07/30の日記

20:47
【必読書150】デカルト『方法序説』(2)―――“考える私”とは何者か?

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グェルチーノ「放蕩息子の帰還」(1619)  








 こんばんは。(º.-)☆ノ



 【必読書150】デカルト『方法序説』(1) からのつづきです。






 【5】私が疑っている、ということは疑いえない(第4部・前半)



 1628年9月、デカルトはオランダ最北部のフラネケルで、思索に専念するための隠遁生活に入った。1年後にはアムステルダムに移って『世界論』の執筆をはじめるが、1933年に完成した・この天文学,光学,化学から人体生理学,霊魂論に及ぶ著作は、デカルトの生前には出版されなかった。折からガリレイ裁判の判決が伝えられ、コペルニクス説が宗教審問によって正式に断罪されたことを知ったデカルトは、コペルニクス以上に徹底してアリストテレス宇宙観を批判したこの書の出版を、断念したのだ。

 『世界論』の梗概は、『方法序説』の「第5部」で紹介されている、ただし《地動説》を除いて。

 フラネケルで最初の9か月間、デカルトは、「ほかのことは何もしないで」思索にだけ専念した。この思索は、『世界論』で展開された壮大な自然学体系の基礎となる・究極の哲学原理の発見をめざすものだった。つまり、“新しい壮大な都市”を建設するための線引きに先立って、古い都市の残骸を最後の一片まで除去し掃き清める作業にほかならなかった。



「当時わたしは、ただ真理の探究にのみ携わりたいと望んでいたので、
〔…〕ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり、その後で、わたしの信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうかを見きわめねばならない、と考えた。

 こうして、感覚は時にわたしたちを欺くから、感覚が想像させるとおりのものは何も存在しないと想定しようとした。

 次に、幾何学の最も単純なことがらについてさえ、推論をまちがえて誤謬推理(誤った推論)をおかす人がいるのだから、わたしもまた他のだれとも同じく誤りうると判断して、以前には論証とみなしていた推理をすべて偽として捨て去った。

 最後に、わたしたちが目覚めているときに持つ思考がすべてそのまま眠っているときにも現われうる、しかもその場合であるものは一つもないことを考えて、わたしは、それまで自分の精神のなかに入っていたすべては、夢の幻想と同じように真でないと仮定しよう、と決めた。」

デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,pp.45-46.



 「感覚が想像させるとおりのもの」――つまり、見るもの、聞くものすべて、私たちが感覚によって体験している・この世界すべてが、存在しないか、または、まったく思いちがって想像されている虚像なのだと考えることにした。幾何、数学、論理学の諸定理も、すべて「として捨て去った」。そして、「目覚めているときに持つ思考」はすべて、「眠っているとき」に現れる「夢の幻想」と区別のないもので、そこに「であるものは一つもない」と仮定した。つまり、宇宙の存在も、そこで働くようないかなる法則も、身の回りで起きている諸現象、諸事物の世界さえも、なにもかも“疑わしい”→よって“である資格なし”→すべては“”である、として捨て去ってゆくのです。

 このようにして、すべてを“疑い”つくしたすえに、何か残るものがあるのかどうか? それでもどうしても疑いえないものが、何かあるのかどうかを、見きわめようとしたわけです。

 そのあとに来るのが、↓つぎの有名な「われ思う、ゆえに、われあり」という第一原理の“発見”なのですが、しかし、私たちは、この“疑いえない最後の究極の原理”に対しても、“疑い”の眼を向けたいと思います。なぜなら、“すべてを疑え”と、デカルト自身が言うのだから。。。



「しかしそのすぐ後で、次のことに気がついた。すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして『わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟
(オモ)ウ、故ニワレ在リ〕』というこの真理は、〔…〕堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。

 それから、わたしとは何かを注意ぶかく検討し、次のことを認めた。どんな身体も無く、どんな世界も、自分のいるどんな場所も無いとは仮想できるが、だからといって、自分は存在しないとは仮想できない。

 反対に、自分が他のものの真理性を疑おうと考えること自体から、きわめて明証的にきわめて確実に、わたしが存在することが帰結する。逆に、ただわたしが考えることをやめるだけで、仮にかつて想像したすべての他のものがであったとしても、わたしが存在したと信じるいかなる理由も無くなる。」

デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,pp.46-47.



 「自分は存在しないとは仮想できない。」―――ほんとうに、そうでしょうか? 「どんな世界も……無いとは仮想できる」ということは、自分以外の人、友人たち、家族たち、自分の愛する人びとは「存在しない」と仮想できるのに、「自分」だけは「存在しない」と仮想することができない、とデカルトは言う。ほんとうに、そうでしょうか?

 主観の問題だとか、文化の問題だとか言ってしまえばそれまでですが、おそらくこの文章を読んでいる皆さん(日本語を使う人びと)の大部分は、デカルトの思考を、ちょっと異質なものに感じるのではないでしょうか?

 デカルトの想定とは逆に、自分の友人も家族も、見知らぬ他人たちも、みながみな今のまま存在していて、「自分」だけが存在しない世界というのは、むしろ仮想できる世界ではないでしょうか? たとえば、あなたがある日、不慮の事故で亡くなったと仮定すれば、そういう世界になります。それが仮想できないとしたら、この世界に対するあまりにも傲慢な侮辱ではないか?‥‥私には、そう思えるのです。

 「わたしは考える」「考えているこのわたし」とは、“わたしは疑う”“疑っているこのわたし”にほかなりません。「わたし」の思考が、何もかもを“疑い”、“”ではないとして捨て去ってゆくことによって、「わたし」はここまで来たのだからです。「わたし」の思考が、何もかもを、見えるがまま、他人に教えられるがままに“信じる”“信憑する”思考であったとしたら、このような地点に来ることはなかったはずです。

 

 わたしは疑っている、ゆえにわたしは存在している。













 しかし、“疑っている”のは、ほんとうに「わたし」でしょうか? 「どんな身体も無く、どんな世界も、自分のいるどんな場所も無い」空間で、ただ“疑い”だけが虚空に鳴り響いている。それは「わたし」だと、なぜ言えるのか?

 デカルトは、この本をフランス語で書いています。〔 〕の中のカタカナは、原文ではラテン語ですが、ラテン語でも同じことです。すべての動詞には人称形があって、人称のない動作というものは観念できません。「わたしは考える」「あなたは考える」「彼らは考える」ということは言えても、何者でもないものが、ただ「考える」―――ということはありえません。

 もしデカルトが、フランス語ではなく、日本語や中国語で考えていたとしたら‥‥、いや、ドイツ語だったとしても、もう少し違うことを考えられたと思うのです。(ドイツ語圏の哲学者ニーチェは、「デカルトの『われ思う、ゆえにわれあり』を批判し、それがインド=ヨーロッパ語の文法に由来するものである」とし、「主語のない言語、たとえばウラル=アルタイ語の世界では、違った思考が可能であろうという」柄谷行人『言葉と悲劇』,ちくま学芸文庫,p.312)

 フロイトの深層心理学の用語に「エス(Es)」があります。「エス」は、もともと3人称単数の人称代名詞で、英語の「it」にあたりますが、ここでは「非人称」で使われる場合が問題になります。ドイツ語の非人称の「エス」は、英語の「it」よりずっと広い意味で使われます。



「Esは英語のitにあたる。外国語の非人称代名詞は、しばしば自然を支配する非人格な力を表すものであるが(たとえば it rains)、これと同じような意味で、人間の心理も、意識的に統制することのできない未知の力によって規定されていることを表すために、エスという用語が使われる。その意味では、生得的な衝動のようなものである。
〔…〕

 心の装置は、エス、自我、超自我という三つの系、すなわち審級からなるものと考えられる。
〔…〕エスは、おおむね無意識に対応するものとみなすことができる。」
日本大百科全書(ニッポニカ)「エス」



 「エス」は、たとえば人間の感覚・生理現象を表すのに使われます:



 Es hungert mich.   [それが]私を腹空かせる。(私は腹が空いた)



 Es träumte mir heute nacht.  [それが]昨晩わたしに夢出た。(昨晩私は夢を見た)



 運命・偶然などによる現象を表現する場合もあります:



 Es gibt immer Ausnahmen.  [それは]つねに例外を与える。(つねに例外はあるものだ)



 Es tut mir Leid, aber ich habe keine Zeit.  [それが]わたしに痛みをなす(申し訳ありません)、時間がないんです。



 いやいや‥‥、「考える」だったら、ドイツ語にはもっとすごい表現があります:



 Es dünkt mich, man hat uns vergessen.  [それが]私を考える、人は我々を忘れたと。(ぼくらは忘れられてしまったような気がするよ)



 「考える」という・ふつうの動詞は「デンケン(denken)」で、「わたし」「あなた」など、考える主体を主語にして、「Ich denke,...」(……と私は思う)というように使われます。ところが、「デュンケン(dünken)」は、非人称の「エス」を主語にして、‥‥「私が考える」のではなく、なにか目に見えないフンイキのようなものが、私のことを考えている―――という表現になります。

 このドイツ語のようなのは、一種東洋的な表現なんでしょう。しかし、西洋の言語(正確にいえば、西アジア、インドから、中央アジアの一部までふくむでしょう)では、ふつうは常に主語が意識されます。つまり、どんな動作にも、かならず行為者があります。行為にはつねに行為主体、責任主体があるのであって、主体のない行為というのは、ありえないわけです。

 こうして“行為主体を、つねにハッキリさせる”“誰がしたのかを、あいまいにしない”彼らの考え方は、たしかに、現実の社会では有効なものでしょう。

 しかし、デカルトの「われ思う……」のような、沈思瞑想の果てに達した境地においても、そうなのかどうかは、一考の余地があります。現実の社会も、世界も、宇宙すべても、「」として消し去ったあとで鳴り響いている、どこまでも「疑いつづける」「疑い」。そこに「行為者」を想定することは、はたして適切なのか? デカルトは、もしかしたら、異なるレベルを混同しているのではないか?

 しかも、デカルトのこの極北の世界には、


「どんな身体も無く、どんな世界も、自分のいるどんな場所も無い」



 というのです。自分の「身体」も他人の「身体」もなく、自分や他人が位置すべき「場所」さえも無いような茫漠とした虚空。いわば、その空間全体が、根底的で止まるところのない「疑い」をはらんでいる。そこに、「わたし」「あなた」のような「行為者」を認めることが、はたしてできるのだろうか?






 






 デカルトは、



「自分が他のものの真理性を疑おうと考えること自体から、きわめて明証的にきわめて確実に、わたしが存在することが帰結する。逆に、ただわたしが考えることをやめるだけで、仮にかつて想像したすべての他のものがであったとしても、わたしが存在したと信じるいかなる理由も無くなる。」



 と言います。しかし、「他のものの真理性を疑」うことは、そこで思考を止めなければ、そうやって「疑う」自分自身の真理性に―――すなわち「疑うもの」の存在に―――「疑い」を向けることに、行き着かざるをえないはずです。デカルトのように、その一歩手前で思考を止める理由は、何もない。

 もし、「わたしが考えることをやめる」、すなわち「疑う」ことをやめるならば、とたんに、「かつて想像したすべての他のものが」復活し、「わたし」は「存在する」ことをやめ、「わたしが存在したと信じるいかなる」痕跡も消えてしまうと、デカルトは言います。

 極限的“思考実験”を経たデカルトにとって、それ以前の‥“世界と自己への旅”以前の・素朴な世界信憑にとどまることは、「わたし」という「存在」を見失うことであったのでしょう。

 しかし、その極限においてデカルトが見出したものが、「わたし」の「存在」、「存在」する「わたし」であったのかどうかは、なお一考の余地があると思われるのです。

 そう考えてみると、極限の“風景”から看取されうるテーゼは、デカルトの言うような:「われ思う、ゆえにわれあり」――だけではないようにも思われてきます。それを、わたくし流に定式化すれば:



「なにかが疑っている。ゆえに、なにかは存在する。」



 あるいは、



「なにかが疑いつつ存在する。」



 ということになるでしょう。

 つまり、「存在する」ということが、もしあるとすれば、それは、この「疑っている」「どこまでも疑いつづける」ということ以外にはありえないように思われるのです。



「なにかは存在する。」



 という認識――いったい誰が認識する?――は、「「わたし」は存在する」以上に重要なことだと、私には思われるのです。というのは、それが究極の出発点となって、ちょうどビッグ・バンによって宇宙が生成したように、この世界のすべてが、―――しかも、新たな“真理”の装いのもとに―――私たちのまえに生成してくると思われるからです。



「神のみが
〔ギトン注―――無限の〕実体であるということは、〔…〕この世界=自然の原因なり背後なりを考えることができないということだ。この世界の外に考えられるものは、超越的な神であろうと、彼岸であろうと、世界の意味や目的であろうと、表象(想像物)でしかない。それらは、この自然=世界に原因をもち、そこから派生したものである。〔…〕

 われわれは、この世界=自然そのものの原因を問うことはできない。
〔…〕そのような問いそのものがこの世界に原因をもつのであるから。われわれがもし(デカルトのように)疑うとしたら、そのこともこの世界に原因がある。」
柄谷行人『探究U』,1994,講談社学術文庫,pp.169-170.



 デカルト「疑い」の試行に対して、デカルトの思想をより徹底したといわれるスピノザの見地から批判すると、↑このようになるでしょう。

 デカルトが、「わたし」を“行為者”として想定し、どこまでも「わたし」の行為と見なした「疑うこと」「疑いつつ存在する」こと:それは、スピノザの見地からすれば、けっして「わたし」の自由意志による行為ではなく、「この世界に原因がある」必然的結果なのです。「わたし」は自らの意志で「考え」ているのではなく、「わたし」の「考え」は、この「世界」の因果連鎖のなかにある。すなわち、この世界が「わたし」をして考えている(デュンケン)ことにほかならない。



「これらのことからわたしは、次のことを知った。わたしは一つの実体であり、その本質ないし本性は考えるということにだけあって、存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものにも依存しない、と。したがって、このわたし、すなわち、わたしをいま、存在するものにしているは、身体〔物体〕からまったく区別され、しかも身体〔物体〕より認識しやすく、たとえ身体〔物体〕が無かったとしても、完全にいまあるままのものであることに変わりはない、と。」

デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,p.47.



 ここでデカルトは、“人間の精神(霊魂)物質ではない”という周知のテーゼ―――そこから“物心二元論”が基礎づけられる―――を帰結しているのですが、上記の「われ思う、ゆえに、われあり」を認めれば、当然の帰結であるようにも見えます。しかし、デカルトが究極に見出した「疑う者」は、それは実体だと無条件に断定できるほど確実なものではなかったはずです。むしろ、いったい「なにもの」なのか決定しがたいほど・あいまいで、つかみどころのないものであったはずです。このことは、すでに見たとおりです。

 デカルトは、その・つかみどころのない「なにものか」を、実体であるとし、「わたし」であるとしたうえで、その



「本質ないし本性は考えるということにだけあって、存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものにも依存しない」



 のだと言います。しかし、このような実体」「わたし」のイメージには、むしろ茫漠とした「なにものか」のあいまいさ(ambiguity)が尾を曳いているのではないでしょうか?

 “思考実験”の極北でデカルトが見出した「わたし」とは、このようなものでした。はたしてそれは、ある人間の「精神」ないし「」というようなものでありえたのでしょうか? 私は、この点に大きな疑問を感じざるをえません。













 ところで、人間の「精神」(ないし「」)は、「身体〔物体〕からまったく区別され」た「一つの実体であ」って、「その本質……は考えるということにだけあって、存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものにも依存しない、……したがって、、……たとえ身体〔物体〕が無かったとしても、完全にいまあるままのものである」というデカルトの人間観――つづめて言えば、“「精神」は「身体」に依存しない”―――は、はたして、「われ思う、ゆえに、われあり」から論理必然的に導かれているのでしょうか? デカルトの文章を読むと、そのようにも見えます。

 しかし、この人間観ないし「精神」観は、“思考実験”を行なう以前にデカルトが自分に課していた暫定的「道徳」――「3つの格率」前回【4】参照)―――に似ていないでしょうか?

 「3つの格率」とは、



 「第1の格率」:「わたしの国の法律と慣習に従」い、「最も良識ある人びと」の「最も穏健な意見」にしたがって「自分を導いていく」こと。

 「第2の格率」:「どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、……一貫して従うこと」。

 「第3の格率」:「自分に打ち克」って「自分の欲望を変える」ように努めること。



 すなわち、これらはいずれも、「わたし」が自分の意志(精神)によって、自分の行動と「欲望」を制御して行くことが前提となります。とくに、「第2・第3の格率」を実行するには、「精神」が意志決定した方向へ―――それがどんな方向であれ、「身体」の掣肘を受けることなく―――自由に「身体」を向けかえることができなければなりません。

 これは、“「精神」は「身体」に依存しない”という人間観を前提とするものです。

 そうだとすると、デカルトは、“古い都市の残りかすは、最後の一片までも完全に除去した”などと言いながら、じつはこっそりと、古い建物の廃材を運び込んで、新しい建物の基礎として使っている―――そう言わなければなりません。たしかに、これはちょっと意地悪い・うがった見方かもしれません。しかし、私には、どうしてもそういう感じが残るのです。






 【6】神の存在を証明する。(第4部・後半)






「その後わたしは、一般的に一つの命題がで確実であるためには何が必要か考えてみた。
〔…〕そして、『わたしは考える、ゆえにわたしは存在する』というこの命題において、わたしが真理を語っていると保証するものは、考えるためには存在しなければならないことを、わたしがきわめて明晰にわかっているという以外にまったく何もないことを認めたので、次のように判断した。

 わたしたちがきわめて明晰かつ判明に捉えることはすべてである、これを一般的な規則としてよい、ただし、わたしたちが判明に・捉えるものが何かを見きわめるのには、いくらかの困難がある、と。」

デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,pp.47-48.



 訳者註によると(p.117 (8))、最後の「わたしたちが判明に・捉えるものが何かを見きわめるのには、いくらかの困難がある」とは、たとえ「明晰」であっても、それを「判明」に捉えようとすると困難の生ずる場合がある、という意味です。

 たとえば、身体の痛みの感覚―――「痛い」という知覚は、これ以上はないほど「明晰」に、つまりハッキリと捉えられます。しかし、どこが痛いのか、胃のあたりか、腸のあたりか、それとも背中の筋肉痛なのか、といったことがはっきりしない場合もあります。つまり、「痛み」があることは「明晰」だが、それが「何」なのかは「判明」に見わけられない場合です。

 これは、さきほど問題にした私の疑問:「疑って」いるのは誰なのか? ほんとうに「わたし」なのか? 「わたし」だとしたら、その「わたし」とは何者か? ‥‥という“見わけ”の困難に対応するでしょう。

 ところで、前回から繰り返し何度もこだわっているのですが、ここでも、デカルトの言う論理規則「わたしたちが、明晰かつ判明に捉えることは、すべてである」には、まやかしがあるように思われます。

 前回【1】で見た「第2部」では、この「論理規則」は、↓つぎのようになっていました。



「第1は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなこともとして受け入れないことだった。言い換えれば、注意ぶかく速断と偏見を避けること、そして疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は、何もわたしの判断のなかに含めないこと。」

デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,p.28.



 これをつづめて言えば、



 あることがらが、明晰かつ判明に精神に現れるのでなければ、それはではない。



 対偶をとれば:



 あることがらがであるためには、それは、明晰かつ判明に精神に現れなければならない。



 あるいは、



 あることがらがであるならば、それは必ず、明晰かつ判明に精神に現れる。



 と定式化することができます。すなわち、「明晰かつ判明に精神に現れる」ことは それがであるための必要条件です。






 







 ところが、この「第4部」では、



「わたしたちが、明晰かつ判明に捉えることは、すべてである」



 ということになってしまっていて、「明晰かつ判明に捉え」られることは それがであるための十分条件だとされているのです。

 必要条件が、十分条件(ないし必要十分条件)にすり替わっている!!!

 

 もっとも、その次の段落以下を読むと、デカルトは、それがなぜ十分条件でありうるのかを論証しているように見えます。「精神」としての「わたし」の存在という第一原理から、「神の存在」というテーゼを導き出し、そこから、↑上の“明証性の定理(必要十分条件)”を証明しているかのようなのです。おそらく、デカルトとしては、十分に論証したつもりなのでしょう。それを、次に見ておきたいと思います。



「続いてわたしは、わたしが疑っていること、したがってわたしの存在はまったく完全ではないこと
〔…〕に反省を加え、自分よりも完全である何かを考えることをわたしはいったいどこから学んだのかを探求しようと思った。そしてそれは、現実にわたしより完全なある本性から学んだにちがいない、と明証的に知った。〔…〕わたしの存在よりも完全な存在の観念については、〔…〕その観念が、わたしよりも真に完全なある本性によってわたしのなかに置かれた、」と考えるほかなかった。「その本性はしかも、わたしが考えうるあらゆる完全性をそれ自体のうちに具えている、つまり一言でいえば神である本性だ。

 これに加えて、わたしは次のように考えた。わたしは、自分の持たないいくつかの完全性を認識しているのだから、わたしは、現存する唯一の存在者ではなくて
〔…〕、他のいっそう完全な存在者が必ずなければならず、わたしはそれに依存し、わたしが持つすべてのものはそこから得たはずだ、と。」
デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,pp.48-49.



 「われ思う、ゆえにわれあり」というだけでは、基礎づけられているのは「わたし」の存在だけです。そこから、この「世界」や、他の人々の存在が導かれるのは、どのようにしてなのか?

 デカルトはまず、「わたし」の存在から、「神」の存在を帰結します。「わたし」は「疑っている」のだから、「わたし」の存在は完全ではない。―――これは、さきほど私がデカルトに向けた疑問:すべてを疑う「わたし」は、自分自身の存在をも「疑」わないではいられないはず‥‥に対応します。デカルトも、私が抱いたような疑問を、抱いてはいるのです。

 ところが、「わたし」の存在は完全ではないにもかかわらず、「わたし」は完全な認識をもつことがありうる(ありえないとしたら、そもそも真理の認識は不可能です)。不完全な者が、なぜ、自分よりも完全なものの観念を持ちうるのか? ……「わたし」以外に、「わたし」よりも完全な何者かが存在して、その何者かが、「わたし」の中に完全な観念を「置いた」―――そう考えるほかないではないか。その“何者か”が、「神」である。



「わたしが先に規則として定めたこと、すなわち、われわれがきわめて明晰かつ判明に理解することはすべてであるということ自体、次の理由によってはじめて確実となる
〔…〕。神があり、存在すること、神が完全な存在者であること、われわれのうちにあるすべては神に由来すること。その結果として、われわれの観念や概念は、明晰かつ判明であるすべてにおいて、実在であり、神に由来するものであり、その点において、でしかありえないことになる。〔…〕われわれのうちにあって、実在でありであるすべてのものが完全で無限な存在者に由来することを、もし知らなかったら、われわれの観念がどんなに明晰で判明であっても、それらの観念にであるという完全性が具わっていることを保証するいかなる理由も、われわれにはなくなってしまう。

 
〔…〕理性の明証性による以外、けっしてものごとを信じてはならないのである。〔…〕たとえば、われわれは実に明晰に太陽を見るけれど、だからといって太陽が見ているとおりの大きさであると判断してはならない。またわれわれは、判明にライオンの頭をヤギの胴体に接ぎ合わせたものを想像できるが、だからといってこの世にキマイラという怪物がいると結論してはならない。というのも、理性は、われわれがこのように見たり想像したりするものがであるとは、けっして教えていないからである。

 しかし理性は、われわれのすべての観念または概念は、何か真理の基礎を持っているはずだと教える。まったく完全でまったく真である神が、真理の基礎なしにそれらをわれわれのうちに配備したということはありえないからである。」

デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,pp.54-56.



 最後の部分でデカルトは、「明晰かつ判明に捉えられる」とは、感覚や想像力によってではなく、理性によって捉えられる「観念または概念」の場合でなければならない、としています。「理性によって」という“しぼり”をかけたことによって、“真理であること”の必要十分条件として、いままでよりは本当らしくなってきました。







Hippolyte Moulin






 しかし、それにしても、以上の“論証”には疑問があります。細かいことはおいても、全体として論理が堂々巡りになっているように思われます。



 → 「わたし」の理性は、完全な存在である神が与えたものである。 → ゆえに、「わたし」は完全な理解力(理性)を持っている。 → したがって、「わたし」の理性明晰かつ判明に理解したものは、すべてである → ところが、「わたし」自身は不完全な存在である。不完全な存在である「わたし」が完全な観念を持つことができるのは、完全な存在である神が存在して、それを「わたし」に与えたからである。 → 「わたし」の理性は、完全な存在である神が与えたものである。 → ゆえに、……



 という堂々巡りになってしまって、結局、「明晰かつ判明に理解したものは」との必要十分条件の定理も、“神の存在証明”も、神の完全性も、理性の完全性も、どれもこれも何ひとつ論証されていないことになります。

 もっとも、この“論証”過程の途中にはさまれた↓次の部分は、幾何学という分野に限ってですが、まっとうな論証となっているように思われます。



「わたしは幾何学者たちのもっとも単純な証明のいくつかに目を通してみた。そして、すべての人がこれらの証明に帰するあの大きな確実性は、わたしが先に述べた規則に従って明証的にとらえられるということにだけ基づいているのに気がつき、また、それらの証明のなかには、その対象の存在をわたしに保証するものは何もないことに気がついた。」

デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,p.51.



 たとえば、「三角形の内角の和は 180°である」という定理は、じっさいに三角形を書いて角度を測ってみるという“実験”によって証明するのではなく、―――実測すれば、けっして正確に 180°になることはない。―――、推論が「明晰かつ判明に理解される」か否か、ということだけによって、「」かどうかが判断されているのです。この場合、たしかに、「明晰かつ判明に理解される」ことは、「」であることの必要十分条件です。

 しかし、これはあくまでも“推論”の正しさを保証する条件にすぎません。結論の正しさは、前提の正しさ、‥究極的には「公理」の正しさ――「公理」を受け入れるかどうか――に依存しています。そして、デカルト「われ思う、ゆえにわれあり」は、それだけでは「公理」としてあまりにも不十分でしょう。(たとえば、スピノザ『エチカ』は、「第1部 神について」だけで、8項目の定義と7項目の公理を立てています。)



 さて、このへんで、これまで折りにふれて述べてきた私の考えを、デカルトの主張とは別に、まとめておくのもよいでしょう。これらの私的な疑義に、節を越えてまでこだわるつもりはないので。そこでまず、“手引き”として選んだ柄谷行人氏の論考から断片を引用して、手がかりにしたいと思います。



「スピノザはこう考えたといっていい。われわれがあるものを表象
〔想像、臆断―――ギトン注〕ではないかと疑い、その『諸原因』を解明しようとする意志は、それ自体この自然史によって促されており、そこに原因をもつのだ、と。コギトは、自然を超越するどころかこの自然史の諸原因の結果である。」
柄谷行人『探究U』,1994,講談社学術文庫,p.187.



 「『諸原因』を解明しようとする意志」とは、デカルトの場合でいうと、「方法」によって真偽を吟味し「疑う」こと――に対応します。「自然史」は、この「世界」ということです。ただ、そこに、デカルトの場合とは異なって、この「世界」は一回限りの歴史的世界であることが含意されています。「コギト」は、「われ思う」のこと(ラテン語)。

 これまで何度もこだわってきたデカルト



「わたしたちが、明晰かつ判明に捉えることは、すべてである」



 というテーゼは、「疑い」つづけるという探究の姿勢に根拠があります。「書物の学問」も、国により身分によって異なる信念・慣習も、自然世界も、自分自身さえも、すべてを「疑う」からこそ、「明証性」を求め、「明晰かつ判明に理解しうるかどうか」を吟味するのでしょう。「疑い」は、「真理」を求めるからこそ「疑う」のですが、逆に、「疑う」からこそ「真理」が存在する、「真理」とは、「疑う」ことによって生み出される何ものかである、とも言えるのではないでしょうか。

 そして、そのような「疑い」は、この「世界」―――「自然史」的過程―――そのものに内属しています。デカルトが「真理」を求めて「疑」ったことも、「世界」そのものが持つ「疑う」活動の、ひとつの現れであった、と見ることができます。

 すべてを疑いつくす“思考実験”の果てに、デカルトが見たものは、何もかもわれ消し去られたあとの虚空に鳴り響く、この「世界」そのものの「疑い」の声だった、と考えることもできるでしょう。

 この「世界」の果てしない「疑い」は、「世界」自身に向けられています。デカルトの“思考実験”を、デカルトを越えて先まで推し進めれば、「疑い」は、「わたし」自身にまで及ばないではいないことと、それは対応します。しかし、「世界」の「世界」自身に対する「疑い」とは、《自己言及》であり、《自己矛盾》に、‥すなわちパラドックスに逢着します。



 クレタ人はみな嘘つきだと、あるクレタ人が言った。その言は、真か偽か?



 という「クレタ島のパラドックス」と同じです。



 わたしが疑っているということは、はたして真なのだろうか? わたしは、少なくとも「わたしが疑っていること」を疑っている。したがって、わたしが疑っていること、は真である。しかし、「わたしが疑っていること」は、疑っているわたし自身にとってさえ疑わしいのだから、偽である。したがって、わたしは疑っていない。ところが、わたしは、「わたしが疑っていること」を疑い、否定した。したがって、私は疑っている。しかし、……






 
 ⇒ WEB247(http://blog.livedoor.jp/web247/archives/53378518.html)






 おそらく、デカルトは、この恐ろしいパラドックスの“罠”にはまることを恐れて、「疑うわたし」にまで懐疑を及ぼすことを避けたのではないでしょうか?

 しかし、20世紀の論理学と数学基礎論は、あらゆる論理体系において、“整合性のほころび”が避けられないことを示しています。カント―ルのパラドックス、ラッセルのパラドックス、ゲーデルの不完全性定理、‥みなその例です。“ほころび”は、《自己言及》と関わって現れます。

 「真理」を求めて「疑うこと」は、「世界」の自己自身に対する「疑い」という、「世界」そのものの持つ性質の現れにほかなりませんが、その「疑い」の地点において、「世界」は自己自身の内部に“折れ込む”《自己言及》による《自己矛盾》が生じて、そこに、茫漠とした平坦な「世界」のただなかに、“折れ込”んだ《特異点》が生じます。“折り込”まれた《特異点》の中で、《自己矛盾》が発酵し、やがてそれは芽ぶき、「真理」の体系が生長するのです。真理体系」は、「疑い」を養分にして成長します。

 こうして、宇宙とは、“折り込”まれた《特異点》ごとに生い立つ多数の真理体系」からなる“真理の森”にほかなりません。共約不可能な無限数の真理体系」が存在します。(柄谷行人『探究U』,pp.346-349.参照。柄谷氏のいう「共同体」が、ここでいう「真理体系」に相当します)






 【7】自然学の体系的構築(第5部)



 前節では、デカルトを遠慮なくやっつけてしまいましたが、だからといって、この“近代哲学の祖”に対して畏敬を払わないわけではありません。出発点のおおもとの部分の論証には問題があっても、そこから体系的に展開されてゆく構築物の壮大さは眼をみはるばかりです。むしろ、論理的な不整合や歪みは、著者の構想の確かさを示すものといってよいくらいです。

 人文学は、数学や物理とはちがって、論理整合性がすべてではないのです。マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』にしても、マルクスの『資本論』にしても、いちばんおおもとのテーゼを論証する部分は、はっきり言って怪しいものです(ウェーバーについては羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの犯罪』を参照。ただし、←この本に関するネット情報は、ウィキもふくめて不正確です。自分で入手して読まないとだめです。『資本論』は、第1巻に線形数学の「クラーメルの法則」を適用してみてください)。しかし、彼らの構想と体系の価値は、それによって少しも損なわれてはいない。

 さて、「第5部」は、ガリレイ裁判が原因で出版を断念した『世界論』のおおまかな内容を紹介しています。「第4部」では、「考える精神」としての「わたし」の存在、そして「神」の存在が導入されました。そこから、この「世界」全体は、どのようにして“再構築”されるのでしょうか?



「学者のあいだで受け入れられている見解に賛成したり反対したりしないですむよう、わたしはこの現世界はそっくり学者たちの論議にゆだねてしまい、ただ次のような新しい世界で起こるはずのことだけを語ろうと決心した。

 仮に神が今、想像空間のどこかに新しい世界を構成するのに十分な物質を創造したとし、その物質のさまざまな部分をさまざまに無秩序に揺り動かして、詩人が想像しうるほどの混沌たるカオスをつくりだしたとする。その後はただ、通常の協力だけを自然に与え、神自身が定めた法則に従って自然が動くにまかせた場合の、この新しい世界である。

 こうしてわたしはまず、新しい世界の物質について記述し、
〔…〕次にわたしは、自然の諸法則が何かを示した。〔…〕それらの法則は、神が多数の世界を創造したとしても、それが守られないような世界は一つとしてありえないような法則であることを示そうと努めた。」
デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,pp.59-60.



 つまり、デカルトは、「わたし」とともに存在することになった「神」に、天地創造を、もういちどやらせてみる、という思考実験をするわけです。そうすると、「神」が、新しい世界をいくつ造ろうと、それらの世界はみな、現にある・この世界と、そっくりのものになると言うのです。

 「神」は、まず新しい「世界」の材料になる物質を創造し、それをランダムに混合して無定形なカオスを生じさせます。しかし、「神」が手を下すのは、ここまでです。そのあとは、「自然の諸法則」にしたがってカオス中の諸物質が運動し反応するに任せるのです。

 『聖書』に書いてあるような“天地創造”とは、だいぶちがいます。ガス状星雲が回転して、恒星系ができあがってゆくさまを想像するとよいかもしれません。



「その後わたしは、このカオスの物質の大部分が、これらの法則に従って、どのようにして一定の仕方で並び、連なって、われわれの天空に似たものになるはずかを示した。その間どのようにしてそのある部分が地球を、ある部分が惑星と彗星を、ほかのある部分が太陽と恒星を形成するはずかを示した。」

デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,p.60.













 そこで、デカルトは、「光」の本性と、透過、反射について詳しく述べ、宇宙空間と天体の実体、位置、運動、性質について説明した。これらはみな、不変の自然法則に従って、「新しい世界」で生ずるはずのものです。



「したがってわたしは、次のことを知ってもらうのに十分に述べたと思った。それは、われわれのいるこの現世界の天空と天体のなかには、わたしがいま記述した世界の天空と天体のなかによく似た形で現れていないもの、少なくとも現れえないえないものは、何もない、ということである。」

デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,p.61.




 この「天空」と「天体」に関する部分は、『世界論』では、《地動説》で述べられていたようです。『方法序説』の 7年後に公刊した『哲学原理』の内容↓とほぼ同じでしょう。



「科学的な太陽系起源論の最初の提唱者として考えられるのは、フランスの哲学者であるルネ・デカルトである。彼は 1644年に、次のような太陽系起源説を提唱した。
〔『哲学原理』1644年出版―――ギトン注〕

 宇宙はエーテルという物質で満たされている。エーテルの中に浮んでいる物質には、光の元素、透明な元素、光を反射する暗くて不透明な元素の3種類の元素があった。はじめはこれらの元素が宇宙に均等に存在していたが、エーテルの運動によって渦巻(渦動)が生じ、その中心に光の元素が集められて太陽が生成した。その回りに透明な元素と不透明な元素が回転するようになり、不透明な元素から惑星や彗星が生成した。」

伊藤雅彦のWEBPAGE:太陽系・地球の生成より。



 「科学的な太陽系起源論の最初の提唱」であったうえに、すでに、現在定説とされている《星雲説》による太陽系誕生を述べていたのですから、デカルトの慧眼には、まったく眼を瞠るほかはありません。

 原始星雲の「渦巻き」運動によって、「中心に光の元素が集められて太陽が生成した。」―――つまり、太陽が中心にあって、その周りを地球と諸惑星が公転運動している《地動説》の宇宙です。しかも、なぜ太陽が中心になければならないのかが、物理法則によって説明されています(「光の元素」は軽いから渦の中心に集まる、というデカルトの説明が正しいのかどうかは、私にはわかりませんが)。

 「カオス」から、自然法則にだけ従って、新しい世界が誕生したら、こうなるはず‥‥という想定を述べることによって、現実の自然界も、同じはずだ、と説得するデカルトの「方法」は、すごいものです。これでは、法王庁の異端審問官も、反論できないでしょう。(もっとも、それほど強烈だから、デカルト自身、『世界論』の出版は見送ったのですけれども)

 デカルトは、コペルニクスよりも、ガリレイよりも、1歩も2歩も先を歩いていると言えます。コペルニクス説は、たんに、観測結果の説明として、運動しているのは太陽ではなく地球だとしただけで、宇宙のしくみ(「恒星天」など)については、アリストテレスのままなのです。コペルニクスも、ガリレイも、“なぜ”太陽は中心にあって、地球は周回しているのか?‥という、“生成”を問う疑問に答えることはできません。

 さて、このあとデカルトは、地球上の諸現象について語ります。「重力」がなぜ生ずるか、潮汐の干満、季節風、地形、海と河川、金属鉱床の形成、さまざまな化合物と植物の生成。とくに「火の本性」について詳しく述べ、「灰がガラスに変わる」化学反応に注目して、やや錬金術的な考察を述べているようです。

 デカルトが「火の本性」に関心をもったのは、それが人体の生理を解くカギだと見ていたからです。心臓の中ではたらいているのは、「光なき火の一種」」だと考えていたのです。「光なき火」とは、干し草や葡萄酒の発酵を起すのと同じものです。光を出しませんが、徐々に熱を発生させます。こうして、当時の人びとが“生命力”の作用、あるいは神の与えた「感覚的」のはたらきだと考えていた現象を、純粋に物質的な現象として説明しようとしたのです。

 動物も、人間の身体も、純粋に物質的にはたらいているのであって、機械と同じである。人間の「精神」――「たましい」は、それらとはまったく別に、身体から独立して存在する。このように、デカルトの自然学・医学は、「われ思う、ゆえにわれあり」の形而上学からの一貫した論理的帰結として体系化されます。

 デカルトにとっては、人間の身体は、動物と同じように「自動機械」です。運動と感覚、「覚醒と睡眠、夢」、五感の知覚と脳内での総合、「飢え、渇きその他の内的情念」はみな、「自動機械」の作用です。それどころか、「記憶」や「想像力」も「自動機械」の作用にすぎません。「自動機械」でないのは、「精神」の作用である「理性」だけです。

 動物は「自動機械」なのですから、サルでも何でも、「動物の器官と形状をもつ」精巧な「自動機械」を造ることができれば、そうした人工機械は、その動物とまったく区別がつかなくなる、とデカルトは書いています。

※註:つまり、デカルトの究極の考えによれば、「記憶」も「想像」(私たちがふだん頭の中で考えていることの大部分は、デカルトのいう「想像」に含まれます)も、身体の作用にすぎないのです。したがって、身体の死とともに、生きていた時の記憶はすべて消滅します。自分が誰だったかさえ思い出せなくなる。何かを“思う”という心理的なはたらきも無くなります。そうして、身体の死を越えて生きつづける魂=理性とは、いったい何なのでしょう? 自分が何者であるかも知らず、いかなる心理も持たず、身体を統御する能力を有してはいても、統御すべき身体は、もはや存在しない。‥‥この究極の考えは、デカルトの哲学として通常理解されている「身心二元論」とは、おそろしく異なっています。むしろ、スピノザが『エチカ』「第5部」で述べている「人間精神の永遠性」(⇒:【必読書150】スピノザ『エティカ』(11)【44】参照)に近いように思われます。そして、その内容は、大きな謎としか言いようがないのです。






 






 それでは、動物や機械と、「理性」をそなえた人間とは、どこで区別されるのでしょうか? デカルトは、2つの点を挙げています。そのひとつは、人間が「ことば」を使うことです。もちろん、あるボタンを押すと、「何か御用ですか?」と言い、別のボタンを押すと、「メンテナンス中です」と答えるような機械は、いくらでも作れます。人間でないと使えない「ことば」は、「自分の思考を他人に表明」したり、「話されるすべてのことの意味に応じて返答」したり、「ひと続きの話を組み立てて自分の考えを伝え」るような、複雑な「ことば」です。

 第2の相違点は、機械は「認識することによって動くのではなく、ただその諸器官の配置によって動くだけである」。動物は、「ある種の行動ではわれわれ人間以上の巧みさを示すが、」ほかの行動では「まったくそれを示さない」。人間の「理性がどんなことに出会っても役立ちうる普遍的な道具であるのに対して、これらの諸器官は個々の行為のために、それぞれ何か個別的な配置を必要とする」。つまり、機械は、それぞれ決まったことしかできない「器官」が、一定の配置で多数集められているだけで、それらを総合して動かすような“司令塔”――「理性」が、存在しない、ということです。

 こうしてデカルトは、人間の「理性」が「物質の力から導き出されることはけっしてありえず、〔神によって〕特別に創造されねばならない」とします。

 ところで、デカルトのこうした「人間機械論」「心身二元論」について、たとえば、ロボットの頭の中にコックピットがあって、そこに「理性」という“こびと”がいて操縦している図で――カリカチュアライズして――説明されることがよくあります。私自身、スピノザを扱ったときには、批判対象であるデカルトについて、そういう説明をしていました。

 しかし、そのような理解を、デカルト自身は不当に思うでしょう。デカルトが考えている「理性」(たましい)と身体の関係は、そんな単純なものではないようです:



理性は、水先案内人が船に乗りこんでいるように、身体に宿っているだけでは不十分である
〔…〕手足を動かすだけのためなら十分かもしれないが、それ以上になお、われわれの持つような感情と欲求を持ち、そうして真の人間を構成するためには、理性身体と結合し、より緊密に一体となる必要がある
デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,pp.78-79.






 【8】本書公刊の意図(第6部)



 この『方法序説』は、『みずからの理性を正しく導き、もろもろの学問において真理を探究するための方法についての序説およびこの方法の試論(屈折光学・気象学・幾何学)』という長い題名の著書の最初におかれた「序説」部分なのです。「本論」では、「屈折光学・気象学・幾何学」の3分野を論じています。

 この『序説』「第6部」では、1633年に書き上げた『世界論』の出版を断念した理由と、それに代えて『方法序説および方法試論』をここに公刊する理由を、説明しています。とくに、『世界論』を公表しない理由について、デカルトは、じつに長々と“論証”しているのです。それこそ、「第5部」までの哲学と自然学にもまさるほど綿密に、いろいろな理由をあげて、自分の立場を弁明しています。

 しかし、まとめて言えば、@ガリレイ裁判でコペルニクス説が断罪されたこと、そのため、A出版すると、論争にまきこまれるおそれがあるが、自分としては、論争のために時間を無駄にしたくない、むしろ生きている残りの時間は、もっぱら研究にだけ捧げたい、――ということにつきます。

 また、『方法序説および方法試論』を公刊する理由については、「屈折光学・気象学・幾何学」の3分野だけならば、「たいして論争の種になら」ない分野なので、発表しても物議をかもす心配がないということ。もし、それさえもまったく公表しないでいると、世間の人は、デカルトは何かよからぬ思想を抱いているにちがいないと、想像力をたくましくしてしまう。何も公表しないと、かえって、あらぬ疑いをかけられてしまうので、この上はむしろ、一部なりとも公表したほうがいい、と判断したのだ、と言います。

 ところで、この長い弁明の途中に、科学と実験、そして研究を公表することの意味について、デカルトの考え方を定式化して述べている部分があります。さいごに、そこを引用しましょう。



「ところでわたしは、これほどに重要不可欠な学問
〔天文、物理から医学、生理学に至る体系的自然学―――ギトン注〕の探求に全生涯を当てようと企て、わたしの見いだした道が、人生の短さと実験の不足とによって妨げられさえしなければ、その道をたどって間違いなくその学問が発見されるはずだと思われたので、この2つの障害〔人生の短さと実験の不足――ギトン注〕に対して次のこと以上によい策はないと判断した。

 それは、自分の発見したことがどんなにささやかでも、すべてを忠実に公衆に伝え、すぐれた精神の持ち主がさらに先に進むように促すことだ。その際、各自が」
実験から「知りえたすべてを公衆に伝えるのである。先の者が到達した地点から後の者が始め、こうして多くの人の生涯と業績を合わせて、われわれ全体で、各人が別々になしうるよりもはるかに遠くまで進むことができるようにするのである。

 しかも実験については、知識が進めば進むほど、それが必要になることをわたしは認めていた。
〔…〕

 わたしにこれらの試論
〔『……方法の試論(屈折光学・気象学・幾何学)』―――ギトン注〕を書かせたもう一つの理由は、次のことである。わたしに必要な、しかも他人の助力なしにはできない実験が無数にあるため、自分を導いていこうという計画が日々ますます遅延するのを見て、〔…〕自分より長生きする人たちに〔…〕どういう点でかれらがわたしの計画に寄与できるか理解させることをわたしがあまりなおざりにしなかったならば、多くのことを、わたしがなし遂げるよりもはるかに良くかれらに残しえたであろうに、という非難」を受けることがないようにしたいからである。
デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,pp.83-84,98.












【必読書150】デカルト『方法序説』―――終り。   










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