01/14の日記

12:14
【宮沢賢治】「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(9)

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 こんばんは (º.-)☆ノ




 「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(1)
 「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(2)
 「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(3)
 「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(4)
 「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(5)
 「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(6)
 「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(7)
 「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(8)

 からのつづきです。






 【19】 “語りえないもの”を語ること



 (6)で見た『ギリヤークの昔話』からの要約(CDE)を、ここでもう一度考えてみたいのです。

 3篇とも、たいへん短い物語ですが、読み終ったあとに残るのは、ギリヤークの村の小さな日常空間の外側に、海の底に、あるいは、丘の木立ちの梢の向うに広がる、広大無辺の世界に対する畏敬に似た感情です。そこは、人をよせつけない未知の領域です。

 赤ん坊、幼い男の子、また娘たちがある時、その“境界”の向うへ失踪してしまう。彼らの消えて行った“異空間”から、山鳩や、雀や、波に打ち上げられる鮭の皮や宝石がやってくるのです。村人は、その鳥たちが、いなくなった子供が姿を変えているにちがいないと思う。打ち上げられた漂流物は、娘たちを娶った海神からの贈物にちがいないと思う。行方の分からなくなった子供たちに対する深い悲しみが、果てしなく広がる見えない世界への思慕の感情と溶け合っています。ここでは、“異空間”は、村人の日常の生活空間と境を接して、その存在を誰もが知る確実な世界として、しかも人の知りえない秘密にみたされた領域として、いつもそこに在るのです。

 これらの民話では、“語りえないもの”が語られていると言えるでしょう。“語りえないもの”が語られうるのは、語り手であり聞き手である人びとが、誰にも知りえない世界の存在することを知っているからです。

 先住民にとっては、モスクワも東京も、彼らの世界には存在しないのです。モスクワや東京よりも、海の底の異空間のほうが、ずっと確実に存在する世界なのです。



「初期のソヴィエトの先住民族政策と日本国家の政策とを分かつ特徴のひとつに、ソヴィエトの側での、先住民族共同体から
〔…〕知的エリートの創出を促そうとの意識的努力があった。〔…〕1926年にはシベリア諸言語のための特別プログラムが着手され、そこには 11の言語集団から取り集められた 58名の学生が加わった。〔…〕1931年に、13の先住民族言語のためのアルファベットがつくりだされ、3つの教科書がうまれた。こうしたプログラムをとおして教育を得た者には、チュクチの作家ユーリ・ルイトヘウやニヴフの人類学者チュネル・タクサミをはじめとする数多くの指導的な先住民族知識人がいる。しかし、エリートの集中的な訓練は複雑な効果を及ぼしもした。それは子どもたちを〔…〕すくなくとも 4年間は家族から引き離し、レニングラード社会というまったく見ず知らずの環境に押し込んだのである。先住民族の学生は自分たち自身の言語で学習し書くように奨励されたが、同時にロシアの〔…〕『先進文明』に驚愕し、それを見習い、自分自身の『後進的な』習慣は振り払うように教育された。これは悲劇的な結果をうむこともあった。

 チュネル・タクサミは、この教育計画の第1期生となったニヴフの学生のことを思い起こす。この学生はレニングラードで自分の編まれた長髪――その当時でもニヴフにとって重要な文化的シンボルであった――を刈りあげるよう説得をうけた。彼が刈り込まれた髪のままで自分自身の共同体に帰ると、その行動は家族を憤激させ、妻は彼を残して出て行ってしまった。」

『辺境から眺める』,pp.118-119.



 ニヴフの村の人びとは、ロシア人の髪形になって帰って来た男を見て、“異空間”よりも遠い世界に取り込まれ、そこで変身した、異形の化け物がやってきたように感じたのかもしれません。

 それは決して誇大な想像ではないと思います。ギトンは、高校生の時に韓国の地方都市に文通友達を訪ねて行ったことがあるのですが、彼のお母さんは、海の向こうにも国があって人が住んでいるということが理解できず、ギトンが外国人だということをどうしても信じようとはしなかったものです。↑上のソ連の逸話よりもずっと最近の、しかも“文明化”された韓国でも、そういうことがあるのですから。。。













 ギリヤークの民話と比較すれば、宮沢賢治の『サガレンと八月』は、たしかに失敗だったと言えるかもしれません。物語が中断しているから失敗‥というわけではないでしょう。上の3つの民話だって、子供や娘たちが消えて行った世界のことは、何も語られていません。つまり、完結してはいないのです。しかし、その不可知のかなたへ消えてゆくような未完結性の印象こそが、“語りえないもの”が表出されていることにほかなりません。

 『サガレンと八月』の冒頭の“枠物語”は、ギリヤーク民話と同じ日常世界/異世界の空間構造を構想していました。“境界”の向こう側の世界は、“波や風”の語りを伝え聞く以外に知りようがないのであり、広大無辺なその奥は、不可知の暗闇に茫として消えている―――そういう空間構造です。

 しかし、『サガレンと八月』を読み終ったとき、私たちには、ギリヤーク民話のような、自然界ないし異空間への畏敬の感情が、なにも残らないこともたしかなのです。

 同じ 20世紀初めとはいえ、すでに、賢治の生まれ育った世界は、サハリンの先住民の生活空間とは、大きく条件が異なってしまっていたのです。宮沢賢治が、ギリヤークの素朴さで語ることはできないのです。


 しかし、そのことは、“語りえないもの”を語ることが、不可能になってしまったことを意味するわけではありません。賢治には賢治の語りようが、21世紀の私たちには、私たちの語りようがあるはずです。


 では、どうしたら、“語りえないもの”を語ることができるのか?



 それまでは、ただ“異空間”に魅了され、そこに没入し、「見たまま」をスケッチすれば足りると考えていた賢治も、このあたりをきっかけにして、“語ること”を意識しはじめたのかもしれません。語りえないものを語ること、語ろうとしつづけることが、その時から、大きな課題として彼の前に立ち現れてきたのではないでしょうか?





「ところがおれはあんまりステツキをふりすぎた」

『春と修羅』「真空溶媒」より。



 語ろうとしても、おしゃべりが過ぎてしまって、かえって肝心なことが表出されない、ということがあります。賢治は、“語りえないもの”を語るために、これからさまざまな試みをしてゆくことになるのです。






 【20】 『土神ときつね』―――心理学の不可能性



 “語りえないもの”を語ろうとする賢治のさまざまな試み―――その全体像をここで論じることはできません。今のギトンには、課題が大きすぎます。ここでは、賢治の試みの一例として、『土神ときつね』を取り上げたいと思います。

 『土神ときつね』は、『サガレンと八月』や『タネリは……』との先後関係はわかりませんが、近い時期に執筆されたと思われます。(7)で見たように、「べらべらした桃いろの火」という表現が出てくるからです。(7)で引用した部分を、あらためて読んでみたいと思います。樺の木に逢おうとしてやってきた土神が、きつねと樺の木の会話を耳にして、嫉妬に燃える場面です:




「八月のある霧のふかい晩でした。土神は何とも云へずさびしくてそれにむしゃくしゃして仕方ないのでふらっと自分の祠を出ました。足はいつの間にかあの樺の木の方へ向ってゐたのです。
〔…〕

 土神は
〔…〕そのうちたうとうはっきり自分が樺の木のとこへ行かうとしてゐるのだといふことに気が付きました。すると俄かに心持がをどるやうになりました。

 
〔…〕ところがその強い足なみもいつかよろよろしてしまひ土神はまるで頭から青い色のかなしみを浴びてつっ立たなければなりませんでした。それは狐が来てゐたのです。〔…〕ぼんやり月のあかりに澱んだ霧の向ふから狐の声が聞えて来るのでした。

 『えゝ、もちろんさうなんです。器械的に対称
(シインメトリー)の法則にばかり叶ってゐるからってそれで美しいといふわけにはいかないんです。それは死んだ美です。』

 『全くさうですわ。』しづかな樺の木の声がしました。

 『ほんたうの美はそんな固定した化石した模型のやうなもんぢゃないんです。対称の法則に叶ふって云ったって実は対称の精神を有
(も)ってゐるといふぐらゐのことが望ましいのです。』

 『ほんたうにさうだと思ひますわ。』樺の木のやさしい声が又しました。土神は今度はまるでべらべらした桃いろの火でからだ中燃されてゐるやうにおもひました。息がせかせかしてほんたうにたまらなくなりました。なにがそんなにおまへを切なくするのか、高が樺の木と狐との野原の中でのみじかい会話ではないか、
〔…〕
『土神ときつね』より。






 






 「土神」の深層のリビドー、攻撃衝動を、「べらべらした桃いろの火」と表現しています。この「土神」は、欲望とリビドーにのみ支配された野放図な人物として描かれています。「樺の木」に対しては、


「ずゐぶんしばらく行かなかったのだからことによったら樺の木は自分を待ってゐるのかも知れない、どうもさうらしい、さうだとすれば大へんに気の毒だ」


 などと勝手に思いこんでいます。「どうもさうらしい」は、まったく根拠のない単なる思いこみです。そして、「樺の木」のそばに「きつね」がいれば、それだけで攻撃衝動が燃え上がるのです。

 「土神」の攻撃衝動は、“恋敵”に向けられるだけではありません。たまたま「土神」の祠の近くを通った人間にもそれは向けられ、その「木樵」を念力で引き回して痛めつけてウサ晴らしをするのです。


〔…〕木樵は草の中にどしりと落ちてううんと云ひながら少し動いたやうでしたがまだ気がつきませんでした。

 土神は大声に笑ひました。その声はあやしい波になって空の方へ行きました。

      
〔…〕

 土神はたまらなさうに両手で髪を掻きむしりながらひとりで考へました。おれのこんなに面白くないといふのは第一は狐のためだ。狐のためよりは樺の木のためだ。狐と樺の木とのためだ。けれども樺の木の方はおれは怒ってはゐないのだ。樺の木を怒らないためにおれはこんなにつらいのだ。
〔…〕



 賢治は、おそらくフロイト派の深層心理学にしたがって、あえて人間のリビドーだけを純粋に取り出して、「土神」という人物を造形したのだと思います。「土神」にも、理性による思考はあるのですが、すべての思考が、リビドーを正当化し強める方向にしか働かないのです。満たされない欲望のために鬱屈した気分さえもが、「きつね」のせい、「樺の木」のせい、‥と、他人のせいにされてしまいます。

 これも、深層意識を語るひとつの試みなのだと思います。しかし、この童話に“異空間”は現れません。それは、深層心理学という科学的な方法、“外部から”の観察によっているためでしょう。その結果、すべては「土神」の“心の中”に起きる感情として描かれ、「土神」自身はそれを倫理的に正当化しようとするあまり、此界の人間関係に投影させてしまうのです。

 「土神」は「神」であるのに、どこまでも人間の意識をもって行動し、本来「神」がいるべき場所――“異空間”から、もっとも遠い存在となっています。この著しくパラドキシカルな事態が、この童話の主題なのだと思います。

 『土神ときつね』は リビドー説という科学的な理論で、“異空間”つまり深層意識を、徹底して切り刻もうとした試みと言えるでしょう。



 上に引用した「樺の木」と「きつね」の会話で、ひとつ気になることがあります。「きつね」は、ほんとうにただのホラ吹きなのか?‥という疑問です。

 「きつね」が「樺の木」に語っているシンメトリーに関する見解―――「対称の法則」を「器械的」に適用しても、単なる「固定した…模型」「死んだ美」にしかならない。対称の「美」とは、「対称の精神を有っ」た自由な創意から生まれる動的なものである―――は、すぐれて独創的な考察と思われます。すぐれた芸術観の産物ではないでしょうか? おそらく、宮沢賢治自身の見解が述べられているのだと思います。賢治の本領である詩歌についていえば、たとえば“対句”が、シンメトリーの例です。賢治はたしかに、対句を多用しています。しかし、たとえば↓つぎの例に見るように、対句の対応はかなり柔軟で、動的です。



「こんや異装のげん月のした
 鶏
(とり)の黒尾を頭巾にかざり
 片刃の太刀をひらめかす
 原体
(はらたい)村の舞手(おどりこ)たちよ
 
(とき)いろのはるの樹液を
 アルペン農の辛酸に投げ
 
(せい)しののめの草いろの火を
 高原の風とひかりにさゝげ
 菩提樹皮
(まだかは)と縄とをまとふ
 気圏の戦士わが朋たちよ

『春と修羅』「原体剣舞連」より。



 よく読めば、この冒頭の部分に限らず、この詩は、語句の順序と対応配置がよく考えられており、緻密に構成されていることがわかります。













 『土神ときつね』の物語の中で言えば、このように優れた芸術理論を、多少雑な言い方ではあっても語る「きつね」は、ただのホラ吹きとは思えないのです。

 「きつね」は、惑星と恒星についても「樺の木」に語っていますが、「当時の天文愛好家的一面」と言える内容です(『イーハトヴ学事典』,440r.)。しかし、「シンメトリー」の美学のほうは、典拠があるのかどうかわかりませんが、誰でも思いつく内容ではありません。この物語の中で、「きつね」の知識やすぐれた芸術論の源泉は、何なのでしょうか?‥

 ところが、この童話のラストで、「きつね」を殺してしまった「土神」が巣穴の中に入ってみると、「たゞ赤土が奇麗に堅められてゐるばかりで」何もありませんでした。「狐の屍骸のレーンコートの……かくしの中には茶いろなかもがやの穂が二本はひって居」るだけだったのです:



「土神は
〔…〕ふと狐の赤革の靴のキラッと草に光るのにびっくりして我に返ったと思ひましたら俄かに頭がぐらっとしました。狐がいかにも意地をはったやうに肩をいからせてぐんぐん向ふへ歩いてゐるのです。土神はむらむらっと怒りました。顔も物凄くまっ黒に変ったのです。美学の本だの望遠鏡だのと、畜生、さあ、どうするか見ろ、といきなり狐のあとを追ひかけました。〔…〕さあ狐はさっと顔いろを変へ口もまがり風のやうに走って遁げ出しました。

      
〔…〕

 土神はまるでそこら中の草がまっ白な火になって燃えてゐるやうに思ひました。青く光ってゐたそらさへ俄かにガランとまっ暗な穴になってその底では赤い焔がどうどう音を立てて燃えると思ったのです。

 二人はごうごう鳴って汽車のやうに走りました。

 『もうおしまひだ、もうおしまひだ、望遠鏡、望遠鏡、望遠鏡』と狐は一心に頭の隅のとこで考へながら夢のやうに走ってゐました。

      
〔…〕

 土神はいきなり狐を地べたに投げつけてぐちゃぐちゃ四五へん踏みつけました。

 それからいきなり狐の穴の中にとび込んで行きました。中はがらんとして暗くたゞ赤土が奇麗に堅められてゐるばかりでした。土神は大きく口をまげてあけながら少し変な気がして外へ出て来ました。

 それからぐつたり横になってゐる狐の屍骸のレーンコートのかくしの中に手を入れて見ました。そのかくしの中には茶いろなかもがやの穂が二本はひって居ました。土神はさっきからあいてゐた口をそのまゝまるで途方もない声で泣き出しました。

 その泪は雨のやうに狐に降り狐はいよいよ首をぐんにゃりとしてうすら笑ったやうになって死んで居たのです。」

『土神ときつね』より。



 「青く光ってゐたそらさへ俄かにガランとまっ暗な穴になってその底では赤い焔がどうどう音を立てて燃えると思ったのです。」という「土神」の《心象》は、“異世界”に入りかけているようにも見えます。しかし、入ってゆくことはありません。この作品では、“異世界”“異空間”は現れないのです。

「美学の本だの望遠鏡だのと、畜生、さあ、どうするか見ろ」―――「土神」は《物質的》にのみ追い求めます。「土神」に対して「きつね」を大きい存在に見せているのは、キラッと光る「赤革の靴」「美学の本」「望遠鏡」‥‥そういった、「きつね」が所持している、あるいはまもなく入手すると称している品々です。それらの品々は、「きつね」を、当時のグローバルな最先端の知識界にむすびつけています。「土神」をおそれおののかせているのは、じつは「きつね」その人ではなく、それらのグローバルな“装備”―――つまり「火薬と紙幣」―――なのです。

 “辺境”へと侵入しつつある近代世界は、人々の欲望を膨張させて、物神崇拝のとりこにします。人間を、“ひと”そのものでなく《物質的》装備によって認識するようになるのは、物神崇拝のひとつの現れです。

 「土神」は、「きつね」を殺して踏みつけた後、「狐の穴の中にとび込んで行きました。」―――「土神」の殺意と敵視は、「きつね」その人以上に、その《物質的》な装備に向けられているので、「狐を地べたに投げつけてぐちゃぐちゃ四五へん踏みつけ」ただけでは、「土神」の攻撃衝動は収まりません。なおも《物質的》装備のありかを追求して、本拠と目された「巣穴」へ向かいます。ところが‥‥

 「狐の穴の……中はがらんとして暗くたゞ赤土が奇麗に堅められてゐるばかりでした。」―――「美学の本」も「望遠鏡」も、その痕跡さえ無いと知った「土神」は、「大きく口をまげてあけながら少し変な気がして外へ出て来ました。」そして、なおも《物質的》装備を求めて、「きつね」のレインコートのポケットを捜索します。しかし、「かくしの中には茶いろなかもがやの穂が二本はひって居ました。」―――キツネの源泉は、物質的なものではなかったのです。

 「かもがやの穂」は、民間信仰で、キツネが人を化かす時に使う道具立て。この「きつね」の場合には、「赤い靴」や背広一式、ハイネの詩集などを、この妖術の道具で作り出していたのでしょう。つまり、「かもがやの穂」は、虚栄だけで中身がないことを示す象徴かもしれません。しかし、別の見方もできます。「土神」をおののかせ、怒りに燃え上がらせたいっさいが、「きつね」が妖術で作り出していた幻影だったとすれば、「きつね」の“装備”は、《物質的》なものではなかったことになります。






 






 「かもがやの穂」だけが「きつね」の持ち物であったことを知った「土神」が「まるで途方もない声で泣き出し」たのは、なぜなのでしょうか?

 いろいろな解釈があると思いますが、ギトンは次のように考えます。「土神」は、自分をおののかせているもの、大きく見えるもの、自分を超える圧倒的な価値と思われたものを追い求めてきたのに、そこにあるのは、枯れた雑草の破片でしかなかったのです。《物質的》な装備は、幻影でしかなかった。「きつね」の向う側に“異空間”を見ることはできなかったのです。

 「きつね」の秘密を解き明かそうとして、科学で「きつね」の身体を切り刻んでも、何も得ることはできません。「きつね」その人が生きていなければ、何にもならないのです。「きつね」が「樺の木」に語る言葉から溢れ出ていた夢のようなオーラのみなもとは、《物質的》な源泉ではなかったからです。

 「もうおしまひだ、もうおしまひだ、望遠鏡、望遠鏡、望遠鏡」―――「きつね」も、逃げながら頭の隅でそう呟いています。「きつね」も、物質にとらわれているのです。しかし、本人は意識しなくとも、彼の語りが「樺の木」に与えていた喜びと希望の源泉は、物質以外のところにありました。

 この童話のラストは、科学で“異空間”を解明することの不可能性を象徴しています。科学で人間の意識を切り刻み、その「巣穴」の中を捜索しても、「中はがらんとして暗く」からっぽに見えるだけです。外部から覗いた意識の“深層”には、燃えさかる欲望の炎しかありません。「ひと」が生きて語らなければ、“異空間”も何も見えはしないのです。

 しかし、『土神ときつね』は、“異空間”を語ること―――科学的方法に依拠して語ること―――の不可能性そのものを主題とすることによって、すぐれた作品になっていると思います。科学による意識の「深部」の探究、心理学理論によって異空間を解明する“語り”を、とことん追求し、その不可能性を示したことによって、作者は、『サガレンと八月』での失敗に、ひとつの解決を与えたと言えます。








 【21】“辺境”を内在化することの難しさ



 (1)で引用した『サガレンと八月』の冒頭“枠物語”で、「波」の返事の「謙遜な申し訳けのような調子」が、語り手を「まるで立っても居てもいられないよう」な気持ちにしたと書いている部分があります。「それっきり浪はもう別のことばで何べんも巻いて来ては砂をたててさびしく濁り」、そのことにはもう触れなくなってしまうのです:



「すると波はすこしたじろいだようにからっぽな音をたててからぶつぶつ呟やくように答えました。『おれはまた、おまえたちならきっと何かにしなけぁ済まないものと思ってたんだ。』

 私はどきっとして顔を赤くしてあたりを見まわしました。

 ほんとうにその返事は謙遜な申し訳けのような調子でしたけれども私はまるで立っても居てもいられないように思いました。

  そしてそれっきり浪はもう別のことばで何べんも巻いて来ては砂をたててさびしく濁り、砂を滑らかな鏡のようにして引いて行っては一きれの海藻をただよわせたのです。」

『サガレンと八月』より。
原文は旧仮名遣い 



 植民地化のもとでの先住民のありようを、それとなく示していると考えてもよい場面です。賢治は、じっさいに現地で、先住民との会話のことばの端から、思わず内心で赤面するような体験をしたのかもしれません。抗議を言い立てないだけに、賢治のような倫理的に敏感な植民側の者は、いっそう強い痛みを胸に感じるのです。

 その感じは、もしかすると、この童話での「犬神」や「ちょうざめ」の厭わしさ、恐ろしさと、その理不尽な迫害の叙述に反映しているかもしれません。それは、岩手県の山村を舞台とする『家長制度』で描かれたような、家父長的な強権支配を思わせるのですが。

 その改稿として書かれた『タネリは……』では、賢治は、“異空間”の取り扱いに戸惑っているようにも見えます。ホロタイタネリは、“異空間”の第1の層からも、第2の層からも、逃げ出してしまうのです。

 『タネリは……』と『土神ときつね』の先後関係はわかりませんが、『土神ときつね』で、深層意識を、破壊攻撃衝動としてのリビドーにフォーカスしてとらえていることと、ホロタイタネリの“異空間”に対する強い危惧とは、たがいに照応していると言えます。ホロタイタネリは、言いつけられた警告に従って、「森」へ入らないだけでなく、警告されていないヒキガエルの呟き――“異空間”の第1の層――からも逃げ出しているのですから。













 “異空間”を視ることは、“禁忌”を犯すことであり、通常では許されない視線によって、“辺境”から“帝国”の内側の日常世界を視ることに通じます。その視線を、“帝国”の中に持ち帰って来たとき、それは、超常感覚から噴出する政治的想像力の露頭となって現れるでしょう。賢治の場合、たとえば、口語詩「産業組合青年会」に噴出する、近代化への・一見不合理な、理屈にならないような疑念となって、それは現れてくるのだと思います。

 しかし、そこにはなかなか難しい問題があります。“帝国”の内部では、“近代化”に侵害される人びとの意識は、かえって賢治のようなモダニストに対する反感と結びつきもするからです。



「祀
〔まつ〕られざるも神には神の身土があると
 あざけるやうなうつろな声で
 さう云ったのはいったい誰だ

      
〔…〕

 まことの道は
 誰が云ったの行ったの
 さういふ風のものでない
 祭祀の有無を是非するならば
 卑賤の神のその名にさへもふさはぬと
 応へたものはいったい何だ

      
〔…〕

 たとへ苦難の道とは云へ
 まこと正しい道ならば
 結局いちばん楽しいのだと
 みづから呟き感傷させる
 芝居の主はいったい誰だ

      
〔…〕

 祀られざるも神には神の身土があると
 なほも呟くそれは誰だ」

『春と修羅・第2集』#313「産業組合青年会」1924.10.5.〔下書稿(二)〕



 「祀られざるも……」は、「産業組合青年会」の会合出席者の発言。花巻農学校での宮沢賢治演出の田園劇(樹霊、雷神を登場させていた)を激しく批判した発言だったとする解釈もあります(⇒:《宮沢賢治の詩の世界》産業組合のトラウマ?)。「まことの道は……」は賢治の反論、「たとへ苦難の道とは云へ……」は賢治の独白または内語でしょう。しかし、「祭祀の有無を是非するならば」など、賢治の反論は、投げかけられた批判と論理的に噛み合っていません。じっさいにこういうやりとりがあったとすれば、ずいぶんとこみいった、やっかいな議論になってしまったことでしょう。

 もしかすると、『土神ときつね』で、モダニストの「きつね」に対して執拗な反感を向ける「土神」は、この会合での批判者から造形した人物かもしれないという気もします。賢治は、この批判がよほどこたえたので、ことさらに、リビドーそのもののような野放図で醜い人物に造形して、内心意趣返しをしている‥のかもしれませんw

 しかし、こうした軋轢は、賢治としては寄り道だったように思います。むしろ、彼としては、“辺境からの視線”をモダニズムによって受けとめようとしていたと思います。「火薬と紙幣」で、「ギリヤークの電線」に集まった雀を見て、「たれでもみんなきのどくになる」と言い、自分は「火薬も燐も大きな紙幣もほしくない」と言っているように。

 “辺境”の記憶を内に含んだ賢治のモダニズムが、「神の身土」にこだわる土俗のエッセンスと矛盾なく結びついたときに、“宮沢文学”は大きな飛躍を遂げることになるのだと思います。


このシリーズ「ギリヤーク」終り。 
ご高読ありがとうございました。  








ばいみ〜 ミ



 
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カテゴリ: 宮沢賢治

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