06/06の日記

23:37
【宮沢賢治】旅程ミステリー:近畿篇(6)

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白鳥越
(しらとりごえ)の尾根と瓜生山   
手前は武田薬品工業(株)京都薬用植物園   









 こんばんは (º.-)☆ノ






 前回からの続きです:⇒《あ〜いえばこーゆー記》旅程ミステリー近畿篇(5)








【5】 ルートD 「白川道(二)」――「桜茶屋」から「山中町」まで。













地図(比叡山南面 白川道(二)と山中越え)






 『比叡山1000年の道を歩く』によると、「白川道」と呼ばれる参道は2本あります。

 1本は、「地蔵谷」から無動寺谷を遡行して「大鳥居」に達し、音羽谷→病ダレ谷を通って「桜茶屋」に達する経路。近畿篇(3)(4)で踏査しました。



 しかし、もう1本、「山中町」からまっすぐに北へ向かい、「一本杉」に上がって「桜茶屋」へ向かうルートがあるのです。こちらは、『1000年の道』にならって「白川道(二)」と呼ぶことにします。

 「桜茶屋」跡から下山路へ向かい、病ダレ谷へ向かう「白川道(一)」を右に分けると、なお平坦な尾根路が続きます。まもなく、比叡山ドライブウェイの料金所のところに出て、行く手はロテル・ド・比叡の敷地にはばまれます。

 ドライブウェイとホテルが建設されたために、もとあった参道は跡形も残っていませんが、問題はありません。このへんは平坦な高原状の土地で、道がどこを通っていようと同じことです。

 ドライブウェイの歩道を歩いて、ロテル・ド・比叡の敷地をぐるっと迂回すると、「一本杉」に出ます。ここは見晴らしのよい駐車場で、南側は急崖になって切れ落ちています。西側は琵琶湖がよく見え、東側には、京都の街がはるかに望まれます。








左:ロテル・ド・比叡,一本杉 右:桜茶屋跡




比叡山ドライブウェイ 料金所




ロテル・ド・比叡 右の道路(比叡山ドライブウェイ)は
一本杉に向かう。




一本杉から琵琶湖を望む。




一本杉から京都市街を望む。
右の建物は、京都精華大学・叡山閣。




一本杉駐車場。叡山閣の下を見ていますが、
崖があるばかりで【白川道(二)】らしき道すじは見えません。










 しかし、問題は、「白川道(二)」の参道が、この急崖のどこを降りているのかです。『2000年の道』によると、「叡山閣」のすぐ下の尾根の稜線をたどって下りて行くようなのですが。。。。

 現在、『叡山閣』の敷地は立入禁止なので、通り抜けて行くことができません。ここからの探索は断念せざるをえませんでした。








「白川道(二)」の尾根。
右の建物は、京都精華大学・叡山閣。




「白川道(二)」の尾根。











 そこで、バスに乗って山中町まで下りて、今度は下側から探索することにします。

 「白川道(一)(二)」は、京都と大津の結ぶ峠路「山中越え」の途中に降ります。「白川道(二)」は、山中町の「樹下神社」で、「山中越え」から岐れます。








山中町。「山中越え」の道と山中町(説明板)。
「山中越え」は、京都・北白川と大津を結ぶ古い峠路。
宮澤父子が来た当時には、すでに
馬車の通れる道幅になっていたでしょう。




山中町・樹下神社。
ここが「白川道(二)」の起点になります。




「北谷川」に沿って、
道路が遡って行きます。




土石流防止のダムを越えて
さらに遡ります。




道路は続いていますが、かつての参道では
ないようです。対岸に、参道の痕跡?の
ような筋も見えましたが、風化が著しく
道形は残っていません。




地形図を見ると、この正面が、
叡山閣の直下の尾根の下端です。
『2000年の道』によると、
ここから参道が尾根づたいに
上がっていたはずなのですが...
もはや痕跡も残っていません。






 正面の崖は、樹が手がかりになるので、無理をすれば登れないことはありません。しかし、たとえ上のほうに参道の痕跡が残っていたとしても、上端は京都精華大学の敷地で塞がれているのですから、また同じ尾根を降りて来なければなりません。こんなヴァリエーションをやることになるとは思っていなかったので、装備を持ってきませんでした。細引きのロープ1本ありません。滑りやすいトレッキングシューズでは、登りは何とかなっても下りが危険です。

 これまでに、アルプスも冬山もヴァリエーションルートもやりましたが、一度も遭難したことがないのは、この用心深さのお陰です(^^)

 ここで引き返すことにしましたw







「北谷川」に沿って、さらに遡行してみます。
この小径は、この上流の砂防ダムを
建設した時の作業路の痕跡です。




ここで道形は消えていました。
樹々の間に、「一本杉」付近と思われる
針葉樹の木立が見えます。
もう一息の距離なのに、残念です。。。







 「白川道(二)」の探索行は以上ですが、この道が他のルートと違う点は、鳥居も灯籠も石標も、いっさい無いことです。

 『1000年の道』,p,79. には、「一本杉」の直下に残っている石垣跡の写真が掲載されています。ですから、参道があったことは間違えないのでしょう。しかし、それ以外には参道の痕跡が無いことから考えると、参道があった当時においても、往来の乏しい間道ではなかったかと思われます。おそらく、「白川道(一)」のショートカットとして開かれたものの、尾根道の部分の勾配が急すぎるために、あまり利用されなかったのではないでしょうか?

 このルートを宮澤父子が歩いた可能性は低いと言わざるをえません。



 【後註】グーグル地図やマピオンには、縮尺の取り方によっては、北谷川に沿って「一本杉」まで達する小径が現れますが、この路は現在、存在しません。2万5千分の1地形図「京都東北部」の最新版(平成28年12月調製,29年3月1日発行)をお買いになると、現地の路はかなり正確に書かれています。ただし、あくまで「かなり」ですw。最近造られた林道や上記の土石流防止ダムなどは記載されていません。








 






ばいみ〜 ミ





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カテゴリ: 宮沢賢治

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