07/25の日記

15:25
ラヴォアジェ(9)

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こんばんは。。




前回、ラヴォアジェは、“大革命”勃発直前の「カイエ」では、リベラルな改革案を書いており、自由主義貴族のひとりとして改革に臨んでいた‥ しかし、革命勃発後は、●ブルジョワ革命の主筋である議会からは距離をおいて、むしろ●都市民衆の影響を受けたパリ市政のほうに関わっていた───

ということを、ちょっと書きましたが、ラヴォアジェと民衆とのかかわりということで言えば、「自伝ノート」の↓つぎの箇所も、少し気になります:



1788年から1789年の冬、人民に食糧を与え、麦の取引を行ない、生活必需品の値段を下げるため、ブロワ自由都市に5万リーヴル、ロモランタン自由都市に6000リーヴルを無利子で貸与した。

 いつも変わらない信念を持ち、もう十年来、窮乏時にはブロワ市に行き、毎週、小麦を相場以下の値段で売った。」






  
農民の食事(17世紀)    





というのは、飢饉時に食糧を無料で頒け与えるということなら、慈善としてごくふつうのことです。

たとえば、日本の江戸時代の名主・村役も、飢饉の際に炊き出しをしたり、粥をふるまったりするのは、ごくふつうのことでした(島崎藤村『夜明け前』には、そうしたことが詳しく書かれています)。




しかし、ラヴォアジェが、(穀物価格が高騰する)飢饉時に、大量の穀物を低価格で市場に出す(売る)というのは、少し意味が違うような気がします。慈善というより、経済政策のにおいがします。




同じことを、都市当局が行なうために資金を提供している(無利子の貸金として)のは、これはもう明らかな経済政策への協力です。





しかし、これは、自由主義派の経済政策ではありません。






自由主義派は、当時も現代も同じですが、国家が経済活動を規制するのは好ましくない、自由な市場経済の運動にまかせて自由放任すれば、自然とすべてはよくなるのだ───と考えます。

そういう考えから、関税は撤廃して、商業・貿易活動を邪魔しないようにする、‥とくに価格統制などは、市場のメカニズム(需要と供給のバランスによって、自然に適正な価格になる)を阻害するので、ぜったいにやってはいけないと考えます。




しかし、●都市民衆●農民のほうからすれば、‥市場の自由にまかされたら、商人は、飢饉の時には食糧を売り惜しみして価格をつり上げるから、食糧の足りない民衆は生きてゆけない。豊作の時には逆に買い叩いて価格を下げるので、農民は“豊作貧乏”になる。。。 だから、「お上」が価格統制を敷いて、適正な価格にしなければならないと思っています。



そして、もし「お上」が価格統制をしないで放置している場合には、民衆自身が暴動を起こして、「お上」にかわって価格統制を「代執行」してよいのだ───という思想が、アンシャン・レジームの時代には、農民・民衆の間で“常識”だったのです☆:



☆(注) これは、現代の人間には理解しにくいかもしれませんが、日本でも、「水戸黄門」のドラマが好かれる理由は、“代執行”の思想に近い部分があります。





「つまり国家や自治体などの当局には、民衆の生存の保障という正義を行う義務があるのであり、いつかはそれが実現する。食糧不足などの不幸がおこるのは、〔…〕正義の実現をはばむ買占め商人などの『陰謀』のためなのだ。

 〔…〕王様は善意をもっているのに、君側の奸の悪人貴族が善政をはばんでいるのだ。しかし、いつかは正義が勝つ、これが『大いなる希望』です。

 そして、その日が来るまで、やむにやまれぬ時があれば、民衆の彼ら自身の手で当局がやるべき『正義』の代執行をする。これが、彼らの暴動や蜂起の心理です。ですから、暴動は秩序をみだすものではなく、むしろ逆に、正義の秩序へ近づけるものと彼らは考えている。〔…〕

 このような民衆の心性をはじめて指摘し、これを理解しなければ民衆の行動は分からないと強調したのは、〔…〕ジョルジュ・ルフェーヴルです。革命期の民衆は腹がへったという経済的理由だけで行動しているのではない。一種の宗教意識に支えられているのだ、という彼の指摘は、今日の歴史学に非常に大きな影響を与えております。」(柴田三千雄『フランス革命』,岩波現代文庫,p.108)



ですから、●農民や●都市民衆の“食糧暴動”は、貴族/ブルジョワの地主や商人の館を襲って、備蓄されている食糧を奪うのですが、彼らは、奪った食糧を山分けしたりはしません。

市場に持って行って、彼らが適正だと考える安い価格で売り、その売得金も、しばしば、地主や商人のところへ持って行って返すのです。民衆にとって、“暴動”はあくまでも「正義の代執行」だからです。






 






そもそも、アンシャン・レジームの時代には、政府の側で民衆暴動の取締まりに当たった当局も、このような“暴動の心性”を理解していました。


「首謀者などへの取締りは厳しく、かなり厳罰に処せられるのですが、暴動に対する政府の基本的態度は温情主義ともいえます。〔…〕厳重に鎮圧しつつも、いそいでパンの公定価格を下げるとかの措置をとります。また、この措置を民衆側も予想して」暴動を起こすのです。




ところが、アンシャン・レジームも末期になり、自由主義官僚が国王政府の重要な地位に就くようになると、彼らは、暴動に対しては、一方的に厳罰主義をとります。自由主義者にとっては、穀物取引を自由にして市場を開放することこそ必要であり、そもそも公定価格などは撤廃しなければならない‥価格規制を求めて暴動を起こすなどもってのほか‥‥というわけです。

テュルゴは、ケネーと並んで重要な重農主義論者のリベラル官僚ですが、

「テュルゴが財務総監についている1775年、パリをふくめて北フランス一帯に暴動が〔…〕おこり、『穀物戦争』とよばれるほどの規模となるのですが、これに対する政府の態度は温情的ではありません。

 テュルゴは、穀物取引の自由化をはじめ経済の自由主義化による構造転換を断行しようとしており、温情主義的な対応をすてて厳重な取締りをやります。」(op.cit.,p.85)






「民衆のほうは伝統的な経済観念をもっております。この観念は『モラル・エコノミー』とよばれるもので、利潤を追求する自由経済よりは人間の基本的な生存権を重視し、当局には経済活動の規制によって生存権を保障する義務があるのだ、という考え方です。


 〔…〕都市の民衆運動は生存を脅かす食糧危機の時に発生するのですが、単に腹がすいたから暴動をおこすという純生理的なもの〔…〕ではありません。当局への期待ないしは抗議という政治的意味合いを内包しているのであり、『政治』の観念がブルジョワと民衆とで違っているだけなのです。」(op.cit.,p.102)













そこで、↑さきほどの「自伝ノート」にあったラヴォアジェの“経済政策”を見ますと、それは、重農主義者、リベラル官僚とは、やや違うことに気づきます。

ラヴォアジェは、“農民・民衆の心性”を理解しているのです。しかし、“価格統制”という伝統的な手段には賛成していません。

地主・ブルジョワ自らが、「モラル・エコノミー」を実現する。‥それが一般化するほどブルジョワが善意でないとすれば、政府・地方当局が“逆ザヤ”によって、食糧価格の高騰を防ぐ。



もちろん、このような政策を一般に行なおうとしたら、莫大な“逆ザヤ”費用がかかります。しかし、不可能ではないでしょう。


たとえば、戦後日本の“食糧管理政策”は、生産者農民から米を高い価格で買い上げて、消費者に安い価格で売っていました。

この政策は、米の“価格統制”をしていたわけではありません。政府の食糧管理を経由しないで、より良質な米を流通させて高く売るのは、自由でしたから。

当時、日本の政府は、“高度経済成長”で増加する税収に支えられていたからこそ、米価の差額をまかなうだけの予算があったとも言えるのですが、

しかし、“逆ザヤ”費用を補うための、ゆるやかな市場統制策を併用していました。“政府配給米”に関する限り、小売価格まで公定されていたこと、生産者は、政府に売る場合には、政府の決めた価格で売らなければならないこと(それで、毎年の“生産者米価”の決定に圧力をかけるために、“農協”の陳情団が霞ヶ関に押しかけたのです)、政府は“配給米”販売店を認可制にして統制したこと、などです。

↑これらは、“自由市場”放任主義には逆らうかもしれませんが、最小限度の修正ですみます。









少年とランタン(1824年)



そこで、ラヴォアジェに戻りますと、

ラヴォアジェは、経済的自由主義、重農主義に追随してはいませんでした。●民衆●農民の思想を、よりよく理解していたのです。

しかし、逆に、“価格統制”のような強権的手段にたよることは、望みませんでした★。より緩やかな、リベラルな方法で「モラル・エコノミー」を実現すること───それが、ラヴォアジェの考えていた経済思想ではないかと思います。



★(注) 民衆の要求を容れて、強権的な価格統制を敷いたのが、ロベスピエール派の独裁でした。ロベスピエール派の恐怖政治は、政敵を排除して独裁を遂行するという政治的意味だけでなく、上層ブルジョワを厳しく取締って、投機的活動を統制する目的も持っていたように思われます。しかし、ロベスピエールの政府も、戦費などの調達のために、国庫収入を増やすことが至上命令でしたから、国有財産を競売で払い下げるなど、じっさいには、ブルジョワの投機活動を助長する政策を行なったのです。





ばいみ〜 ミ


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カテゴリ: ラヴォアジェ

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