04/06の日記

06:15
【宮沢賢治】風と雲と波のうた―――『龍と詩人』(4)

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伊良湖町日出   








 こんばんは (º.-)☆ノ



 宮沢賢治の童話小品『龍と詩人』をとりあげています:


 風と雲と波のうた―――『龍と詩人』(1)

 風と雲と波のうた―――『龍と詩人』(2)

 風と雲と波のうた―――『龍と詩人』(3)






【9】「煤色のユートピア」を超えて



 前回の最後に検討したアルタの頌詩の後半2行:



「あしたの世界に叶ふべきまことと美との模型をつくりやがては世界をこれにかなはしむる豫言者、
 設計者スールダッタ」



 これだけを見ると、あたかも、「豫言者」スールダッタは、人間として、自分の心の中で願う未来の世界像―――「まことと美との模型」―――を提示し、改革の努力なり、宗教的な教化によって、「やがては世界をこれにかなはしむる」‥世界を理想に近づけてゆくという、ユートピア思想が述べられているように、受け取られるかもしれません。

 しかし、前回、この頌詩を詳しく検討した結果、そうではないことが判明したと思います。スールダッタの「つく」るべき「模型」とは、


「風がうたひ雲が應じ波が鳴らすそのうた」


 にほかならないのです。そして、「まことと美との模型」とは、


「星がさうならうと思ひ陸地がさういふ形をとらうと覺悟する」


 “自然界”の未来の姿を、《ことば》によって表したものにほかなりません。すなわち、スールダッタが提示するよう求められている「あしたの世界」の像は、人間の考えたユートピアや理想世界ではなく、“自然”自身の意思と「覚悟」を感得して、それを「かたち」にしたものでなのです。

 宮沢賢治が書いた『注文の多い料理店・広告文』には、つぎのような箇所があります:



「🈔 これらは新しい、よりよい世界の構成材料を提供しやうとはする。けれどもそれは全く、作者に未知な絶えざる警異に値する世界自身の発展であつて決して畸形に涅ねあげられた煤色のユートピアではない。」



 つまり、賢治は、ユートピア的な思想―――そのなかには、人類の未来像を提示する社会主義、共産主義はもとより、「均田制」のような復古的理想を掲げた北一輝らの農本主義思想も含まれるかもしれません―――に対して、警戒を抱いていたように思われます。「畸形に捏ねあげられた煤色のユートピア」とは、ユートピア思想すべてではないかもしれませんが、少なくとも、ユートピアに対する楽天的な憧れからは、賢治は、ほど遠い位置にいたと言えるでしょう。

 おそらく、賢治のそうした考えは、『龍と詩人』のアルタの頌詩からもわかるように、“自然”の巨きさ、人類の矮小さを深く自覚した仏教思想に基いていると思います。ここにいう“自然”とは、人間という動物種をつくっている“自然”を含みます。つまり、性慾、金銭欲、権力欲、攻撃性といった、理性の考えるユートピアを妨げるかもしれない諸特性です。

 人間が理性で考え出したユートピアは、“風と雲と波のうた”に対抗しうるものではない。なぜなら、人間自身がじつは“自然”の一部分にすぎないのだから。―――賢治の発想は、かんたんに言えば、そういうことではないでしょうか。













【10】“詩”は、誰のものでもない



 桂冠授与の“頌詩”に盛られたアルタの思想がこのようなものだとすると、スールダッタに賞讃をあびせ、車に乗せて祭り上げていた町の人びとの認識、また賞讃を受けて有頂天になっていたスールダッタの認識は、それとは大きな開きがあります。というのは、彼らの考えるところでは、“詩”とは、人間の創り出すもの‥‥それどころか、人間のなかでも特別な、“詩人”という“選ばれた個人”の生み出すものだからです。

 たしかに、アルタの頌詩にも、詩人を特別な人と見なす考えがないわけではありません。スールダッタを、「豫言者」「設計者」と呼んでいるからです。しかし、スールダッタの「うた」が、風と雲と波の「うた」を聴きとって《ことば》にして歌うものだとすれば、それは“詩人”という個人を超えたものであるかもしれません。

 アルタの気高い讃辞にもかかわらず、スールダッタ自身は、“詩”を個人の手柄とみなす狭い常識にとらわれていたのです。それゆえに、自分の「うた」は“他人の”うたを「ぬすみ聞」きした剽窃だとの非難が浴びせられるやいなや、あたかも、とうてい許されない罪を犯したかのような罪悪感にとらわれてしまうのです。





「(尊敬すべき詩人アルタに幸あれ、

 スールダッタよ、あのうたこそはわたしのうたでひとしくおまへのうたである。いったいわたしはこの洞に居てうたったのであるか考へたのであるか。おまへはこの洞の上にゐてそれを聞いたのであるか考へたのであるか。おゝスールダッタ。

 そのときわたしは雲であり風であった。そしておまへも雲であり風であった。詩人アルタがもしそのときに冥想すれば恐らく同じいうたをうたったであらう。けれどもスールダッタよ。アルタの語とおまへの語はひとしくなく、おまへの語とわたしの語はひとしくない韻も恐らくさうである。この故にこそあの歌こそはおまへのうたでまたわれわれの雲と風とを御する分のその精神のうたである。)

(おゝ龍よ。そんならわたしは許されたのか。)

(誰が許して誰が許されるのであらう。われらがひとしく風でまた雲で水であるといふのに。
〔…〕
宮沢賢治『龍と詩人』より。



 スールダッタからアルタの頌詩を伝え聞いたチャーナタ龍は、


「あのうたこそはわたしのうたでひとしくおまへのうたである。」


 と言って、まず、“詩”と作者個人との結びつきを否定します:



「いったいわたしはこの洞に居てうたったのであるか考へたのであるか。おまへはこの洞の上にゐてそれを聞いたのであるか考へたのであるか。おゝスールダッタ。

 そのときわたしは雲であり風であった。そしておまへも雲であり風であった。」


「誰が許して誰が許されるのであらう。われらがひとしく風でまた雲で水であるといふのに。」



 チャーナタは、スールダッタが「聞いたやうな氣がする」その「うた」を自分が歌ったことを、否定してはいません。歌ったのでないとしても、「考へた」。そして、その考えが、「洞の上」にいたスールダッタにも浮かんだのかもしれません。

 しかし、「そのときわたしは雲であり風であった。そしておまへも雲であり風であった。」―――「うた」が浮かんだとき、チャーナタも、スールダッタも、「雲」と「風」、すなわち“自然界”の一部であった、というのです。“詩”のインスピレーションを受ける時、人は自然界の一部となっている。それは、“自然”からのインスピレーションを求めて、人が「冥想」に沈潜したときである。チャーナタが上↑に続けて、つぎのように言っていることからわかります:


「詩人アルタがもしそのときに冥想すれば恐らく同じいうたをうたったであらう。」



 そうすると、「風」や「雲」や「波」からの「うた」の受け取り方は、それらの唄う「うた」を“聴きとる”というのとは、少し違うことがわかります。「風」や「雲」から“聴きとる”というよりは、自らが「風」や「雲」の一部となっているのです。

 アルタの頌詩では、風・雲・波の「うた」を「たゞちにうたふ」しかた―――自然物の唄う「うた」を聴きとって歌うのか、聴きとる以外の方法で歌うのかは、示されていませんでした。いま、チャーナタが明らかにするところによれば、それは“聴きとる”のではなく、自らが「雲であり風であ」るがゆえに、ともに「うたふ」ことができるのです。






 






 しかし、チャーナタ龍は、つづけて、つぎのようにも言います:



「けれどもスールダッタよ。アルタの語とおまへの語はひとしくなく、おまへの語とわたしの語はひとしくない、韻も恐らくさうである。この故にこそあの歌こそはおまへのうたでまたわれわれの雲と風とを御する分のその精神のうたである。」



 「風」や「雲」となり、“自然物”の一部となって歌ったとしても、人間の「うた」は、《ことば》として紡ぎ出されます。《ことば》は、意味だけでなく“音”をもっています。人間の「うた」は、個人ごとに異なる“音”の「語」と、異なる「韻」をもって歌い出されるのです。そこに、“詩”と作者個人との結びつきがあります。

 「韻」とは、漢字の“音”のうち、頭子音を除いた部分です。たとえば、「年(nián)」ならば、ián が「韻」です。漢詩では、行(「句」)の最後の字の「韻」を合わせて「脚韻」とします。たとえば(張継「楓橋夜泊」):


「月落烏啼霜満天(tiān)  月落ち烏啼いて 霜天に満つ
 江楓漁火対愁眠(mián)  江楓漁火 愁眠に対す」


 「天」と「眠」が同じ「-ian」で、脚韻になっています(ā と á は、唐代には同じ声調でした)。

 もっとも、そのあとの


「この故にこそあの歌こそは……またわれわれの雲と風とを御する分のその精神のうたである。」


 の部分は難解です。「その精神」とは、「われわれ」が「雲と風とを御する」ところの「われわれ」の精神なのか? それとも、「雲と風」にほかならない「われわれ」を「御する」、「われわれ」とは別の精神なのか?

 おそらく後者でしょう。スールダッタが「詩賦の競い」で披露した「うた」は、スールダッタ個人の「うた」であると同時に、スールダッタをも、チャーナタをもふくむ「雲と風」すべてに対して、「御する」力を及ぼしている「精神」の「うた」だというのです。

 ここでいう「精神」とは、何でしょうか? かつての“賢治研究圏”では、多くの人が、こうした「精神」を実体化して、“宇宙精神”であるとか“宇宙意志”であるとか言って、大ぶろしきを広げてみせるのが常でした。しかし、それが宮沢賢治の本意にかなっているとは思えません。こうした傾向は、何でもないテクストのはしばしに、なにかとてつもない哲学を読み込んで、賢治を新興宗教の教祖に祭り上げてしまいます。

 たとえば、仏教に対する考え方でも、中国や日本では、何でもかんでも実体視して祭り上げてしまう傾向があるようです:



「私たちのなかには、誰しも生まれながらに、如来の胎児が宿っていて、それは『自性清浄心』とよばれる。なんら汚れなき心‎の意味だ。
〔…〕後世では、『仏性』ともよばれた。

 問題は、その自性清浄心を、あくまで可能性と見るか?、実体と見るか? にある。
〔…〕この世に、神はもとより、あらゆる実体を認めない仏教の根本的な立場からすれば、自性清浄心を実体と見る如来蔵思想は批判されても、やむをえない。

 ところが、中国から日本におよぶ東アジアの仏教圏では、自性清浄心を実体と見る如来蔵思想は、むしろ主流派の地位を得た。
〔…〕

 東アジア仏教では、森羅万象どころか、本来インドでは『ゼロ』を意味していた『空
〔くう〕』すらも実体化され、空という絶対の原理や領域が実在するとみなされた。そして、そこに入り、融合することこそ、悟りの実現にほかならないと考えられたのである。」
天澤退二郎・他編『宮澤賢治イーハトヴ学事典』,2010,弘文堂,p.450.



 チャーナタ龍の表明にある「御する分のその精神」とは、アルタの言う「星がさうならうと思ひ陸地がさういふ形をとらうと覺悟する」自然界の「かたち」のない意思と、同じものだと考えてはどうでしょうか? つまり、スールダッタの「うた」は、たしかに彼独自の「語」と「韻」が刻みつけられた彼の「うた」なのですが、そのもとをたどれば、「雲」と「風」と「波」の音に含まれている、“自然界”の意思の現れにほかならない、ということになるでしょう。その意思を、キリスト教の人格神のように実体化、実在化して考える必要はありません。たんに、“そういう傾向がある”と考えればよいのです。

 チャーナタのここでの主意は、スールダッタの歌った「うた」は、彼個人の刻印を刻まれた彼自身のものであると同時に、誰のものでもない“自然”のインスピレーションの形象化であり、それが《ことば》として形になったものにほかならない、ということなのです。













【11】誰でもが「詩人」である



 この童話の題名『龍と詩人』の「詩人」とは、誰を指しているのでしょうか? 登場人物は「チャーナタ龍」と「スールダッタ」の2名であることから言うと、「詩人」とは、スールダッタのことだとも考えられます。じっさい、この童話について書かれた論文には、みなそう書いてあります。ところが、このテクストの中で、作者は、一度もスールダッタを「詩人」とは呼んでいないのです。

 「詩人」とは、アルタのことでしょうか? そうも考えられなくはありません。たしかに、アルタは、「いちばん偉い詩人」「古い詩人」と呼ばれています。しかし、アルタは、スールダッタの話の中にだけ出てくる人物で、主要な役回りはあくまでも、チャーナタとスールダッタの2名なのです。

 「詩人」といえば、チャーナタこそ「詩人」と呼ばれるにふさわしいかもしれません。スールダッタの「うた」は、洞窟の中でチャーナタが吟じた「うた」を聞いて作ったのかもしれないし、チャーナタと同時にインスピレーションを受けて浮かんだのかもしれません。いずれにせよ、チャーナタもまた「うた」を作っているのです。そして、スールダッタは、チャーナタの言によって“詩”に対する考え方を教えられ、眼を開かれるのです。

 スールダッタは、チャーナタに向って:


「あのうつくしい歌を歌った尊ぶべきわが師の龍よ。」


 と言っています。「詩人」とはチャーナタのことだとすると、題名の『龍と詩人』は、「龍」「詩人」という2人の人物を並べているのではなく、「龍」であると同時に「詩人」であるチャーナタを指している、ということになるでしょう。あるいは、ひとりの「龍」によって表現された「詩人」というものの本質、というこの作品のアレゴリカルな性格を言い表しているかもしれません。というのは、つぎのように考えられるからです:

 チャーナタは、なぜ洞窟に幽閉されているのでしょうか? たしかに、物語のすじとしては、むかし人々に災いをもたらしたために、罰として幽閉されたのだとされています。



「わたしは千年の昔はじめて風と雲とを得たとき己の力を試みるために人々の不幸を來したために龍王の____
〔数文字分空白・傍線付き〕から十萬年この窟に封ぜられて陸と水との境を見張らせられたのだ。」



 しかし、↑このような事情は、この物語のあとのほうで初めて語られるのです。物語の最初には:


〔…〕おれはここを出て行けない。この洞の外の海に通ずる隙間は辛くも外をのぞくことができるに過ぎぬ。)
 (聖龍王、聖龍王。わたしの罪を許しわたくしの呪をお解きください。)」



 としか書かれていません。「罪」「呪(のろい)」と言うだけで、その実体は不明なのです。

 「龍」が洞窟に閉じ込められているのは、芥川の『龍』にはない、宮沢賢治独自の設定です。自身は解くことのできない呪いをかけられて洞窟に幽閉された龍は、“詩人”というものの存在のしかたを、よく表しているのではないでしょうか? 洞窟の中の龍は、わずかな「隙間」を通して、外の世界を見ることができます。外にいるスールダッタのように、自由に大空を仰いだり、水平線まで広がる海を眺めたりすることはできません。しかし、それだからこそ、割れ目から射しこむ陽の光が刻一刻と変化するさまを、見まもらないではいられないのです。

 外の世界を飛び回ることができないからこそ、“詩”というかたちで、外の世界の姿を「模型」に作り上げないではいられないのです。そして、“詩”をうたうことによって、龍は、その時にだけ、外の世界を天翔ける「雲であり風であった」のです。

 それは“詩人”のアレゴリーであるとともに、単なる“詩人”であることをこえて、人間存在一般のアレゴリーであるのかもしれません。






 






 しかし、宮沢賢治は、そもそも“詩人”ないし“芸術家”という特別な資格を否定します。賢治の究極の考えでは、すべての人間が“詩人”であり“芸術家”でありうるのです:



「農民芸術の産者

 ……われらのなかで芸術家とはどういふことを意味するか……

   職業芸術家は一度亡びねばならぬ
   誰人もみな芸術家たる感受をなせ
   個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
   然もめいめいそのときどきの芸術家である
         
〔…〕
   創作止めば彼はふたたび土に起つ」

宮沢賢治『農民芸術概論綱要』より。



「いま宗教家芸術家とは真善若くは美を独占し販
〔う〕るものである

     
〔…〕

 われらに購ふべき暇もなくまたさるものを必要とせぬ
 いまやわれらは新に正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ

     
〔…〕

 農民よ奮ひ立てそしてわれらの――の表現を持て」

宮沢賢治『農民芸術の興隆』より。



 「詩人」とは、だれでものことである。なぜなら、“詩”とは、「雲」や「風」や「波」から霊感を受け、それらの一部となり、“自然物”の一部として「うたふ」ことにほかならないから。それをする能力は、誰もが有している。なぜなら、人間は“自然”の一部なのだから。すなわち、職業詩人だけが“詩人”ではない。いやむしろ、商品としての芸術の制作に没頭して、本来の芸術を忘れてしまった「職業芸術家は一度亡びねばならぬ」。

 ―――このような考え方は、賢治の生きた時代には、過激きわまりない異常な思想だったかもしれませんが、ネットに素人小説家や素人画家があふれている今日の時代においては、それほど極端な考えには見えません。

 そういうわけで、



「われらがひとしく風でまた雲で水であるといふのに。」


 ↑このチャーナタの言も、スールダッタと2人のことだけを言っているのではなく、およそ人は誰もが風にも雲にも水にもなりうる、それらの一部となって「うた」を歌うことができるのだ―――と言っているのだと思います。






【12】龍が口から吐いた「宝珠」



〔…〕スールダッタよ

 もしわたくしが外に出ることができおまへが恐れぬならばわたしはおまへを抱きまた撫したいのであるがいまはそれができないのでわたしはわたしの小さな贈物をだけしやう。こゝに手をのばせ。)龍は一つの小さな赤い珠を吐いた。そのなかで幾億の火を燃した。(その珠は埋もれた諸經をたづねに海にはいるとき捧げるのである)」

宮沢賢治『龍と詩人』より。



 ここで、チャーナタは、「小さな赤い珠(たま)」を吐き出して、洞窟の岩の割れ目から、スールダッタに与えるのですが、この「赤い珠」の登場で、物語は、新たな段階に入ります。しかし、まず解らないのは、この「赤い珠」は、何なのかということです。

 仏教には、「摩尼宝珠」または「如意宝珠」というものがあります。地蔵菩薩、如意輪観音、吉祥天などの仏像が手に持っている玉です。龍も持っていることがあります(↓画像参照)。







双龍図(建仁寺 小泉淳作)




地蔵菩薩像(恐山)






 辞書には、次のように説明されています:



まに【摩尼】
@ 玉。神秘的な力をもつ玉。摩尼珠。摩尼宝珠。
A 龍王あるいは摩竭魚の脳中にあるとも、仏の骨の変化したものともいわれる玉。これを得ればどんな願いもかなうという。如意宝珠。


まに【摩尼】[仏語]
@ 珠玉の総称。悪を去り、濁水を澄ませる徳があるといわれる。摩尼珠。摩尼宝珠。摩尼宝。
A 如意宝珠のこと。龍王の脳中から出たなどといわれる宝珠で、願うことはなんでもかなえられる宝といわれる。



 Aのほうの意味が、龍に関係していそうです。

 しかし、↑上の写真でわかるように、「摩尼宝珠」は、赤くはありませんし、中で火が燃えているわけでもありません。経典を求めてゆくときに使われるということもありません。

 しかも、仏典では、「摩尼宝珠」「如意宝珠」は、もっぱら↓つぎのような文脈で使われるらしいのです:



「爾時大藥復白佛言:『世尊!其識牢固猶如金剛,云何成就羸弱之身?』

 佛告大藥:『譬如有人貧窮,不能自濟,忽然值遇如意寶珠。彼人得珠執已,所造如意,即得稱成樓觀池臺,城門坑塹,周匝高門,園林華果,枝葉蓊欝,彌覆其上,及餘資財諸物,皆悉如心,自然化作。

 大藥!彼等諸事、悉皆羸弱速疾破壞離散之法,然後彼人手執如意珠,忽然失落,彼等樂事,即滅不現。大藥!如彼如意珠,千金剛破,終不可壞,有此功能,隨意所念,皆悉剋果。如是,如是此識牢固,猶如金剛,而受身者此不堅牢也。』」

(『大寶積經』卷第110, 「賢護長者會」第39之2.)



 これは、「大薬」という人と「佛(ブッダ)」との問答です。その中で、ブッダが譬え話をしています。貧窮して自分の生活もできなくなった人が、とつぜん「如意宝珠」に巡り遭った。「宝珠」を手に執ったとたんに、何でも手に入るようになり、豪壮な屋敷に池や築山、お堀と城門、鬱蒼と茂った森に果物の実る庭園が現出した。ところが、突然できあがった豪邸は、壊れるのも速く、ちりぢりに崩れたあとで、「宝珠」も手から落ちて無くなってしまった。こうして、何もかも、もとのもくあみになってしまった。

 つまり、“如意宝珠を得る”とは、“汗水たらして働くことをしないで、安楽に物やお金を得る”という、否定的な意味に使われるようです。そうだとすると、これは、『龍と詩人』で、「埋もれた諸經をたづねに海にはいるとき捧げる」「赤い珠」とは、つながらないような気がします。「赤い珠」については、次回に、もっと別の方面から、その意味を探ってみたいと思います。






 








ばいみ〜 ミ



 
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カテゴリ: 宮沢賢治

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