07/26の日記

20:21
【必読書150】デカルト『方法序説』(1)―――“破壊しつくしてから建設する”

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ピーテル・ブリューゲル(父)「エジプトへの逃避のある風景」(1563)   






 【1】無謀というほかない最初の出会い



 こんばんは。(º.-)☆ノ



 近代哲学の基本書中の基本書とされるデカルト(1596-1650)の『方法序説』は、哲学史の教科書に書かれているような標準的な読み方が確立している一方で、同時代のスピノザから現代にいたるまで、さまざまな疑義や特異な解釈が提出されており、論争に事欠かない書物と言ってよいようです。

 まるで随筆のような平易な語り口で始まるこの書物は、それだけにかえって、解釈の余地のある多義的な部分をはらんでいるわけです。私は、中学生の時にクラスメイトに勧められて、いきなりこの本(もちろん翻訳)を読んだのですが、いかなる解説も読むまえに、哲学の「て」の字も知らない時に、いきなり原著を読んだのは、まことに幸いだったと思っています。

 というのは、解説本を先に読んでいたら、あるいは高校の「倫理社会」の授業を受けたあとだったら感じなかったような、巨きな私だけの疑問にとらえられたからです。

 私が疑問にぶつかったのは、↓つぎの部分でした。



「法律の数がやたらに多いと、しばしば悪徳に口実を与えるので、国家は、ごくわずかの法律が遵守されるときのほうがずっとよく統治される。同じように、論理学を構成しているおびただしい規則の代わりに、
〔…〕次の4つの規則で十分だと信じた。

 第1は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないことだった。言い換えれば、注意ぶかく速断と偏見を避けること、そして疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は、何もわたしの判断のなかに含めないこと。」

デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,p.28.



 真理を発見するための「4つの規則」のうち、「第2」以下は、A大きな問題は、できるだけたくさんの小部分に分割して考える、B「もっとも単純でもっとも認識しやすい」問題から、複雑なものへと、順を追って思考を進める、C全体を見わたして、見落としがないかどうか確認すること‥‥となっていて、これらの“方法”は、みな納得できることでした。

 しかし、「第1」の規則だけが、どうしても納得できないのです。「明証的に真」とは、いったいどういうことなのか? 「明晰かつ判明に精神に現れる」とは、どんな状態なのか? いくら考えてもわかりません。

 「注意ぶかく速断と偏見を避けること」――これは、たしかにわかります。先入見を取り去らなくては、真理に達することはできない。これはまったくそのとおりでしょう。しかし、そうして雑念を排除したうえで、さて「真」なのか「偽」なのかを最終的に判断する基準、かんじんかなめの核心的部分は、「明晰かつ判明に精神に現れる」かどうかだと言うのです。

 いま、この部分を再読してみると、デカルトの主張の力点は、「疑いをさしはさむ余地のまったくないほど」のほうにあるのかもしれません。疑いの余地がないということを指して、「明晰かつ判明」なもの、と言っているのかもしれません。しかし、中学生の私は、「明晰かつ判明に精神に現れる」のほうに、強く印象づけられたのです。

 「精神に」、つまり心の中に、はっきりした画像のように現れるということだろうか? 私は、そんなふうに想像しました。しかし、そんなことがどうして、「真理」の・まちがえのない基準になりうるのだろう?

 心の中に、はっきりと思い浮かべられるかどうかは、人によって違うじゃないか。ウソだって、フィクションだって、空想物語だって、心の中に、はっきりと思い浮かぶではないか!‥‥

 ちなみに、デカルトがここで目標としている科学的、哲学的「真理」ということから離れて、たとえば、芸術や文学における“真実らしさ”の基準として見れば、この「規則」は、かなり有効かもしれません。はっきりしたイメージが読み取れる描写、はっきりしたメロディーが聞き取れる主題は、すぐれた小説や楽曲の条件のひとつでありうるでしょう。

 あるいはまた、


 「明晰かつ判明」 → よって「真理



 と一足飛びに考えるのでなく、「明晰かつ判明」なイメージをもつことは、こんぐらかったさまざまな考えや情報を整理して、統一的な筋を見いだすために有効であって、それは「真理」を発見するための前段階となりうる―――そういう考え方も可能でしょう。とくに、人文学(歴史、地理、社会学、etc.)では、たいへん有効な方法となるはずです。

 芸術、科学だけでなく、宗教の領域でも、ある人びとは(宗教者のすべてではないとしても)、このような“真理発見”の方法を用いているようです:



「この旅行の終りの頃のたよりなさ淋しさと云つたら仕方ありませんでした。富士川を越えるときも又黎明の阿武隈の高原にもどんなに一心に観音を念じてもすこしの心のゆるみより得られませんでした。聖道門の修行者には私はあまり弱いのです。
〔…〕胸は踊らず旅労れに鋭くなつた神経には何を見てもはたはたとゆらめいて涙ぐまれました。」
宮沢賢治書簡[15] 1916年4月4日付 高橋秀松宛て より。



 ここで、宮沢賢治は、「一心に観音を念じて」いたのに、「心」に「ゆるみ」があったために、観音菩薩のイメージを心に思い浮かべることができなかったと言って、落胆しています。“菩薩”の存在という宗教的「真理」を確信する(信じる、解悟する)ためには、観音の姿を「明晰かつ判明」な心像として思い浮かべることが、必須なことだと、彼は考えていたのです。、それをうまく思い浮かべることができないために悩んでいるわけです。“自力本願(聖道門)”による「法華経」信仰をめざしていた賢治にとっては、それはどうしても践まなければならない修行の一階梯でした。













 そういうわけで、いろいろと考えてみれば、デカルトの「明晰かつ判明に精神に現れる」かどうか、という「規則」は、なかなか含蓄のあることなのですが、‥しかし、それが、科学的「真理」かどうかを見きわめる最終的基準なのか?――ということになると、やはり疑問に思わざるをえません。

 デカルトが、そう言ったからといって、それをまるのまま信じる必要はない。デカルト自身が、この本の中で、“すべてを疑え”と言っているではないか!‥‥『方法序説』に書いてあることをすべて信じる必要はないのであって、論理のほころびや、思い違いのたぐいは、この本には満載されている。―――というのが、現在の私の考えです。

 ただ、中学生だった当時の私にとっては、この「明晰かつ判明」のアポリアは、とにかく解らない、理解できない、頭に入らない‥ということで、そのために、およそ「哲学」すべてが、わけのわからない信用できないものだ、という印象をもってしまったのでした。

 もっとも、その後も、『方法序説』は、機会あるごとに何度か(断片的にですが)読み直し、そのたびに、この「明晰かつ判明」のクダリには躓いてきました。

 しかし、最近になって、↓つぎの本を読んだ時に、この永年のアポリアが解決する兆しを感じました。そこで、【必読書150】の1冊として、今回、『方法序説』を取り上げることにした次第です。



 柄谷行人『探究T』,1992;『探究U』,1994,講談社学術文庫.



 最初に“いきなり”読んだときと同様に、今回も、解説書のたぐいは、あえて一切参照しないようにして、↑この柄谷氏の議論――哲学論としては、おそろしく非標準的な――を唯一の手引きとして、読んでいきたいと思います。

 なお、翻訳は各種ありますが、文庫で入手できる最新の訳として、次のものによることにしました:



 デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫 33-613-1.






 【2】書物を捨てて世界へ、世界から自己へ(第1部)



良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。というのも、だれも良識なら十分身にそなわっていると思っている
〔…〕それが立証しているのは、正しく判断し、真と偽を区別する能力、これこそ、ほんらい良識とか理性と呼ばれているものだが、そういう能力がすべての人に生まれつき平等に具わっていることだ。

 だから、わたしたちの意見が分かれるのは、ある人が他人よりも理性があるということによるのではなく、ただ、わたしたちが思考を異なる道筋で導き、同一のことを考察してはいないことから生じるのである。というのも、良い精神を持っているだけでは十分でなく、大切なのはそれを良く用いることだからだ。」

デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,p.8.



 ここは、デカルトの基本的な考え方――合理主義――をきれいにまとめて示している部分。もし私が、『方法序説』を読むまえに、デカルトについての解説書や、哲学史のたぐいを先に読んでいたとしたら、この部分を敷衍して吹き込まれていたはずで、そうしていたら、前節のような“中学生の迷い”に逢着することはなかったかもしれない。

 人間は誰しも平等に「理性」を与えられている。そういう人間の脳裏に、「明晰かつ判明に」閃くものがあったら、それは「真理」そのものにちがいない―――そういう一種の信仰である。

 しかし、デカルトが、これだけを最終的な結論だと考えていたのなら、この1ページだけを書いて済ましただろう。そのあとながながと、自分がそこに至った思想遍歴などを書く必要はなかったはずだ。

 デカルト自身にとっても、↑この“理性は平等”は、後智恵にすぎないものだと思う。そもそも、「理性」の多い・少ないを測る方法などあるだろうか? 理性は単なる知能ではない。知能テストの成績で測ることなどできないものだ。なぜなら、デカルトの「理性」とは「良識」なのだ。「良識」は、ある人の外面に現れた行動や言動から、そういうものがその人の中にあるにちがいないと、外から推測されるていのものだ。じっさいにそんなものが、人間の“内部”にあるのかどうかは疑わしい。

 柄谷氏は、そういうものは、人が他人と関係しあう・人と人との“あいだ”にしかないと言っている。

 “理性は平等”とは、言ってみれば法律―――あるいは憲法―――のようなものだ。そういうものが人間に自然に備わっているわけではない。あくまでも、人間が、歴史的なさまざまな経験と反省を繰り返したすえに考え出した“原則”なのだ。事実によって証明できることがらではない。

 しかし、これを皆が、まちがえのない“原則”として認めるようになれば、より多くの人に教育や立身出世の機会が与えられる、投票によって政治を行なうことができるようになる、縁故採用を越えた広い範囲で人を募集して雇うことができるようになる―――といった社会的効果は明らかだ。近代資本主義の始まりの時代に、この“原則”が唱えられたのは偶然ではない。しかし、この“原則”自体は、資本主義の一部ではないし、資本家が労働者を搾取するために定めたわけでもない。むしろ、人類が歴史的経験から学んだ智恵のひとつだと考えたい。






 






「わたしとしては、
〔…〕ほかの人と同じくらい頭の回転が速く、想像力がくっきりと鮮明で、豊かで鮮やかな記憶力をもちたいと、しばしば願ったほどだ。そしてこれらの特質以外に、精神の完成に役立つものをわたしは知らない。」
デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,p.9.



 このクダリを見ると、デカルトの考えている「理性」(良識)は、やはり、理論的というよりも相当にイメージ的な、芸術的なものだということがわかる。「頭の回転が速く」は、速度の問題にすぎないが、そうして「回転」する中身は何かというと、「想像力がくっきりと鮮明で、豊かで鮮やかな記憶力をも」つということになる。思考も記憶も、多分に感覚像的で、さまざまな色彩をもち、「鮮明」だったりぼやけていたりするのが、デカルトの「理性」の内容なのだ。

 さて、「第1部」の残りの部分で、著者は自分の知的“生い立ち”を語る。



「わたしは子供のころから文字による学問で養われてきた。」

デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,p.11.



 入手することのできたあらゆる書物を読み、あらゆる学問を修めて「学業の全課程を終え」た。しかし、その結果彼は、



「多くの疑いと誤りに悩まされている自分に気がつき、勉学に努めながらもますます自分の無知を知らされたという以外、何も得ることがなかったように思えた」

デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,pp.11-12.



 そこでデカルトは、「文字による学問をまったく放棄してしまった。」そして「世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探究しようと決心し」、「あちこちの宮廷や軍隊を見、気質や身分の異なるさまざまな人たちと交わり」、軍隊に勤務したり、戦場で働いたりして「自分に試練を課し」、そこから実践的な知を引き出そうと試みた。



「というのは、各人が自分に重大な関わりのあることについてなす推論では、判断を誤ればたちまちその結果によって罰を受けるはずなので、文字の学問
〔…〕よりも、はるかに多くの真理を見つけ出せると思われたからだ。

 
〔…〕そこからわたしが引き出した最大の利点は次のことだった。つまり、われわれにはきわめて突飛でこっけいに見えても、それでもほかの国々のおおぜいの人に共通に受け入れられ是認されている多くのことがあるのを見て、ただ前例と習慣だけで納得してきたことを、あまり堅く信じてはいけないと学んだことだ。

 
〔…〕だがわたしは、〔…〕真と偽を区別することを学びたいという、何よりも強い願望をたえず抱いていた。」
デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,pp.18-19.



 しかし、そうした数年間の遍歴ののち、ある日デカルトは、「世界という書物」の研究からも身をひき、


「わたし自身のうちでも研究し、とるべき道を選ぶために自分の精神の全力を傾けようと決心した。」

デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,pp.18-19.



 すなわち、自分自身の中に深く沈潜してゆく瞑想生活に入るのです。何よりも、「真と偽を区別することを学」ぶためには、書物による学問でも、「世界という書物」でも十分ではなく、ほかならぬ“このわたし”を掘り下げ、見きわめてゆくことが必要だと思われたからでした。






 【3】論理学と数学の「4つの規則」(第2部)



 デカルトにとって“自省生活”の最初の機会は、偶然の巡りあわせからやってきました。1619年、ドイツで《三十年戦争》が勃発したことを聞いたデカルトは、「世界という書物」から学ぶために、軍隊に身を投じます。しかし、彼は旧教国フランスの出身であり、旧教徒でしたから、入る軍隊もカトリック側でなければなりません。それは、バイエルン公マクシミリアンの軍隊でした。

 デカルトは、滞在先のオランダから、バイエルンへ向かうのですが、それには、ドイツを北から南へ横断しなければなりません。途中、フランクフルトで催されていた神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の戴冠式典(なんと2ヶ月近く続いた)に参加していて時間をとられてしまい、式典終了後バイエルンに向かった時はもう冬まぢかでした。デカルトは、ウルム近郊の冬営地から先へは行けなくなってしまいます。

 この冬営地(ドナウ河畔ノイブルク)で冬ごもりするあいだ、デカルトは、論理学と数学の研究で日を過ごします。







《三平方の定理》






 この、偶然に強いられた研究生活のあいだにデカルトが考えたのは、代数、幾何学、論理学の3分野を横断するような一般的な見方を導入することで、それぞれの分野のいろいろな問題が、もっとわかりやすくなるのではないか、ということでした。

 デカルトとしては、すでにそれまでの“世界遍歴”によって感じてきたこと、すなわち、ただ前例と習慣だけで納得してきたことをすべて取り払って、あらたに人間の「生まれながらの理性」だけによって普遍的な学問を打ち立てたいという大胆な構想を抱いていました。しかし、一足飛びにそこへ達しようとすると、かならず失敗する。経験の足りない若いうちにそんなことを企てると、自己流の考えに陥って、よくて摩訶不思議な神秘思想を抱くことになるのがオチです。当時、デカルトは23歳でした。

 そこで、既成学問の全面的“破壊”と普遍哲学の建設は、将来の課題として残したうえで、まずそこに至る準備作業として、数学と論理学の一般化を試みたのです。

 デカルト以前の、古代・中世の数学では、代数は単なる計算技術でした。幾何学は、どこまでも図形に関するものでした。この2つは、よく似ているのに、まったく別々のものと考えられていたのです。

 たとえば、《三平方の定理(ピタゴラスの定理)》で、



 a2 + b2 = c2



 の「a2」「b2」「c2」は、長さではなく面積なのです。「a2」「a」の2乗の長さではなく、1辺「a」の正方形の面積なのです。そこで、1辺「a」の正方形の面積と1辺「b」の正方形の面積を足すと、1辺「c」の正方形の面積になるのはどうしてだろう‥などと考えると、頭が混乱してきます。

 もちろん、《三平方の定理》くらいなら、図形を使って、初等幾何の定理で証明することも可能です(↑上図参照)。2次方程式の解の公式:



 χ = {−b±√(b2‐4ac)}/2a



 も、図形で証明できないことはありません(それを考案したのは、アラビア数学です)。しかし、3次方程式(立方体で証明?)となると、もうお手上げです。

 つまり、デカルト以前の幾何学や物理では、「a」はあくまで「a cm」であり、「a2」は「a2 cm2」であって、単位を除いた数だけというのは意味をなさないのです。しかし、幾何も物理も代数も、けっきょくは同じことがらを別の見方で見ているだけであって、数は「長さ」でも「面積」でもなくあくまで「数」なのだ、と考えれば、これらはとてもわかりやすくなります。

 デカルトは、そこからさらに進んで、そもそも「図形」というものはすべて、「数」の組み合わせに還元できると考えました。これが、χ-y座標による解析幾何学です。もう、頭の中でさまざまな図形を想像したり、伸縮させたり、補助線を引いたりする必要はありません。座標の数値によって式を立て、あとは計算するだけです。

 数学と論理学を横断することも考えました。それが、↑【1】で見た「4つの規則」です。






 【4】さまよい人の道徳律(第3部)



 ノイブルクの冬営地を出たあと、デカルトはふたたび「世界という書物」を読む旅をつづけます。ヴェネチア、ローマに行き、パリにもしばらく滞在します。

 しかし、ノイブルク以後のスピノザは、それ以前の、たんにさまざまな人々と交流して「真理」と知恵を吸収しようとする知性派青年とは異なっていました。彼はすでに、「前例と習慣だけで納得してきた」ことがらをひとつひとつ吟味しては捨て去り、すべてを“破壊”しつくしたあとに、整然たる「真理」を構築する志を抱いていたからです。

 デカルトは、これを「第2部」で、都市の建設に喩えていました。古い都市の城壁や壊れた建物の残骸を利用して、少しづつ新たな建築を付け足して拡張して行った都市は、古いものと新しいものがごちゃごちゃにつぎはぎされていて、たいへん見苦しいし、住民にとっても不便です。これに対して、平原の真ん中に、一箇の都市計画にしたがって建設された城塞都市は、「壮麗で整然としている。」真理の体系も、これと同じで、既成の学問の断片をつなぎ合わせて造ったような体系は、あちこちに綻びや矛盾が出てしまいます。それを避けるためには、まず、すべてを残さず破壊してしまわなければならない。古い都市の瓦礫の最後の一片が撤去された後ではじめて、新しい都市の建設を開始することができる。それまでは、ひたすらに“破壊”に努めるほかはないのだ、と(pp.20-21)。

 「4つの規則」の「第1」:



「わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないこと」

デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,p.28.



 とは、この“破壊のための吟味”の規則にほかなりません。冬営地にいた時は、これを、論理学と数学に適用しただけでしたが、いまやデカルトは、哲学、宗教から、国家の法律、人びとの信ずる道徳に至るまで、およそあらゆることがらを疑い、吟味し、「明証的に真」と認められないならば、勇気をふるって捨て去って行かねばならないのです。

 そうすると、この「第1の規則」は、「真理」を認めるための基準というよりも、「真理」でないものを選り分けて除去するための基準なのかもしれません。「明晰かつ判明」ならば「真」だと言っているのではなく、明晰かつ判明」でないようなものは、「真」ではありえない、―――ということを言っているようにも思われます。もし、そのように見てよければ、私の中学生以来の疑問は解消するかもしれません。

 「明晰かつ判明」であることは、「真理」であるための必要条件のひとつにすぎないことになりますから。






 
Michel Gourlier   






 しかし、ここにデカルトにとって大きな問題が生じます。彼は、ドイツの冬営地のような場所で隠遁生活をつづけているわけではありません。イタリアとフランスのさまざまな宮廷に赴き、高位の人々とも交流し、責任を持たされて勤務する場合もあるのです。既成の道徳も法律も吟味しつくして捨て去る‥という過激な実践を行動に現わしながら、公的生活をつつがなく営んでゆくことは不可能でしょう。“人間失格者”として爪はじきされるだけでなく、悪くすれば逮捕投獄の憂き目にあうこととなります。

 なによりも、すべてを“破壊”したあとでなければ、新しい「真理」体系の建設を始められないのですから、それまでは、“人間失格者”であるほかはないのです。

 そこで、このような事態を避けるために、デカルトは自分に、暫定的な「3つの道徳律」を課します。哲学的“破壊活動”のあいだも、社会生活は問題なく行なっていけるように、とりあえず“疑わない”、“破壊”しないで残しておく「道徳律」を決めるのです。

 暫定的「道徳」の「第1の格率」は、「わたしの国の法律と慣習に従うこと」です。「わたしが子供のころから教えられた宗教」すなわちカトリックを「しっかりと」守り、私が「共に生きなければならない人」のうち「最も良識ある人びと」の「最も穏健な意見」にしたがって「自分を導いていく」ことです。

 「第2の格率」は、「どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、……一貫して従うこと」です。これを、デカルトの喩えで言えば、森の中で道に迷ったときに、いちばん悪いのは、あっちへうろうろ、こっちへうろうろすることです。進む方向を何度も変えているうちに、自分がどっちから来たのかさえも分からなくなってしまい、森から外へ出ることはできなくなってしまいます。むしろ、たとえ確実な方向でなくとも、いったん決めた方向へ、どこまでも歩いて行くほうがましです。予定した場所へ出られなくとも、ともかく森の外へ出ることはできるからです。(これはあくまでも、ヨーロッパの森の話でしょう。谷や崖が多く、際限なく広がっている場合もある日本の森で、こんなことはしないほうがよろしいです。)

 「第3の格率」は、運命と戦ったり、「世界の秩序」を変えようとするよりも、「自分に打ち克」って「自分の欲望を変える」ように努めることです。なぜなら、「完全にわれわれの力の範囲内にあるのは、われわれの思想」だけだからです。別の言い方をすれば、「必然を徳とする」ことです。鳥のように飛べる翼をもちたいとか、病気なのに健康であったらと望むことは、無益なことです。「自分の思想を絶対的に自由に統御」することができれば、どんな逆境、貧困、苦痛の中でも、これ以上はない自由と至福を感じることができます。

 「最後にこの道徳の結論として」、「全生涯をかけて自分の理性を培い、自ら課した方法に従って、できうるかぎり真理の認識に前進していくこと」を決意した。



「先の3つの格率も、自分を教育しつづけていこうというわたしの計画にもとづいたものにほかならない。」

デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,p.40.



 デカルトは、暫定的な「道徳律」として立てた・これら「3つの格率」に対して、単なる・かりそめの“たてまえ”として、心にもなく従ったわけではありませんでした。むしろ彼は、「3つの格率」によって、「計画」的に「自分を教育」して行こうとしたのです。というのは、たしかに、すべての「前例と習慣」を“破壊”しつくす将来においては、他人の意見もまた、とことん吟味しつくさないでは済まないでしょう。しかし、それができるためには、それまでの期間に、それら・さまざまな他人の意見に対して、それぞれいったんは従ってみる必要があるのです。

 たんに他人の意見に耳を傾けるだけではなく、みずからそれに従い、実践してみてはじめて、その意見の利害得失も知れるというものです。ですから、デカルトの考えでは、頭の中で、「明晰かつ判明」なのかどうか‥と考えてみるだけでは、それが「真」なる意見なのか、捨て去るべき臆見なのかは、判明しないのです。なによりも、その考えを自分のものとして受け入れ、実践してみる必要があります。

 つまり、「真理」とは、たんなる情報や知識ではない‥ということです。「真理」を「真理」として認め、それを受け入れることができるためには、人は自らを訓練する必要があるし、「真理」に馴れる必要があるのです。

 どうやら、私が中学生の時に感じた疑問に対しては、デカルト自身がすでに答えを用意していたようです:

 頭の中で、「明晰かつ判明」に思いついたものが「真理」なのではない。「真理」が「明晰かつ判明に精神に現れる」ためには、それ相応の訓練と自己「教育」が必要なのだと。



「これらの格率をこのように確かめ、これらを、
〔…〕ひとまず別にしたのちは、自分の意見の残り全部について、それらを自由に捨て去ることができると判断した。」
デカルト,谷川多佳子・訳『方法序説』,1997,岩波文庫,p.41.













 こうしてデカルトは、ノイブルクの冬営地を出て「人々と交わる」「旅に出」、その後まる9年間、各地を巡り歩いたのち、1928年オランダに定着して隠遁生活を始めます。おそらく、さまざまな生活と意見を吟味するデカルトの旅も十分に熟してきて、もはや、さまざまな他人の意見に従って実践を試みるよりも、公的な一切の生活と交わりを断って、思索に集中したほうがよいと感じたのでしょう。

 このオランダでの生活の最初に遂行された「省察」が、「われ思う、ゆえに、われあり」とされる極限的な思考実験にほかならないのです。





【必読書150】デカルト『方法序説』(2) ―――につづく。   










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