05/22の日記

07:40
【宮沢賢治】外山の夜―――同性へのセレナーデ(3)

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 こんばんは (º.-)☆ノ






 文語詩「セレナーデ」とその周辺を洗っています:

 外山の夜―――同性へのセレナーデ(1)

 外山の夜―――同性へのセレナーデ(2)






 【6】保阪嘉内と外山



 前節を書くために、菅原千恵子さんの本をひさびさに読み直したのですが、彼女の文章の流暢さと想像力の豊かさには改めて感銘を受けました。文庫でロングセラーになっているのも納得できることです。⇒:宮沢賢治の青春“ただ一人の友”保阪嘉内をめぐって【カドカワストア】

 これまでの“賢治研究圏”で、菅原さんの一連の研究に対して評価が低いのは、研究のスタイルが、一般の賢治研究、文学研究の方法とは異なっているせいかもしれません。たしかに、菅原さんは、論理においては、1970年頃までの通説の上に立っており、その後の研究の進展を充分に吸収しているとはいえない欠点があります。しかし、それを補ってあまりある個性的な洞察にみちていることもたしかなのです。

 嘉内のご子息・故・保阪庸夫氏の証言でも、菅原さんは保阪家に泊り込んで、嘉内の日記ノートを精査しています。その形跡は、菅原さんの本の中にも出てきます。ほかの研究者は、けっしてそこまではしていないわけで、嘉内と賢治に密着しようとする熱心さにおいて、菅原さんを越える人は、現在もいないのではないかと思います。

 ところで、保阪宛て賢治書簡のなかに、外山に言及したものがあるので、見ておきたいと思います。ひとつ前の書簡から引用を始めます:



「お変りはありませんか。
 兵営には外から考へられない様な辛いことも多いでせう 保阪志願兵はもう馬にはよく乗れますか 
〔…〕私はこのごろまたおかしななりをしてプランプランと東京のある坂を下りながらまじめな兵隊さんだちに行き遭ひそのなかに保阪志願兵も堅くたづなを握って行くさまを考へて泣きさうになりました。無いことを考へてひとりでわらったり泣いたりはおかしいやうですが私のやうな生活ではそうなりますよ。
 いかにもいまがわれ\/には大じな場合なやうです。まづはごきげんよう。」

宮沢賢治書簡[161][1920年3月?] 保阪嘉内宛て より。



「お手紙ありがたうございました。
 あなたの手紙を見たらほんとうに心持が直りました。直ったといふ訳はあなたが兵隊に入ってから何だかいつでも南の方に眉をひそめて堅くなって立ってゐる人がある様に思はれて私までが多少変な顔になるやうに感じてゐたのです。いかにもあなた方は始終馬に乗ってゐるのですな。
〔…〕斯う云う風に考へて見るとあの我儘な保阪さんがすっかりしょげてしまった像がどこかへ行ってしまひ何年か北上山地のなめらかな青い草を食べた馬が愉快に動き廻ってゐるのが見えるやうです。外山の四月をあなたは見なかったでせう。

 ゆるやかな丘の起伏を境堺線の落葉松の褐色の斑がどこまでも縫ひ、黒い腐植のしめった低地にはかたくりの花がいっぱいに咲きその葉にはあやしい斑が明滅し空いっぱいにすがるらの羽音大きな蟇がつるんだまゝのそのそとあるく。すこしの残雪は春信の版画のやうにかゞやき、そらはかゞやき丘はかゞやき、やどりぎのみはかゞやき、午前十時ころまでは馬はみなうまやのなかにゐます。
 ととのはないものですが外山の四月のうたです。

 うまはみなあかるき丘に
 ひらかれし戸口をのぞみて
      ひとみうるめり。

 うるみたる
   うまのひとみにゆがむかな
 五月の丘にひらけし戸口。

 かゞやかのかれ草丘の
       ふもとにて
 うまやのなかの
 うすしめりかな。

      
〔…〕
宮沢賢治書簡[162][1920年4月?] 保阪嘉内宛て より。



 ここに描かれた「外山の四月」の風景は、「黒い腐植のしめった低地」「かたくりの花」と葉の「あやしい斑」「大きな蟇」「残雪」「やどりぎ」など、のちに『若い木霊』に書きこまれるモチーフが、散りばめられています。

 盛岡高農在学中、保阪は賢治と外山へ同行したことはなかったようですが、授業の一環として、同級生たちと行ったことはあったかもしれません。外山には、1922年まで御料牧場があり、牛馬の品種改良の拠点となっていました(『定本 宮澤賢治語彙辞典』)。













 賢治は、気分が明るいときの保阪を、イメージで外山とむすびつけていることがわかります。書簡[151]に見られるのは、賢治特有の思いこみの強い同情ですが(東京で行き遭ったというのは、たんなる想像)、相手の気分が良くなれば、賢治のほうもすっかり爽快になってしまうのですから、憎めません。

 保阪は、前年11月から、兵役入営のために上京しています。「志願兵」は、当時の兵役の制度で、あらかじめ軍に献金をしておくことによって、兵役期間が縮まり、かつ、昇進でも待遇でも特別扱いされます。当時、中流以上の子弟のほとんどは、献金をして「志願兵」として兵役を楽に過ごしたのです。

 保阪が入営したのは、陸軍の騎兵科で、その点でも、一般の歩兵より待遇がよかったようです。上の賢治の書簡を見ても、このような内容が検閲をパスする自体、通常の兵卒では考えられないことだと思います。






 【7】「セレナーデ」と保阪の影



 すでに(1)で見たように、「セレナーデ」は《黄罫(22/0行)詩稿用紙》に書かれており、同じ用紙を使って、同時期にかなりの数の口語詩作品の文語詩化が行なわれました。

 いま、それらの文語詩化された作品を見ると、「セレナーデ」以外にも、保阪とかかわりのあるものが少なくないことがわかります。以下、いずれも《黄罫(22/0行)詩稿用紙》による文語詩化・第1段階で、[〇了]の印が付けられた逐次形です。



      聖なる窓

 そらのひかりはうす青み
 汚点ある幕はひるがへる
  Oh, my reverence!
  Sacred St. Window!

『文語詩未定稿』〔聖なる窓〕〔下書稿(二)〕



 ↑これは、前に引用した『図書館幻想』(⇒:風と雲と波のうた――『龍と詩人』(6))の「ダルゲ」の唄の一部に対応します。なお、〔下書稿(一)〕は『東京ノート』に赤インクで書かれています。



「ダルゲが俄かにつめたいすきとほった聲で高く歌ひ出した。

  西ぞらの
  ちゞれ羊から
  おれの崇敬は照り返され
  (天の海と窓の日覆ひ。)
  おれの崇敬は照り返され。

おれは空の向ふにある氷河の棒をおもってゐた。〔するとどこかで誰かゞ平べったい声でゆるやかに歌った。

  日はしづか
  屋根屋根に
  藍晶石の粉がまかれ
  つめたくもひるがへる天竺木綿

  おれの崇敬も又照り返され〕

ダルゲは又ぢっと額に手をかざしたまゝ動かなかった。」

宮沢賢治『圖書館幻想』より。

 段落の1行空けは引用者。



 「天竺木綿」は厚手の綿布で、緞帳などに使われました。つまり、「汚点ある幕」「窓の日覆ひ」「天竺木綿」いずれも、大きな窓の重いカーテン(おそらく『帝国図書館』の窓)を表します。旧『帝国図書館』の窓のカーテンについては、現在のものですが、こちらに写真があります⇒:《ギャルリ・ド・タブロ》荒川の碧き流れに(30)






 






 《黄罫(22/0行)詩稿用紙》による文語詩化作品の2つ目↓



 われはダルケを名乗れるものと
 つめたく最后のわかれを交はし
 閲覧室の三階より、
 白き砂をはるかにはるかにたどれるなり
 そはすなはち
 図書館の三階よりその地下室に下り
 湯と水とを呑めるといふことなり
 そのとき瓦斯のマントルはやぶれ
 焔は葱の華なせば
 網膜半ば奪はれて
 洞穴寒く黒く錯乱せりし

『文語詩未定稿』〔われはダルケを名乗れるものと〕〔下書稿(二)手入れ@〕



 これも、『図書館幻想』の異稿のひとつです。やはり、〔下書稿(一)〕は『東京ノート』に赤インクで書かれています。

 「そのとき瓦斯のマントルはやぶれ」以下は、激しく錯乱する感情を表現しています。具体的なことはわかりませんが、保阪との火花を散らすような激情の交換を思わせます。しかし、かならずしも口論とは限りません。二人は、たんなる友人でも同僚でもなく、なまの激情をぶつけあう“恋人”どうしであったことを考えるべきです。


 【参考】
(「ガス・マントル」とは?)⇒:《ギャルリ・ド・タブロ》マントル焼成


 〔下書稿(二)手入れA〕の形では、末尾に、↓つぎのように書き足されます。〔手入れA〕は、〔@〕までとは色の違うインクで書かれています。この書き足しによって、この作品は、ドイツの仏教者「ダールケ」の著書に関するものとなります。しかし、上の〔手入れ@〕までの段階(「セレナーデ」と同じ時期に推敲された段階)では、「ダールケ」ではなく、東京での保阪との邂逅にかかわる詩篇なのだと考えます。



 かくてぞわれはその文に
 ダルケと名乗る哲人と
 永久
(とは)のわかれをなせるなり




 《黄罫(22/0行)詩稿用紙》による文語詩化作品の3つ目↓



 かくまでに
 心をいたましむるは
 薄明穹の黒き血痕
 新らしき
 見習士官の肩章をつけ
 なが恋敵笑ひて過ぐる

『文語詩未定稿』〔かくまでに〕〔下書稿(二)〕



 前の2作と同様に、『東京ノート』に赤インクで書かれた〔下書稿(一)〕からの改訂です。「薄明穹の黒き血痕」は、さきほどの「洞穴寒く黒く錯乱せりし」、また「汚点ある幕はひるがへる」につながるイメージです。

 「見習士官」は、東京で会った保阪も見習士官ですが、「なが恋敵」が保阪なのか、「な(汝)」が保阪で、その「恋敵」である同僚の見習士官が「笑ひて過」ぎたのか、判断できません。いずれにしろ、保阪と何らかの関係があるモチーフなのでしょう。




 つぎは、《黄罫(22/22行)詩稿用紙》による文語詩化ですが、やはり[〇了]印が付いており、近い時期の文語詩化と思われます:

   

 廐肥の束をせなにして
 まひるをけぶる沖積層
(アリビーム)
 鉛の水の岸辺なる
 今日の耕地にいたりなん
 
 エナメルの雲 鳥の声
 唐黍
(きみ)焼きはみてやすらへば
 熱く苦しきその業の
 遠き情事のごとくなり

『文語詩稿一百篇』〔廐肥をになひていくそたび〕〔下書稿(四)〕



 賢治の自耕地(「下ノ畑」)での農作業を書いた口語詩 #734(『第3集』所収 1926.8.27.)の文語詩化です。


「熱く苦しきその業の
 遠き情事のごとくなり」


 の部分は、〔定稿〕では:


「熱く苦しきその業に、 遠き情事のおもひあり。」


 となっています。儀府成一氏は、この詩は、厩肥の匂いに「情事」を思わせるものがあることをモチーフにしており、賢治は童貞ではなく、セックスの経験があったのではないかと述べておられます。たしかに、ふくよかな精液の匂いに似ているかもしれません。













 童貞かどうかはともかく、射精と関係があることは否定できないでしょう。賢治は、花巻農学校教師時代、寄宿舎の生徒たちに、オナニーのしかたを教えていたとの教え子の回想談があります。

 「セレナーデ」に時期的に近い推敲に、男性どうしの性的なむつみあいの思い出ともとれるものがあることは、注目されます。しかも、そこに、「廐肥の束」を背負ってゆくモチーフがあります。このモチーフは、「セレナーデ」に対して、その後の推敲で加えられているのですが、これについては節を改めて論じたいと思います。






 【8】「セレナーデ」の完成



 「セレナーデ」に対しては、2段階の推敲が加えられています。そのうち〔手入れA〕は、つぎの〔下書稿(二)〕へ改作する――同時に「セレナーデ」という題名も変更されます――ための手入れと見られます。しかし、〔手入れ@〕は、この〔下書稿(一)「セレナーデ」〕のままでの補充・完成です。[〇了]の印は、〔手入れ@〕の結果に対して付けられたものと考えられます。



      セレナーデ


 巨なるどろの根もとに
 水落しはねあがれるは
 式古き水きねにこそ
    きみしたひこゝにきたれば
    草の毛や春の雲さび
    月の面をかすめて過ぎつ

 おぼろにも鈴の鳴れるは
 きみが家の右袖にして
 まどろめる馬の胸らし
 あゝきみもまたうまゐすらしを

 廐肥の束七十ばかり
 月しろに並べ干されぬ
 あさ来なばきみまた負ひて
 かの丘をのぼりゆかんを


 をちこちに鈴のさまして
 かすかにも啼く鳥あるは
 保護色と云はゞ云ふべし

 ひそやかにさくらさう咲き
 羊歯の芽の萌えも出でなん
 この丘のはざまのよなか


 きねはまた月のかけらを
 ぼそぼそに落してあがり
 鈴の音やゝ明らけし

『文語詩稿五十篇』〔月のほのほをかたむけて〕〔下書稿(一)手入れ@〕



 〔手入れ@〕によって加えられた部分を、青字で示しています。「きみ」が、はっきりと登場してきたこと、「さくらそう」や「シダの芽」ぶきなど、山あいの素朴な「セレナーデ」にふさわしい風景が付加されたことが、注目されます。

 「うまゐ」は、漢字では「熟睡」または「甘睡」と書き、やすらかな睡眠を意味します。与謝野晶子の詩に



「甘睡
(うまゐ)せる我が枕辺に
 音も無く物ぞ来れる。
 静かなる胸を叩きて
 傍らに寄り添ふけはひ。」

『晶子詩篇全集拾遺』より。



 とあります。「きみ」がやすらかに眠っている一軒家の軒端に近づいて、「かすか」な鈴の音を聞き、「セレナーデ」を奏でていると、夜中であるにもかかわらず、この「丘のはざま」には、「ひそやかに」サクラソウが咲き、シダの柔らかい芽が萌え出てくるというのです。

 また、


「あさ来なばきみまた負ひて
 かの丘をのぼりゆかんを」


 とあって、朝が来れば、「きみ」はまた、厩肥を背負って、耕地のある丘へ登ってゆくだろう‥‥と、前節で見た「廐肥の束をせなにして…」のモチーフが採り入れられています。そこにあるのは、労働への賛美以上に、人間の性の自然な営みに対する歓びだと思います。






 






 ところで、ざっと読んだ段階では飛ばしていたのですが、



「をちこちに鈴のさまして
 かすかにも啼く鳥あるは
 保護色と云はゞ云ふべし」



 の部分は、注目にあたいします。「鈴」のように鳥が啼くというのも変ですが、それを「保護色」と「云はゞ云ふべし」とは、どういうことなのか?

 天澤退二郎氏は、



「いろんな作品の中で鳥というものが果たしている機能っていいますかファンクションというのは、どういうものであるか。
〔…〕作品の中で鳥たちがどんなキーになっているか、鍵になっているかというふうなことについてはこれからの研究がまたれると思うわけですね。

 
〔…〕鳥が馬の首についている鈴のまねをして鳴いていると、これは一種の保護色であるというふうな表現があるわけですけれども、これは非常に重要なポイントで、これは詩を成立させている要のところに鳥の声がある。〔…〕
『「春と修羅」第二集研究』,1998,宮沢賢治学会イーハトーヴセンター,p.79.



 と指摘しておられます。

 しかし、鳥が「かすかに」鳴く声は、馬の鈴のまねをしているのではなく、これは本来、夜の鳥の鳴き声なのだと思います。

 賢治が外山で、どんな鳥の鳴き声を聞いたのかわかりませんが、夜のしじまのなかで「鈴」のように聞こえる鳥の鳴き声は、ひととおりではないでしょう。

 作品から読み取れる鳥の生態や鳴き声の特性を、鳥類学の専門知識で分析すれば、作者が聞いた鳥の種類は何か、という詮索は可能でしょう。しかし、作品を読むためにはそれが必須というわけではないと思います。読者としては、自分の体験に照らして作品を解釈してもよいはずです。あるていどの解釈の幅は許される。それが、詩というものの、事実の報告書とは異なる特性だと思うのです。

 ここでは、@ギトン自身の体験と、Aより客観的なバード・ウォッチャーの意見をご紹介したいと思います。

 ある年の春、「セレナーデ」と同じ4〜5月ころだったと思うのですが、神奈川県・丹沢山中の避難小屋で夜明かしした時、夜半すぎに遠くの峰々から、鈴をつけた馬か車が走ってゆくような不思議な音が聞こえてきました。かすかな高い鈴の音が、鳥も啼かない夜のしじまに響きわたります。峯から乢
(たわ)へ、乢から峯へ、走って移動しているように感じられます。

 この、夜の不思議な音を聞く機会は、その後も山の中で何度かありましたが、低山に限られます。奥多摩やアルプスの 2000メートル級の山小屋では、聞いたことがありません。はじめは、繁殖期の鹿の鳴き声かと思いましたが、鹿の多い雲取山の小屋では聞いたことがないのです。

 音の印象が、遠くを走る馬か馬車を想像させるので、鹿ではないかという気がしたのでしょう。鳥かもしれませんが、ほんとうに鈴としか思えない金属質の音です。もちろん、鈴虫のような小さな音ではありません。しかし、いまだに正体は不明です。

 そんな体験を思い出しながら、この詩を読むと、ほんとうに馬の首についている鈴なのかどうか、疑われてきます。よく読んでみれば、


「おぼろにも鈴の鳴れるは
      
〔…〕
 まどろめる馬の胸らし」


 とあって、馬の鈴だというのは、あくまでも作者の想像なのです。家の中にいる馬は、作者からは見えません。そして、賢治は、あくまでも想像だということを意識して書いています。

 ほんとうは、夜の鳥の啼き声かもしれない。ほかの動物かもしれない。ともかくも、森と谷あいの奥から響いてくる不思議な「鈴」の音を、‥眼のまえに“曲がり家”の農家が見えることから‥、その中にいる馬の首の鈴だと想像してしまうのだ。作者は、そう言っているように思われます。

 そうだとすると、


「をちこちに鈴のさまして
 かすかにも啼く鳥あるは
 保護色と云はゞ云ふべし」


 ↑こちらの、森のあちこちの「鳥」のほうが、本来の“音のぬし”なのかもしれない。けっして馬の“まね”をしているわけではないのです。森の見えない奥で、「鳥」たちが、まるで「鈴」のように啼いている。「保護色と云はゞ云ふべし」―――「保護色」と言いたければ言うがよい。「鳥」たちにしてみれば「保護色」でも何でもないのだ‥

 ここで、作者は、山路をたどって来た旅人から、森の奥の「鳥」たちに、自分の立場を移し替えています。つまり、「セレナーデ」を奏でる者の立場に身を置いています。

 「鳥」たちの奏でる「鈴」の音‥‥それは、森の奥にひそむ「夜」そのものの声と言ってもよい。その「セレナーデ」が、慕わしい「きみ」の「うまゐ」――やすらかな甘睡を、夜どおし見守っているのです。

 「鈴」にそっくりの音は、「鳥」たちがその存在を隠すための「保護色」のように思われるかもしれない。しかし、「鳥」たちは、そんなつもりではないのだ。

 同性愛者が、同性どうしの、何と名づけたらよいかわからない燃えるような、あるいは泣けてしまうような感情を、異性間の恋愛感情の言葉で表現するのは、けっしてそれを隠そうとするためではないし、“まね”をしているのでもありません。「保護色」だ、“女のふり”だと、言いたければ言うがよい。













 Aバード・ウォッチャーの意見―――については、次回ご紹介したいと思います。








ばいみ〜 ミ



 
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カテゴリ: 宮沢賢治

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