02/24の日記

17:51
【BL週記】自然の信号、受信の記憶

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 こんばんは (º.-)☆ノ






 14回の『銀河鉄道の夜』シリーズで書き落したことを少しだけ書きます。

 こちら↓の外篇と思っていただけたらと思います:



 ⇒:『銀河鉄道の夜』の成立過程

 ⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(1)

 ⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(13)






【4.1】 「風景からもらってきた記憶」



 14回のシリーズは、自分的には中村三春教授の《否定的‐統合的組成》のレトリックという分析が圧巻で、とくに後半部分は、この見方に触発されて、いままでカシワの根っこや荊棘が複雑にからみあった森の前で立ち止まっていたのを、すこし奥まで入ってみた…わけでした。

 “レトリック”と言うと、日本では、コトバのあやとか飾りとか、中身や本質とは関係のないものだと思われやすいのですが、そうではない。むしろ作品のスジを追う以上に、レトリックを追って行ったほうが、作者の言わんとすることが響いて来るとも言えるのです。とくに、宮沢賢治という作家は、レトリックなどの“地”の部分に、言わんとすることの本質があるような作家なのかもしれません。短歌から《心象スケッチ》へ、《心象スケッチ》から自然童話へ、という作家として歩んだ軌跡が、賢治独特のスタイルを身につけさせたのだと思います。

 そういうことからすると、『銀河鉄道の夜』の〔第1次稿〕が書き起こされた 1924年という年は、この人の“作家生活”のひとつの頂点だったのかもしれません。この年に『春と修羅・第1集』と『注文の多い料理店』が出版されています。24-25年の詩を集めた『春と修羅・第2集』には、彼の珠玉が―――かんたんには“発見”できないようなかたちで―――秘蔵されている予感があります。今後は、『第1集』の《ゆらぐ蜉蝣文字》を直しながら、『第2集』に取り組んで行けたらと思っております。



 しかし、もともとこのシリーズを――じつは、こんなに早く、まだ『春と修羅』の最初の集にとどまっている段階で、大作『銀河鉄道の夜』に取組むとは思わなかったのですが――はじめたのは、ますむらひろしさんの本を読んだのがきっかけで、いまもういちど、ますむらさんの本を読み直してみると、中村教授が難しく正確に定式化して述べていることがらの中身を、ますむらさんの文章は、とてもわかりやすく書いていることがわかります。

 シリーズでは、《否定的‐統合的組成》というレトリック様式の分析を、まだ十分に読みこなせていない憾みがありましたし、そこからめぐらしたさまざまな考察も、自分の中にストンと落ちるように書く余裕はありませんでした。

 そういうわけで、ここでは主に、ますむらさんの文章を引きながら、シリーズで述べたエッセンスの部分を、‥いわばその中身にあたることがらを、―――理論分析というのは“枠”であって、中身ではない。―――直接見ておきたいと思うのです。






「三月、卒業すると、各駅停車の夜汽車に乗って上京し、牛乳配達のアルバイトをしながら夜学のデザイン学校に通いだした。
〔…〕

 『風景には言葉がある。聞き取れない声だが、確かに言葉を話しているのだ。』

 18年間、東北の山々に囲まれた盆地に暮らしていた僕は、吾妻山や斜平山が雨上りや季節の変わり目に、いろんな声を上げていたことを、今こうしてビルのシルエットに変わった瞬間、気づいたのだ。

 なんでもない松川の石っころのある流れ、初夏の朝の奥羽山脈の青さ。僕はそうした風景のあげる声なき声が、たまらなくなつかしくて聞きたくなった。それはまるで〈緑の気配欠乏症〉とでも呼ぶような気分だったのだが、
〔…〕
ますむらひろし『イーハトーブ乱入記』,1998,ちくま新書,p.23.
















「僕はじっとしてられず、三畳の狭いアパートをいそいそと出て、
角川文庫版の『注文の多い料理店』を買った。そして〔…〕「序」を読み出した。


  わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

  またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。

  わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。


 言葉が沁みてきた。谷川の砂の底からスッスッと湧いてきた水のように、言葉はまっすぐに胸に沁みてきた。食うや食わずの金もない僕にむかって、「ほしいくらいもたない」や「風を食べ」「日光をのむ」といった声は、「オ前、這イ上ガラナクテモイイノダヨ」と響き、日々に向かって作っている僕の握りこぶしは、ゆっくりとゆるんでいった。それは宮沢賢治が僕にくれた水いろの切符の始まり、第一通信は、こう響いた。


 〈アア、本当ニ、アンナ崖ナド這イ上ガラナクテイイノダ〉


 
〔…〕膨らんだ借金で家を売る三月に僕は高校を終え上京することになり、〔…〕夜汽車に乗って、窓ガラスに映る自分の顔を見ながら、

 『ああ、今度、米沢に帰る時は、帰る家はないんだなあ』と想う時、僕は真っ黒の気持ちでいっぱいになりながら、その奥の方でブスブスと何かを燃やし、一駅一駅を瞳に刻んでいった。

 
〔…〕上野駅に着いた空色の朝、僕のドロドロの歯軋り気分など知っちゃいないとアッケラカンとしたあの朝の明るさは、忘れられない。

 こうして都市の夜の底で悶々とし、家を無くしたノラ猫気分の僕に向かって、賢治はささやいたのだ。


 〈アア、本当ニ、アンナ崖ナド這イ上ガラナクテイイノダ〉


 
〔…〕そして「序」文は続く。


  これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。

  ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。


 『十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと』と読んだ瞬間、文庫本の中から懐かしい風が吹き出してきた。故郷の斜平山でキノコ採りをしていた時のあの寒い風たちが都会の三畳間を満たし、記憶の山々にひきつれていく。

 『ああ、なんて懐かしい。黒枝たちをゆする寒々しい風。』

 帰ろうとしても帰る家の消えた故郷のその緑たちが、賢治の言葉たちの中から生々しくよみがえってくる。
〔…〕今こうして都会の路地裏で、文庫本の中から『どう』と吹く風やサワサワゆれる枝は、まぎれもなく斜平山の気配だった。

 そして何より深く沁みたのは、『お話は風景のなかからもらってきた』という声と、『どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。』という声だった。

 風景からもらってきた記憶。どうしてもそんな気がしてならなかった想い。幼い昔の記憶の沼に針を降せば、たくさんの〈どうしてもそんな気がした時間〉は僕にもあった。

 土蔵の染みが生きものに見え恐かったことや、町外れの古い巨木がお爺さんみたいに見えて妙な親近感があったり、田んぼの彼方に見える山の頂の木々の形が、二匹の熊に見えて、どうもあの山には親子熊が住んでる気がしてならなかったり。あるいは斜平山にキノコ採りにいって、たった一人でいるうち突然、山の気配が重圧のように迫って来る気がして、心細くなって友達の名を呼んだ時や……。

     
〔…〕

 誰もが感じていて、成長とともにほとんどの人が感じなくなる〈自然からの信号〉を、『そのとおり書いたまでです』という大人がいることは、ほんとうに嬉しかった。」

『イーハトーブ乱入記』,pp.28-33.






 シリーズで引用した時には、子どもの頃には誰もが持っている自然の受け取りかた‥という部分に集中していましたが、その内容―――ますむらさんの記憶の中から湧き上がって来る、土蔵の染み、町外れの古い巨木、山の頂の親子熊に見える木々の形‥‥などの形象も、あらためて見るとたいへん印象的です。「谷川の砂の底からスッスッと湧いてきた水のよう」な賢治の言葉たち、朝の上野駅の明るすぎるよそよそしさ、といったますむらさん自身の体験の表現も、賢治の言葉に劣らない深みのあるもので、“賢治スタイル”が枠どっているものの中身を教えてくれます。








 










【4.2】 「森の気配」




「賢治の残した文章のあちらこちらでは、子供の頃感じていたあの気配たちが、僕を待ち伏せしていた。

 たとえばそれは、『どんぐりと山猫』の、かねた一郎くんの瞳にも映っていた。


  おもてにでてみると、まわりの山は、みんなたったいまできたばかりのようにうるうるもりあがって、まっ青なそらのしたにならんでいました。


 『うるうる! ああ、オレ知ってる、このうるうる知ってるぞ。』

 5月がすぎた雨上りの空の下、遥か東の奥羽山脈の山の色が、夏に向かってズンズン緑をはやし、色濃くたくましくなっている。そんな雨上りに映えたその色こそ、生命の集合体の山がうごめきながら、息をしているその〈うるうる〉なのだ。

 本当に、昨日までの山の色とは違う、まるで〈たったいまできたばかり〉のような新鮮な山に、自分の心のなかも、元気な空気でいっぱいになる。そうした感覚のうるうるなんだ。

     
〔…〕


  『うん。まんつ野原さ行ぐべすさ。』

  みんなが又あるきはじめたとき湧水は何かを知らせるようにぐうっと鳴り、そこらの木もなんだかざあっと鳴ったようでした。
〔引用は『風の又三郎』―――ギトン注〕


 湧水がぐうっと鳴り、樹がざあっと鳴り、何かを知らせるような、そんな気配がする瞬間。これは森に分け入った者のみが感じる森の気配なのだ。それは、けっして優しいものなどではなく、底知れぬ恐ろしさを腹にかかえた奥深い気配なのだ。だがそれもこれも、都市の路地裏では、ただただ懐かしい気配だった。」

ますむらひろし『イーハトーブ乱入記』,pp.33-36.






 前半の『どんぐりと山猫』からの引用は非常に有名なクダリですが、今までに読んだ解説や感想文のなかでは、ますむらさんのがいちばんリアルでわかりやすいと思います。とくに、「夏に向かってズンズン緑をはやし、色濃くたくましくなっている。」というところ。これを見ても、賢治は、すこしも変ったことを言っているわけではないのがわかります。だれでも体験したことのあることがらであり、ただふつうはその場限りで忘れてしまうようなことなのです。

 『風の又三郎』からの引用は、嘉助ら3人の級友が、湧き水のところで高田三郎と落ち合い、三郎が、



「ぼくのうちはここからすぐなんだ。ちょうどあの谷の上あたりなんだ。みんなで帰りに寄ろうねえ。」



 と言った直後に、樹と湧き水が「何かを知らせるように」鳴り騒ぐのです。「‥‥と鳴ったようでした。」という賢治の書き方が、いかにも、風も吹いていないのに鳴ったような気がした。気のせいだろうか?‥と不審に思わせる上手い書き方です。

 グリム童話ならば、この三郎という転校生はじつは魔法使いの従僕で、子どもたちを魔法使いの家に連れて行って食べてしまう、水と樹木は嘉助たちに危険を知らせているのだ‥‥という場面でしょう。

 しかし、そんな筋や理屈を離れても、この部分は、ふだんは静かな誰もいない森が、ときどき見せる「底知れぬ恐ろしさ」の気配なのです。

 “誰もいない森”はじつは、“誰もがいる森”にほかなりません。こちら(⇒:《ゆらぐ蜉蝣文字》1.1.1〜)にも書いたのですが、『春と修羅』冒頭詩「屈折率」の



「このでこぼこの雪をふみ」



 という一句は含蓄に充ちています。凍った雪道が「でこぼこ」なのは、たくさんの足によって踏まれてきたからです。冬の森の奥には、多くの生きものと死者、生者の思いが絡み合い、凍結しています。「森の気配」とは、そうした私たちの知りえない遠い過去からの叫び声、無念の思い、誇りに充ちたまなざし、何かを知らせようとするメッセージが、その折り重なった墳丘から吹き寄せて来るものにほかなりません。














【4.3】 「一ツノ規則ニ固マッテハイケナイ」




「こうした僕の故郷に対する記憶を刺激する生々しい風景描写に変に安心していると、『のんのん』とか『ころんころん』とか聞いたこともない妙な音とともに、とんでもない物体を賢治は造り出し、時空の茂みに隠れて、驚きうろたえる読者をクスクス笑ってるのだ。たとえばそれは、あのマント。


  そんなことはみんなどこかの遠いできごとのようでした。

  もう又三郎がすぐ目の前に足を投げだしてだまって空を見あげているのです。いつかいつものねずみいろの上着の上にガラスのマントを着ているのです。それから光るガラスの靴をはいているのです。

  ……いきなり又三郎はひらっとそらへ飛びあがりました。ガラスのマントがギラギラ光りました。

 
 緑でいっぱいの東北の山中に、いくら嘉助の夢の中のこととはいえ、当然出現するガラス製のマントに、僕は驚いた。風という透明なイメージがガラスを思いえがいたとしても、マントという柔らかな質感を、ガラスという硬質の物体に変化できる感覚。宮沢賢治がいろんな作品で時々見せる物質の変化の妙。僕は賢治の心の奥にあふれているこうした〈現状のさまざまなものに対する変化欲求〉に、強い共鳴を覚えた。

 水いろの切符には、こんな風に印
(しる)されていた。


 〈時々、規則ヲ変エヨ、心モ物モ、一ツノ規則ニ固マッテハイケナイ〉」

『イーハトーブ乱入記』,pp.36-38.



 水色で強調した部分が、中村三春氏の《否定的‐統合的組成》にあたる・ますむらさんの観察です。ますむらさんがこの文章を書いた時点では、中村氏の論文はすでに国文学の専門誌に発表されていました。しかし、ますむらさんがその論文を読んだことはなかったでしょう。にもかかわらず、中村氏が難しい用語と論理演算式を駆使して説いた命題を、ますむらさんは、わたしたちのふつうのコトバによって、中村氏と同等の奥深さ・的確さで述べています。

 学者だろうと、漫画家だろうと、読みの深い人の着眼は一致するものだと、驚かざるをえません。

 中村氏の《否定的‐統合的組成》の定式化は(6)のおしまいのほうを、その詳しい説明は(7)をご覧ください。

 もちろん、賢治作品の《否定的‐統合的組成》はガラスのマントだけではありません。地上の動植物・自然から天空まであらゆる物質に及びます。ときには、熱や光や、形のない精神的存在にまで波及します。それが「統合的」ということです。

 「心モ物モ、一ツノ規則ニ固」めてしまうことなく、「時々、規則ヲ変エ」てみること、それが、《否定的‐統合的組成》の「否定的」ということです。


「(ひかりといふものは、ひとつのエネルギーだよ。お菓子や三角標も、みんないろいろに組みあげられたエネルギーが、またいろいろに組みあげられてできてゐる。だから規則さへさうならば、ひかりがお菓子になることもあるのだ。たゞおまへは、いままでそんな規則のとこに居なかっただけだ。ここらはまるで約束がちがふからな)」

『銀河鉄道の夜』〔第3次稿〕より。



 と、『銀河鉄道の夜』の「セロの声」は言います。そのように世界の構成要素を組み上げている「規則」を「ときどき」変えてしまおうとすること、それが、宮沢賢治という人の「現状のさまざまなものに対する変化欲求」に根ざしていることを、ギトンは、ますむらさんのこの文章を読むまで気づきませんでした。しかし、これは卓見だと思います。

 賢治は、私たち読者の前で、世界を支配する法則と世界の組成を「ときどき」変えて見せ、


 〈イツモ世界ヲ同ジ色ニ塗ッテ見テイル必要ナンカナインダヨ〉


 と私たちに教えてくれるのです。







 









【4.4】 「二重ノ風景」





「 実にこれは著者の心象中にこの様な状景をもつて〈実在したドリームランドとしての日本岩手県である。〉
〔「『注文の多い料理店』広告文」より―――ギトン注〕


 『岩手県! 岩手が、ドリームランドだと!』

     
〔…〕

 まるでお菓子の国が溶けだし、そこに現われたのが肥え溜めのようなショックだった。

     
〔…〕

 『そうか。そうなんだ。』

 肥え桶の点在する場所にこそ、幻想のお菓子の城は生まれるのだ。この時、水いろの切符にはあの声が沁みだした。

 《ソノ土地ノ人ニトッテノ、願イノ世界ヤ理想ノ地ハ、ドコカ遠クニアルノデハナク、ソノ土地ニすっぽりト『二重ノ風景ニナッテ、実在シテイルンダヨ』》」

『イーハトーブ乱入記』,pp.43-44.



 賢治詩に出てくる「二重の風景」という言葉については、じつにさまざまな説がありますが、ますむらさんがここで使っている、“現実の土地風景と重なって存在する‘理想の地’”という意味は、賢治詩(たとえば↓「春と修羅」)の解釈としても有効だと思います。



 修羅は樹林に交響し
  陥りくらむ天の椀から
   黒い木の群落が延び
    その枝はかなしくしげり
   すべて二重の風景を
  喪神の森の梢から
 ひらめいてとびたつからす

『春と修羅』「春と修羅」より。



 この部分のギトンの解釈は→《ゆらぐ蜉蝣文字》1.9.5←こちらに書きましたが、ユートピアのような「理想の地」と考えるか、“異界”ないし“霊界”と考えるかはともかく、現実の土地と重なって、“もうひとつの世界”が存在し、人々はみな自分では気づくことなく「二重の」世界に生きている―――ということが重要だと思います。

 つまりこれは、世界の“しくみ”・組成・構造は、さまざまに変化しうるという《否定的‐統合的組成》のレトリックが、世界観ないし理想観のかたちをとったものにほかならないわけです。






 そしてこれは、賢治の言う“四次元”に関するますむらさんの解釈にも関わってきます:



「賢治の言葉はいつも僕に、《休ムナ》と言う。そして《ほんとうノ視線デ見ヨ》と言いながら、二十歳の僕に次々と謎々の言葉を送ってきた。そうした中に『四次元』という言葉もあった。

 SF小説でならなんでもないこの言葉が、柏林や楢の木の後ろから響いてきた瞬間、僕は不思議な気持ちでいっぱいになった。
〔…〕それは、科学的な匂いを漂わせ、ブルカニロ博士に逢ったジョバンニのように、大人から渡された視線に乗って見る〈無いはずの風景〉のリアルさにも思えたのだが、四次元は言う。

 〈無イノデハナイ。次元ガ違ッテ、感ジラレナイダケダ。〉

 ブルカニロ博士の声で四次元自身が言う。

 『森というものは、三次元空間だが、森のなかには“もうひとつ”森がある。そこに入るにはもう一つの次元をクッキリと意識すればいいのだ。その意識さえ捕まえれば、お前は第四次の森にも第四次の銀河にも、そして、ほんとうに狐たちとだって、話ができるんだ。』

 二十歳の僕には、こうした第四次感覚が、うっすらと感じられた。」

『イーハトーブ乱入記』,pp.111-112.



 宮沢賢治が言う「第四次元」「第四次延長」といった言葉については、これまたさまざまな解釈説が大にぎわいですがw‥、大きく分けて考え方は2通りになると思います:



@ 「4次元」とは、空間の3つの次元に時間を加えたもの。つまり、「第4次元」とは、時間のことである。

A 「4次元」とは、通常の空間の3つの次元に、もうひとつの長さの次元を加えた仮想空間である。「第4次元」は、直観的にイメージできない“第4の長さ”である。








回転する4次元立方体(正八胞体)








 @は、アインシュタインの「時空」と、ほぼイコールです。SF小説の「四次元」も、たいていはこちらの意味。

 Aは、@と区別して「数学的4次元」とも言います。正方形は2次元図形、立方体は3次元図形ですが、これにあたる4次元図形は“正八胞体(4次元立方体)”で、8個の立方体、24枚の正方形、32本の辺から構成されます。時間は関係ありません。

 【参考】⇒:Dimensions V 4次元(youtube)




 「異次元」とか「異次空間」と言うのは、Aのほうになります。

 ちなみに、現代の物理学や宇宙論では、“時間2次元・空間6次元の宇宙”などというお化けのような世界が、当たり前に語られていますから―――この現実の宇宙や素粒子の内部が、そういう空間だと語られているんです―――、宮沢賢治の「四次元」が@,Aどちらだとしても、まぁ‥かわいい幻想と言うべきでしょうw















 さてそうすると、ますむらさんの“賢治四次元”の解釈は、Aのほうですね。つまり、4次元空間の中では、現実の3次元世界と並んで、別の3次元世界が存在しうるわけです。これを3次元空間から見ると、2つの世界は重なって見えます。もしくは1つの世界しか見えません。



 ギトンが「四次元」も含めて詳しく読んでいるのは『春と修羅・第1集』の範囲ですが、この範囲で言うと‥

 たしかに作品「春と修羅」や「噴火湾〜ノクターン」では、空間の重なり合いや“異次元空間”の存在を意識した叙述が見られます。つまり、Aの数学的四次元です。しかし、「第四次延長」という言葉がはっきりと出てくる「序詩」はと言うと‥、どうも@のほうの意味に思えるのです。なので、賢治の考え方は、一筋縄では行かないような気が、ギトンはしています。






「あの小石川の三畳間の部屋に、ある夜、通信は送られてきた。


 《心ノ中ニアル君ダケノ瞳、閉ジテハイケナイヨ。》


 誰もが持っていてアドレッセンス中葉のころには、閉じてしまうあの瞳。その瞳に重くのしかかるまぶたを開いた者には、現実の向こうにあるもう一つの現実地帯が見えるのだ。夢や幻想、そして妄想などと呼ばれる地帯に、宮沢賢治という人は、ある時は悲しい足取りで、そしてある時はヒョウヒョウと軽々と、ほんとうに本気で行ってきて、その記録を原稿用紙に報告してくれた。

 木々の奥から漏れてくる気配、異空間と呼んだ場所のぼんやりした温度。それらは決死のわざで嗅ぎ分けた報告であって、現実しか見えない者はそうした感覚が信じられないから、『童話』と呼んだのだ。

     
〔…〕

 ほとんどの人間が遠い昔から溺れてきた〈欲望快楽沼〉のその淵を、迂回してみせた賢治の意識こそが、その“七転八倒”の引き換えとして、誰もが届かない視力を獲得したのだ。その視力が、森や山中の奥から漂ってくる異界の気配を嗅ぎとり、童話のあちこちでパックンと異界の裂目を開いて見せたのだ。二十歳のころの僕は、住みたくもない東京に住んでいることもあり、
〔…〕とにかくこの現実が嫌で嫌でたまらなかった。そしてこうした現実を〈良し〉として、ただの舞台にして繰り返される愛や出世や戦いの欲望物語にも、へきえきしていた時、賢治の作品のなかから、

 『ああ、嫌だ嫌だ、現実にはうんざりだ、今の人間にも、うんざりだ』と、激しい〈うんざり節〉が聞こえてきたのだ。宮沢賢治もまた、僕なんかより遥か強烈にこの世界が嫌で嫌でたまらなかったんだ。そして断固として異界に向かう足取りの、その確かさに、

 『こんな大人が、世の中にいたのか、そうか、これ、“ありなんだ”』と、僕は強烈に励まされ、たくさんの水いろの通信をもらってきた。

 賢治がくれた水いろの切符に、『イーハトーブ』と浮かんだ時、僕は自分の意識の中に降りていく方法に気づき、やがて『アタゴオル』までたどり着いた。だが異空間への旅を続けることは、けっしてたやすいことではない。なぜなら旅を続けるには、この現実を憎みつづけなければならないからだ。」

『イーハトーブ乱入記』,pp.112-115.






【4.5】 「輝くものはみんな星なんだ」




〔…〕ある晩のこと、Aが電話してきた。

 『ますむらさん、「銀河鉄道の夜」の銀河の空に星は見えないって、言ってたでしょう。あの星は、みんな三角標になってるんじゃないですか。』

 突然の内容に、僕は困惑した。

 『んー? 星が、三角標になった!?』

 『ええ。初期形の文章に、〈琴の青じろいひかりが三角標になった〉とありますよ。星が三角標になったから、桔梗いろの空
〔“銀河鉄道”から見える天空―――ギトン注〕に星は見えず、蠍座のところでは、野原にちゃんと蠍座の位置に三角標が並んでるんじゃないですか。』

 『そうか……。桔梗いろの空をいくら探しても星が見えないのは、三角標になったからか……。』

     
〔…〕

 83年から6年もの間、僕の中に巣食っていた疑問が、解けたのだ。その感動の中、喜びいっぱいの気持ちの端っこのほうに、ボンヤリと湧いてくる想いがあった。

 『蠍座の三角標を二度も描きながら、僕はなぜ、この事に気づかなかったのだろう?』

 そうした不思議な気持ちを飲み込むように、頭のなかでファンファーレのようにフレーズが繰り返される。

 《星ハ、三角標ニナッタノダ》と。

 その時、突然、卵の殻が破れるみたいに、頭の奥で妙なことが起こった。

 記憶の薄暗い闇のようなところから、何かが輝きながら浮き上がってくるのだ。その形がだんだんハッキリして見えた瞬間、懐かしさを感じた。輝きながら浮かんできたのは、僕がプリオシン海岸で描いた牛の化石〈ボス〉だった。そしてその後からは、銀河の砂地に輝いて咲いてた〈かわらははこぐさ〉が……。

 『ああ、そうか! 輝くものはみんな星なんだ。ボスの化石も、かわらははこぐさも、みんな星なんだ!』

 今度は、電話の向こうで、Aが困惑した。

 『ええ……!?』

 『三角標だけじゃないよ。輝くものは、みんな星なんだ。』


 宮沢賢治が幻想第四次と呼んだ〈ジョバンニの銀河〉。そこは星でいっぱいの銀河なんかじゃない。星がさまざまな物質に変化を起こして現われる空間、まさに星祭りの町の時計屋のショーウインドウでジョバンニが見た神話の星座絵図が、宮沢賢治風に立体化した空間なのだ。

 『ジョバンニの銀河。それは〈星が星でなくなる銀河〉なんだ。』

 それにしても何と恐ろしい宮沢賢治の想像力!」

『イーハトーブ乱入記』,pp.112-115.






 











 ↑上のクダリで、ますむらさんは、“星ハ、三角標ニナッタ”と“発見”した(と思いこんだ)際に感じた、なにか引っかかるような腑に落ちない気持ちを語っています。

 そして、この本のこの後の部分では、“三角標になったのは、星ではなくて、星の光だ”→“星は、三角点となって、三角標の真下に打ち込まれている”といった考察が書かれています。

 しかし、“星ハ、三角標ニナッタ”との“発見”を告げられた際に感じた疑問は、解決したのでしょうか?‥意地悪く言えば、三角標の下には三角点があるのならば、けっきょく同じことで、“星は三角標になった”と言っても“三角点になった”と言っても、たいして変らないのではないか?……

 むしろ、これまでに何度も引用してきた、〔第3次稿〕にも〔第4次稿〕にもある↓つぎの部分――ここにだけ「三角点」という言葉が現れる――を重視すれば、“野原の遠くにまで広がって立っているのは「三角標」だが、「三角点」は天の川の近くにだけある”と考えることもできそうな気がします。。。



「ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすゝきの風にひるがへる中を、天の川の水や、三角点の青じろい微光の中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした。」






 考えてみれば、星が星座の形になる位置に見えるのは、地球から見ているからで、そこで見えているのは、あくまでも天球面上に投影された“星のひかり”です。恒星そのものが、星座の形に並んでいるわけではありません。しかも、私たちに届く星の光は、遠い星は何十万年も前の光、近い星は数百年前の光、というようにばらばらで、現在の恒星の位置を示してさえいないのです。科学者としての賢治が―――両面ある賢治の、片方の面が―――こうしたことを気にしないはずはないと思うのです。

 (4)で考察したように、賢治は“銀河の旅”のなかで、太陽系の位置が、“銀河鉄道”の走っている銀河の中心部から遠く隔たっていることまで描いています。じっさいの恒星が見えたとしたら、地球から見える星座配置と同じ形に並んで見えるはずはない。いくら童話だからと言って、こういうことを無視してしまうことは、賢治という人には、できなかったと思うのです。

 それでは、三角標は、なぜサソリ座の形に並んでいたり、ジグザグのカシオペアの形に並んでいたりするのか?‥それは、「鳥捕り」の言いかたで言えば、「不完全な幻想第四次の」“銀河世界”だから……と言うよりほかないのではないでしょうか?【註】また、サソリの形が現れたり、北十字や南十字に、大きな輝く十字架が建っているのでなければ、ジョバンニの期待に答える世界とはなりえないでしょう。

 そこで、三角標(ないし三角点)は、地球から見える星の配置(じつは、“星の光”の配置)を示して輝くのです。


【註】
 この「鳥捕り」のセリフを、賢治は自嘲として書いたという意見があります。ギトンもそんな気がするのです。しかし、宮沢賢治がもし、フッサール現象学の《生活世界 Lebenswelt》という考え方に接していたら、“銀河世界”の構築によって自分が表出しようとするものの“中身”を、もっと明確に意識できたのではないでしょうか。それは「不完全な幻想」などではなく、科学が宣布する啓蒙的宇宙像にも拮抗しうるヒューマンな世界なのです。






 ところで、ますむらさんの上のクダリで重要なのは、三角標は星か、“星のひかり”か、などという面倒な理屈よりも、「輝くものはみんな星なんだ。」と、するどくも看破された点だと思います。



「『銀河鉄道の夜』のあの桔梗いろの空に、本当の星は輝いていない。本当の星など、いくら目を凝らしたところで、存在しない空間、そして星の光が、三角標やすすきやボスの化石や河原の小石に変化した空間、それが幻想第四次の銀河、ジョバンニの銀河なのだ。」

『イーハトーブ乱入記』,pp.173-174.



 、「かわらははこぐさ」は「燐光」を出し、ボスの化石は青じろく、「すすき」は銀色に光ります。「河原の礫」も、「青白い光を出す鋼玉」や「水晶」「黄玉」など、鉱物の種類ごとに特有の色彩で光っています。

 つまり、“銀河世界”では、三角標であれ、ハハコグサやススキであれ、掘り出された原牛の化石であれ、河原の小石であれ、あらゆる物体が、さまざまなトーンの光を放って輝いている。それらはみな、“星”として輝いていると言ってもよいわけです。

 それに対して、ジョバンニの住んでいる地上世界ではどうだったかと言うと、やはり地上世界でも負けずに、ケンタウル祭の夜だということで、飾りつけのイルミネーションとか、光るものがたくさんある。発想においては“銀河世界”と変らないほど“星”に充ちていることを、(8)で見てきました。














 天沢退二郎氏は、『銀河鉄道の夜』〔第1次稿〕成立時期の作詩をまとめた『春と修羅・第2集』について、つぎのように述べています:



「つまり、『よだかの星』では、遥か遠くにあった星が、実は、この『春と修羅 第二集』では、ルビーの火、紅く燃える萱の根というふうに、すぐ、間近に燃える小さな星がですね、遠くじゃなくて、実に間近に、ディテールとして、至るところに、燃えている、至るところに偏在しているということが見えて来ます。詩集『春と修羅 第二集』の至るところに、星が、すぐ近いところにある
〔…〕この『春と修羅 第二集』というのは、全体が、天の川である。〔…〕詩の言葉が詩人の周りに、星の偏在を編み出している、という特徴を持っている。これは『春と修羅』第一集にも『第三集』にもない特徴だと思うのです。〔…〕『春と修羅 第二集』と『銀河鉄道の夜』が近しい関係にあることは、既に『〔北いっぱいの星ぞらに〕』や『薤露青』という詩で、誰しも気づいていることですが、この『春と修羅 第二集』というのを銀河、天の川にたとえることができるとしますと、すぐその天の川のへりを鉄道が走っている。つまり『銀河鉄道の夜』が、もうすぐ側を走っているというふうな構造になっているんではないかと思うんですね。」
天沢退二郎『《宮沢賢治》のさらなる彼方を求めて』,2009,筑摩書房,pp.213-214.






 この時期の宮沢賢治の《心象》は、“銀河世界”であれ地上であれ、散文でも詩でも、さまざまなトーンと色で輝く“星”が、身近に散りばめられていたのだと思います。

 賢治の描いた“銀河世界”は、地球上から最新鋭の望遠鏡で観測した宇宙とは正反対のものです。それは、星々がさまざまな物体や意匠に変化して輝き、神話の星座絵図が立体化して動きだした世界なのです。それは、《否定的‐統合的組成》によって生み出された新たなミュートス空間にほかなりません。






ばいみ〜 ミ




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カテゴリ: 宮沢賢治

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