06/01の日記
01:38
【宮沢賢治】旅程ミステリー:近畿篇(5)
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比叡山頂 比叡アルプスから。
こんばんは (º.-)☆ノ
前回からの続きです:⇒《あ〜いえばこーゆー記》旅程ミステリー近畿篇(4)
【4】 ルートA' 「一乗寺道」――「大鳥居」から「一乗寺下り松」まで。
地図(比叡山西南面 白川道(一)と一乗寺道)
前々回の「大鳥居」まで、いったん戻り、今度は谷伝いではなく尾根伝いに京都へ向かいます。これが「一乗寺道」です。
山歩きの常識として言えば、谷間を歩くよりも尾根を歩いたほうが圧倒的に楽だし安全です。谷間は、大きな岩がごろごろしていて歩きにくいし、大雨で増水するとたいへん危険です。それに、昼なお暗い谷底よりも、見通しのきく尾根のほうが、心理的にどれほど楽か知れません。
参考書の『比叡山1000年の道を歩く』,p.78. には、「一乗寺道」は
「京都からの参詣道として、もっとも利用された道のひとつ。」
と紹介されています。
踏査は、宮澤父子とは逆に、京都市街のほうから上がって行きました。古い道を確かめるには、そのほうがまちがえないと思ったからです。
すでに、踏査の概略は↓こちらに書きましたが、書き残していることもたくさんあります。あらためて道をたどってみたいと思います。
⇒:比叡(7)
一乗寺・下(さが)り松
ここが出発点になります。
「下り松」から曼殊院道を北に進むと、
分岐点の石標があり、右に折れると
比叡山「一乗寺道」です。
「右 葉山馬頭観世音 道
ひゑい山無動寺
(側面)左 赤山道」
右に行くと「葉山馬頭観音」。
道なり左が「一乗寺道」
道はカギ型に折れ曲がり、農園の柵の中に
古い石標が...
「左 辨才天道 從是
四十一□」
地図(曼殊院付近)
「弁財天」の鳥居が見えてきましたが、
右下の石標には、「右 弁財天道」とあります。
鳥居右下の石標。
「右 辨才天道」
鳥居には「弁財天」の額がかかっていますから、弁天堂は鳥居をくぐった奥だと思うと、石碑のほうは、右へ行けと云う。いったいどうなってるの?!
それは、こういうことです。鳥居の奥の「曼殊院」には天満宮があるのですが、その天満宮の中に弁天堂が設けられています。脚が弱くて、山を越えて無動寺の弁天堂まで行けない人は、ここで拝んで帰ってもよろしい……ということなんだそうです。無動寺のほんとの弁天堂へ行く道は右です。
「下り松」からまだ 30分も歩いてないのに、ここでもうへたばってしまう人もいたわけですねw
そういえば、さっきの川沿いの石標に書いてあった距離:無動寺弁天堂まで「四十一丁」(約4.5km)というのは少なすぎますね。歩き始めた人が、先の旅程が長いのを知って厭になってしまわないように、サバ読んでるんじゃないでしょうか?
ゲート
自動車や自転車は、こっから先には入るなということらしいですが‥
マウンテンバイクの人は、むりやり通り抜けてましたw
川に沿って広い道が続きます。
左側は、曼殊院の敷地。
このへんまで登ると、だんだん道が荒れてきます。
マウンテンバイクは、ほかの道へ折れてしまいました。
道が大きく崩壊しています。
崩壊箇所の全景。
崩壊を跳び越えて、沢伝いにまっすぐ行く踏み跡(手前→後ろ)
もありますが、まもなく径は消えて沢登りになります。
左岸にかけてあるハシゴのほうへ行ってみます。
どうやら、「一乗寺道」は、こちらに続いているようです。
急斜面をつづら折れで昇って行きます。
道が狭いのは、参道として使われなくなってから
路肩が崩れたせいでしょう。
このへんの地質は、比叡山南面に特徴的な黒雲母花崗岩。
路面も、花崗岩が風化した岩塊と砂礫です。
尾根に近づくと勾配が緩くなり、道幅も広くなります。
これが、もとの参道の道幅でしょう。右側の岩は、
やはり花崗岩。
尾根の上に出ました。
京都一周トレイルに合流します。
合流点から「大鳥居」までは、ほとんど平坦な道が続きます。
「大鳥居」に到着。地蔵谷からの「白川道(一)」と合流します。
沢沿いの崩壊箇所では緊張しましたが、そこと、その上のツヅラ折れを除けば、もとの参道の道形がよく残っています。
「白川道(一)」には、急坂が全くありませんでしたが、「一乗寺道」は、斜面のツヅラ折れの箇所だけはかなり急です。それでも、宮澤父子が通った(可能性のある)当時は、ツヅラ折れの道幅も広かったと思われます。急いで降りても危険のない道すじだったと言えます。
ばいみ〜 ミ彡
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