01/13の日記

22:21
【宮沢賢治】「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(8)

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 こんばんは (º.-)☆ノ




 「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(1)
 「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(2)
 「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(3)
 「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(4)
 「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(5)
 「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(6)
 「ギリヤーク」――“起源”か? 中心⇔辺境か?(7)

 からのつづきです。






 【17】 “異空間”への通路



「『これら
〔『注文の多い料理店』収録の賢治童話に描かれたことがら―――ギトン注〕』が無意識部から作者に訪れてきたものである故に、真実であるとの正当性を主張できるということであろう。〔…〕

 表面に現われてくる形は、風であったり雲であったり、また人であったりはしても、本来の有り様は一つの生物。私たちは、風や雲や柏の木、また電信柱や雪嵐や銀河と深い水脈の部分でつながっている。その深部から汲み上げてきた言葉のみが真実である、そう賢治は考えたのだと思う。

      
〔…〕

 眠りの中で聞いた風の言葉。その言葉が
〔…〕〔鹿踊りの――ギトン注〕ほんたうの精神』を語るものとして聞きなされるのは、それが夢の中で聞いた言葉だからである。

      
〔…〕

 夢を扱った散文も心象スケッチ≠焉A形こそ違え、『万人の共通』である『心の深部』を探る試みであることに変わりはない。ここに賢治文学の特質があり、賢治は最晩年にいたるまで、さまざまな作品の中で無意識部にいたる道を模索し続けたのである。

      
〔…〕

 『花椰菜』の作者にとって重要なのは、作者個人の深層心理を明らかにすることではなく、意識の外に広がる無辺際の世界との接触を、夢の回廊を通って実現することだったはずである。」

榊昌子『宮沢賢治「初期短篇綴」の世界』,2000,無明舎出版, pp.314-316.



 『花椰菜』について、榊昌子氏はこのように述べて、人間の無意識の「深部」を探求することが、賢治にとって意味した主体的な課題が何だったかを明らかにしておられます。賢治が深層意識について語った言葉と言えば、下の森佐一宛て書簡が有名ですが、これは語調からしても、“謙遜”のヴェールで真意を蔽っている感じが否定できません。


「これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とか完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の支度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。」

宮沢賢治書簡[200] 1925年2月9日付 より。


 どこが“謙遜”かと言えば、「或る心理学的な仕事」という言い方で、賢治自身の主体的な意図を隠しているからです。心理学は客観科学であり、それゆえにつねに科学としての限界を持っています。かんたんに言えば、人間を“外側”から観察し解明することしかできないのです。このことは、宮沢賢治と同時代に数学から哲学に転身したエトムント・フッサールが確立した、超越論的現象学↓によって、明らかにされました。科学の言うことは窮極的に正しい、しかし、つねに一面においてのみ正しいのです。

 深層心理学も、精神医学も、人間を“生きるモノ”として、生理現象のウツワとして、外側から解明します。たとえば、ある人の見た夢を、統計的見地から解釈し、“謎解き”を与えても、それは本人にとっては何の意味もありません。賢治がめざしたのは、そういったことではなかったはずです。“異空間”を科学の言葉で解体し、解釈することではありませんでした。


 【参考】⇒:【序説】宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ【第3章】(ii)フッサール



 賢治は、さまざまな方法で、“異空間”への通路を模索し続けたと言えます。彼がなぜそんなことに夢中になったかと言えば、「万人に共通」の深層意識――“異空間”への通路が開かれることによって、誰もが他人の苦しみや願いを感じられるようになり、大げさに言えば、全世界が「一つの生物」のように調和をもって生きてゆくようになる、そう考えたからだと思います。‥‥だとすれば、亡き妹との「通信」を図る試みもまた、彼としては、そうした努力の一つの局面だったのではないか? 亡き妹に思いを集中させているかのように見える詩作品も、作者はそれだけを考えていたわけではないのです。

 むしろ、彼が究極の真実と考えた無意識の深層を体験する、ひとつの通路を開こうとして、亡き妹への感情にも沈潜したのだと思われるのです。













 鈴木健司氏は、賢治は栄浜の海岸で、亡き妹との通信を追い求めるあまり、ある「厭うべき」幻想体験をした、その体験をもとに童話作品化したのが、『サガレンと八月』のタネリの禁忌違反とその結果だと推測します。
(『宮沢賢治 幻想空間の構造』,pp.154-155,178-179,200-203)

 これを受けて、秋枝美保氏は、賢治は「シャーマニズムの呪術」を行なって、死者である亡き妹との交信を図ったが、シャーマンのような「奇跡を起こすに足る力がな」かったために失敗したと推測します
(『宮沢賢治 北方への志向』,p.250)。失敗した結果が、「ギリヤークの犬神」として作品化されたような厭うべき悪夢だった、ということになります。


「妹の魂の行き着いた場所をどうしても見たいという『けがれたねがひ』にねじ曲げられた賢治の信仰は、呪術的な方法に接近していったと考えてよい。」

『宮沢賢治 北方への志向』,p.234.



 両氏の考察は、『サガレンと八月』で、“異空間”を見ようとするタネリの行為が“禁忌”として設定されていることに着目したものと思われます。しかし、この場合に限らず、“異空間”を見ることは、賢治にとって“禁忌”とまでは言わなくとも、そんなことをしているといつかは罰を受けることになるような、許されない行為と、いつも感じられていたふしがあります。(7)で引用した『春と修羅・第2集』所収の「鬼言(幻聴)」に、


「きさまももう
 見てならないものをずゐぶん見たのだから
 眼を石で封じられてもいいころだ」

#383「鬼言(幻聴)」1925.10.8.〔下書稿(一)〕より。


 とあったとおりです。また、眼を上げた夜空などに、他人には見えない幻像が見えてしまうことを、「かなしい」と嘆いている例は、『秋田街道』はじめ数多くあります。

 鈴木、秋枝両氏のように、賢治がシャーマンの呪術を実践した‥などという特別なことを仮想しなくとも、《見ること》を“禁忌”として作品化することは、賢治としては、むしろまったく自然なことだったのではないでしょうか?

 賢治には、《見ること》、“異空間”が見えてしまうことに対するアンビヴァレンツな感情があり、一方ではそれを厭いながら、他方では強く惹きつけられていました。そして、それは個人の趣味や独りよがりなどではなく、万人に共通する「心の深部」に分け入って、そこにある“真実”を探求する、すぐれて公益的な事業なのだ、と自負した時にはじめて、彼は、精神の安定を得たのではないでしょうか?



 ところで、秋枝氏は、『サガレンと八月』で「くらげ」と並んで登場する「孔石(穴石)」にも注目しておられます:


「海月で『物をすかして見る』というのは、眼に見えないものを、物の持つ呪力によって現前させることである。それは、シャーマニズムの重要な要素である呪術を指している。
〔…〕この物語の特徴は、その呪具〔「くらげ」のこと―――ギトン注〕が独特だという点にある。

      
〔…〕

 この物語において、もう一つ呪具として機能していると思われるものがある。タネリは、そもそも海岸で、『孔石』を探すために家を出たのであった。この『孔石』とは、何だろう。
〔…〕この物語の中には、最初から最後まで、『穴』のモチーフが散りばめられている。タネリは、空が『穴』に変わるのを見、最後には蟹に変えられて、海の底の『まっ暗な孔の中』に閉じ込められることになる。〔…〕

 この『孔石、穴石』に対する信仰は、日本の民間信仰のなかにかなり広く浸透しているものではなかろうか。筆者は、先年岩手県立博物館の学芸員の方のご教示で、盛岡市内の夕顔瀬橋のたもと付近にある小さな祠に、『穴石』が奉納されているのを実見した。自然石で、穴の一つ開いている石
〔…〕その祠の軒下に、穴の一つ開いた石がたくさん、針金に通してぶら下げられていた。それは、『くらげ』と同じように、現実世界とその向こう側の世界との通路を開く力を示すと言えよう。」
秋枝美保『宮沢賢治 北方への志向』,pp.234-236.



 拾い上げてはいけない“禁忌”の対象「くらげ」とは異なって、「孔石」は、呪具として公認されたものとして、設定されているのでしょう。「おれ海へ行って孔石をひろって来るよ。」と言うタネリに対して、母親は、「ひとりで浜へ行ってもいいけれど、」と応えているからです。

 盛岡市内の夕顔瀬橋と言えば、高等農林在学当時、《アザリア》同人のたまり場だった「鎌田屋」下宿↓のすぐ近くです。

 【参考】⇒:《ギャルリ・ド・タブロ》モリーオ(8)



 秋枝氏が実見した、穴石の奉納された祠は、賢治も見ていたと思われます。そこに穴石が「針金に通してぶら下げられてい」るということから、ちょっと気になるのは、『サガレンと八月』で、タネリが「くらげ」を透してけしきを見る場面が、


「くらげをぷらんと手でぶら下げてそっちをすかして見ました」


 と書かれていることです。

 賢治の時代に、夕顔瀬橋の祠での穴石の奉納のしかたが、今と同じだったという保証はありませんが、民間信仰のしきたりは、100年前でも現在でも、そんなに変わらないものです。おそらく、賢治は、「穴石」をヒントにして、「くらげ」で向う側を透かして視る“禁忌”を、思いついたのではないでしょうか? 賢治は、夕顔瀬橋の祠で、ぶら下がっている「穴石」の穴を通して向う側を見て楽しんでいたのでしょう。賢治らしいいたずらだと思いますw






 






 「くらげ」の発想のもとが「孔石」だったとすると、賢治の物語の中で、「孔石」と「くらげ」の違いは、どこにあるのでしょうか?‥「孔石」が、ご利やくのある呪具、ないし護符だとすれば、「くらげ」はその反対に、禁忌の対象です。いわば、「くらげ」は、にせものの「孔石」であり、それが“禁忌”とされるのは、濡れてぶよぶよした触感と、不定形、半透明なあいまいさのためではないか。やはり、性感覚とのつながりが、「くらげ」を“異空間”に結びつけ、“禁忌”の対象としているのでしょう。そうした特質は、硬質の「穴石」にはないので、賢治は、“くらげの禁忌”を創作したのだと思います。






 【18】 “異空間”には層がある


 宮沢賢治の“異空間”は、此界と対立する一つの世界ではありません。明確な境界で此界と隔てられてもいないのです。もっと複雑であいまいな世界です。“異空間”は、しばしばいくつかの層に分かれて現れます。その最も近い層は、此界の一部であったり、あるいは此界のあちこちに露頭のように顔を出していたりするのです。






「一疋の蟇
〔ひきがえる〕がそこをのそのそ這って居りました。若い木霊はギクッとして立ち止まりました。

 それは早くもその蟇の語
(ことば)を聞いたからです。

 『鴾
(とき)の火だ。鴾の火だ。もう空だって碧くはないんだ。
  桃色のペラペラの寒天でできているんだ。いい天気だ。
  ぽかぽかするなあ。』

 若い木霊の胸はどきどきして息はその底で火でも燃えているように熱くはあはあするのでした。

      
〔…〕

 『おおい。鴾。お前、鴾の火というものを持ってるかい。持ってるなら少しおらに分けて呉れないか。』

 『ああ、やろう。しかし今、ここには持っていないよ。ついてお出で。』

 鳥は蘆の中から飛び出して南の方へ飛んで行きました。若い木霊はそれを追いました。あちこち桜草の花がちらばっていました。そして鳥は向うの碧いそらをめがけてまるで矢のように飛びそれから急に石ころのように落ちました。そこには桜草がいちめん咲いてその中から桃色のかげろうのような火がゆらゆらゆらゆら燃えてのぼって居りました。そのほのおはすきとおってあかるくほんとうに呑みたいくらいでした。

 若い木霊はしばらくそのまわりをぐるぐる走っていましたがとうとう

 『ホウ、行くぞ。』と叫んでそのほのおの中に飛び込みました。

 そして思わず眼をこすりました。そこは全くさっき蟇がつぶやいたような景色でした。ペラペラの桃色の寒天で空が張られまっ青な柔らかな草がいちめんでその処々にあやしい赤や白のぶちぶちの大きな花が咲いていました。」

『若い木霊』より。

 原文は旧仮名遣い。



 このサクラソウの炎の中にある世界が、「若い木霊」が遭遇する“異空間”の最初の層です。「若い木霊」は、「鴇」を追いかけて、この最初の層に飛び込みます。

 飛び込んで入った世界は、「さっきヒキガエルがつぶやいたような景色」で、


「ペラペラの桃色の寒天で空が張られまっ青な柔らかな草がいちめんでその処々にあやしい赤や白のぶちぶちの大きな花が咲いていました。」


 というのが、“異空間”の最初の層の中の風景です。

 『若い木霊』と『サガレンと八月』をもとに書き直して成立したとみられる『タネリは……』では、この最初の層に遭遇する場面は、つぎのようになっています:






「すると花の列のうしろから、一ぴきの茶いろの蟇
(ひきがえる)が、のそのそ這ってでてきました。タネリは、ぎくっとして立ちどまってしまいました。それは蟇の、這いながらかんがえていることが、まるで遠くで風でもつぶやくように、タネリの耳にきこえてきたのです。

 (どうだい、おれの頭のうえは。
  いつから、こんな、
  ぺらぺら赤い火になったろう。)

 『火なんか燃えてない。』タネリは、こわごわ云いました。蟇は、やっぱりのそのそ這いながら、

 (そこらはみんな、桃いろをした木耳
(きくらげ)だ。
  ぜんたい、いつから、
  こんなにぺらぺらしだしたのだろう。)といっています。タネリは、俄かにこわくなって、いちもくさんに遁げ出しました。」

『タネリはたしかにいちにち噛んでいたやうだった』より。

 原文は旧仮名遣い













 『タネリは……』では、タネリは、ヒキガエルの唄を聞いただけで、「いちもくさんに遁げ出し」てしまいます。「若い木霊」のように、ヒキガエルの唄う「ぺらぺら赤い火」の世界に飛び込んで行くことはありません。

 しかし、飛び込んで行くか、逃げ出すかは、たいした違いをもたらさないように思われます。というのは、『タネリは……』でも、タネリは、しばらく「鴇」を追いかけたあと、『若い木霊』の場合と同様に、「ひどく暗い巨きな木立」の森――“異空間”の第2の層に行き当たるからです。また、ヒキガエルから逃げ出したあとの、空と野の風景は、つぎのように書かれています:


「鳥は、
〔…〕南の青いそらの板に、射られた矢のようにかけあがりました。タネリは、青い影法師といっしょに、ふらふらそれを追いました。かたくりの花は、その足もとで、たびたびゆらゆら燃えましたし、空はぐらぐらゆれました。」
『タネリはたしかにいちにち噛んでいたやうだった』より。

 原文は旧仮名遣い



 『若い木霊』では、最初の層の中では「ペラペラの桃色の寒天で空が張られ」ていましたが、↑ここでは、「南の青いそらの板」とありますから、「桃色の寒天」の空にはなっていないようです。しかし、「空はぐらぐらゆれました。」

 はっきりとはわかりませんが、『タネリは……』で、ヒキガエルから逃げ出したタネリは、それでもやはり、此界とは異なる空間に入り込んでしまったと言えるのかもしれません。



 さて、“異空間”の第2の層に遭遇する場面を、つぎに見たいと思います。『若い木霊』のほうから順に、上の引用部の先を読んでみます。






〔…〕そこは全くさっき蟇がつぶやいたような景色でした。ペラペラの桃色の寒天で空が張られまっ青な柔らかな草がいちめんでその処々にあやしい赤や白のぶちぶちの大きな花が咲いていました。その向うは暗い木立怒鳴りや叫びががやがや聞えて参りますその黒い木をこの若い木霊は見たことも聞いたこともありませんでした。木霊はどきどきする胸を押えてそこらを見まわしましたが鳥はもうどこへ行ったか見えませんでした。

 『鴾、鴾、どこに居るんだい。火を少しお呉れ。』

 『すきな位持っておいで。』と向うの暗い木立怒鳴りの中から鴾の声がしました。

 『だってどこに火があるんだよ。』木霊はあたりを見まわしながら叫びました。

 『そこらにあるじゃないか。持っといで。』鴾が又答えました。

 木霊はまた桃色のそらや草の上を見ましたがなんにも火などは見えませんでした。

 『鴾、鴾、おらもう帰るよ。』

 『そうかい。さよなら。えい畜生。スペイドの十を見損っちゃった。』と鴾が黒い森さまざまのどなりの中から云いました。

 若い木霊は帰ろうとしました。その時森の中からまっ青な顔の大きな木霊が赤い瑪瑙のような眼玉をきょろきょろさせてだんだんこっちへやって参りました。若い木魂は逃げて逃げて逃げました。」

『若い木霊』より。

 原文は旧仮名遣い。



「そこは、ゆるやかな野原になっていて、向うは、ひどく暗い巨きな木立でした。鳥は、まっすぐにその森の中に落ち込みました。タネリは、胸を押
(おさ)えて、立ちどまってしまいました。向うの木立が、あんまり暗くて、それに何の木かわからないのです。ひばよりも暗く、榧(かや)よりももっと陰気で、なかには、どんなものがかくれているか知れませんでした。それに、何かきたいな怒鳴りや叫びが、中から聞えて来るのです。タネリは、いつでも遁げられるように、半分うしろを向いて、片足を出しながら、こわごわそっちへ叫んで見ました。

 『鴇、鴇、おいらとあそんでおくれ。』

 『えい、うるさい、すきなくらいそこらであそんでけ。』たしかにさっきの鳥でないちがったものが、そんな工合
(ぐあい)にへんじしたのでした。

 『鴇、鴇、だから出てきておくれ。』

 『えい、うるさいったら。ひとりでそこらであそんでけ。』

 『鴇、鴇、おいらはもう行くよ。』

 『行くのかい。さよなら、えい、畜生、その骨汁は、空虚
(から)だったのか。』

 タネリは、ほんとうにさびしくなって、また藤の蔓を一つまみ、噛みながら、もいちどを見ましたら、いつの間にかの前に、顔の大きな犬神みたいなものが、片っ方の手をふところに入れて、山梨のような赤い眼をきょろきょろさせながら、じっと立っているのでした。タネリは、まるで小さくなって、一目さんに遁げだしました。」

『タネリはたしかにいちにち噛んでいたやうだった』より。

 原文は旧仮名遣い。






 






 「暗い木立」「黒い森」「ひどく暗い巨きな木立」―――これらが、“異空間・第2層”の指標です。この森は、見たことのない種類の樹木、「黒い木」からなっており、暗く陰気で、「なかには、どんなものがかくれているか知れ」ない、異形の森林なのです。

 都会の人は、「木」を「木」としか見ませんが、地方の人にとっては、「木」とは、松であったり、小楢であったり、ケヤキであったり、ブナであったりと、「木」は種類で認識されるのです。「人間」が、太郎、花子、ヘンリー、ミーシャ、であるのと同じことです。誰でもない、単なる「人間」というものはありません。イチョウだ、栗の木だ、ヒノキだ、と分かったときに、親しみが感じられ、その木は、生活世界を構成する要素となるのです。しかし、この「黒い森」の木立ちは、種類がまったく分からない、見たことのない樹ばかりだと言うのです。つまり、タネリの生活世界には属しない、“この世”のものではない存在なのです。

 そして、その「森」の中からは、「怒鳴りや叫びががやがや聞えて」くる。「きたいな怒鳴りや叫びが、中から聞えて来る」。

 『若い木霊』でも、『タネリは……』でも、主人公の少年は、この“異空間・第2層”に遭遇すると、恐れおののいて、中には入らずに逃げ帰ってきます。「若い木霊」が、きびすを返す時に、「黒い森」の中にいる「鴇」は、


「えい畜生。スペイドの十を見損っちゃった。」


 と叫んでいます。これは、「怒鳴りや叫びががやがや聞えて」くる「森」の中で、トランプ博奕をやっているようにも解せますが、別の解釈もあるでしょう。「スペイドの十」は、目当ての男性を表すカードのうち、最強のものです。最良の友人、最愛の恋人、または、最も価値の高い獲物を表すでしょう。「鴇」は、「若い木霊」を、そうした価値のある者と思っていたのは、見まちがえだったと言っているのかもしれません。

 『タネリは……』になると、「鴇」のこの言葉は、もっとあからさまです:


「えい、畜生、その骨汁は、空虚
(から)だったのか。」


 タネリをスープにして食べようと思っていたのに失敗した、と言わんばかりです。この場合はもう、友達ではなく獲物のほうです。「鴇」はその口調からしてもオスと思われますが、同性愛をあいだに入れて理解すれば、友達・恋人と獲物のあいだは紙一重でしょう。

 タネリは「鴇」に、食物として狙われた。しかし、食物にされることは、性愛の絆を結ぶことにも通じる。タネリと“異空間”の関係は、このように考えられると思います。













 『花椰菜』の場合には、日常世界と“異空間”との境目は、上の2作ほどはっきりとはしていません。「私」が最初にいる日常的な世界そのものが、すでに夢の中であり、“辺境”(カムチャッカ)であるせいかもしれません。

 しかし、「私」の視界の外縁となっている「暗い色の針葉樹」「黒い針葉樹の列」は、上の2作の「黒い森」に似ています。やはり“異空間”との境界を表象するものなのかもしれません:


「外はまっくろな腐植土の畑で向ふには暗い色の針葉樹がぞろりとならんでゐた。

 小屋のうしろにもたしかにその黒い木がいっぱいにしげってゐるらしかった。」



 『花椰菜』では、このあと、「私」がカリフラワーの畑の中で「すっぱだか」になって「みんな」と飛び回るさまを描いたあと、「黒い針葉樹の列」をくぐって、またもとの世界に戻って来るように書かれています:


「それから私は黒い針葉樹の列をくぐって外に出た。

 白崎特務曹長がそこに待ってゐた。」



 そうすると、『花椰菜』の場合にも、「私」が「みんな」と「すっぱだか」で飛び回る場所は“異空間”なのかもしれません。ただ、この場合には、“異空間”と現実世界と境界は不明確です。「黒い針葉樹の列」をくぐるのは、戻る時だけで、そこへ移って行くときには、境界がどこにあるのか、よくわからないからです。



 これらの“北方系”と言うべき童話群とは、また別の系列に属する作品ですが、『インドラの網』にも、“異空間”の2層構造が見られます。「私」が現実世界で「昏倒」したあと、歩いてゆく「ツェラ高原」が、“異空間”の第1層、そこから紛れ込んでゆく「天の空間」が第2層です。「私」は、第2層で、「三人の天の子供ら」に逢います。



 ところで、『タネリは……』の注目すべき点は、主人公の少年タネリが、“異空間”に遭遇したあと、またもとの世界に戻って来ることだと思います。おそらく賢治は、前作『サガレンと八月』で、タネリが海の底の“異空間”へ引き込まれたまま戻って来られなくなり、作者の“語り”自体もそこで中断せざるをえなかったことが、悔恨になっていたのかもしれません。

 『タネリは……』は、賢治の友人で『注文の多い料理店』の装幀・挿絵を担当した菊池武雄が 1925年に児童文学雑誌『赤い鳥』掲載のため同誌に持ち込んだところ、主宰者鈴木三重吉に、「あんな原稿はロシアにでも持っていくんだなあ」と言って断られたという逸話があります
(堀尾青史『年譜宮沢賢治伝』;入沢康夫『宮沢賢治 プリオシン海岸からの報告』,p.22)。『赤い鳥』1925年1月号には、『注文の多い料理店』の広告が無料で掲載されており、同誌編集部の好意で、菊池を介して賢治に童話投稿の打診があったもののようです。

 『タネリは……』が、『赤い鳥』寄稿のためにまとめられた作品だったとすれば、賢治としては、その時点での資源を結集して書いた自信作であったはずです。

 【参考】⇒:《ギャルリ・ド・タブロ》トキーオ(19)



 タネリが、“異空間”のヒキガエル、「暗い巨きな木立」、「犬神」との遭遇から逃れて、もと来た経路をたどって家のほうに帰って来る時、往路に見た「カタクリ」の花のそばを通る場面があります:


「かたくりの花はゆらゆらと燃え、その葉の上には、いろいろな黒いもようが、次から次と、出てきては消え、でてきては消えしています。タネリは低く読みました。

 『太陽
(てんとう)は、
  丘の髪毛
(かみけ)の向うのほうへ、
  かくれて行ってまたのぼる。
  そしてかくれてまたのぼる。』」



 この「カタクリ」は、往路では、“異空間”の第1層で、


「かたくりの花は、その
〔タネリの――ギトン注〕足もとで、たびたびゆらゆら燃えましたし、空はぐらぐらゆれました。」


 と書かれていました。






 






 宮沢賢治は、カタクリの葉の模様に、未知の文字と、“異空間”からのメッセージを見ていたのではないかと思います。



      ※

 かたくりの
 葉の斑
(ふ)は消えつあらはれつ
 雪やまやまのひかりまぶしむ。

『歌稿B』#465



 湿地にはかたくりが咲いて
 その葉の鋭敏な乾板には
 影のやうに紫いろの斑紋も明滅する

『春と修羅・第2集』#75「北上山地の春」1924.4.20.〔下書稿(二)手入れ〕より。


 などの詩歌で、葉の斑紋のふしぎな形に注目しています。『若い木霊』では、



「その窪地はふくふくした苔に覆われ、所々やさしいかたくりの花が咲いていました。若い木だまにはそのうすむらさきの立派な花はふらふらうすぐろくひらめくだけではっきり見えませんでした。却ってそのつやつやした緑色の葉の上に次々せわしくあらわれては又消えて行く紫色のあやしい文字を読みました。

 『はるだ、はるだ、はるの日がきた、』字は一つずつ生きて息をついて、消えてはあらわれ、あらわれては又消えました。
 『そらでも、つちでも、くさのうえでもいちめんいちめん、ももいろの火がもえている。』」


 「若い木霊」は、それ自体、人間ではない一種の精霊ですから、最初からカタクリの葉の文字が読めてもおかしくはないのですが、ホロタイタネリは、たんなる人間の少年ですから、本来は、カタクリの文字は読めません。

 「若い木霊」は、ヤドリギや「鴇」などと自在に会話を交しているのに対して、タネリは、動植物と会話することはできないのです。

 ところが、そのタネリも、“異空間”に遭遇したあとの帰路では、カタクリの葉の文字が読めるようになっているのです。もっとも、読めるからといって、その意味が理解できるとは限らないわけで、「テントウは、/……/かくれて行ってまたのぼる。/そしてかくれてまたのぼる。」などという、わけのわからない唄が読みとれるだけなのですが。。。

 それでも、野山の動植物と話をすることも、いっしょに遊ぶこともできず、疎外されたさびしさを味わっていた・この人間の少年にとっては、カタクリの葉の文字が読めるようになったことは、大きなできごとであったはずです。たとえまだ、読んだ言葉の意味までは了解できないとしても、ともかくも“自然”の解明に一歩近づいたこと、その入り口に立ったことを意味するでしょう。

 タネリは、おそらく人間の世界の文字も、読むことはできないはずです。少年は、人間の文字を読み書きし、学問をおさめるのとは別のやり方で、“世界”の秘密へと分け入ってゆく道を歩きはじめたと言ってよいのではないでしょうか。


      ※ 随縁真如

 みまなこを ひらけばひらく あめつちに その七舌の かぎを得たまふ。

『歌稿B』#784

 【参考】⇒:《ギャルリ・ド・タブロ》比叡(4)

 ↑これは、比叡山の山道での短歌ですが、伝教大師の故事を借りて、賢治の思想を表しています。人が、無意識の深部に眠りこんでいる心眼を開いて観ずれば、自然界は、自ら真理を開示してくれる、‥‥そのような、科学とは異なった探求のみちすじがある、というのです。


 タネリが、“異空間”との遭遇体験を通して、新たな知恵を獲得したということは、ある意味で、大人になるためのイニシエーションを通過したと言えるのでしょうか? しかし、タネリの変化は、ふつうの意味で、つまり人間社会の中での“成長”を遂げたというのとは、すこし違うようにも思われます。家に帰って来たタネリは、母親から何を聞かれても、まるで放心したように「ぼんやり」と答えているからです。

 つまり、母親の属する生活世界での、通常の成長とは、やや異なった変化なのです。“異空間”との遭遇体験によって、此界を含む宇宙の摂理を探求する者の資格を得た、と言えば近いのでしょうか?

 この「ぼんやり」とした精神状態は、(6)で秋枝さんが、ピルスツキの論文を引用して述べていたような、先住民社会の中で、とくべつな感性を持つ者がシャーマンとなってゆく道すじに似ています。ちょうど、中学生時代の宮沢賢治が、通常の社会人としての成長とは異なる、《見者(ヴォワイヤン)》への道すじを歩んで行ったのと同様です。

 また、この「ぼんやり」は、『銀河鉄道の夜』で、ジョバンニの前から消えてしまう直前のカムパネルラが見せる様子にも似ています:



「『けれどもほんたうのさいはひは一体何だらう。』ジョバンニが云ひました。『僕わからない。』カムパネルラがぼんやり云ひました。」

『銀河鉄道の夜』〔最終稿〕より。



 もとの世界に戻って、力強く生きてゆこうと意気揚々としているジョバンニには、このカムパネルラの変化は見過ごされてしまうのですが... 「ぼんやり」と受け答えするようになったカムパネルラは、けっきょくもとの世界には戻らなかった。しかし、タネリは、“異世界”への「かぎ」を手にしつつ、もとの世界に戻ってきた。‥‥そう考えると、このタネリの帰還は、宮沢賢治の世界観を探究するうえで、たいへん重要な手がかりになると思われるのです。













 『タネリは……』は、作者としては、その時点での到達点を、自信をもってまとめた作品であったはずで、私たちは、もっとこの作品を評価し、解明する必要があるのかもしれません。

 たとえば、藤蔓を噛んでは、口から吐き出すタネリの行為は、いったい何を意味するのか、依然として謎のままです。タネリは、随所でこの動作を繰り返しており、それを一日じゅうしていたことが、この童話の題名にもなっているのです。@衣料(アツシ布)にする繊維を採る作業である、A災いから身を護る護符のような働きをしている、という2つの解釈があることは、すでに述べました。しかし、何かもっと重要な意味があるようにも思われるのです。



 ジョバンニ、カムパネルラとタネリの、それぞれの運命を引き比べてみると、私たちには、宮沢賢治の構想した“宇宙”の構造が、よりよく見えてくるかもしれません。此界から“異空間”へと旅立って行く者は、けっして行きっぱなしになってしまうわけではない。“異空間”を突き抜けた先は、またもとの世界に戻って来る道すじなのではないか?“銀河空間”から、眼に涙をいっぱいためて戻って来た〔最終稿〕のジョバンニの前に開けたのは、大きく変貌した、もとの世界でした。牛の悪臭に染まった不親切な「牛乳屋」は、ひろびろとした「牧場」に変わり、不在だった主人が戻って来て、ジョバンニを温かく迎えます。遠洋の漁に出て失踪していたジョバンニの父も、まもなく戻って来るとの報がもたらされます。級友は、もはやジョバンニを揶揄することなく親しげに話しかけ、カムパネルラの父博士は、ジョバンニを上から下まで驚いたように「しげしげ」と見渡したあとで、丁重に応対し、


「あした放課后みなさんとうちへ遊びに来てくださいね。」


 と言うのです。ジョバンニは、もう孤独な少年ではありません。ただ、これほどの環境の改善と“引き換え”になるほどの重大な損失が、彼を襲っています。ジョバンニの最愛の友だけが、この新しい世界には欠けているのです。

 作者によって破棄された1枚の原稿断片は、川岸の捜索場面から家に戻ろうとしたジョバンニが、また「かなしく」なって「天気輪の丘」に戻り、「あのなつかしい星めぐりの歌」が彼の耳に何度も何度も響いていた、と記しています。ここには、“異空間”から帰還して新しい世界に接したジョバンニの、どう表現してよいかもわからない“とまどい”が示されています。








ばいみ〜 ミ



 
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カテゴリ: 宮沢賢治

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