02/22の日記
16:51
【宮沢賢治】『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(13)
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こんばんは (º.-)☆ノ
『銀河鉄道の夜』草稿の失われた“欠落部分”の内容を推理してみようというこのシリーズも、最終回を迎えました。
興味をもたれた方は、シリーズの最初から読んでいただけたらと思います:
⇒:『銀河鉄道の夜』の成立過程
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(1)
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(2)
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(3)
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(4)
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(5)
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(6)
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(7)
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(8)
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(9)
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(10)
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(11)
⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(12)
【3.2.8】 ブルカニロ博士はカムパネルラの父か?
ブルカニロ博士は、じつはカムパネルラの父であるという考察、あるいは解説がまま見うけられるのですが、これは、〔第3次稿〕までの“初期稿”と〔第4次稿〕がごっちゃになって読まれていた時代のテクストによる推論です(成立過程参照)。『校本全集』以後のテクストを前提とする限り、成り立たない読みと言えます。
〔第3次稿〕までのテクストでは、カムパネルラの父はまったく現れないのです。登場しないだけでなく、そもそもカムパネルラには父がいるのかどうかさえ、言及がないために分かりません。帰って来ないジョバンニの父、ジョバンニの母、カムパネルラの母については、二人の会話や独白の中で言及されますが、カムパネルラの父については、まったくその存在を推定することすらできないのです。
他方、〔第4次稿〕では、川での水難捜索の場面にカムパネルラの父が登場しますが、ブルカニロ博士のほうは、痕跡も残さず消し去られています。
そういうわけで、ブルカニロ博士はカムパネルラの父ではありえないし、そうだと考える証拠も存在しえません。
また、百歩譲っても、〔第3次稿〕までに登場するブルカニロ博士と、〔第4次稿〕に登場するカムパネルラの父は、似ていません。たとえば、両者のジョバンニに対する態度、言葉づかいは、↓このように違います:
「『ありがたう。私は大へんいゝ実験をした。〔…〕お前の云った語はみんな私の手帳にとってある。さあ帰っておやすみ。お前は夢の中で決心したとほりまっすぐに進んで行くがいゝ。そしてこれから何でもいつでも私のとこへ相談においでなさい。』」
「すると博士はジョバンニが挨拶に来たとでも思ったものですか しばらくしげしげジョバンニを見てゐましたが
『あなたはジョバンニさんでしたね。どうも今晩はありがたう。』と叮ねいに云ひました。
ジョバンニは何も云へずにたゞおじぎをしました。
『あなたのお父さんはもう帰ってゐますか。』博士は堅く時計を握ったまゝまたきゝました。
『いゝえ。』ジョバンニはかすかに頭をふりました。
『どうしたのかなあ、ぼくには一昨日大へん元気な便りがあったんだが。今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな。ジョバンニさん。あした放課后みなさんとうちへ遊びに来てくださいね。』」
上はブルカニロ博士、下はカムパネルラの父です。
ブルカニロ博士は、命令に近い口調で力強く激励しています。ジョバンニに対して遠慮なく、またストレートな言い方ですが、親身な態度が伝わってきます。
他方、カムパネルラのお父さんのほうは、子ども相手とは思えないほど丁寧ですが、ジョバンニをよく知らないのか、あまり気にかけているふうではありません。
カムパネルラの父は、今まさに自分の息子が水死したかもしれない現場にいるのだから、ほかのことなど気にかけていられない状況で、それを比較するのは無理があると仰るかもしれません。しかし、それならブルカニロ博士は、どうなのでしょうか?‥もしブルカニロ博士がカムパネルラの父なのだとしたら、この落ち着きようは、ただごとではないでしょう。息子の死を知りながら、まったく「へ」とも思っていない。異常な父ではないでしょうか?!
さらに、ジョバンニとカムパネルラが、“銀河列車”の中で「セロの声」を聞いた時の反応も、もしそれがカムパネルラの父だとしたら有りえない態度です:
「そのとき、あのなつかしいセロの、しづかな声がしました。
『ここの汽車は、スティームや電気でうごいてゐない。ただうごくやうにきまってゐるからうごいてゐるのだ。』
『あの声、ぼくなんべんもどこかできいた。』
『ぼくだって、林の中や川で、何べんも聞いた。』」
カムパネルラは、自分の父の声を聞いて、こんなふうに他人事のように言うでしょうか?2行の対話のうち、どちらがカムパネルラだとしても不可解です。
以上から、ブルカニロ博士は、カムパネルラの父ではありえないと言えます。
【3.2.9】 ブルカニロ博士とは、誰か?
最後に、「ブルカニロ」という名前について考えてみたいと思います。『定本・宮澤賢治語彙辞典』の「ブルカニロ博士」項では、つぎのように3つの説を挙げています:
「この名について、ジョルダノ・ブルーノとカムパネルラとマサニエロの部分を重ね合わせたとする説や、百科事典のブリタニカから来たと考える説、イタリアの火山名ブルカネロに由来する説等があるが不明。」
まず最初の説ですが、どうもこじつけの感がぬぐえませんですね‥。3人ともイタリア人を出したのは、ジョバンニとかカムパネルラとか、この童話にイタリア人名が多くて、童話の舞台はイタリアの町だというのが通説だからでしょうか。しかし、イタリアにこだわらなければ、ブッダと爾迦夷(るかゐ)と日朗でも(爾迦夷は賢治童話『二十六夜』に登場するフクロウの菩薩。日朗は日蓮が後継者と定めた「六老僧」のひとり)、ブルータスとカニシカ王とローレライでも、ブルドッグと蟹とロバでもいいわけですw
ブリタニカは、ブルカニロと似てないし、どうしてこんな説があるのか謎です。
ブルカネロ(Vulcanello)は、シチリアの北にある火山島ヴルカーノ Vulcano を構成する火山の一つで、標高 123メートル(イタリア語版ウィキペディア)。さらにネット検索してみると、昔はブルカニロ Vulcanillo とも呼ばれていたようです。しかし、宮沢賢治が、今でも英語版ウィキに出てこないようなマイナーな地名を知ってましたかねえ...
Vulcanillo は人名としてもあるようで、フェイスブックがヒットして来ました。
イタリア語で vulcano は「火山」。vulcanello は「小さい火山」という意味です。おそらく vulcanillo も同じ意味でしょう。賢治は何かで、ヴルカニロという人名を見たか聞いたかしたのではないでしょうか。また、ヴルカネロ山も、紀元前1世紀の噴火でできた火山で、以来つどつど噴火を繰り返してきたとのこと。有史後にできた火山として、あるいは地質学では知られていたのかもしれません。
しかし、問題は、なぜその山の名、あるいは人名を、付けたかです。賢治は、語源が「火山 vulcano」だということは知っていたでしょう。英語で volcano, ドイツ語で Vulkan, エスペラントで vulkano ですからね。
「火山」または「小さな火山」と呼ばれるのにピッタリの「博士」が―――いましたよねえ!!
はい。盛岡高等農林の恩師・関豊太郎博士(1868-1955)です。
宮沢賢治の伝記には必ず出てくる人ですから、『定本・宮澤賢治語彙辞典』を引用しておきましょう:
「東京帝国大学農科大学農学科卒。中学、師範、農学校、高等師範の各教師を経て1905年、盛岡高等農林学校に教授として着任。1910年から1913年までドイツ、フランスに留学。1917年、火山灰土壌研究で農学博士。1920年退職。その後〔同年―――ギトン注〕、東京西ヶ原の国立農事試験場嘱託となる。賢治入学当時(1915)は農学科第二部の部長をつとめ、物理、物理実験、気象、地質、鉱物、土壌を担当。いわゆる学者タイプの気むずかしい人柄であったが、賢治とはウマが合い、ことのほか賢治に目をかけていた。〔…〕賢治が農民に勧めた石灰岩粉末の施肥も、関教授がドイツ留学中に修得したものを日本に紹介したもの。」
付け加えて言えば、盛岡着任後最初の時期は、東北の凶冷気象(冷害)と三陸・海水温の関係を研究しており、これも大きな足跡を残しています↓
【参考】⇒:《ゆらぐ蜉蝣文字》7.5.12〜
1917年に農学学位を取った後、西ヶ原に移ってから、やはり火山灰土(関東ローム)の研究で理学博士の学位を取っています。また 1927年に設立された日本土壌肥料学会の初代会長を務めています。
「いわゆる学者タイプ」は、ずいぶん遠慮した言い方でして、高等農林教授当時は、部下や学生はもちろん、同僚教授にまで暴力をふるってビンタなどは日常茶飯事だったとかw アダ名は「ライオン」。賢治童話『猫の事務所』で最後に登場して「こんな事務所はやめてしまえ。えい。解散を命ずる!」と一喝する「獅子」↓は、関博士がモデルかもしれません。
【参考】(猫の事務所)⇒:【吉本隆明】の宮沢賢治論(4)
盛岡高等農林学校で実験を指導する関豊太郎博士
(奥の白衣が関博士。赤矢印が宮沢賢治。)
「賢治に目をかけていた」のは本当で、有給助手を4ヶ月足らずで辞めて自宅質屋の店番をしていた賢治に、自分の退職でポストがあくから(いきなり!)助教授にならないかと打診したり。しかし、「ウマが合い」は、意見が同じとか、関教授には何でもイエスとかの意味ではありません。得業論文(卒業論文)では、賢治は、火山灰土に石灰施用は良くないと、関教授とは正反対の結論を書いています↓
【参考】⇒:《ギャルリ・ド・タブロ》荒川の碧き流れに(13)
【参考】(宮沢賢治の卒業論文)⇒:《ギャルリ・ド・タブロ》歩行スケッチの季節(3)
ある意味頑迷に自説を主張するところが、かえってひねくれ者の関博士には気に入られたかもしれません。おそらくは延々と議論を重ねたのでしょう。遅くとも 1923年頃には、賢治も石灰施用を本気で考えるようになっています(『春と修羅』収録の詩「雲とはんのき」↓参照)。その後「東北砕石工場」の技師になって石灰岩抹のセールスに奔走したり‥‥は、よく知られる通りです。
【参考】(「雲とはんのき」と石灰岩)⇒:〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 8.2.37〜
ところで、火山灰土が専門の関博士に Vulcanillo の呼称はふさわしいけれども、『銀河鉄道の夜』のブルカニロ博士は火山とは全然関係がないじゃないか‥‥と言われるかもしれません。
たしかにそのとおりで、内容的には、『グスコーブドリの伝記』のクーボー大博士のほうが、関博士をモデルにしたと言うにはふさわしいでしょう。それに、関博士の学風から言って、心霊学に関心があったなどとは、まったく考えられませんw
しかし、賢治が「ブルカニロ」という名前の念頭に置いていたのは、関博士以外考えられないと思います。専門の点だけでなく、狷介で怒りっぽい、爆発する…という性格からも、そうだと思うのです。
それではなぜ「ブルカニロ」関博士が、火山と関係のない『銀河鉄道の夜』に出てくるのかというと、…やはり賢治にとってもっとも尊敬する人、指導者として仰ぎたい人が関博士だったのではないでしょうか。ブルカニロ博士は、ジョバンニ「少年を夢に入らしめ、その夢の中にまで介入して語りかけて自分の考えを伝え」(天沢退二郎氏)、それこそどこまでも導いて励まして行こうとするのです。
博士に対して、はじめは反発していたジョバンニも、しだいにその考えを受け入れて行き((6)参照)、しまいには、博士の「セロの声」が聞こえたとたん、ふさいでいた気分が治って愉快になるほどです:
「(僕は帰らなけぁいけない。けれどもどうしてここから帰れやう、いったい家はどっちだらう。)ジョバンニは首を垂れて、すっかりふさぎ込んでしまひました。
『もう帰りたくなったって。そんなにせかなくてもいゝ。まだ二分もたってゐない。まあ安心しておいで。いつでもその切符で帰れるから。』またあのセロのやうな声がどこかでしました。ジョバンニは気持がすっかりなほってまた叫びだしたいくらゐ愉快になりました。」
『銀河鉄道の夜』〔第2次稿〕より。
はじめのうちは反発しているのに、しだいに取り込まれて相手の考えになってゆくところは、賢治と関博士の関係に似ていないでしょうか?
そういうわけで、ブルカニロ博士の“モデル”が関博士だとは言いませんが、「ブルカニロ」という名前の念頭には、理想化された―――されすぎてる?―――関博士があったのだと思います。
さて、ながながと書き綴ってきたこのシリーズも、ようやく予定の筋書きメモを消化しましたので、このへんで締めにしておきたいと思います。
ご高覧ありがとうございました。
ばいみ〜 ミ彡
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