評家には、この種の偏見はむしろ一般的ですから、吉本氏も人並みだったというだけのことですが‥)。たとえば、最初に挙げた唐十郎公演についての文章を読むと、それが氏の幼少時の近隣体験に基づいていることもわかります。





「ブドリたちは、天幕
(てんと)の外に出て、サンムトリの中腹を見つめました。野原には、白百合がいちめん咲き、その向ふにサンムトリが青くひつそり立つてゐました。

 俄かにサンムトリの左の裾がぐらぐらつとゆれ、まつ黒なけむりがぱつと立つたと思ふとまつすぐに天までのぼつて行つて、おかしなきのこの形になり、その足もとから黄金色の熔岩がきらきら流れ出して、見るまにずうつと扇形にひろがりながら海へ入りました。と思ふと地面ははげしくぐらぐらゆれ、百合の花もいちめんゆれ、それからごうつといふやうな大きな音が、みんなを倒すくらゐ強くやつてきました。それから風がどうつと吹いて行きました。

 『やつたやつた。』とみんなはそつちに手を延して高く叫びました。この時サンムトリの煙は、崩れるやうにそらいつぱいひろがつて来ましたが、忽ちそらはまつ暗になつて、熱いこいしがばらばらばらばら降つてきました。」

『グスコーブドリの伝記』より



 サンムトリ火山の噴火のようすを、登場人物のブドリらが間近な場所から見ている設定ですが、「左の裾がぐらぐらつとゆれ」という描写、また、熔岩の流れ方の俯瞰など、じっさいに現場にいたとして見られる風景とは異なるものでしょう。むしろ、吉本氏も指摘するように、博物館の火山のジオラマ模型を見るようなけしきです。

 ちなみに賢治は、火山の噴火を実際に目撃したことはありませんでした。

 この場合の視線は、かなり意識的に構想して設定された、いわば“人工的”なものだと言うことができます。にもかかわらず、読む者が思わず惹き込まれてしまう抗いがたい臨場感は、地面の激しい揺れ、「いちめん」の百合の花の近景、軽石降下のタイミングと状況など、博物館の模型にはないデテールが挿入されているためと思われます。

 ブドリらの立つ地面の震動、「いちめんゆれ」る百合の花の近景、そらの暗転と軽石降下などは、登場人物と一体化した体験描写で、“視線A”に属するもの、それら以外の、遠方から眺望したような噴火の描写は、噴火に先立って火山体のどの部分が揺れるかといった推論も含めて、理論的に構想された“視線B”によるものと言うことができます。





 
エトナ火山の噴火 2017年3月   

 ⇒:エトナ火山の噴火(2017年3月15日)Youtube





 ところで、以上で検討した各童話作品について、吉本氏がとくに注目しているのは“視線B”のほうです。というのは、“視線B”は、単に場面描写を構成している視線のひとつであるにとどまらず、それは作者の主観と、より直接に結びついているものだからです。



「宮沢賢治の詩と童話の作品は、こういう特異な<視線>に切りとられた景観の、言葉によるモザイクという領域を出ることはなかった。
〔…〕この人工的な景観の構築の面白さにもっとも酔いしれたのも宮沢賢治自身であった。そうでなければ詩と童話のほとんどすべてが、ある意味では燃え上がる空虚といってもよい自然現象の記述に満足されたはずがなかった。

 同時代の文学の尖端は自意識の微細な動きと陰りあいの上に、内的な人間関係の世界を築こうとしていた。宮沢賢治はほとんどそれと対称的なところへ出発した。
〔…〕

 地形図を案ずる<視線>のあいだをエーテルのように瀰漫するもうひとつの<視線>にはメタフィジカルな根拠がなければならぬ。
〔…〕

 『蟹』たちの会話を描いても、樹木や鳥や電柱を擬人化しても、子供たちの恐怖感がつくりだす幻想世界を描いても、それらすべてを自然の景観の動きのように視ている<眼>が、あたかも宇宙の彼方から散布されてくる宇宙線のように恒常的に存在することが『心象のスケッチ』の本質的な意味であった。」

「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,pp.11-12.



 「エーテルのように瀰漫するもうひとつの<視線>」とは、登場人物の背後から、つねに情景全体を眺めやっている視線、物語の時間を紡ぎだす“視線B”を指します。このあたりの吉本氏の議論には、やや混乱が見られますけれども、描写される「すべてを自然の景観の動きのように視ている<眼>」は、個々の描写を貫いて遍在する“視線B”のことです。

 宮沢賢治の特異な“方法”である《心象スケッチ》を、「人工的な景観の構築」と考えるのは、吉本氏独特の賢治論であり、ギトンの考えとはもちろん異なりますが、ここは、吉本氏の議論のスジを追いかけることが目的ですので、批判等は控えて先へ進みます。



「わたしたちはとうぜん、宮沢賢治の心象的スケッチがもつ自然の景観への白熱した過剰なのめりこみ方と、それに逆比例するような人間関係の不在と空白とに、メタフィジカルな意味をあたえなければならないところである。
〔…〕心象スケッチのもつ「心理学的な」空白と饒多な自然景観への交歓の意味が問われてしかるべきである。

 過剰な景観の装飾されたスケッチがもっている空白さ、白熱した燃え上がる空白さはかれ自身によって気づかれていた。けれどどうすることもできなかった部分で、それは資質であった。この資質に反立させるような意味でもって、かれの先駆的な自己統制機能ともいうべき大乗仏教の信仰の言葉と理念の諸断片が、かなり生のままで作品に導入された。」

「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,p.12.



 吉本氏は、賢治の《心象スケッチ》を、“方法”として見るのではなく、「それは資質であった」、賢治自身にも「どうすることもできなかった部分」であったとします。

 ギトン流に解すれば、“視線A”は、現象を目睹ないし体験して《心象》世界として構成する・いわば現象学的な眼であるとするならば、“視線B”のほうは、一連の場面をつないで「時間化」し、物語として語る者の眼であると言えます。

 吉本氏は、前者を「燃え上がる空虚」「白熱した‥空白さ」と呼び、もし宮沢賢治の作品がそれだけであったとしたら、「景観の、言葉によるモザイク」を楽しんでいるにすぎないと考えます
(ギトンは、それだけではないと思うのですが‥)





 





 これに対して、“視線B”のほうは、より深く賢治の思想―――吉本氏のとらえ方では、大乗仏教的な―――につながるもので、宮沢賢治の詩と童話を、人間不在・心理不在の「空白」すなわち「燃え上がる空白さ」から、救い出しているのだ―――と、吉本氏は考えるのです。

 このあと(ロ)以下での吉本氏の論旨を先取りして言えば、↑このようになります。

 もっとも、上の引用部分の最後では、賢治は、“空虚な”自然景観のスケッチを補おうとして、ややもすれば、あからさまな仏教理念の言葉を「生のままで」持ち出してくることになる―――という欠点が、さしあたって指摘されています。

 自然景観を中心とする《心象スケッチ》と、仏教的な言葉との衝突、また、《スケッチ》に遍在――吉本氏の表現では「瀰漫」―――する“背後からの視線(B)”と、作者の宗教的理念との関係、‥等々、これらについては、つぎの(ロ)節以降で議論されます。

 そして、宮沢賢治の“ユートピア”思想に対する吉本氏の評価も、そこに関連して述べられることとなるでしょう。







ばいみ〜 ミ



 
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カテゴリ: 宮沢賢治

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