06/26の日記

01:17
【ユーラシア】『ドイツ・イデオロギー』ノート(4)

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Ludwig von Hofmann (1861 - 1945)           







 こんばんは。(º.-)☆ノ



 【ユーラシア】『ドイツ・イデオロギー』ノート(3)からのつづきです。


  マルクス/エンゲルスの共著『ドイツ・イデオロギー』は、編集中途の草稿の状態で遺された未完成の著作です。内容的に未完成で、さまざまに矛盾する主張を含んでいますが、それこそがこの作品の魅力でもあります。また、内容だけでなく、形式面でも大きな混沌をはらんだテクストであるため、字句はもちろん篇別構成・断片の順序に至るまで、編集者の介入を必要としており、版本によって相異があります。ここでは、廣松渉・編訳,小林昌人・補訳『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,2002,岩波文庫. をテクストとして使用します。

 上記岩波文庫版からの引用中、青字はマルクスの筆跡、それ以外(白字)はエンゲルスの筆跡。草稿の抹消箇所は下線付きで、追記・挿入は斜体で示します。



「エンゲルスの筆跡エンゲマルクスの筆跡ルスの筆跡」



「人間を動物から区別するのは、生産するみたいな感じでことによってである。」



「人間が自らを動物から区別するのは、道具を用いて生産することによってである。」



 この「ノート」は、著作の内容を要約することも、著者らの思想を伝えることも目的としていません。あくまでも、私個人の思索のための抄録と、必ずしもテクストにとらわれないコメントを残すためのものです。






 【9】「本論二」――支配階級の思想






「支配階級の思想が、どの時代においても、支配的な思想である。すなわち社会の支配的な物質的威力である階級が、同時に、その社会の支配的な精神的威力である。物質的な生産のための手段を手中に収める階級は、そのことによって、同時に、精神的な生産のための手段をも意のままにする。それゆえ、そのことによって同時にまた、精神的な生産のための手段を持たない人々の思想は、概して、この階級に従属させられている。支配的な思想とは、支配的な物質的諸関係の観念的表現、支配的な物質的諸関係が思想として捉えられたものに他ならない。つまり、ある階級を支配階級たらしめるまさにこの諸関係が思想として捉えられたものであるから、その階級の支配の思想なのである。支配階級を構成する諸個人は、
〔…〕同時にまた思想の生産者としても支配し、その時代の思想の生産と分配を統制するということ、それゆえに彼らの思想がその時代の支配的な思想なのだということ、これはおのずと明らかである。

 例えば、王権と貴族とブルジョアジーが支配権をめぐって争い、それゆえ支配権が分立している、そういう時代
〔…〕に、権力分立の学説が支配的な思想として登場し、それが今では『永遠の法則』として言い表されることになる。――――

 われわれが先に従来の歴史における主要な威力の一つとして見出した分業は、今また、支配階級においても、精神的労働と物質的労働との分業として現われ、その結果、この階級の内部で一部分がこの階級の思想家として登場する
〔…〕一方、他の部分は〔…〕実際の場面でのこの階級の能動的な成員であり、自分自身に関する幻想や思想を自分で作るだけの時間が余りないからである。この階級の分化が、階級内部で、両者間の一種の対立・敵対にまで発展することさえありうるが、しかしそれも、階級そのもの自身が危機に瀕するような実践的衝突の局面ではいつでも、〔内部対立は〕おのずと消滅する。そういう局面ではまた、支配的な思想がまるで支配階級の思想ではないかのような、まるでこの階級の威力とは別の威力をもっているかのような仮象〔「普遍性」の仮象〕も消え失せる。〔…〕
『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,岩波文庫,pp.110-113.



 「権力分立」について述べた段は、大きな誤りだろう。絶対主義王権が、貴族とブルジョアのあいだでバランスをとるために作られた制度にすぎないと、『ドイデ』は言う。しかし、だからといって、絶対主義王政がなくなれば必ず不要になる、とは言えない。たしかに、歴史的な生成の原因は、その通りだが、いったんできた制度は、有用性で評価される。絶対主義王権にとって有用な制度が、他の目的に役立たないとは限らない。そもそも、歴史は必然ではない。「権力分立」は、たまたま絶対主義王権にとっても有用だったから、その時代に誕生したのだが、他の時代、たとえば自由主義時代に発明されてもおかしくはない。

 「権力分立」は、およそ権力があって、被統治者がいる世界では、被統治者が権力に侵害されないために必要なシステムだ。社会主義国家は「統治」しないとでも言うのか?!

 制度の生成の論理を定式化することによって、暗黙のうちに制度の評価まで決定してしまうのが、「マルクス主義」の大きな欠陥だ。できがったものの評価は、発生原因の認識とは別になされねばならない。ところが、発生史の論理が、“隠れた”当為を含んでいると、生成史によって自動的に評価まで決まってしまうことになる。生成史の論理から価値判断を排除するか、もしくは顕在化させ、評価は、別に行わなければならない。













「歴史的経過を把握する場合に、
〔…〕支配階級の思想を支配階級から切り離して自立化させ、ある時代にはしかじかの思想が支配したということで済ませて、思想を生産する諸条件や生産者たちに思いを致さないなら、〔…〕例えば、貴族支配の時代には名誉や忠誠などの概念が支配した、ブルジョアジーの支配期には自由や平等などの概念が支配した、などと言えることになる。支配階級自身が、概して、〔…〕自分たちの概念を永遠の真理として示す〔…〕これらの『支配的な概念』は、支配階級が自分の利害を社会全成員の利害として示す必要に迫られれば迫られるほど、ますますより普遍的でより包括的な形式をもつようになる。〔…〕次々とより抽象的な思想が支配していく、つまり支配的な思想がますます普遍性の形式をとっていく〔…〕こういう現象が生じるのは、以前の支配階級に取って代わる新しい階級はみな、自分の目的を遂行するためにすら、自分の利害を社会の全成員の共同的利害として示す必要に迫られる〔…〕自分の思想に普遍性の形式を与え、それを唯一理性的な普遍妥当的な思想として示す必要に迫られるからである。

 (普遍性は次のものに照応する。(一)身分に対する階級。(二)競争、世界交通、等。(三)支配階級の成員が非常に多数であること。(四)共同的利害の幻想。当初はこの幻想は真実だった。(五)イデオローグたちの欺瞞、分業。)

革命を遂行する階級は、最初から、
〔…〕階級としてではなく全社会の代表者として登場し、たった一つの支配階級と対抗する社会の全大衆として現われる。この階級がそうできるのは、当初は、彼らの利害が支配階級以外のすべての諸階級の共同的利害と現実にまだかなり連関していて、従来の諸関係の圧力の下ではまだ特殊な階級の特殊的利害として発展できていなかったからである。この階級が勝利することは、それゆえ、支配権に達しない他の諸階級の多くの個人にとっても有益である――ただし、この勝利が、今度はこれらの諸個人を支配階級へと登っていく立場に立たせることになる。〔…〕フランスのブルジョアジーが貴族の支配を覆した時、そのことによって、多くのプロレタリアが、〔…〕ブルジョアになった。〔…〕新しい階級は、いずれもこうして、従来の支配階級のそれよりもより広い土台の上にのみ自己の支配を打ち立てるが、他方では、〔…〕この新しい支配階級に対して行なわれる闘争の方も、従来の社会状態のより決定的な、より根本的な否定を〔…〕目指すということである。」
『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,岩波文庫,pp.113-117.



 『ドイデ』の段階では、資本主義の《物象化》のしくみを、いまだ十分に体系化して理解してはいないので、「支配階級の思想」の生成についても、かなり単純にとらえている。

 支配階級は、生産と「交通」にかかわる「支配的な物質的諸関係の観念的表現」を、あたかも人類に永劫そなわった普遍的な真理であるかのように取り繕って、政治思想、哲学思想として示す。しかし、その普遍性の装いも、新しい階級が勃興して、支配階級の思想に「革命思想」を対置するようになると、色褪せてしまう。そうなると、支配階級のイデオローグたちは、普遍性の装いをかなぐり捨てて、あからさまに支配階級の支配を正当化するようになる。だいだいそういうことを述べている。

 最後の部分は、著者らの自己言及になってしまっている。“プロレタリアートは階級そのものを廃棄する”と彼らが言っているのは、歴史上のより新たな支配階級ほど、自分たちの主張をより普遍的に見せなければならないという“必然的な”傾向のせいだ、ということになる。






 【10】「本論三1」――「交通分業」論:古代






「さまざまな諸国民相互間の関連は、それぞれの国民が生産諸力・分業・内部的交通をどの程度まで発展させているかに依存する。
〔…〕

 当の国民そのものの内部的編制もまた、総じて、その生産とその内部的・対外的な交通との発展段階に依存する。一国民の生産諸力がどの程度まで発展しているかを最も瞭然と示すのは、分業の発展度である。新しい生産力はどれもみな、周知の生産諸力の単に量的な拡張(例えば土地の開墾)でない限り、分業の新たな形成を結果としてもたらす。

 一国民内部の分業はまず、農業労働からの工業労働と商業労働の分離を、またそれとともに都市と農村との分離、および両者の利害の対立を招来する。分業のさらなる発展は工業労働からの商業労働の分離へと導く。同時に、これら種々の部門内部の分業を通じて、さらに種々の階級 諸関係区分が、一定の労働のために協働する諸個人の間にも発展してくる。これら個々の区分が互いにどんな地位を占めるかは、農業・商業・工業の労働の営まれ方(家父長制、奴隷制、諸身分、諸階級)によって条件づけられている。

 同様な事情が、交通がより発展している場合には、さまざまな諸国民相互間の関連の内にも見られる。

 分業のさまざまな発展段階の数と同じだけ、所有のさまざまな形態がある。すなわち、分業のそのつどの段階が、労働の素材・用具・産物との関連における諸個人相互間の関係をも規定する。」

廣松渉・編訳,小林昌人・補訳『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,2002,岩波文庫,pp.129-130.



 「生産力の発展」を基礎においた「発展段階」史観、つまり“生産力史観”だが、これ自体はやむをえない。《世界資本主義》史観も、生産力の一定の発展段階に達した「中心部」からの能動的な動きが、その段階に達していない「周辺部」を従属させることを前提としている。「発展段階」史観を否定しているわけではないのだ。「発展段階」に、価値の増大を読み込んだり、発展系列なるものを想定したりすることが、批判されるのだ。

 「生産力」の発展度を示すものが「分業」の発展度。新しい「生産力」は、新しい「分業」の形成をもたらす。

 ここでは、「本論一」とは違って、「分業」は、部門間の水平分業を基本と見る。垂直分業(精神的労働と物質的労働など)は、各部門(各生産過程)内部で、従たる関係として生ずる。生産関係(家父長制、奴隷制、階級、usw.)は、従たる「分業」に含まれる。

 「所有」形態は、生産関係に照応するのではなく(!)、「分業」の発展段階に1対1対応している。「分業のそのつどの段階が」生産手段と生産物の所有関係を、したがって階級関係を規定している。

 国民の「内部編制」は、「生産」と「交通」の発展段階で決まる。「分業」と「交通」の関係は、あいまいなままだ。






 






所有の第一の形態は部族所有である。これは生産の未発達な段階、つまり人々が狩猟、漁撈、牧畜あるいはせいぜい農耕で暮らしているような段階に照応する。この農耕の場合には、広大な未耕地が前提となる。分業はこの段階ではまだごく僅かしか発展しておらず、家族内部の自然発生的分業がいくらか拡張された程度に限られている。社会の編制は家族の拡張といった程度に限られている――家父長的な部族長、その下に部族員、最後に奴隷。家族内の潜在的奴隷制が、人口と欲求の増大に伴って、また対外的交通――戦争であれ交易であれ――の拡張に伴って、初めて、徐々に発展する。

 第二の形態は、古代的な共同体所有および国家所有である。これは主としていくつかの部族の一つの都市への協約または征服による統合から生じ、奴隷制がここでも存続している。共同体所有と並んでいち早く動産の、後には不動産の、私的所有も発展するが、しかしそれは変則的な、共同体所有に対しては従属的な形態としてである。公民は、彼らの下で労働する奴隷たちに対する威力を、ただ彼らの共同体
〔国家または都市国家〕においてのみもつのであって、この理由からしても、公民は共同体所有という形態に縛られている。それは、奴隷との対抗上、この連合(アソツィアツィオーン)の自然発生的な在り方にとどまらざるをえない能動的公民の、共同体的な私的所有である。それゆえ、これ〔共同体〕を土台とする社会の編制全体は、またそれとともに当の民族の威力は、とりわけ不動産の私的所有が発展していくのに反比例して衰微していく。

 分業はすでにかなり発展したものになっている。われわれはすでに都市と農村の対立を見たが、やがては、都市的利害と農村的利害をそれぞれ代表する諸国家間の対立を、そして都市そのものの内部には工業と海上貿易の対立を、見出す。市民と奴隷の間の階級関係が完全にできあがっている。ローマの平民のうちに、われわれは初めて小土地所有者を、やがてはプロレタリアートの端初を見出す。
〔…〕

 私的所有の発展とともに、ここで初めて、近代の私的所有に再び見出すことになるのと同じ諸関係が現われる。――一方では私的所有の集中。これはローマではかなり早くから始まり(証拠はリキニウス農地法
〔前367年。耕地所有の上限を 500ユゲラと定めた〕)、内乱期以後、とりわけ帝政下でかなり急速に進行した。他方ではこれと連関して、平民的小農民のプロレタリアートへの転化。このプロレタリアートは、しかし、有産市民と奴隷との間の中途半端な地位にあり、自立的な発展を遂げるには至らなかった。」
『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,岩波文庫,pp.130-133.



 「ローマの平民のうちに、」の前までがギリシャ、そこ以下はローマについて述べているようだ。






 【11】「本論三1」――「交通分業」論:中世






「第三の形態は、封建的ないし身分的所有である。古代が都市
〔…〕から出発したとすれば、中世は農村から出発した。まばらに現住し広大な地表に分散していた人口――〔…〕この地域は、ローマの征服、そして最初は征服と結び付いていた農業の普及によって、準備されたものである。衰亡していくローマ帝国の最後の数世紀、および蛮族自身による征服は、大量の生産諸力を破壊した。農耕は沈滞し、工業は販路不足で衰退し、商業は廃(すた)れ、あるいは暴力的に断ち切られていた。農村も都市も人口が減少してしまっていた。当時現前したこのような諸関係、またこれに条件づけられた征服組織の在り方が、ゲルマン的兵制の影響の下に、封建的所有を発展させたのである。

 封建的所有も、共同体に基づいている点では部族所有や共同体所有と変わらない。しかし、この共同体
は、それに直接的生産者階級として対立するのが農奴的小農民である点で、奴隷が対立した古代共同体とは異なる。封建制度の完成と同時に、さらに諸都市との対立が加わる。土地占有のヒエラルヒー的編制〔…すなわち、レーエン制〕、ならびにこれと連関する武装家臣団が農奴を支配する威力を貴族に与えた。この封建的編制は、支配されている生産する階級に対抗する連合であるという点では、古代の共同体所有にひけをとらない。ただ連合の形態が、そして直接的生産者に対する関係が異なる――古代とは異なる生産諸条件が現前したのだから――にすぎない。」
『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,pp.133-134.

★「封建的…共同体」:ここで「共同体」と呼んでいるのは、農奴や農民の農耕共同体ではなく、支配者(騎士階級)の授封(レーエン)制のこと。ギリシャの都市国家や、ローマ国家に照応する・支配者の共同体。






  
Elie Delaunay: moissonneurs(刈入れをする人びと)






「土地占有のこの封建的な編成に都市において対応したのが同職組合的所有、つまり手工業の封建的組織である。所有は、ここでは主として個々人一人一人の労働にある。連合した略奪貴族たちとの対抗上迫られた連合の必要性、工業家が同時に商人でもあった時代の共同市場設備の必要、栄える都市に流入してくる逃散農奴が増えて激化する競争、国土全体の封建的編制、これらがツンフトをもたらした。個々の手工業家が次第に小資本を蓄えていったこと、そして人口が増加しても彼ら手工業化は数が固定されていることが、職人−徒弟の関係を発達させ、これが諸都市の内部に農村のそれと類似したヒエラルヒーを成立させた。

 こうして、封建時代を貫いて、一方では土地所有、――これに縛り付けられた農奴労働を伴う――が、他方では自分の労働――職人の労働を支配する小資本を伴う――が、主要な所有であった。どちらもその編制は、局限された生産諸関係――僅かで粗末な耕作と手仕事的な工業――によって条件づけられていた。

 封建体制が全盛の間は、分業はほとんど生じなかった。どの国土にも内部に都市と農村の対立はあったし、身分制秩序が
〔…〕鋭く刻まれてはいたものの、しかし、農村における王侯・貴族・僧侶・農民の区別、都市における親方・職人・徒弟、そしてまたやがては日雇い下層民の区別の他には、これといった分割は生じなかった。農業では細分化された耕作のために分業は困難にされていたし、農民たち自身の営む家内工業はこの細分化された耕作と並存する形で起こったものである。工業では労働は、個々の手工業そのものの内部ではまったく、手工業相互の間でもごく僅かしか、分割されていなかった。工業と商業の分割は、旧くからの都市にすでに見られたものの、新興都市では、後に諸都市が相互に関連し合うようになってから、ようやく発展した。

 かなり広大な諸国土を封建王国へと統轄すること、これが土地貴族にとっても、都市にとっても必要事であった。それゆえ、支配階級たる貴族の組織は、どこでも一人の君主を頭に戴いていた。」

『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』,pp.134-136.












【ユーラシア】『ドイツ・イデオロギー』ノート(5) ―――につづく。   










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カテゴリ: ユーラシア

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